第10話:激流

 苦しむ人型の化物の悲鳴は奇妙な音がした。

 女性の悲鳴と、威嚇の捲るような雄たけびが混じった異様な声だった。


 今度は不意を突かれまいと、レイとそれぞれの武器を抜き、人型の化物と距離をとる。



「おいおい、まじかよ」



 レイは呆れた様子を見せる。


 目の前で起こっていることを見れば当たり前だ。

 化物は全身の力を入れるようなポーズをとると、私たちがつけた傷がみるみると塞がっていくのだ。



「見て。でも動きが鈍ってるわ」



 傷を塞いだ後、化物はうなだれながらふらついていた。



「……俺が行く」



 レイは人型の化物を強く睨みつける。剣を下段に構え、跳び出した。



 ——消えた⁉



 レイの攻撃が化物に当たる瞬間、化物が姿を消す。


 化物がレイの首を絞めている結果だけが目の前にあった。


 レイはもがき苦しみ、とうとう握っていた剣を落とした。



「このっ!」



 レイに追随し、槍を振り回す。再び腕を狙うも、軟体動物のようにひらりひらりと躱される。



「二人とも、大丈夫?」



 後ろの方からミアの声が聞こえる。


 私は振り向いて助けを求めた。



「助けてミアねえ!レイが!」



 すぐに事態を察してくれたミアは、サーベルを構え、体に雷を纏わせる。


 人型の化物からコウモリの大群が羽ばたくような音が聞こえる。


 しかしそれは、比喩などではなかった。

 化物の背中から大量の黒いコウモリが飛び出していた。


 コウモリの大群はスクラムを組むようにミアの周囲を囲んだ。

 コウモリは形を失い、正確な立方体となる。


 その立方体は、ミアに密着するようなサイズで、ミアはその壁を叩くことすらできないのか、立方体は静かに佇んでいた。



 うそ……



 今この場で動ける人物は私一人になった。


 打つ手が思いつかない。

 自分の魔法の練度ははっきり言って戦闘に使えるものではないからだ。



 私が、私が何とかしないと



 レイの抗う力が目に見えて弱くなる。ミアの方だってあの密閉空間でどれだけ息が持つかわからない。


 逃げる?サンクに助けを求めに行く?どちらにせよ、二人の命は保証されない。



 ——いいじゃない、私は生きられるんだから



 負の側面の私が笑いかける。心の声に私の気持ちが揺らぐ。



「違うっ!」



 私は薄情な人だと思っていた。訓練で一日を共にした仲間たちが死んだとき、レイが引きずるほど悲しんでいたのに対して、私は特に何も思わなかったから。


 でも、今は違う。


 私と仲良くしてくれたメルバの人たちを、レイを失いたくないと心の底から思っている。


 この世界に来る前、最後まで独りだった私にとってどうでもいいとしか思わなかった。


 私はメルバのみんなと違って死んだときの記憶を持っている。これは誰にも言ってないことだ。


 私の最後は海での溺死だった。


 ふらっと海に寄って気づいたら、海に飛び込んでいた。


 方法に拘っていられるほど余裕がなかったのだろう。


 ただただ苦しかったことに後悔した。



 ——なんで今、こんなことを?



 我に返ると、手元が淡く輝いていることに気づいた。

 槍だ。十字の中央にある青色の宝石のような装飾が光り輝いていた。


 ズドン。


 人型の化物の方から重たい音がする。

 見ると、レイの首を絞めていた化物の腕がもげていた。


 上から、空から、バスケットボール程の水滴が次々に化物にめがけて降り注ぐ。

 私は降ってくる水滴から自分の魔力を感じた。



 これが私の力……?



 疑問には思うも、心のどこかで確信する。


 傷つき、全身が濡れた化物は、明らかに私を睨んでいた。


 私は化物を睨み返す。

 頭の中で今までやってきた魔法の訓練を何度も反芻はんすうする。


 荒れ狂った様子で突進してくる化物に、私はありったけの魔法をぶつけた。




 ***




 昨日の化物達との戦いは、エリの覚醒で幕を閉じた。


 最後は薄らとしか覚えていないが、人型の化物は空から降って来た水によって圧殺されていた。


 幸いなのは、療養が必要なほどの怪我を誰もしていないということだ。

 まあ、自分が一番怪我をした身なのだが、宿主というだけあって怪我は寝て起きたら全快していた。


 そして今、俺は全速力でランニングをしていた。


 悔しかった。自分の力が及ばなかったことが。


 葬儀のあった町、デシラスに到着して俺は休憩をとった。この体でもさすがに疲れた。車で数時間と言った距離を同じくらいかそれ以上の速さで走れることに自分自身驚いている。


