第5話❶ ♫ 時魔女の夜会とゲートキーパーのヒメカンゾウ(上)

--暦を司る神さまを時神ときがみとしてあがめる人たちがいる。その使者として時を旅する者たちは暦人こよみびとやカレンダーガールと呼ばれている。その時間移動には太陽と月の光、そしてそれらを祀る場所に開く「時の扉」が使われる。いにしえより続く、限られた人たちだけが、その役目のために隠密行動で時を超える。そして彼らの原動力は、いつの時代も人の世のやさしさ--



魔女の夜会

 八卦島はっけじま。横浜市金沢区にある人工島。その入口に当たる自然岩礁には満月の夜に開門するマジカルゲートが存在する。静かな入り江の片隅にぽっかりと開く不思議な岩屋。波打ち際には、月がその姿を水面に映す美しい景色だ。

 その満月を背景に多くの箒にのった時空世界の魔女、すなわち『時魔女』がゲートを目指して飛来してくる。今宵の『時空白魔法サバト』の会場がこのゲートの奥にある亜空間に存在するからである。


 勘解由小路歌恋かげゆこうじかれんも今宵の月夜、友人の時魔女、エリーナと一緒に箒を操ってこの会場を目指していた。上手く金沢の海岸線に着地をする歌恋とエリーナ。

「ねえ、何処に箒を置くんだった」とエリーナ。

「確かあ、あのたばこ屋さんの脇にある納戸だったわ」

 歌恋はそう言って、木造の古い納戸の扉を開ける。ギギッという軋み音で開いた扉の中には、各地からの時魔女が乗ってきたであろう複数の箒が格納されていた。

「ほおらね」


 得意げに笑う歌恋。

「了解」

 エリーナは自分の箒をその納戸に入れる。

 歌恋もそれに続くと、白魔法サバトの会場に繋がる念動ゲートを探し始める。

 都市開発され尽くしたこの町の小さな一画、海岸沿いに残っている小さな岩場を目指す。相変わらず月の光が、潮の香りを伴ってあたりに夜の雰囲気を醸している。

「ここだわ」と歌恋。


 するとその入口にあるゲートの横から声がした。

「おい、そこの時魔女」

 二人は思わず辺りをキョロキョロと見回す。特に人影らしきものは見当たらず、困惑の表情を浮かべる歌恋とエリーナだ。

「ここじゃ、ここじゃ。なに、何処を見ておる」


「声はすれども、姿は見えぬ……うぐっ」

 エリーナの台詞に「その先は乙女は言うべからずね」と歌恋は羽交い締めにして、後ろから手でエリーナの口を塞いだ。

 ぐわっと歌恋の腕を無理矢理はぐと、「なんでよ?」とエリーナ。

「声はすれども姿は見えぬ 君は深山みやまのきりぎりす、でしょう? 山家鳥虫歌さんかちょうちゅうかだわ」と言う。風流な俗歌壇が自然といそしむ詩歌の総称である。もちろん、歌恋はそれの替え唄である落語でお馴染みのアレを言うと思って口を封じたのである。※


「何をもめておる。わらわの声が聞こえんのか」とご立腹の女性の声が地面すれすれから聞こえていた。声の主は自分を無視して二人コントでもやられている気分だった。

 二人は問答を止めて、サバト会場に通じる岩屋の入口脇に目をやると、月明かりに小さなお姫様がしゃんと立っているのが見えた。

「かぐや姫?」

「親指姫?」

 両者のイメージするモノは当たらずと遠からずと言った姿だった。背丈は十センチほどの赤姫衣装を身に纏い、キラキラのかんざしを刺した島田髪の女性を見つける。

「あら可愛い」

 歌恋の言葉に「ふん、そんなことは言われなくても分かっている」とふんぞり返る。少々扱いづらいお姫様である。


「お前たち、時魔女であろう?」とお姫様。相変わらず、かんざしにキラキラの装飾を揺らして高貴な口調で訊く。

「ええ、まあ」

「わらわはもともと時のゲートの番人を兼ねた念動隧道のゲートキーパーだった者だ。ところが長い年月の末、今では大河戸御厨おおかわどみくりやのゲートは川底に沈み、わらわは土砂と一緒に埋め立て地に運ばれ、子どものいたずらで横浜の南、この地におさまったのじゃ。全く、人間どもは、阿漕あこぎなまねをする」

