第8話 アンブラ

――八月三十一日 午後



 昼食を済ませた俺たちは、深河ベイサイドパークのアトラクションに並んでいた。


 夏休み最終日という事もあって、人の数はかなり多く、はぐれないようにするのが大変だったが、列の進み自体は早く、次のアトラクションにはもうすぐ乗れそうだった。


「でさー志藤、アタシもバイト始めようと思う訳よ」

「え、やめたほうが良いんじゃない? 今でも勉強に手がついてないじゃん」

「いやいや、今勉強に手がついてないって事は、バイトしててもしてなくても手につかないって事だろ、逆に行けるんじゃね?」

「いやこういうことに逆とか無いから」


 列を待つ間、沢村の話に付き合ってやる。


 どうも彼女はお金が欲しいらしく、小遣いだけでは足りないのでバイトをしたいという事だった。しかし考えてみてほしい、八月の終わりに夏休みの課題を一気に終わらせるような計画の人間が、バイトなんか入れたらどうなるかを。


「えー、ダメかあ……金欲しいなぁ」

「アルバイトなら、私の所にくる?」


 そんな話をしていると、沙織が話に入ってきた。


「成績関係も、私の所なら問題ないと思うし」

「いや、ちょっと待て! そのバイトはダメだ!」


 俺がやったような事を沢村にもやらせるわけにはいかない。そう思って沙織の言葉を遮る。


「なんだよ志藤、妙に焦ってるじゃん」

「いや、その……」


 止めたはいいが、あのことを沢村に話すわけにもいかない。だが、彼女にあんなことをさせる訳には……


「優紀、安心して。この人に紹介するのは私達と同じことじゃない」

「そういう問題じゃないだろ」


 同じじゃない。と言っても、俺達のやっていることを知られるのは、単純にリスクだし、沢村に知られたくなかった。


「なんだよなんだよ、アタシに知られたら困る事でもあるのか?」

「いや、そういう訳じゃ……なくて」

「分かるぜ、そうだよなぁ、アタシは邪魔だよなぁ? 二人の時間邪魔しちまうもんなあ?」

「それは違うが……何て言ったらいいのかな」


 いまいち論点がずれているような気がする沢村を何とかなだめつつ、沙織に目配せをする。彼女の意図は分からないが、いきなり訳の分からない提案をしないでほしい。


「ん」


 沙織は何を勘違いしたのか「任せて」と言わんばかりに鼻息を吐く。俺の意図が何一つ伝わっていなくて泣けてきた。


「私達はNPO法人のボランティアをしてる。日当はそれなりに出るはず」

「ちょ、ちょっと――むぐっ」


 沙織が内容を話そうとしたので、慌てて止めようとしたが、沢村に口を塞がれてしまう。確かに、言葉としてはそれなんだが、問題は「何をしているか」という事なんだよ。


「へぇー、まあ志藤って昔から人助けばっかしてたからな。お前らしいっちゃお前らしい仕事か」

「やることは炊き出しとか、風船配りとか、基本的に活動は土日で月一回くらいだから、負担にならないと思う」


 沙織が話したことを聞いて、俺は頭にクエスチョンマークを浮かべる。そんな活動内容ではなかったはずだが……


「そんくらいなら勉強に支障はねえし、大学の推薦とかにも使えそうだな――なあ、志藤?」

「っ……ああ、そうだな」


 口の拘束が外れたので、俺は脱力して答える。そう言えば、彼女たちの所属する組織は、表向きには社会福祉を目指すNPO法人だった。表面だけの張りぼてかと思ったが、どうやら活動はしっかりと行っているらしい。


「へへっ、残念だったな、沙織と二人きりになれなくて」

「どういう意味だよ……ぐえっ!?」


 言っている意味は分からなかったが、どうやら沢村は納得したらしく、俺にヘッドロックを掛けて嬉しそうに笑った。


「じゃ、上司によろしく言っといてくれ、面接の日取りとか決まったら――って、そういやID交換してなかったな、しようぜ、沙織」

「うん、えっと……」

「明菜で良いぜ、お互い名前呼びの方が気を使わなくていいだろ」


 沢村はそう言って、沙織とIDを交換する。どうやら彼女が妙に沙織を警戒していたのは、初対面の相手への警戒心だったようで、その壁が取り払われた今、普通に友人として接することができるようだった。


「はぁ……全く、何なんだよ……」


 ヘッドロックから抜け出してため息をつく。IDを交換したら即友達、そんな距離感でやってる沢村が少し羨ましくなる。


「おし、登録できた――ってあれ? 沙織って志藤とフレンドじゃねえの?」


 スマホの画面を捜査していた沢村が、ふと気が付いたように口にする。


「うん、ID知らない」


 沙織が正直にそう答えると、沢村は再び俺にヘッドロックを掛けてくる。


「ぐえぇっ!? な、なんだよ!?」

「へぇー残念だったな、脈なしじゃん!」


 脈がどうとかは今は関係ないと思うが、沢村が楽しそうなので俺はそれ以上言及しなかった。


「しょーがねぇーなぁー、沙織、こいつとID交換してやってくれ」

「うん」


 妙に上機嫌な沢村に促されて、俺は沙織とIDを交換する。登録を終えると黒字に白で「鬼目」と書かれた和風なデザインのアイコンが友達一覧に追加される。どうやらこれが彼女のアイコンらしい。


