第19話:ひと時の休息

 日はすっかり沈み、星々が我こそはと輝き始める。月は後数日で新月となるほど欠けていた。


「おかえりー。遅かったねー」


 満面の笑みを浮かべてミアが出迎える。わざとらしい口調はどこかサンクと似ていると思う。


「ただいまー。ミアさん! 見て見てこの杖!」


「おー! いいじゃんいいじゃん! さすがリッカのとこだね」


 エリが指揮者のようにひらひらとミアに向かって杖を振る。一方ミアは子供のままごとに付き合うようにパチパチと拍手をしていた。


 はたから見ていると親子に見えなくも……いやそれはないな。


「レイ! レイの剣もみーせて」


「え? あ、はい」


 唐突に話を振られて間抜けな声が出る。誤魔化すように軽く咳ばらいをし、俺は鞘ごとベルトから外しミアに渡した。


 ミアはゆっくりと剣を抜き刀身を様々な角度から眺める。ひと段落するとどこか満足そうな顔で俺に返してくれた。


「使い心地はどうだった? 体の一部のように馴染んだでしょ」


「あれ、もう使ったなんて言いましたっけ?」


「言わなくてもわかるよー。帰りが遅くなったのもどこかで手伝いでもしてきたからなんでしょ?」


「……ミアさん、やっぱりわかってて俺たちを向かわせましたね?」


「さぁー、どうだろうなー?」


 俺は呆れて息をついた。ここの上司二人ときたらこうもうまく人を操るというか、良く言えばとても自分たちを見てくれていると言えなくも無いが。


 そう言えばあの、ザ・スターとかいう人はどうなのだろうか? 三枚目を進んで振舞っているような人柄で、とても人を指揮するタイプには見えないけど……。


「あ、そうだ、ミア姉! 今日はいろいろありすぎて大変だったんだから!」


「なになにー? 夕飯の準備はできてるから食べながら聞かせて頂戴!」


 食堂に向かって俺たち三人は歩きだした。食堂に入るとサンクがすでにテーブルに座って待っていた。テーブルの上には四人分の食事が並べられていて、今日もスターはいないようだった。


 久しぶりに思い出しただけに今彼が何をしているのか気になり始める。


「二人ともお帰り。今日の報告は食べながらでも聞かせてくれよ」


「それ、今さっきミア姉にも言われましたよ」


 ミアの台詞とほぼ同じことをサンクが言い、それを笑いながらエリが指摘する。この場にいた全員がつられて笑った。


 みんな席についてから、俺たちは食べ始めた。


 すっかり習慣になったこの四人での食事。


 俺とエリは今日あった出来事を順に、事細かに説明した。エリにできた友達のこと、エリが橋に怯えたこと、寂れた街、リッカから貰った新しい武器、メルバの一員と出会ったこと、そして天使と呼ばれた人型の化物のことを。


「そうかそうか、二人とも随分とこの世界に馴染んできたな。それにしても、もう化物、いや天使だったか? を一人で倒せるレベルになったか……俺が剣術を教え終わる日も近いな」


「またまた冗談を」


「天使か……言い得て妙というかやけにしっくりくる表現だな。童話、ねえ。今度見て見ようかな」


「私たちの予測の範疇から外れた行動ばかりなんだから天使でも悪魔でも一緒よ。うちらにとっては無条件で襲い掛かって来る脅威には変わりないんだから」


「襲ってくる?」


「そっか、二人ともずっとここにいるからわからないのも無理はないね。そう、研究所ではしょっちゅうアイツ等が襲ってくるの」


 ミアが苦い顔をしながら両手の指を曲げ、脅すように低い声を出す。


「そんな話、今は関係ないだろミア。それよりもレイ、もう体の具合は大丈夫か?」


「? はい、あの時のことが不自然なくらい元気です」


 そうか……と一言呟き、サンクは考え事を始めたのか静かに持っているスプーンを凝視する。


 今の不自然な空気こそあったが、いつも通りの賑やかな食事を終え俺は寝る支度をした。あとは寝るだけとなったとたんベッドに吸い込まれるように横になっていた。


 今日は一段と疲れた。しかも考えることが増えた。また聞こえた年老いた男性のような声が言っていた、約束だったか目的だったかが特に気になって仕方ない。いったい俺はいったい何を決心したのだろうか。


