第2話:自分の居場所

 目の前に広がる景色は、白いビル群だった。無機質に並んだ建物は、どことなく近未来を想起させる。

ただ、空飛ぶ車が走っているわけでもなく、目下に荒野でよく走ってそうな自動車が一台停めてあるだけ。



「こっちだ」



サンクは階段を下り、その運転席に乗り込む。


俺は慌てて追いかけるも、少女の方はというとカツカツと靴を鳴らしてゆっくり歩いていた。


ようやく後部座席に二人が揃い、自動車は走り出す。

数分もしないうちに視界が開け、小さな畑がぽつぽつとあるだけだった。

自動車の天井が開き、涼しい風が吹き抜ける。



「まだ暫く時間がかかるから、今のうちに聞きたいことがあったら聞いてくれ」



サンクは左手をハンドルから離し、肘を背もたれにかけて言った。


——やっとだ。聞きたいことはたくさんある。早く、早くこの胸につっかえるモノを吐き出したい。



「あの……! えと……」



改めて疑問を言葉にしようと試みると、言葉に詰まる。

俺の困惑した表情を察したのか、サンクはバックミラー越しに微笑んだ。



「……確か記憶喪失だったな。どこまで、何を覚えている?」


「なにも……。言葉やものの名前とかは分かるんですけど」



俺の言葉にサンクは少し目を見開いた。そして、しばらくの沈黙が続く。



「そうか。 う~ん、参ったな」



サンクはポリポリと頭をかいた。



「実はな、お前らはこの世界の人間じゃないんだ。この国、メデル国が君らを召喚した、いわゆる異世界人ってやつ」



サンクの言葉に、俺は呆然とした。こんなバカげた話を真面目に言われるとは思わなかった。



「まあ、わけわからないよな。そちらのお嬢さんには納得してもらえそうだけど」



サンクは少女の方を一瞥する。少女の方はというと、何か思いつめたように景色を眺めていた。


さっきから一言も喋らない少女を、俺は不気味に思った。



「それが本当のことだとして、なんで俺はこうして会話ができるんですか? 異世界の言葉なんて、記憶喪失じゃなくても知らないはずでしょ」



俺は頭を抱えた。ただでさえ記憶喪失で混乱しているのに、異世界と来た。

渋々現状を受け入れても、まだわからないことがたくさんだ。



「ここに召喚されるとき、言語中枢に細工されるんだ。どういう仕組みか知らないけど」



サンクは更に不可解なことを言ってのけた。考えるのに疲れた俺は、座席に深くもたれかかる。



「いじられているのはそれだけじゃないぞ。体も人より何倍も動くようになってるし、いわゆる魔法だって、練習すれば使えるぞ。それに……」


「待ってください! なんで、なんでそんなことをしてまで俺たちをこんなところに呼んだんですか⁉」



俺は強く身を乗り出した。サンクは目線だけを俺に向ける。

鋭く、そして暗い視線に俺はたじろぐ。



「……俺たちは戦う道具として呼ばれたんだよ。異世界から人を召喚すれば、どんな兵器よりも優れた人間に改造できるってだけで、お前が召喚されたのは、たまたまだ」



サンクは目線を前に戻して、続けて喋る。



「でもそうさなぁ、召喚される人間には共通点があるんだ。」


「どんな、ですか」


「俺たちはそれぞれの元の世界でてことだ。俺もこの記憶だけはここに来てからずっと覚えている。メデルは今も戦争中だけど、俺の元いた世界でも戦争をしていてな。俺はいち兵士として戦っていて最後、槍で胸を突かれた」



暫くの間、車が駆ける音だけが響いた。



「そんな辛気臭い顔してくれるなよ。確かに嫌な話だが、こうして生きてるからには何かやるべきことがあるって、俺は信じてるんだ。それにまあなんだ、時間がたてば

自分のことも徐々に思い出せるさ。俺がそうだったんだ。……だから早々に死んでくれるなよ」



そう言ってサンクは笑顔を向けた。


ホントに嫌な話だ。倫理観や、文句の一つも言ってやりたいところだが、ここにいる三人はみな同じ境遇なのだ。この気持ちをぶつけようがあるか。


そうか、隣の無表情の少女も元の世界では……。



「っと、そろそろ着くぞ」



視界の先には小さな丘の上にある屋敷。最初にいた白い建物とは反対に、凝った装飾が幾つも施されており、強いギャップを感じさせる。


到着すると、一目では納めきれないような程大きな屋敷だった。

サンクはさっと車を降り、屋敷に向け歩き始めた。俺と少女はそのあとに続く。



「立派な屋敷だろ」



赤いカーペットや、金色の燭台。屋敷の中は、外見の通りの豪勢さであった。

玄関の横で、俺は小さな棚の上にある写真立を見つけた。そこにはたくさんの子供と、その真ん中に一人の大人の女性が映っていた。



「ああ、その写真な。ここはもともと孤児院だったんだ。金持ちの道楽か善意かで建てられたものらしい。戦場が近いこともあって今は誰もいなくなったところを俺たちが借りているんだ」