 ため息に、あきらめがついた表情で、軽く愚痴ってから、

「どうじゃ、わらわを桜ヶ丘の多岐老公の元に連れて行ってはくれんかのう?」と姫。


 エリーナと歌恋は顔を見合わせて、

「多岐老公はいま桜木町にはいらっしゃらないんです」と返す歌恋。

「なんと! 老公もおともそこにはおぬとな」

 歌恋は優しく微笑むと、

「多岐老公は現在浜松の弁天島近くの一軒家、もとのご実家にお戻りで、奥様の音さんが眠られている街にいます」と頷く。

「音はもうこの世に……」

 姫の言葉に、「はい。もう随分前になります」と応じる歌恋。

「うむむ……」

 顎に手をやり俯く姫。


「私たちはこれからサバトがあります。それが終われば、またここに戻って参ります。その時に改めてお話をお聞きしますのでしばしお待ち下さい」

 会釈をすると、歌恋たちはそのままサバトの会場へと続く岩屋を、奥へ奥へと進んでいった。



ホワイトサバト

 岩屋、すなわち洞窟の奥はそのまま廊下になっている。この光景を見たら、ここが洞窟の奥にあるとは思えない普通の建物の内部のようだ。

「ホワイトサバト、ってなんでしろ夜会っていうの?」とエリーナ。

「ああ、一般的な魔女の夜会とは区別するため、そして魔法使いが間違って入り込まないように、区別しているそうよ。私たちはあくまで暦人こよみびとであって、魔法使いではないわ」と歌恋。

「なるほど」

「それにね。魔女の夜会は、決して人間たちにとって幸福をもたらすような物でもないの。黒魔術と言われる分野の披露もするから、あくまで人間社会に善をもたらすために存在する暦人のポリシーに反することではないという主張のために白という色で区別しているそうよ」

 歌恋の説明に、「相変わらず、あんた博識だね」とエリーナが納得していた。


 大きな扉が目の前に現れると、そこに『ホワイトサバト会場』という貼り紙がしてある。

 恐る恐る、ゆっくりとその背丈の数倍はある鉄の扉を押してみる歌恋とエリーナ。

『ギギーッ』っという鈍い音とともに、光が二人を包む。きらびやかなパーティ会場を目の当たりにした二人は驚く。

 さっきまでの殺風景な場所とうって変わって、シャンデリアに登壇場、各テーブルに盛りつけられた料理の数々。立食式ではあるが、結構なご馳走がテーブルにところ狭しと置かれている。


「何で今回はこんな豪華なの?」とエリーナ。

「確かにね。いつもならお茶とケーキ程度の筈。なにがどうなるとこんな結構な立食パーティになるのかしら?」

 歌恋も不思議に思ったのか、辺りを見回す。メンバーはいつもの見慣れた時魔女の面々だ。


 ステージ上にスポットライトが当てられると、司会進行役の暦人が登壇する。彼はステージの上から時魔女の面々をぐるりと見渡すと、マイクのスイッチを入れて話し始めた。

「あれ? マイクさんがマイク持っているね」とエリーナ。これはダジャレでは無い。普通の文章だ。

 そう、見慣れた顔。表参道のライブ喫茶『ひなぎく』のオーナーにして、時魔女の束ね役のひとりでもあるマイク花草はなくさだった。

「今宵満月の晩。皆さんの箒が導いてきたのは金沢八景の岩屋。そして今日はスペシャルゲストである時神の神使でもある『時の翁』氏であります。今日は魔法の媚薬、魔法の秘薬の類いを皆さんにご紹介したい、とのことでわざわざここまでおいで下さいました」

 そう言ってマイクは、舞台の上手に視線を向ける。

「どうぞ!」


 相変わらずの紋付き袴に高下駄で登場してきたのは、サバトには不釣り合いな和装の老人、『時の翁』だった。彼は端のテーブルに歌恋がいるのを確認すると、目配せのように微笑んだ。まるで『久しぶりだね』とでも言いたいように。


