第7話 合流

――八月三十一日 午前



 時間的にはいくらか余裕があったが、家に長居すると飯食って眠くなったはずの兄貴が起きだす可能性があったので、早めに家を出ることにした。


 夏休み最終日という事で、目の前を通り過ぎていく快速電車は混みに混んでいる。各駅停車はちょっとだけ空いていて、座ることはできなかったがまあまあ快適な乗り心地だ。


 待ち合わせは駅前ということで、俺はいったん改札を出て、駅前のコンビニに入る。外で待つとなると、殺人的な太陽光線と熱気で、遊ぶ前に参ってしまいそうだった。


 コンビニの店内はクーラーがよく効いており、滲んでいた汗が静かに引いていくのを感じる。さて、時間までまだまだ余裕があることだし、立ち読みでもして時間を潰そうかな。


 そう思ってコンビニの雑誌棚を物色すると、ゴシップ系の週刊誌が目に入った。タイトルには「町に潜む時限爆弾、老朽化雑居ビルの恐怖!」という文字列が見える。どうやら今朝発行されたばかりの新刊らしい。昨日は見る勇気がなかったけれど、今日はなんとか一昨日の事を調べてみようという気になっていた。


 手に取ってページを開くと、築年数が三十年を越えると老朽化が進んでいて、改築や防災対策が必要になる事や、あの建物が建築法的に問題なかったのかとかそういう事が書いてあった。


 そして、その最後には「テロや犯罪が増えている中、こうした整備不足の事故まで加わると、我々の安全な生活はどこへ行ってしまったのか、という気持ちになる」と、記者のお気持ちが表明されていた。