写真を戻し、正面の扉を抜けると大きなホールがあった。

中央を囲むようにソファとテーブルが並んでおり、その中の一席に茶を飲む女性がいた。

その女性はこちらに気づくと、ティーカップを置き、立ち上がって駆け寄ってきた。



「その子たちが新人? 二人とも可愛いわね」



駆け寄った勢いのまま、その女性は俺と隣の少女を抱きしめた。二の腕が喉に引っ掛かり、変な声が漏れる。

女性の抱きしめる力が徐々に強くなっていく。俺の鼻先が彼女の金髪に触れ、くすぐったくも甘い匂いがした。



「苦しい。ギブ、ギブ!」



声を発したのは少女の方だった。あまりにも喋らないから固い人と思っていたが、思いのほか砕けた言葉に親近感を覚える。



「こら、そこまでにしてやれミア」


「ふふっ、ごめんなさいね」



ミアと呼ばれた女性がひらりと後ろに下がる。



「改めて自己紹介しよう。俺はサンク、こっちはミア」


「よろしく、かわいこちゃんたち」



ミアは軽く手を振る。



「他にも何人かいるけど、会った時に、挨拶でもしてくれ」



サンクは一度咳払いをし、俺と少女に向けて手を差し出した。



「今日からここが君たちの家だ。ようこそ、メルバへ」



突如、耳をつんざくほどのベルの音が鳴り響く。

サンクは強張った顔でホールの奥の方へ歩いて行った。その先の壁に白い箱がかかっており、サンクは箱と線でつながった円筒を耳に当て、何やら喋っている様子。


ああ、電話か。そう勝手に納得し、サンクの表情がより険しくなっていく様を見ていた。



「すまない。俺とミアは急遽出かけなければいけなくなった。……それに二人にも指令が下った」


「おまえたちはこれから北東の国境線付近にある基地に向かってもらう。そこで戦場の空気に慣れてほしいそうだ」



ここに来るまでの道中で、いづれ戦争に駆り出されることはわかっていたが、こうも早いとは。



「いきなりですね」



俺は緊張のあまりつばを飲み込む。



「安心しろ。北東は山の中で特に道が悪いんだ。それにどの国にも属さない厄介な地域があってな、北東の基地も主にその地域の対策のためと言っていいほど戦争がないところだ」



サンクが説明する後ろで、ミアがどこから用意したのかわからないが、パンパンに詰まったナップザックを俺と少女に投げ渡した。



「地図を渡すから、さっき乗ってた車で向かってくれ」


「いや、運転の仕方なんて知らないですよ」


「大丈夫だ。体が勝手に動く」



サンクは俺の肩をポンとたたき、俺と少女の背中を押した。



「帰ってきたら、歓迎会を開こう」


「いってらっしゃ~い」



サンクとミアは手を振って、俺たちを見送る。

あれよあれよと、気の休まらないうちに再び屋敷の前に立っていた。

隣の少女の方を見ると、俺と同じ気持ちなのか、ただただ空を見上げている。



「行きますか?」


「そうね」



俺たちは再び車に乗り込んだ。いざ運転席に乗ると体が強張っているのが分かる。

両手を見つめると、少し汗がにじんでいた。



「私が運転しようか?」


「へ?」



突如、少女の方から声を掛けられる。驚きのあまり注意が少女の方へ向かう。

すると無意識に車を発進させるまでに体が動いた。



「大丈夫みたい……」


「そのようね」



軽く地図とあたりを比較して、進行方向を定める。落ち着き、ただハンドルを握っているだけになると、また沈黙が続く。


さすがに気まずくなり、何とか話題を振ってみる。



「えっと、なんか急な話過ぎて結構混乱してるんですけど、あなたはどうですか?」


「私も実感がわかないわ。今までずっと、考え事ばかり」



——ああ、それでずっと黙り込んでたんだ。


やっと彼女の振る舞いに納得できた気がした。そう考えると、こうしてある程度行動できている自分はすごいのではないかと錯覚する。



「君はすごいね。何にも覚えてないって言ってたけど、それでも何か行動することができるなんて。そういえばあの時、助けようとしてくれてありがとう」


少女は少し照れ臭そうに目線を外に向けて言った。



「そんなことないですよ。必死で勢いに任せているだけで」


「私も全部忘れられたらよかったのに」



小さな少女の独り言を俺は確かに聞き取った。ああ言うということは少なくとも元居た世界でいい思いをしなかったのだろう。



「あなたは……」


「エリ。『あなた』じゃなくて、私の名前はエリよ」



俺が聞きたいことが分かったのか少女は遮るように自らの名前を明かした。



「……そう。よろしく、エリ」


「君はせめて、自分の名前くらいは思い出してほしいわ。何て呼べばいいか困るもの」



そうだ。


この気持ちをずっとごまかしてきたが、自分が何者かわからない状況は、はっきり言って辛い。

それにサンクはここで生きているからにはやるべきことがあると言っていたが、俺も何かやるべきことがあるのだと、不思議と確信している。


エリの言葉を受けて、俺は自分の過去を、名前を思い出すと、改めて心に誓った。

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