 登壇した時の翁はステージと客席の間に置かれたテーブルを指して話を始めた。

「ご紹介に与りました時の翁といいます。時空の狭間、亜空間に住んでいるために時を数えない体質になりました。即ち不老不死。ただし、老人になってから不老不死になったので、この白髪の格好がずっとの私の姿と言うことになります。正確には千年ほどの寿命を頂いていると聞いています。それが本当なのかは千年たってみないと分かりません」

 どっと客席の時魔女たちの笑いを誘う。

「さて右端のものからご紹介していきましょう。これは皆さんがよく使う魔法水晶です。この水晶は中に入れる物質によってその効能が変わることはご存じですね。その横に銀杏の実を置いてあります。この銀杏は何処の銀杏でもよいというわけではありません。御厨の時空ゲートの前に生えたイチョウの実でないといけません。この二者を融合したものが銀杏水晶という呪術アイテムになります。主な効能は他のアイテムと組み合わせて、結界術などに使われます」


 新参の時魔女たちはしきりにメモを取っている。また前に赴いてテーブルに載ったそのアイテムをスマホなどで画像におさめている者も多い。


「次に横にあるのは、もう静態化したマンドレークです。ギリシアの山中で採れる良質のマンドレークはご存じの通り、地面から引き抜くときに大きな叫び声をあげます。この声を聞いた者は運が悪ければ、あの世行きです。かならず耳栓などを用意してから採集作業をして下さい。その後乾燥させ、毒抜きをしたこれの効能は万能薬となります。秘薬中の秘薬といいます。植物自体の言い伝えとしては、一説には「えん罪」によって処刑された男性の男根、男液から生えるとも言われているので、かつての処刑場の絞首台ギロチン磔刑場はりつけばに生えているといわれてきました。真偽の程は定かじゃありません。そして万能の中でもとりわけ媚薬として中世欧州で用いられ、身持ちの堅い女性を手に入れるために魔術師が使用したと言います。今は主に惚れ薬として、軽い魔法の媚薬で使われます。くれぐれも悪意のある人間に渡らぬようお願いします」と説明をした。


 歌恋にとってこの程度のことは書くまでも無く、知識の範疇なのでただ聞くだけだ。


「その隣にはコウモリの丸焼きがあります。コウモリは魔女の使い魔であることが多く、中世では魔女の家を見つける道具にされました。コウモリが多く住み着いている家を特定して魔女をあぶり出したのです。その魔法を浴びたコウモリの丸焼きを煎じて飲むことで、魔法使いになる事が出来ます。これも何処のコウモリでも言い分けではなく、使い魔としての役目を終わったコウモリが、その役目に就き、魔女の子どもに与えられその霊力を高める食材に使われます」


 時の翁は更にその隣の「命の水」を指さす。

「いわゆるアクアビーテ。っと言っても、現在の西洋の蒸留酒ではなくて、本当の魔法の水です。今ではウイスキーやブランデーをそう呼ぶ場合もありますが、それではありません。完全に霊威のこもった水です。そしてその隣がイースターエッグ。これがフレッシュマンの皆さんには重要です。勿論、見かけはイースターのお祭りで見かける卵ですが、これはいわば魔法界、亜空間のGPSなのです。教会のゲートを潜るとき、今日のような満月で赤い月、白い月が出たときにこの卵に行きたい年号を書くと、その時代に連れて行ってくれます。暦人とカレンダーガールの違いはここです。託宣が無くても自力で時間を旅することが出来るのです。しばしここでアイテムの見学会としましょう」


 一斉に時魔女たちはイースターエッグの回りに集まって、横に書いてある呪文をノートに書き写している。歌恋とエリーナは、当然既知事項のため席を離れない。「何を今更」という気分だ。


