第11話 準備

――八月三十一日 日没後



「だから、私は理香の仇を討つためにも、この街に潜む『悪』――スコピオを排除したい」


 彼女の話を聞き終わった時、俺は何も言えないと思った。


 そんな壮絶な経験をしていて、それでも立ち上がろうとする意志の強さもだが、俺をどうして勧誘したのかもわかった気がした。


「……分かった。うん、改めてもう一回言うけど、俺も協力するよ」


 話を聞く前の「協力する」と聞いた後の「協力する」は、言葉は同じだが意味合いは違った。なるべく関わりたくなくて、仕方なく、これが最後だという意味合いから、沙織の目標を叶えてやりたい。という意味合いへと変化している。


「俺にその話を持ち掛けたのも、この能力があれば勝率が上がるからだろ?」


 フォーチュン……不幸を避ける。ということであれば、この能力で二人の怪我や失敗という不幸から、あらかじめすべての不幸を取り除くこともできるし、この間のように、簡単に人を殺す事さえできるだろう。


 だが、俺のそんな考えとは裏腹に、沙織は静かに首を振った。


「違う、優紀に協力を持ち掛けたのは、優紀だったから」

「え――?」


 謎かけのようなその言葉に、疑問符を浮かべた時だった。


 ベンチに座る俺達の前に、ふらふらと男が歩み寄ってきていた。その表情はうつろで、自分の意志で歩いていないようにすら思える。


「っ……なんだよ」


 すぐにでも噛みつきそうな沙織を手で制して、俺は男を見返す。その視線に反応することなく、男は俺達に手に握った物を見せた。それは毛糸で編まれた、不細工で奇妙な人形で、俺はそれに見覚えがあった。


「沢村!? お前、あいつに何を――」


 今、俺の鞄についているものとペアになるような形のハワイ土産に、思わず俺は声を上げ男に掴みかかる。しかし、彼はそれを振り払う訳でもなく、抵抗もしなかった。


「港湾、地区……北端の……赤煉瓦……」


 男はそれだけ言うと、意識を失ったように目を閉じて、身体を脱力させる。俺たちは、その言葉に従う外ないようだった。


「ナナシ――」


 沙織が、俺の事をコールサインで呼ぶ、ということは、ボランティア開始という事だった。


「アイ、深河港湾地区北端の赤煉瓦製倉庫、そこに沢村がいる。助けに行こう」


 アイは深く頷いて立ち上がる。俺は倒れている男を何とかベンチに座らせると、彼の手から沢村のヴードゥー人形をもぎ取った。



 港湾地区という事は、ここから向かうなら途中でサンライトの事務所によることができる。俺とアイはそこに寄って、装備を整えていくことにした。


「まず、落ち着いてほしいのは、誘拐犯は明菜を殺す事はしないはずって事」

「えっと、つまり、準備には時間を掛けられるって事か?」


 俺の問いかけに、アイは頷いて答える。


「さっきの男の人は、どうやったかは分からないけど、操られていた。あれが脅迫状だとすれば、時間の指定がない。という事は『何時までにいかなければ命はない』っていう話じゃないはず」


 加えて、救援を呼ぶなと言う事も言わなかったが、かといってレオ達と一緒に行くと、誘拐犯を刺激することになり、なるべく避けなければならない。という事だった。


「準備をするからちょっと待ってて、ナナシは使いたいなら武器を持って行っても良いよ」


 事務所の三階へ向かうと同時に、アイは上着を脱ぎながら更衣室へ向かっていく。俺は俺で準備をしよう。


 三階は二階とは全く印象が変わっていた。雑多で古ぼけた雰囲気だった二階に対して、三階は蛍光灯の無機質な光と、いくつもの銃器と刃物が整然と並ぶ空間だった。その奥にはさっきアイが向かって行った更衣室があり、何着かレオ達も着ていたものと同じデザインのスーツがハンガーに掛かっていた。


 俺は迷ったが、服装はそのままにして、一番小さくて隠し持ちやすい拳銃を選んで、それをポケットの中に突っ込んだ。安全装置の解除などは、後でアイに聞くことにしよう。


 俺にできる準備はこれくらいだ。あまり欲張っても動きが悪くなるだろうし、あんまり威力がある武器を持っていても、敵に奪われたりしたら困ったことになる。


 しかし、一番小さく隠しやすそうな拳銃を選んだが、夏の軽装ではそれでもかなり目立ってしまっていた。ポケットが明らかにこんもりと盛り上がっており、これでは敵に何か持っていると伝えるような物であり、下手すると職質で止められるかもしれない。


「しかたない……か」


 少し気が引けるが、俺はスーツを一着拝借することにした。いくつかサイズがあり、動きやすいように一つ大きめの物を選んでその場で着替えることにする。


 アイに見られることを危惧したけれど、まあ俺は男だし、パンツ一丁の姿を見せたところでどうってことは無いだろう。


 だが、勿論アイに下着姿を見せたいわけじゃない。俺は手早くズボンを脱いで、スラックスに足を通してしまう事にした。


「っ、やば――っ!?」


 視界の隅で、アイが更衣室から戻ってくる幻覚が見える。ということは、すぐに彼女が戻ってくるという事で、俺は慌ててスラックスを引っ張るが、慌てていたため、足を滑らせてひっくり返ってしまう。


