第12話 タイラント
「とにかく、準備はこれでいいんだよな?」
「うん、私も武器は持った」
そう言って、アイは鉄棒の入った竹刀袋を見せてくれる。冬服ならまだしも、夏服でこれを隠すには、こうするしかないのだろう。
「よし、じゃあ向かおう」
「うん」
俺達は、港湾地区へ向けて出発する。
エレベーターに乗り込んで、事務所を後にする頃には、随分と周囲が暗くなっていた。もう少し経てば、帰宅ラッシュなどで人が増え始めるだろう。
街中を歩くうち、俺は段々と沢村が誘拐されているという事実を実感として理解し始めていた。
「っ……」
何故俺達が恨まれ、沢村が巻き込まれたのか。彼女は本当に無事なのか、誘拐犯はこのあいだ襲撃したクラブの関係者だという事は予想できたが、あんな風に人を使って脅迫状を送り付ける方法は、一体何なのだろうか。
「ナナシ、ペースが速い」
不安に思うほど、足は速くなる。それをアイに指摘されて、俺は初めて気づいた。
「気持ちは分かるけど、足に疲労を残すわけにいかない」
「……分かったよ、でも、どうすればいい?」
「話をしながら歩こう。気がまぎれるし、歩くペースも一定になる」
アイは「何か聞きたい事は無い?」と続けた。俺はそう言われたので、ずっと前から疑問だったことをぶつけてみることにする。
「じゃあ……前から気になってたんだけど、何で武器が鉄の棒なんだ?」
隠し持つ近接戦闘用の武器なら、ナイフとか刃渡りのある刀とかでもいいはずだった。それに、相手が拳銃を持っているのだから、近接武器を使うのは今ひとつ適した選択のようには見えなかった。
「鉄の棒じゃない。私の武器はヤスリ」
俺の質問を彼女は訂正する。ヤスリ……って言うと、プラモを作る時に使う奴の事だろうか? 表面を削って、滑らかにする道具だが……
そこまで考えて、あの襲撃の時に見た傷口を思い出す。確かに、何かで削り取られたような傷口だった。
「じゃあ、鬼目(デーモンアイ)っていうのはそのヤスリの形から?」
「そう、柔らかい物を削る時に適した形のヤスリ」
アイは頷き、手に持った竹刀袋を揺らす。そして、次に彼女の口から語られたのは、想像以上に壮絶な理由だった。
「ヤスリを使うのは、刃物よりも、銃よりも痛みと傷を負わせられるから」
「えっ……と」
「切り傷、刺し傷は処置さえ間違わなければすぐに治る。私みたいな覚醒者だと、拳銃は脳幹を破壊されない限り牽制にもならない」
確かにあの時、肩に銃弾を受けていたアイは、事も無げに傷を治していた。そう考えると射程はあるものの、命中精度という問題がある銃は、覚醒者同士の戦いでは不向きなのかもしれない。
「肉を削り取るヤスリなら、傷の治療にも、身体の再生にも時間がかかるし、何よりも痛くて、手入れが楽」
ヤスリの手入れは、やって削りカスを除去するくらいだし、もっと言うと、使っている間はかなりの継戦能力があるように思えた。見た目よりも効果を取る。そんな機能美があるように思えた。
「なるほどな……」
俺はもうそれ以上の事は言えなかった。アイっていうコールサインだから愛とかアイドルとか、ふんわりとした可愛らしいイメージを持っていたのが恥ずかしくなる。
「じゃあ、私からも聞かせて」
「ん、ああ……答えられることなら、だけど」
話題が尽きたところで、アイがそんな事を言いだした。聞きたい事――何だろうか、自慢じゃないが俺はこの能力を無くしたら普通の人間だ。だから、何か面白い話を出来る自信はなかった。
「……」
しかし、いくら待ってもアイは何も言わない。一体何を聞きたいのだろうか、俺は不安に思いつつ、彼女の言葉を待つ。
「あ、明菜さんとは……」
「沢村?」
そう言われて、彼女の顔が頭に浮かぶ。無事だろうか、やはり、今からでも急いで――
「じゃなくて! フォーチュンって実際はどういう風に見えてるの?」
俺の思考が焦りに包まれそうになったところで、アイは無理やりそれを逸らしてくれた。
「どういう風に……って言われてもな」
アイがわざわざ思考を逸らしてくれたことに感謝しつつ、答えを考える。
困った。今見えている景色を言語化すればいいのだが、それをするにはちょっと抽象的過ぎる。
「なんだろうな、目覚めた時は、変な感じだった」
「変?」