 最初から最後まで読んでも、人が死んでいるだとか、犯罪組織の隠れ蓑だったとか、そういう事は書いていなかった。


「サンライトの理念に賛同する人は少なくない。だから、隠蔽工作はすぐに出来る」

「っ!? ア――」


 聞き覚えのある声が聞こえて、振り返ると声の主に口をふさがれた。騒ぐなという事だろう。俺が身体から力を抜くと、彼女は手を放してくれた。


「……なんだよ」

「勧誘、優紀には私とバディになってほしい」


 アイは最後に会った時から全く変わっていなかった。


「俺の気持ちは変わらないよ、アイ」

「沙織」

「え?」

「桐谷沙織が私の本名、ボランティアをしていない時は名前で呼んで」


 彼女は自分の唇に人差し指をあてる。その仕草は妙に色っぽかった。


「……警察に届け出なくてありがとう。優紀」

「別に、俺だって一人……やってるし、だから、相談もできない」


 それに、昨日は警察に行くという発想すら出なかった。だから俺に感謝する必要もなかった。


「それで優紀、スコピオへの追撃だけど――」

「この話の流れで俺が乗り気って判断するの、どれだけポジティブシンキングしたんだよ!?」


 自然な流れで生きるか死ぬかの会話をされそうになって、俺は思わずツッコミを入れる。


「駄目?」

「いやいや、ダメも何も、俺はやらないって言ったよな?」

「大丈夫、説得するから」

「それ本人を前に言う事じゃない。レオに言う事だよ」

「むぅ……」


 沙織は不機嫌そうに唸る。あの時は感じなかったが、どうやら結構ポンコツなところがあるらしい。


「あ、おっすー志藤、コンビニいるならLINE入れてくれりゃ良かっ――」

「あ、沢村――」


 コンビニに入ってきた沢村に、手を挙げて挨拶を返すが、彼女の表情が一瞬で固まったのを、俺は見てしまった。


「おい志藤、誰だよその女?」

「優紀、あの人は誰?」

「……はは」


 なんでかは分からないけれど、沢村も沙織も一瞬で声が二オクターブくらい下がった。なんだろう。二人に悪いことをした覚えはないのに、物凄く悪いことをした気がする。


「えっと、沙織は一昨日知り合った人で……」

「ふーん、一昨日会ったばっかりなのに名前呼びなんだ。アタシは付き合い長いのにまだ名字呼びなのに」


 沢村の声がさらにドスの効いた声になる。なんだ、マジでなんなんだよ、別に俺悪くないだろ。


「い、いや、なんか沙織も俺の事名前で呼ぶからその流れで……」

「へー、そうなんだー」


 畜生、何なんだよ、名前で呼んだら「気色悪い」って言うだろお前。


「えっと――沙織、こいつは沢村、俺の幼馴染っていうか、まあ腐れ縁って奴だな」


 家族ぐるみの付き合いなのだそうそう切れる縁でもない。そういう意味では友達というよりも、ほとんど家族のような物だった。


「……そう」


 沙織はそれだけ言って身体を寄せてくる。この間会った時と同じモノトーンの服装だったか、ボランティア中ではないからなのか、スーツではなくカジュアルな服装だった。


「え……何?」

「別に」


 何だろう俺にぴったりくっつかれても、動きにくいだけなんだが。


「そ、それより沢村、早く行こうぜ、深河ベイサイドパーク」


 何とか頭を押して沙織を引っぺがすと、沢村に向き直る。沙織の方を見てはいないが、なんかじっと見つめられている気がした。


「お、おう……ていうか、マジで一昨日知り合ったのか?」


 沢村の出会い頭に持っていた不機嫌さは、困惑に上塗りされていた。そりゃあ、同い年くらいなのに俺にべったりひっつく奴を見たらそうなる。


「まあ、少なくとも俺はそうだけど――」

「私はもっと前から優紀の事を知ってる」


 沢村の問いに、沙織は俺の答えに被せるようにして答えた。


「半年前、駅で会ってる」

「駅で……?」


 俺と沢村は目を見合わせて困惑する。駅ですれ違う事を会うなんて表現するのもおかしいが、どうやらその時よっぽど俺が印象的だったらしい。


「ま、まあいいや、志藤! 行こうぜ」


――変な奴に気に入られたな。


 沢村の目は、確かにそう言っていた。


「あ、ああ……行こう――?」


 歩き始めようとしたところで、袖を掴まれて引き戻される。振り返ると、沙織がじっとこちらを見つめていた。


「ついて行っていい?」

「えっ」

「あ?」


 俺と沢村は、言葉は違うが同じ困惑の反応を返した。ついて行っていいって……一緒に回る気か?


「まあ、いいけど」

「はぁ? 志藤、正気かよ? こんな変な奴……」


 沢村はあからさまに嫌そうな反応をする。そうは言っても、断ったところで無理矢理ついて来るぞ、こいつ。


「沢村、昨日課題写させてやっただろ、つまり今日一日の自由は俺が与えたものだ。つまり、俺がわがままを言う権利がある」

「うぐっ……しゃあねえなぁ……」


 完璧な論法で彼女を黙らせると、俺は沙織に向き直ってそれを伝える。


「とりあえず今日は良いよ、俺達は深河ベイサイドパークで遊んだ後、夜に花火大会を見て帰るつもりだから」

「うん」


 沙織は短く返事をして、少しだけ頬を緩めてわらった。



――八月三十日 深夜 



 深夜の深河繁華街は、様々な人間がうろついている。


 ピンク色に髪を染めたゴシックファッションの女から、作業着に身を包んでヘルメットをしている男まで、実にさまざまである。


「チッ……」


 だから、紫色に染髪された髪だろうと、鋲が付いたパンクファッションの格好だろうと、サソリのタトゥーが入っていようと、それだけで注目の的になる事は無かった。


 スコピオは不機嫌そうに葉巻を地面に落とすと、ブーツで踏み潰して消火する。その結果を顧みることなく、彼はとあるホストクラブの裏口へ回った。


 大理石で作ったような清潔感のある入り口とは裏腹に、裏口の方は排気ガスと生ごみ、吐瀉物、そして血液で汚れていた。スコピオはその状況に眉一つ動かさず、見張りの男たちに適当に挨拶をして、ホストクラブの中へ入っていった。


 裏口の中に入ると、まず階段を上る。顧客(カモ)はこの裏側を見ることはないので、薄暗く、埃っぽかったが、彼にとってここは何度も通った道であり、床に転がる荷物に足を取られる事は無かった。


「俺だ。ボス」


 最上階は、表側からは絶対に入れない。それはここの支配者が非常に用心深い事を示している。スコピオの後ろ盾である彼は、異常なまでの用心深さでこの地位まで上り詰めた人間だった。


