ネコミミメイドさんは実在する?

 背筋に何か寒いものが走って、呼吸が自然と早くなる。

 逃げるように歩いて、早歩きになって、暗い廊下がやけに怖く感じて、いつの間にか目をつむっていた。

 壁を手で伝って、こけそうになるのも構わず目は決して開かなかった。。

 ――ぼんやりと暖色の光が瞼の外で光っている。

 うっすらと目を開くと障子の前に立っていて、そこに一つの人影が。

 息が荒いまま戸を開けると、祖母が一人、本に目を落としている。

 カーテンを開きっぱなしの部屋には薄く夕焼けが差し込んでいて、数分と立たず暗くなりそうな不気味さを吊り下げていた。

 いつも膝の上で丸まっている猫たちの姿は無い、一匹も。

 机に座り、首から下げていた老眼鏡を耳にかけて、ボロボロのペーパーバックのページをめくっていた。

「清?どうしたの、そんなに急いで」

「あ……いや、なんでもないよおばあちゃん。えっと、これから変なこと言うから分からなかったら無視してもらっていいんだけどさ」

 祖母は老眼鏡を外して、首ひもにぶら下げる。

 文庫本へ栞を挟み、律儀にこちらへと体を向けた――聞く体勢が整った、ということだろう。

 僕はメイドの言う通り、この屋敷に来てからの奉仕――皿洗い、廊下の拭き掃除、夕食の下ごしらえ、屋根裏の掃除について話した。

 曖昧に誤魔化す祖母の手からお年玉が貰えるとは思えず、自信は話していく程失われていって、最後の方には口ごもってしまう。

「ってことのなので……その、いただけないでしょうか」

 頷きながら聞いていた祖母はふっと笑い、立ち上がると化粧箪笥の棚の中から薄い封筒のようなものを取り出した。

「はい。あけましておめでとうございます」

 祖母はその封筒を――ポチ袋を差し向け、何が起こっているのか分からないままに両手で受け取る。

 ポチ袋を見て、祖母の顔を見て、ポチ袋を見て、また祖母の顔へ視線を向けた。

 頬がぽやぽやと温かくなるのを感じる。

 これで一体何を買おうか、浮かれ調子でお金の使い道を夢想していると、祖母は懐かしむように話始める。

「お父さんは……おじいちゃんは高校生からは家の手伝いをした人にあげるようにしなさいって決めたのよ。アルバイトしたり、働きに出たりする前に労働ってこういうことだよって言いたかったんだろうね。でも変でしょ?これを誰にも話しちゃいけないって決めたり、高校生なんてまだ遊び盛りなのにこんな回りくどいやり方にしたり」

 そう思うならそんな決まり事、破ってしまえばいいのに、思わずそう口に出そうになって引っ込める。

 祖母があまりにも楽しそうに話すから。

 これは祖父との大事な繋がりの一つなのだろう。家を住みやすくして、他人に世話をしてもらうようになって――祖父との思い出が壊れていくことを許容できたのは、それが支えになったからなのかもしれない。面倒で複雑で、誰も得しないその約束はラブレターのようで。自分勝手に破るにはあまりに拙いと祖母は少女のように悪戯っぽく笑った。

 

「それにしてもお年玉の貰い方よく分かったね。誰かに聞いたの」

「メイドさんに聞いたよ」

 祖母は目を見開き、聞こえない程小さな声で「そういうこと」と独り言。

「そういえば猫たちは?あんなに転がってたのに」

「夕ご飯時だからね。みんなお客さんがたくさん来て、張り切ってるのよ」

「それって、どういう……」

「清はもう分ってると思ってたけど?」

 驚いたような表情を浮かべて、僕を買い被ったことを言う。

 言葉の意味を咀嚼し、理解と納得を強引に振り回すがどうにも結びつかない。

 分かりそうで分からない、もどかしさに首を捻っていると、

「おばあ様、お夕食の準備が整いました」

 障子の外から声がする。

 今日はずっと聞いていた――真面目なのか適当なのか判別の付かない声。

 障子を引くと、メイド服を着た目つきに悪い女性の姿は無く、一匹の黒い猫が行儀良く座っているだけであった。

「クロはね、うちで一番長生きしてるのよ」

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祖母宅住み込みネコミミメイドさん うざいあず @azu16

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