例えば、嗅覚が無かった人間に、急に嗅覚を与えたような、色盲の人が、突然治ったような――今まで確かにあった「もの」を、感じ取れるようになった。そんなイメージだ。
「なんていうか、今まで気にもしていなかったことが急に意味を持って、物事がつながった感じというか……あ、でも一個だけ不思議に思ってることがあってさ」
俺はアイに伝わるように、精一杯言葉を尽くして説明していく。その説明を、彼女は興味深く聞いてくれていた。
「フォーチュン。不幸を避ける能力って言われてるけど、不幸を避けるというより、不幸な結果が見える能力に近いというか、この能力は幸運だとか不幸だとか、そういうあいまいな物じゃなくて、しっかりとした法則によって動いているように感じるんだよな」
近所の家がカレーを作っているからカレーの匂いがするとか、誰かから呼びかけられたから返事をするとか、そういうみんなが普通にやっている反応の延長のようにも思える。
「つまり、予知能力?」
「ん……そうなのかな、言葉としては違和感あるけど、そんな感じかも」
ただ、そうなると銃口から伸びる銀色の線がよくわからない。それこそ少し先の未来が見える能力なら、撃ち殺された姿が見えるように身体を動かす。という感じの見え方になるはずだし。
「とりあえず、もう少し『何が見えてるのか』を考えないと、正確なことは言えないなって」
すくなくとも、幸運だとか運命みたいな言葉をこの能力に与えるのは、どこか違和感があった。
「そうなんだ」
アイが頷いてこの話が終わる。話の種が尽きたため、俺は再び何か話すべきことを考える。
「じゃあ、アイって高校生? 何歳?」
「高校生……二学期から復学する」
どうやら彼女は、入学してしばらくは高校に通っていたものの、バレンタイン以降、ボランティアを名目に高校を休学していて、明日から学校に復帰するらしかった。
「そっか、上手くなじめるといいな」
「……うん」
アイは恥ずかしそうに頷き、俺は彼女が心置きなく復学できるように、手伝いは惜しまないと決意を新たにした。
――八月三十一日 夜
空は完全に暗くなり、港湾地区のあたりは人気が完全になくなっていた。花火大会があるとはいえ、この辺りまで人で埋め尽くされるという事は無いようだった。
話をすることでリラックスをして、緊張を必要以上に残さない。という作戦は成功していて、俺は自分の身体が強張っていないことを再確認して、赤煉瓦の倉庫群へと足を進めていた。
胸の内ポケットにはナイフ、腰の辺りに縫い付けられたホルスターには拳銃がしまってある。移動中、アイにジャケットの構造を教えてもらい。人気が無くなったところで付け直した。
「っ……」
角を曲がったところで、赤煉瓦製の倉庫街が見えると同時に、街灯の下で複数人の人影があるのが見えて、俺は思わず息を呑んでいた。
お互いになにも話さず、しかし俺が歩く事で距離だけが縮まり、その時が近づいていく。見えてくる人物は、ここに到着する前、アイと話していて候補に挙がった人間だった。
「よぉ、来たかよ、ガキ」
男たちと俺が十メートルほどの距離になってから、紫髪の男、スコピオが口を開いた。
「沢村を解放しろ」
俺は挨拶を返さず、要求を告げる。スコピオの側に沢村が立っていた。
「いやいや、ちょっと待てよ。話そうぜ」
「……」
スコピオは機嫌がいいようで、大きな身振りをしながら話を始めた。
「正直お前らには苛ついてる。俺を虚仮にしやがったからな……ただ、今は許してやってもいいと思っている。なんでか分かるか?」
彼の話を聞き流しつつ、俺は周囲の男たちの様子を見る。全員どこか目がうつろで、焦点が定まっていないように見える。
「沢村を解放しろ」
俺は改めて、こちらの要求を伝える。正直なところ、直前まで緊張を和らげていなくては、吐いてしまっていただろう。
「へっ、こっちの話は無視かよ……まあいいや、それじゃあこっちも要求だけを話させてもらうぜ」
スコピオはそう言って、細葉巻に火をつける。
「俺――いや、深河の裏社会としては、おまえらアンブラとやり合うつもりは無い。ここ一年くらいは派手にやり過ぎただけだ。見逃す気はねえか?」
「沢村を解放しろ」
誘拐犯の提案、言葉に従ってはいけない。対話を求めてきたら、それに応じるそぶりも見せてはいけない。それらは全て本当の提案や対話ではなく、時間稼ぎや言いくるめでしかない。