「スコピオか、入れ」


 声が返ってくると同時に、オートロックが外れて扉が重々しい音を立てて開く。護衛は置かず、機械に頼る姿は、やはり異常だと、スコピオは心の中でつぶやいた。


「状況は私の耳まで入っている」


 その言葉を聞いて、スコピオは安堵の息を漏らす。


「ええ、どこの誰だか知りませんが、俺の店を潰したうえに覚醒者一人を殺りやがって、せめてこの落とし前は付けさせねえと」


 部屋の中へ足を進めて、床に引かれた白い線で止まる。防弾ガラスの向こう側にいるのは、小太りの中年男性だった。


 彼の名前は無く、ただ周囲の人間からは「ボス」とだけ呼ばれている。闇にもぐるには、名前すらも消さなければ弱点になりうることを知っている用心深い男。あるいは暗殺を警戒し過ぎた結果、戸籍すら消し去った筋金入りの臆病者。スコピオの評価は後者だった。


「俺は自分のシンジケートとメンツをつぶされて、黙ってる訳にはいかねえんですよ、相手は誰かって情報と「兵士」を借りれませんかね?」


 臆病であるが、だからこそこの男は侮られることを嫌う。情報と兵士――追加の覚醒者は、むしろこの男の方から渡してくるのではとスコピオは思っていた。


「その話だがスコピオ。お前はしばらく潜れ」

「なっ!?」


 だが、彼の判断はスコピオの予想を裏切った。


「今回は相手が悪い。私も今逃げるための準備をしている」

「いやいや、ボスの力がありゃ深河で敵なんかいないでしょ!? 何をビビる必要なんてあるんですか!?」


「相手はアンブラだ。それでも同じ事を言えるか」

「っ!?」


――アンブラ。


 その言葉に、スコピオは思わず言葉を詰まらせた。


 行動理念や構成員などは一切不明、裏社会の組織を天災のように破壊する謎の組織。それがアンブラと呼ばれるものだった。


 ハワイの麻薬密売ルートも、つい先日アンブラに破壊されており、犯行声明には確かにアンブラの名前があった。


「そういう訳だ。私もそろそろ隠れ家を移す必要がある。この話はここで――」

「いいえ! 納得できません! 俺は一人でもあのガキどもに復讐しないと気が済まねえ!」


 諦めたように語る男に、スコピオは食い下がる。


「何度も言わせるな、殺されないだけありがたいと思え」


 だが、男はその態度を崩さなかった。スコピオの後ろにある扉を指差し、彼に出ていくように告げる。


「チッ……分かりましたよ」

「ああ、そうしてくれ……それと、薬の試作品が出来ている。いつもの場所に――」


 男がそこまで話したところで、警報装置がけたたましく鳴り響く。


「なんだ!? 報告しろ!!」

『しゅ、襲撃です!! 覚醒者二人! 能力は――』


 スピーカー越しに聞こえた音声は、そこで途切れる。


「……アンブラ」


 スコピオと男は、二人とも一つの結論に達した。


「ス、スコピオ! 私を護衛しろ!」


 男が喚き、防弾ガラスを開いて走り出す。長い間誰も信用せず、身体を動かしていなかった男の動きはどこか滑稽でもあった。


「……」


 スコピオはそんな動きを見て、心の中に一つの野心が生まれるのを感じる。


「おい! 聞いているのか!? スコピ――」


 男がそれ以上何か話す事は無かった。声の代わりに口から噴き出したのは、赤黒い血液だ。


「ええ、良く聞こえてますよボス。これはチキンな負け犬の鳴き声ですね、キャンキャンうるさくてかなわねえっすわ」


 スコピオは面倒そうに耳を掻く、もう片方の手には、拳銃が握られていた。


「お前……」

「何ですか? そんな絶望顔すること無いでしょ、俺に殺されるか、アンブラに殺されるかだけなんだから。じゃ、また来世で会いましょー」


 スコピオは男へ別れの言葉を告げると、彼の脳天へ改めて弾丸を撃ち込んだ。


 男が脳漿をまき散らして死ぬのを見届けた後、スコピオは考える。自分を虚仮にした奴は殺さなければならない。それがたとえアンブラの鉄砲玉だったとしても、だとすれば、今の力だけでは不可能である。


「……そういや、薬の試作品があったな、アレを持って行って、あとは――」


 スコピオの狡猾な脳細胞は、着々と復讐のプランを構成していった。



 ホストクラブに男の客が来ることは滅多にない。


 だが、客である女の「持ち物」として男が連れて来られることはある。自分とよろしくやっている筈の主人が、他のホストにも甘い言葉をささやくところを見せて、嫉妬心を煽るためだ。


 今日も、そんな悪趣味な客が、黒塗りの高級車をホストクラブの前に横付けして、シルバーブロンドの髪を靡かせながら降りてきた。黒を基調とした派手なドレスで、背中が大きく開いている。彼女に付き従うのは、機械のように無表情な、整った顔立ちの男だった。右手にはアタッシェケースがあり、その中には相当な数の札束が入っているであろうことがうかがえた。