 すると人混みの中で時の翁は、歌恋たちの元に歩み寄ってきた。


「お嬢さんたちには、過去に何度もお使いの物ばかりで、珍しくはないものですね」

「あら、オジサマ」と歌恋。なにやら意味ありげな笑みを浮かべる。

「この会場の入口に迷子の姫様がおられます。その姫様をお望みの場所にお連れ頂けますでしょうか?」


「岩屋の前に咲いているヒメカンゾウの精のことでしょうか?」と訊ねる歌恋。

「もう、お会いになりましたか。実は身の上は御自身でお話なると思うのですが、あのヒメカンゾウと行方不明のヒメユリは一対で亜空間の霊気に当たっていないと枯れてしまいます。出来ればタイムゲートや念動隧道の入口に植え替えて頂けると嬉しいのです。この時魔女の岩屋では霊気の種類が違うらしく、小さくなってしまいます」


「なるほど」とエリーナ。

「それで親指姫の大きさなのね」と歌恋も納得した。

 二人が既に顔を合わせていると分かると時の翁は安心したようで、壇上に戻っていった。



 会場を後にしたエリーナと歌恋は、出された食事を口にすること無く、親睦会も欠席すると一目散に入り口で待つ赤姫のもとにやって来た。

「お待たせしました」

 苛立ち顔の小さな姫様は、おかんむりのようで、切れ長のまつげを更に張り詰めたような顔つきで、

「遅いでは無いか。わらわを待たせるなど無礼であり、不届き千万。お仕置き、叱咤に値するぞ」と言う。

「まあまあ、そんな美人さんが、目をつり上げていてはいけません。美人が台無しです」

 例のゆっくり、スローペースの歌恋が穏やかにたしなめる。

 褒められた姫は、バツも悪げに、

「まあ、そう言うこともあるという、例え話じゃ」と赤くなって俯く。


「ところでな。この話を先におぬしらにしておくのじゃが、時の翁、少々世迷い言のようなことを言っておって、気がかりに思う」

 姫の言葉に、

「いかがしましたか?」と訊く歌恋。

「きゃつはな。『迷い人』のむらを亜空間にこさえると言っておった。勿論盗み聞きをしたのは申し訳ないが、時空世界の一大事なので、時巫女か、どこぞの暦人御師にそれを伝えねばならぬ。しかもその場所がわらわの元いた場所、大河戸御厨の亜空間なのだ。その昔、大河戸には亜空間河岸が存在していたが、度重なる水路変更で今や何処にその入口があるのかすら分からぬ始末。そんな場所をどうやって探し当てるのか、不気味じゃ」

