第5話:エン
猫背の男との戦いの後、俺はただぼんやりとしていた。
自分の名前が判明したことに喜びを覚える間も無く、目の前で北東基地が清掃されているのを見ているだけだった。
「——大丈夫か?」
俺の肩を叩き、声をかけたのはサンクだった。
「俺、俺……!」
人を殺した。この現実を受け入れられず、この言葉を口にしようとすると、喉がつっかえるような感覚になり、呼吸が乱れる。
「おうおう、落ち着け。話は家に帰ってからだ。まずは力を抜いて、持ってるものをよこしな」
俺は血にまみれた銃を、男を殺した銃を、強く握っていた。サンクは軽々とそれを取り上げ、近くにいた深くローブを被った人に渡す。
「後のことは彼らに任せよう。ほら、帰るぞ」
これまで何度も乗った車に乗り、俺たちは家へと向かう。
今まで以上に静かなドライブだった。俺は震える手を見つめ、横で座るエリは手で顔を隠し、俯いている。この時ばかりは、サンクも声をかけなかった。
到着したころにはすでに暗く、俺たちの家は気持ちとは裏腹に暖かな光で俺たちを照らしていた。
玄関でミアが出迎えてくれて、そのまま四人でホールに集まった。ここに来るのはまだ二回目のはずなのに、不思議と心が安らいだ。
ふと緊張が解け、俺の両肩に疲労がのしかかる。今にも倒れてしまいそうだ。
「疲れただろう、報告は明日でいいから、今日はもうゆっくり休んでくれ」
「サンクさん、俺」
せめて自分の名前が判明したことを伝えようとしたが、俺はそのまま倒れこむように眠った。
***
俺は、ソファの上で目を覚ました。誰かがここに運んで、おまけにブランケットまでかけてくれたようだ。
「あ、起きた?」
目の前で、エリはかがみながら俺を見ていた。
別に寝顔を見られるのが嫌とかではないが、少し気恥しい。
「昨日、言いそびれたけど、その……、助けてくれてありがとね」
彼女は立ち上がって、俺に背を向ける。そのままホールを出て、左に歩いく。
まるでついて来いと言っているように、エリは俺を一瞥した。
エリの後に続いて、同じ道を歩く。彼女の姿はすでになく、大きな扉が待ち構えていた。
その扉を開けると、ホールと同じくらい広い空間が広がっていた。長テーブルが三つ、それぞれのテーブルに対して12個の椅子が対になるように並べられていた。
真ん中のテーブルの奥の方で、サンクとミア、エリが座っているだけで、この部屋を持て余していた。
「お、起きたか。おはよう」
「ほら座って座って。朝ご飯にしましょ」
サンクとミアが俺に声をかける。手招きされるままに、エリと隣の席に座り、四人で向かい合う。
テーブルの上には白くやわらかそうなパンと、琥珀のスープ、新鮮そうな野菜の盛り合わせと、煮込んだ肉のようなものが、それぞれの席に並べられていた。
今更になって、ここが食堂だと気づいた。それにしたって、この建物にはこんなにも人がいないのか。
「すみません、俺、今食欲がなくて」
昨日の出来事があってから、胃が重たい。何かを口にしたら呑み込めずに吐いてしまいそうだ。
「そうか。急にあんなことがあったら無理もないな。でも暫く飯を食べてないだろ?食えそうなら少しでも食ってくれ。また倒れないためにも、な」
そして食事は静かに始まった。周りを見ると気にする人はいないようだったが、少し気まずかった。
「そんなにそわそわしなくてもいいだろう。 そうだ、昨日俺に何か言いかけてたよな。 どうした?」
「えっと、それは……」
俺は、俺に"レイ"と呼ぶ謎の声について、恐らくこれが俺の名前であると、みんなに説明した。
ミアとエリは驚き、サンクは少しうれしそうな顔をした。
「だが、知らない奴の声か……、聞いたことないな」
「私も。お化けか何かかしら」
サンクとミアは腕を組み、首をかしげる。
「それも含めて、後で昨日の報告をしてくれ。今日もやることはたくさんあるぞ」