「持って行きなさい」


 彼女は付き人のアタッシェケースから、札束を一つ取り出して運転手に渡す。車が走り去ったのを見送ると、彼女は付き人に先導を任せてゆったりとホストクラブへ入場した。


「いらっしゃいませ、当店は初めてでしょうか?」


 そう問いかけてきた受付のボーイに、付き人はアタッシェケースをそのまま渡す。


「今日は私が貸し切りにしたいわ、そのケースで足りるかしら?」


 銀髪の彼女がそう言うと、ボーイが震える手でアタッシェケースを開き、札束を確認していく。すべて本物の日本円で、一束百枚、数千万円がケースの中に入っていた。


「オ、オーナー!」


 それを確認したボーイが慌てて支配人を呼び、支配人もケースの中身を確認して目の色を変える。銀髪の淑女と付き人以外の顧客が店の外へ追い出されるまでそう時間はかからなかった。


「……どうぞ、ようこそお越しくださいました」


 周囲の恨めしい視線をものともせず、銀髪の淑女は優雅な動きで店の奥へと歩いていく。その傍を付き人が静かに歩いていくと、ホストクラブの出入り口が閉じられ「本日貸切」の札が掛けられた。


「フフッ、これは重畳」


 ソファに腰掛け、周囲に店のホスト全員が集まったのを確認し、「狼のような銀髪を揺らして」彼女は微笑んだ。


「レオ、始めようか」

「ああ」


 後ろにいた付き人――は、滑らかな動きで一歩踏み出すと、近くにいるホストに向けて拳を振る。それと同時に水音のような音が響き、次の瞬間にはホストの首が宙を舞っていた。


「今夜は楽しくなりそうだ」


 レオはそのまま一度に三人の首を飛ばす。その手には魔法のようにナイフが出現していた。これが彼の能力だった。


「覚醒能力:ヴァルカン」


 体内の組成、あるいは手に触れたものの組成を変化させ、刃物を含む物質を生成する能力である。


「やっぱりいいな、その能力。ボクもそれが良かったよ」

「そうでもないさ、器用貧乏だからな」


 部屋に生きた人間がレオとロボだけになったところで、二人はそんな話をする。周囲では助けを求める人間が外部と連絡を取ろうとしたり、逃げ出そうとしている。


「面倒だね、殺しちゃおうか」

「ここは繁華街だ。加減はしろ火炎豺狼(フレイムロボ)」

「難しい事言っちゃって」


 言いながら、ロボはソファに腰掛けたまま指を鳴らす。その瞬間、指の周囲から炎が溢れ出した。


「覚醒能力:カグツチ」


 彼女の発火能力は、周囲を燃やし、更に熱により出口と電波のジャミングを行う。今この建物にいる人間は外部へ逃げ出す事も、連絡をすることも不可能となってしまう。


「じゃあ、親玉を殺しに行こうか」

「ああ」


 レオは短く答えると、コンタクトレンズを外す。そこには印象的な琥珀色の瞳があった。



「レオ、どう思う?」


 屋内の人間を残らず蒸し焼きにした後、壁を破壊して深河を牛耳る男の根城へ乗り込んだ二人が見た物は、二発の銃弾によって命を終わらせられた男の姿だった。


「内部分裂か、反乱がおきたな」


 レオは傷口をあらためて、傷口が超至近距離から撃たれた弾丸によるものだと判断する。


 これは実際よくある事だった。アンブラ――NPO法人サンライトの秘密部署から襲撃を受けた組織は、壊滅するか内部崩壊を起こして逃げ出す事になる。取り逃がす事を警戒してはいたが、今回は首謀者が用心深すぎたため、制圧が遅れてしまった。


「逃げたのは誰だと思う?」

「アイとナナシの襲撃で、この組織の幹部は大多数が処理されているはずだ。他の幹部連中の動向を探れば、おのずと新リーダーは想像がつく」


 レオは冷静に状況を分析し、現場の状況を記録すると、ロボに向き直って言葉を続ける。


「必要なことはこれで済んだ。後始末を頼む」

「分かった。きれいさっぱり無くしてあげよう。外ならぬ君の頼みだからね」


 ロボは鷹揚に返事をすると、再び指を鳴らす。


 すると世界から音が消失し、視界が光に包まれ、あらゆるものが崩壊した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る