「お待たせ、ナナ――」


 そして、タイミングが最悪なことに、幻覚が現実のものとなってしまう。スーツを着て、鉄棒を手に持ったアイと、パンツ一丁でスラックス片手にひっくり返っている俺、最悪な絵面だった。


「……早く着替えて」


 俺は一体どんな事を言われるのかと不安に思っていたが、意外なことに彼女はそれ以上言及することなく、後ろを向いてくれた。


「ご、ごめんっ今すぐに着るから!」


 スラックスを急いで着て、アンダーシャツとワイシャツを着る。そして、ジャケットに袖を通そうとした時、アイのいる方向から、肉が潰れるような、何か嫌な音がした。


「アイ……?」


 どうかしたのだろうか、そう思って彼女の方を見ると彼女は自分で思いっきり頭を叩いていた。


「ちょ、ちょちょちょ、ダメだって! 何してんの!?」


 自分の手でたたいている可愛らしいものだったら、俺は何も言わなかった。パンツ一丁の姿を見せてしまった以上、少しの罪悪感と共にさっさと袖に手を通すだけだ。


 だが彼女は、手ではなく自分で持っている鉄棒で思いっきり頭を叩いていた。


「忘れないと……我慢しないと……」

「いやいやいや、怖いって! 何がそうさせてるんだよ!?」


 うわ言のように言うアイの手を無理やり抑えて、落ち着かせる。付き合いが短いのもあるが、アイは本当に何を考えてるのか分からない時がある。


「ふぅ……大丈夫、落ち着いた」

「お、おう……」


 血塗れの顔で、落ち着いたことを宣言する。傷は既に塞がっているようで、新たに血が溢れてくることは無いようだ。


 彼女にとりあえず血糊を拭いて来るように伝えて、俺は服をしっかりと着る。一見すると普通のサラリーマンが着ているようなスーツだが、縫い目や生地を触ってみると、激しく動いたりするために最適化されていた。アンブラ特注のビジネススーツといった印象だ。


 内ポケットなども、拳銃や他の武器を隠し持ちやすいよう工夫がしてあって、俺はせっかくなのでナイフも一本胸ポケットに忍ばせておいた。


「よし、おっけー、アイー? 洗い終わったかー?」


 身支度を完璧にしたところで、俺はアイを呼ぶ。しかし返事が返ってこない。


 どうしたのだろうか? 傷は無くなっていたようだが……そこまで考えて、俺はある事に思い至る。


――私は脳幹を破壊されない限り死なない。


 彼女が言っていた事だ。さっきまで、アイは頭部にダメージを与えていた。もしかすると、表面では分かり辛いが、脳幹にまでダメージが行っているのかもしれない。


「アイっ!! 大丈夫か!?」


 そう考えると、居てもたってもいられなくなり、俺は洗面所まで駆けだしていた。


「ナナシ……?」


 扉を開けて、視線の先にアイがいることを確認した俺は、安堵の息を漏らす。どうやら頭から水を被っていて、、声が聞こえなかっただけのようだ。


「あ、ごめん、ちょっと遅かったからさ」

「ううん、大丈夫、心配してくれてありがとう」


 そう言って。アイは赤い血を落とし終わった事を確認してから、こちらを向く。


「じゃあ――」


 沢村を助けに行こうか。と言おうとして俺は気付く、アイが血を水で洗い流した時に、首回りまで水で濡らしてしまったことに。


 言葉が途切れたことに疑問を持って、アイは自分の姿をしっかりと確認する。俺が指摘するまでもなく、ブラジャーが思いっきり透けていた。


「ごめんっ!! ……と、とりあえずシャツも新しくしてくれ」

「ん、わかった」


 道をさっと空けて、彼女を部屋の外へ誘導する。アイは素直に返事をして、洗面所から出ていく。


「はぁ……」


 沢村相手なら、そう気にする必要もなかった。なんせ物心つく前からの付き合いだ。今更気にして何になる。という話だろう。


 だがアイは違う。知り合って数日しか経っていない異性の下着なんて、透けていたからと言って見て良い物ではない。


 そうは考えるのだが、俺は健全な男子高校生である。完全に脳裏に焼き付いてしまった。何とかして、忘れることはできないだろうか。


「……忘れないと」


 頭に強いショックを与えれば記憶が飛ぶだろうかそう考えて、洗面所の壁に俺は頭をぶつけてみる。


「っ……」


 痛い。


 痛いが、記憶は未だにはっきりしたままだ。むしろ脳裏に焼き付いた透けブラ映像以外がぼんやりしたような気がする。


 俺はそれを忘れるため、再び頭を強打する。だが、相変わらずアイの姿は消えない。どうすればいいのか、もう俺には分からなかった。だが、このことが頭にある限り、アイとまともに話せないような気がした。


「お待たせ――優紀?」


 三度目となる頭への衝撃は、アイが現れたことで中断された。


「何してるの?」

「いや、そのー……」


 まさか、透けブラを忘れるために壁に頭をぶつけていた。なんていう事を馬鹿正直にいう訳にもいかない。俺は答えに窮して――その結果、話を本筋へ戻す事にした。

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