サンクはエリの方を見る。エリもそれほど食事に手を付けてなかった。サンクの言葉に何を思ったのか、パンを一かじりした。
そんなエリを見ると、急に俺の腹が鳴る。
お肉を一口大に切り、そっと口へ運ぶ。口に入れた瞬間、溶けるように消える。
「……おいしいです」
段々と手が止まらなくなり、あっという間にすべての料理を平らげた。
***
食事を終えると、四人で書斎のような部屋に集まった。部屋に一つある大きな椅子にサンクが座り、ミアはデスクに腰かける。俺とエリはドアの近くで立ち尽くしていた。
「……そうか。猫背の男、恐らくそいつはこの世界に来たばかりだろうな。薙ぎ払いの時しか斬撃が飛んでこなかったんだろ?もしそいつの力が成熟しているなら、例えばだが、一振りで無数の斬撃を全方位に飛ばすだろう」
俺の報告を受け、サンクは言った。その言葉を聞き、俺は息をのんだ。俺がこうして生きているのも、運が良かっただけかもしれない。
「レイが聞こえたという声はやはり、何とも言えないな。エリは思い当たることはあるか?」
「……いいえ」
「まぁ、いづれにせよ、二人ともよく無事に帰ってきてくれた。……早速で悪いんだが、二人とも出かけるぞ」
いつもの車に乗り、サンクが言うには、今度は国の東の方へ向かっているらしい。
「これから行くところは、デシラスっていう町だ。北東基地の隊員たちは今日そこで火葬されるそうだ。二人にも参加してもらいたくってな」
たどり着いた町は、始めて外を見たときの無機質な建物とは対照的に、澄んだ青空が手に届きそうなほど、美しく牧歌的な景色が広がっていた。
着いてすぐ、町で一番大きな建物である教会の傍で煙が立ち上る。
急いでそこへ向かうと、住人たちが火を囲んで次々に花の冠を投げ入れ、手を合わせていた。
そして小さな高台の上で、白い修道服を着た女性の声が、祈りの言葉を唱えていた。
「あれは何をしているの?」
「ああ、あれはな、この国に最近浸透し始めた、リケイル教の教えで『巡り巡ってまた会えますように』っていう意味で輪っかのものを火に入れるらしい。北東基地の隊員たちはこの町出身の奴が大半だからな」
エリとサンクが言葉を交わしていると、黒い修道服を着た人が歩いてきて、バスケットから取り出した花の冠を、俺たち三人に渡した。
花の名前は知らないが、白い花だった。
俺たちは周りと同じように、花を火に投げ入れ、手を合わせた。
「やあ、サンク。君は相変わらず、こういうところによく居るな」
「これはこれは、ウォレス中将殿。あなたこそどうしてこちらへ?」
俺たちのもとに近寄って来たのは、深緑色の軍服に身を包んだ、男だった。長くも整えられた顎髭が、偉い人だと強調される。
「なあに、人目など今更気にせん。それに、この町にしか来れんわ。私はそこにいる彼に一目会いに来ただけだ。話は聞いたぞ、能力を使わずに勝つなんてやるじゃないか」
「それは……、銃があったので」
とっさに話を振られ、変な言葉遣いになった。ウォレス中将は咎めることはしなかったものの、少し怪訝そうな顔をした。
「ああ、あれか。あれは暫く使えんだろうな。確かに素晴らしい兵器だったが、いかんせん資源が足りん。総統のお気に召すものでも、致し方あるまい」
「貴方が言って大丈夫なんですか」
サンクはウォレス中将を茶化すように言った。
中将という立場に関わらず、サンクがこれほどフランクに接するウォレス中将とはどんな人なのだろうか。俺はふと疑問に思った。
「まったく、ワシの方が偉いことを忘れていないかね? コホン、ひとまずサンク、君からも昨日の報告を聞かせなさい」
「わかりました。悪いな二人とも、葬式が終わったら、自由に散策しててくれ」
サンクはそう言い捨てて、ウォレス中将とどこかへ行った。置いてけぼりの俺とエリは、暫く啞然としていた。
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