 帰ろうと、軽く柔軟をしていると、見知った声に呼び止められた。



「レイさん? こんにちは、どうしてここに?」



 声の主はフィアンカだった。この前会った時と変わらず、目を白い布で隠していたが、どうやって俺を認識したのだろうか。



「走っていたんだ。これから帰るところです」


「えぇ⁉ この町からどこかの基地まで一番近くても結構な距離がありますよね? どこからいらしたんですか?」



 フィアンカはとても驚いた様子で聞いた。魔法のある世界でもやはり異常なことらしい。



「えっと、ここから西にずっと進んで、丘の上にあるでっかい邸宅です」


「西の、丘の上……、もしかして元孤児院のところですか?」


「よく知ってるな」



 今度は俺が驚いた。


 対して、フィアンカは少し顔を曇らせながら答える。



「えぇ。実は私、元孤児であなたが今いる邸宅で暮らしていたんですよ」



 俺はメルバ邸に初めて訪れた時見た、一つの写真を思い出した。もしかしたらあの中に彼女がいるのかもしれない。



「そ、それにしても馬車で一日はかかる場所から走ってきただなんて……。 この前あなたの戦い方を少し見て只者ではないと思っていましたが、スケールが違いますね」


「褒めるほどではないですよ。俺よりすごい人なんてごろごろいるんで」


「どうかしましたか?」


「え?」


「いえ、不安の色が少し見えたので」



 前にも似たようなことがあったようなと記憶を巡らせる。

 俺はそんなに顔に出るタイプなのだろうか。


 俺は規律違反にならない程度に話をぼかし、昨日との化物達との戦いについて話した。



「なるほど、要は自分が不甲斐ないと、守る力がないと、そういう事ですね?」



 俺は小さく頷く。



「聞けば、剣術が得意そうではありませんか。あなたの身体能力なら、この国、いや全国の中で指折りの剣士になれるはずです。あなたの仲間が持っているというその能力というものが無くても、十分にこの国を守れるだけの力はありますよ」


「でもそれじゃあダメなんだ!」



 彼女の言葉に思わず怒りをぶつける。

 今の言葉がきれいごとにしか聞こえなかった。


 俺はすぐに冷静さを取り戻し、フィアンカに謝罪した。


 彼女は穏やかな顔で許してくれた。



「あなたの周りには優秀な人ばかりで不安になるのもわかります。でも過度に卑下するのも違います。どんなことでも自分の力量を知るのが、前進するための一歩です」



 ——そう、かもな



「ありがとう。フィアンカ……さんは司祭なだけあって話が上手なんだな。少しだけ気が晴れたよ」


「いえいえ、あなたほどの愛国心を持つお方の力になれるなら、お安い御用です」


「あ、あぁ」



 自分がこの世界の人間ではないことをどう伝えればいいのか、そもそも伝えるべきなのか悩んだまま返事をしてしまい、変な声になる。


 正直まだ心の整理がついていないが、これ以上はきっと埒が明かないため、話を切り上げ、早々に帰る事にした。


 フィアンカと別れを告げ、また数時間かけてメルバ邸まで走り続けた。


 フィアンカの言葉を聞いて、本気で剣術を極めてもいいかもしれないと、思ったりもした。


 走っている間、明日以降の稽古での立ち回りなどを考えていたら、あっという間にメルバ邸に着いた。


 玄関にサンクが立っていた。また何かを悟ったような顔で俺を出迎える。



「今日は休日ですよ、そこにずっと立って何やってるんですか?」



 俺は息を整えながら、サンクに問いかけた。


 サンクはどこからか出したタオルを俺に投げる。

 タオルは俺の頭に着地した。



「それはこっちの台詞だ。休暇だって言ってんのにどこまで走って行ったんだ。休むのも立派な体作りなんだぞ」


「はい、すみません」



 俺は汗だくになった顔をタオルで拭く。



「……少しは頭ん中整理できたか?」


「はい?」


「お前の考えそうなことなんて、顔に書いてペンで書いてそうなくらい簡単にわかるからな」



 やっぱり俺は、考えていることがすぐに顔に出るらしい。



「少しは」


「そうか。まあそもそも宿主が能力を持っているとは限らない。それでもあきらめたくないなら、明日からの訓練のメニューを見直すが。レイ、お前はどうしたい?」


「はい! お願いします!」



 俺は力強く返事をした。

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