アイに言われたことを思い出して、俺は改めて自分の要求だけを伝える。そもそも、相手の要求に答える権限は、俺には無い。
「チッ、交渉は無意味って事かよ……良いぜ、解放してやるよ」
そう言ってスコピオは葉巻を持った手を挙げて、合図を送る。沢村はその合図に反応して、ゆっくりとこちらに歩いてきた。
「……」
一歩一歩おぼつかない足取りで、彼女は近づいて来て、俺の目の前まで来る。周囲の男たちは、銃を構えているものの、その銃口から銀色の線が出ることは無かった。
「しかし、来たのはお前一人かよ」
手の届く距離まで沢村が近づいてきた瞬間、スコピオが唐突に口を開く。
「まあいいや、お前を殺せば、そいつも出て来ざるを得ないだろ」
その瞬間「沢村の手から」銀色の線が現れ、俺を貫くように伸びた。
「っ!?」
何故、そう考える前に俺は沢村を抱き寄せて、その銀色の線を躱したうえで彼女を奪還する。
沢村と一緒に地面に倒れ込むと、彼女の手から拳銃がこぼれ落ちる。
「何だ? ……ああ、お前も覚醒者だったな」
スコピオは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに納得したように頷いた。
「見たところ、予知か何かだな? 面白い能力持ってやがる。『俺もそういう面白い能力が良かったな』」
そう言うと、スコピオは葉巻を光らせて、自分の髪を掻き上げた。その姿には余裕と自信が満ち溢れていた。
「覚醒能力:タイラント」
彼が手を挙げると、周囲の男たちが一度に銃を構え、こちらへ銃口を向けてくる。
「っ……」
「お前らを参考に、自分で名前つけてみたんだ。どうだ? カッコいいか? へへっ……まあ、お前の能力は面白いだけだ。俺の能力には敵わない」
銃口から銀色の線は見えないが、恐らく俺が動こうとすれば、躊躇なく撃ってくるだろう。そうなれば、俺だけならともかく、沢村が危なかった。
「っ……二日前、あの時は覚醒者じゃなかったはずだ。どうやって能力を得たんだ?」
「くくく、おいおい、俺がいくら声を掛けても無反応だったのに、今度はお前の方から質問するのかよ」
俺の言葉に、スコピオは喉を鳴らして笑う。
「いいぜ、聞かれた事には答えてやる……丁度お前らに聞かせたい恨み節もあったことだしな」
彼は葉巻の先を再び光らせ、口から煙を漏らす。
「俺のビジネスは麻薬売買だが、それは本当にただの商売だ。仕事以上の思い入れはない。本命の元手を工面するため、仕方なくやってる事だった」
「……?」
言っていることがよくわからなかった。一体何がしたいのか見当もつかない。
「ハワイとホストクラブではやってくれたよなぁ? あのせいで本来今頃なら大量に手元にあったはずのものが、今じゃ俺が打った一本だけだ」
「何の話をしてるんだ?」
「お前が聞きたがってたんだろうが、俺が作った『人を覚醒者にする薬』の出どころは……ったく、こいつを売り捌くつもりが、自分で使う事になるなんてよぉ……」
スコピオは溜息をついて、葉巻をもう一度光らせて――半分ほど吸ったところで地面に落とした。
「これはお前らアンブラに対抗するために作ったもんだ。今はナノマシンの製造にコストがかかってるが、すぐに量産化させる。そうなれば俺たちはお前らに潰されるだけの存在じゃなくなる。生存競争に勝つのは俺達なんだよ」
「っ……」
スコピオは酷薄な笑みを浮かべて、俺を挑発する。一方の俺は、なんとか沢村を安全に逃がす方法を探っていた。
「しかし残念だな、女の方は別行動か? 姿が見えねえが……ま、お前を殺した後にゆっくり――」
視界の中に、ヤスリをもって男たちを倒すアイの姿と、銃口から銀色の線がでたらめに出る幻覚が映った。その瞬間、俺は沢村の身体と自分を銀色の線から外し、ジャケットから拳銃を抜き、スコピオへ狙いを定めて引き金を引いた。
「無駄な事――」
スコピオが口を開いた瞬間、幻覚は現実となる。
いくつもの銃声が響き、俺達の周囲に弾痕が穿たれ、敵の死角から回り込んでいたアイが取り巻きの男たちを薙ぎ払う。
そして、俺は引き金を引く。
「ぐああっ!!!」
相変わらず、銃の反動は人の命を奪える事実の割に、あまりにも軽すぎて気分が悪くなる。