「……」


 気づくと朝になっていた。早朝の稽古の時間はとっくに過ぎており、日は今日も明るく全容をさらけ出していた。


「やっべ!」


 思わず声を出すほど俺は焦った。完全に寝坊である。朝の稽古は愚か農作業もさぼったかもしれない、と駆け足で廊下を通り抜け階段を降りた。


 するとホールの方から賑やかな笑いが聞こえ、俺はぴたりと足を止めた。恐る恐る忍び歩きで談笑する元へ近づき、そっとドアを開ける。


 俺が僅かにできた隙間から顔を覗かせようとしたとき、中からサンクの声が俺の名前を呼んだ。


「おっ、レイやっと起きたのか」


「っ……⁉」


 こういう時、真っ先に反応するサンク。まるでサンクが獲物を見定める蛇の様だった。そして俺は睨まれる蛙だ。俺は観念しホールの中へ入った。


「おはようございます」


「「「おはよう」」」


 中で茶を飲んでいたサンクとミアとエリのいつもの面々は寝坊した俺にとやかく言う気配も無く、それどころか穏やかに挨拶を返してくれた。


 なんか穏やか過ぎないか? もしかして何か企んでるとか……。


「いつまでそこで立ってるの? レイちゃんも座ってお茶にしましょ」


「えっと……稽古とか水やりとかってもう終わりました?」


 お茶の催促をするミアに俺はおずおずと質問をする。ミアは茶を一口啜って薬と笑った。


「今日は休暇よ。稽古も農作業もお、や、す、み」


 え?あー……。なるほど道理でみんなラフな服を着ていると思った。


 今更誤魔化すように目の前の様子を窺う。戦いに赴くときの制服でも畑を耕すときのつなぎでもない、暑さの抜けない季節にちょうどいい薄着を身につけていた。服の種類はよくわからないが、それよりも俺は恥ずかしさのあまりそれどころではなかった。


 俺たちメルバの休暇の際農作業は代わりにこの屋敷にいる使用人らしき人たちが行う。窓を覗くといくつかの人影が見え、ミアの言葉の確信を得る。


 使用人。勝手にそう呼んでいて正式な呼び方は知らないが彼等は普段屋敷の掃除や炊事をしてくれている。けれども俺たちの前に顔を出さず、時々見かけたときに話しかけようとしても逃げられてすぐに見失ってしまう。最近ようやく慣れたが、今こうして俺たちが休むために彼らが働いていることを考えると一言もお礼を言えないことがもどかしい。


「はっはっは!まさか寝坊したと思って走って来たか?茶飲みはまだ始まったばかりだから、そんなだらしない格好してないで着替えてきたらどうだ」


 サンクに大笑いされ自分の様子を見て触って確認すると、寝ぐせで神は逆立ち、服に至っては寝巻のままでさらに裾がめくれていて俺のへそがあらわになっていた。


 俺は慌てて裾を戻し、寝ぐせを上から抑えた。恥ずかしさに限界がきて顔が火照ってくる。


 ふとエリと目が合った。しかし彼女は何回かまばたきをしたかと思えばフイと目を逸らした。


 俺はいそいそと自室へと戻った。着替えて軽く部屋を整え、すぐにホールに戻った。空き椅子の前には湯気がのぼるティーカップが置かれていた。俺はその椅子に座り茶を一口啜る。


「ふう」


 恥ずかしさやら慌ただしさやらがひと段落付き安堵した溜息が大げさに漏れる。


「昨日はよっぽど疲れたみたいね。レイちゃんがこんな時間まで寝ているなんて」


「そういうわけじゃあ、いや少しは疲れもあると思うけど、うーん」


 ミアに聞かれるも正直思い当たる節が無い。あれくらいの疲労なら普段と変わらない睡眠時間だと思ったが、昨日あったことを整理しようとしてたらあっという間に朝になっていたのだ。まるで考えること自体を邪魔されているような、そんな気さえする。


 でも今日は休暇だ。考える時間はたくさんある。


 手に持ったカップを軽く回し、中の茶をかき混ぜる。別に味にむらがあるとか、色が分離しているとかではない。心に余裕ができると何かを眺めていたくなるのだ。人を見続けるのは失礼だから景色だったりを見るのだが、今はたまたま茶があるため、渦をつくってはその様子を上から覗いた。


「おっと、みんな揃っているのか。丁度いいな」


 スターが音もたてずにホールに入って来た。スターと言っても歌手とか俳優とかの有名人ではない。ザ・スターと名乗る男のことだ。名前の割には輪郭の捉えられないほどの黒い服装で地味に見えるが髪だけは染めたような金髪である。


「緊急事態だ」


 息を切らしたスターは膝をつきながら俺たちの奥の方を指さした。その瞬間白い箱、壁掛けの電話のベルが高らかに鳴る。サンクが受話器を取りはい、はいとだけ答えていた。


「せっかくの休暇だってのに。みんな、出かける準備をしてくれ」

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