 歌恋は思案のポーズで、眉を曇らせる。頭の整理が追いつかない。頭の中が螺旋のようにぐるぐるしている。

『うー。おじさま、また訳の分からないことを……』


 納屋から箒を取り出すと、姫の回りの土ごとビニル袋に詰める。

「姫様、いまから暦人御師の家まで飛んでいきますから袋から出ないで下さいね」と歌恋。

「夏見さんのところに行くのね」とエリーナ。

「うん。この時間なら、もう起きていると思うから。御師の中で、一番朝早くから起きている人は夏見さんなの。相談しに行くわ」

 歌恋の言葉に、「じゃあ、近所だし、私も付き合うわね」とエリーナ。

 東の空は水平線のあたりが白く、そして紫色からオレンジ色にその周辺の色も変わる。夜明けが来る。姫はその姿を植物の中に戻すと、

「夜明け後はわらわはエネルギーを消費するので、花の中におる。声だけで対応するが悪く思うな」と赤姫。

「分かりました。飛びますよ」

 箒に跨がった歌恋とエリーナは急上昇して、桜木町の夏見邸へと空を駆け抜けていった。



 夏見粟斗はピアニスト角川栄華の夫である。朝日の昇った直後に歯みがきをしながら庭を眺めていた。

「夏見さん!」

 箒に載った時魔女が二人、夏見邸の庭に着地する。

「おうおう。我が家は飛行場じゃ無いよ」

 夏見のつまらないジョークを気にも留めず、間髪入れさせないまま、歌恋が、

「時の翁がなにかを始めるという情報を頂きました。時魔女のサバトで小さな姫様が教えてくれたの」と伝える。

 夏見は半分困った顔をしながら、

「そいのは、オレじゃ無くて時巫女に言ってくれないかな? オレ、面倒ごとは嫌いなんだけど」と庭の流しで口をすすぎながら返す。

「また、そんな事言って。暦人御師でしょう? その辺まではあなたのお役目ですよ」

 歌恋のもっともな言い分に返す言葉も無く、あきらめ顔で、

「御師なんて引き受けるんじゃ無かった。多霧のおばさん、恨むぞ」とぼやく夏見。


 首に掛けたタオルで口元を拭くと、

「まあいいや。どうぞ中に。庭から入ってくる客人は初めてだ」と呟いて、二人を室内に案内しようとした。

 その時、「萱草かんぞう姫? 萱草姫? 近くにいるの?」とエコーの効いた響く声が庭の奥から出ている。

 ビニルにくるまったヒメカンゾウも声を出す。

「百合姫ねえさん、ここにおいでですか?」

「萱草姫なのですね?」

「はい」

 精霊の不思議な会話に三人は足を止めた。

 本来姿を現さない、と言っていたあの赤姫が、さっきとは異なり等身大の大きな姿で庭先に出てきた。すると庭の奥には黄色のスジが入った白い着物の美しい姫が現れた。


「付喪神?」と言う夏見に、白い姫は、優しく首を横に振る。

「夏見さん、いつも美味しいお水や養分の多い土の入れ替えをして下さってありがとう。タイムゲートの近くにいると霊威も安定して快適です。私はこの庭に、多岐老公のお招きで植生していた百合姫と言います。元は大河戸御厨の亜空間水路に入るためのゲートキーパーをしていた精霊です。そこに今ついた萱草かんぞう姫と左右でゲートを守っておりました。私たち二人が揃った場所が亜空間水路のゲートになります。ですので本日より、この桜ヶ丘のお屋敷は、亜空間水路の河岸となります。桜ヶ丘河岸と呼ばせて下さい」


 いろいろな情報がいっぺんに出てきた夏見は朝一番の爽やかさから、無理矢理、一気にややこしい問題に取り組むモードに直面させられた。


「大河戸御厨って、あの水路、河道変更によって、どこだか分からなくなった御厨のタイムゲートのあったところですね」と夏見。

「はい」

 百合姫の言葉に、「その河道変更でタイムゲートが水没した場所に埋まっていたとは?」と訊ねる夏見。

「はい河道変更の前の日に、かつての角川家の人間が、青砥家と夏見家の面々で集まって、私と萱草姫を別の場所に植え替えしてくれたのです。それで私は芝の角川家の庭に鉢植えで暫く置いて頂きました。それから何百年もたって、多岐老公は角川文吾さんに願い出て、私をもらってくれたのです。そしてこの地に、ちゃんと地面に植えてもらえました」

 百合姫の言葉に、「私の方はあやうく土砂と一緒に運ばれるところでした。船橋でやはり暫く鉢に植えてもらったのですが、運悪く近所のいたずら小僧の仕業で、その子どもの引っ越しと一緒に横浜に運ばれました。仕方なく、その子が飽きるまで庭先にいましたが、ある夜、その家に住む付喪神に頼んで霊気のありそうな場所に植え替えてもらったのです。それが時魔女たちのサバトの会場に通じる金沢八景にある岩屋の横でした。でもわらわはハマカンゾウでは無いので、潮風がまともに当たるのは辛かった。ようやくそこのお嬢さん方に訳を話して、ここに連れてきてもらったというわけです」と萱草姫は赤い着物で袖を口元に話し終えた。姿が大きくなると、まるで成長したように大人の仕草で話す赤姫。


「なるほど」と夏見。

「で、その話と時の翁の話はどこでどう、ぶつかるんですか?」

 夏見の言葉に、

「わらわとそこにいる白い百合姫が一緒に植生された場所には異次元に入るゲートが開く。正確に言えば、亜空間河岸が出来るのです。それはすなわち亜空間が広がる場所も作られると言うことです。その廃墟が大河戸にもあります。その亜空間の一部に集落をつくって、『迷い人』たちの居住空間、すなわちむらにしようと言うのでしょう。二株を一緒に持って越谷付近の大河戸に植生をさせれば、河岸と河道がふたたび開く可能性がある」と言う赤姫。