スコピオの肩に穴が開き、彼はそこを抑えてうずくまった。この短い時間で、頭や心臓の致命的な部位へ狙いを定めることはできなかった。俺はアイとの作戦通り、致命傷ではなく、必ずダメージを与えられる部位を狙って引き金を引いたのだ。
「ナナシ!」
「っ……ああ!」
アイの呼びかけに答えて、俺は沢村を担いでこの場から離脱する。そして、倉庫の外壁とコンテナによって作られた迷路を縫うように逃げて、その場所から離れるように動く。
「くそっ……」
だが、それをするには俺は土地勘が無さ過ぎた。すぐに追い詰められてしまう。襲ってくる人数は多くはないが、俺だけでどうにかできるかと言えば、怪しかった。
「沢村、ちょっと待っててくれ」
そう言って、俺は彼女を袋小路の隅に寝かせ、拳銃を構えて追っ手を迎え撃つことにした。
吐き気は感じていない。後ろに沢村がいる状態で、吐き気を感じている余裕がなかったし、自分が殺されるかもしれない、殺されたくないという気持ちが、吐き気を完全に塗りつぶしていた。
この港湾地区へ向かう途中、アイと話していたことを思い出す。覚醒者の能力は、他者を操る事だろうという話はしていた。あのヴードゥー人形を持ってきた男の人の様子から、それはなんとなく察している。そして、問題は覚醒者も操ることができるのか、解除させるにはどうすればいいかという事だ。
他の覚醒者を操れるかどうかを考えれば、恐らく不可能だ。それができるのであれば、あの場所にアイみたいなリジェネーターや筋力のある覚醒者が居るはずだった。
では、どうすれば解除できるのかを考えるが、少なくとも走っていける距離程度を離れたところで意味はない。その効果があるなら、追手は居ないはずだからだ。
少なくとも、解除された例を俺たちは一つ知っている。ヴードゥー人形を持ってきた男の人は、目的を達成したら気絶するように脱力した。つまり、目的を果たせば支配からは解放されるはずだ。
「っ!」
足音を感知して俺は銃を構えなおす。見える幻覚の像に合わせて、銃口から伸びる線を重ねる。引き金を絞って現れる追っ手を一人ずつ片づけて、弾が無くなるとナイフを片手に倒れている相手の拳銃を奪って応戦する。
急所は狙わなかった。当てることができなかったわけじゃない。ここまで生きるか死ぬかの状況で、沢村を守ると覚悟を決めていたとしても、人を殺すという事にまだ忌避感があった。
「ぐぅっ……」
何回も引き金を引いて、感覚が麻痺してきたところで倒れた追手がうめき声をあげるのを聞いた。俺は周囲の状況を気にしつつ、男に話しかける。
「おいっ、もう操られてないのか?」
「操られる……? 何を言ってやがる」
俺の問いかけに、肩を撃ち抜かれた男は呻くように答える。
「くそっ、スコピオに話しかけられたと思って、気づいたらこれかよ……」
彼は完全に自我を取り戻していた。だとすれば強い衝撃とか、ある程度以上のダメージでスコピオの言う「タイラント」の能力は解除されるようだ。
俺は奪った拳銃を数発撃って威嚇して、弾倉だけをジャケットの内ポケットに詰めてから沢村の場所まで戻る。
「沢村! おい、起きろ!」
肩を強めに揺すると、彼女は瞼を動かして、反応を返してくれる。
「ん……志藤……?」
よし、操られてる時特有の焦点の定まらない感じはなくなっているな、俺は安心して彼女の体を起こした。
「今は説明してる時間が無いから、とりあえず俺の言う事に従ってくれ」
言いながら、俺は近くにあるコンテナの鍵を壊して、扉を開ける。幸い中には家具やインテリアが詰まっていて、人が一人くらいは隠れられそうだった。
「今めちゃくちゃ危ないから、この中でじっと隠れててくれ」
「あ、ああ、それはいいけど志藤、お前――」
「っ……後で全部話す。まずは自分の命を優先してくれ」
出来れば、沢村だけは巻き込みたくなかった。それでもこの状況になって、巻き込みたくないというのは、いくらなんでも都合がよすぎるだろう。
俺は彼女が家具の陰に隠れるのを確認すると、外側からコンテナの扉を閉じた。
「すぅ、はぁ……」
覚悟を決めるため、俺は深呼吸をする。
沢村の安全は確保できた。次はアイの援護だ。彼女が倒れてしまったら、少なくとも明るい未来は見えそうになかった。
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