「今知りましたが、それはあり得る話です」と百合姫。

「その根拠は?」

 夏見の問いに応えたのは意外にも歌恋だ。

「それは私が教えられます。昨夜のサバトの最中でした。今回の夜会にはなぜかゲストに時の翁が来ていたんです。アイテムの紹介などやっていました。その休憩時間に『この会場の入口に迷子の姫様がおられます。その姫様をお望みの場所にお連れ頂けますでしょうか?』とか『もう、お会いになりましたか。実は身の上は御自身でお話なると思うのですが、あのヒメカンゾウと行方不明のヒメユリは一対で亜空間の霊気に当たっていないと枯れてしまいます。出来ればタイムゲートや念動隧道の入口に植え替えて頂けると嬉しいのです。この時魔女の岩屋では霊気の種類が違うらしく、小さくなってしまいます』と言って、私に執拗に植え替えを勧誘しておりました」


 腕組みの夏見は「たしかに……。百合姫の所在は既にバレている気もする。更にここに赤姫が来たと言うことは、まんまと時の翁の考えた策略にのっかていることになるなあ」と肯く。そして声には出さなかったが、『こいつは面倒ごとに巻き込まれそうだな』と少し不安な気分にもなり始めていた。


「夏見さん、この萱草かんぞうの赤姫、あのヤマユリの隣に植えても良いかしら?」と歌恋。

 ボーッとしていた夏見は、彼女の声に我に返る。

「ああ、いいよ」

 心ここにあらずという表情で夏見は、『この出入り口に何らかの興味を持ってやって来るはず。まだ多岐老公がここに住んでいると時の翁は思っているのだろうか?』とこの家の大家であり、前の居住者である多岐廉太の状況を考え始めた。そして先手を打たないとやっかい事が増えそうな気がした夏見は、まず多岐老公と多霧の時巫女に知恵を借りることにした。その返事はふたりとも少し時間がかかってから、思いもよらぬ人物の登場を導くことになる。時の翁も頭の上がらない人物の登場だ。だがその抑止は、年月を越えて、まだ暫く後のことになる。



「じゃあ、とりあえず正式にこの花の精であるお二人をこのお庭に迎え入れたいと思うのですが、その際になにか古からの習わしなどがあれば先にご教示願いたい」と夏見はポケットの偏光グラスを取り出してかけた。朝陽が眩しい時間帯だ。


「習わしでは無いのですが、亜空間河岸に流れる川、異次元の太日川ふとひがわというかつての表の世界を流れていた川です。今は伏流となって、亜空間を流れています。その河岸から船を使うのに必要なモノがあって、それは伊勢の鍛冶屋である小宅家、多野の夏見東家、そしてストックを持つのが飯倉の角川家です。どこかで『水弾みずはじきの鏡』を手に入れないと、折角の水路があっても宝の持ち腐れと言うことになります」

 白い百合の化身、お姫様はそう言うと、横の赤姫も無言で頷く。


「水弾きの鏡?」

「そうです」

 百合姫はがっかりした様子。御師たる者それを知らないのはモグリとでも言いたそうだ。

「無知でスミマセン」と頭を垂れる夏見。


「話は聞きました」

 歌恋の後ろから声がする。

 ネグリジェ姿の栄華が朝風にその裾をはためかせながら立っていた。

「栄華さん?」

 声を揃えるエリーナと歌恋。

 その横で「わーお、ウチのお嫁さま色っぽい」と茶化す夏見にツカツカと歩み寄り、彼の両頬を引っ張って、

「そういうわけの分からないことを言う口は、どのお口でしょうね?」と夫婦漫才のようなお約束が始まった。

「すみまひぇん」と夏見。


 栄華は皆の方を見て頷いた後、

「お話は聞かせて頂きました。私はもと飯倉御厨の御師で、角川家の者です。そのお話に心当たりがあります」と紅白のお姫様たちに優しく微笑んだ。


   つづく



※「声はすれども姿は見えず ほんにお前は屁のような」は明治期から戦前に講談や古典落語で巷に流布したという見解が主流らしい。


 









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