「……個性的なアイコンですね、沙織さん」

「よく言われる」


 鬼目ということは、彼女のコールサインそのまんまなアイコンで、分かりやすいと言えば分かりやすかった。しかし、この「鬼目」とは何なのだろうか。


「へへっ、アイコンカッコいいじゃん。鬼の目ってどんな意味なんだ?」

「ヤスリの種類、名前がかっこいいからこれにした」


 試しに「ヤスリ 鬼目」で検索してみると、斜線のようなデコボコではなく棘を複数立てた形のヤスリが「鬼目ヤスリ」として載っていた。だが――


「カッコいいからってアイコンにしちゃうのかよ、面白いなお前」


 沢村の言葉に同意する。もしかしてコールサインを決める時も、こんな感じで決めていたりするのだろうか。



――私達の所属はサンライトの一部署「アンブラ」


 そんなメッセージが着信したのは、並んでいたアトラクション――コースターを降りたところだった。


 私「達」という所がなんとも納得のいかないところだが、つまりはああいう危ない事だけを担当する部署があり、それ以外の部署は真っ当な仕事をしているであろうことがうかがえた。


 恐らく沙織が伝えたいことは、沢村がサンライトと関わっても、命の危険が及ぶことなないという事なのだろう。


「どうした? 志藤」


 スマホを見て考え込んでいる俺を見て、沢村が興味を持ったように覗き込もうとしてくる。俺は咄嗟にウェブブラウザを起動してごまかした。


「夕飯どうしようかなと思って、ほら、花火で面倒なことになってそうじゃん」

「あー確かに、予約も昨日じゃ間に合わなかっただろうしな」


 沢村は腕を組んで考える。いい結果が導かれるとは思えなかったので、俺は少し悩んだ振りをしてから提案をする。


「まあ、コンビニでもいいんじゃないか? 無理にファーストフードとかに押しかけてもめっちゃ混んでるだろうし」

「しゃーねえな、それで行くか」


 花火大会が始まるより前、夕方くらいに買えば、混み具合も品ぞろえも快適な時間に買えるはずだ。そうすれば、花火を見ながらおにぎりを頬張るくらいは出来そうだった。


「で、どうする? 時間的には後一個くらい回れるけど」

「だったら、あれに乗りたい」


 側で話を聞いていた沙織が、木馬が大量に上下しているアトラクション。メリーゴーランドを指差す。なんとも幼児趣味であるが、混み具合から見ても妥当な感じだった。


「メリーゴーランドでいいのか? 俺は別にいいけど、沢村は?」

「アタシも別に構わないぜ、あんまり混んでないし、酔う危険もなさそうだからな」


 そう言えば昔、家族ぐるみでここに来た時、コーヒーカップに乗って全力で回した結果、酔って気持ち悪くなった経験があった。


「じゃ、並ぶか」


 俺は二人にそう言って、メリーゴーランドの待機列に並んだ。回転率と進み具合から見て、大体想像通りの時間で出て来れそうだった。


 一応時計を確認するためにスマホを開くと、メッセージの着信が一つあった。


――「アンブラ」って聞いて驚かないんだね。


 沙織のメッセージにそんな事が書いてあった。アンブラ、アンブラ……聞いたような気もするが、今すぐピンとくるものは無い。だから俺は、その単語で検索を掛けてみることにした。


 検索した結果出てきたのは、ゲームのキャラクターだとか、ファッションブランドそういう物が一番最初に出てきた。多分これはノイズだろうから無視をして、いくつか気になった情報を拾ってみる。


――太陽表面にある暗い部分、黒点。

――天体に遮られて生じる影。

――光の当たらない部分、暗部。


 これらは天文用語で、どうやら太陽(サンライト)の暗い部分、という意味でのアンブラ、つまり名前の由来がこれだという事が分かった。


「っ!?」


 そして、俺はアンブラの名前が何なのか、沙織がそう聞いた理由の記事にたどり着く。


――ハワイの爆発テロ、その首謀者。


 その情報を見た時、あまりの驚きで俺はスマホを落としてしまった。


「志藤?」

「っ……ああ、悪い。ちょっとびっくりしちゃって」


 沢村が心配して声を掛けてくれる。そして彼女は、落ちた俺のスマホを持ち上げて、画面を確認する。


「ん、これ……」

「あ、ああ、何でもない。ちょっと調べものしてただけだから!」


 俺は慌てて沢村からスマホを取りかえそうとするが、彼女はどこか面白がっているようで、簡単にはかえしてくれなかった。


「ふーん、なんだ、志藤ってこんなの見てんの?」

「いや、いつもって訳じゃないよ!」


 まずい、履歴を辿られると、サンライトとアンブラのつながりを――


「へっ、ほらよ」


 幸い、沢村はそれ以上の事を探らずに、俺にスマホを返してくれた。俺はすぐに履歴を消去する。また誰かに見られたら、思考をつなげられたらたまったものではない。


「いやー早く列が進むといいな!」

「お、おう……?」


 履歴を消して、サンライトとアンブラのつながりを闇に葬った後、妙に上機嫌になっている沢村に肩を叩かれて、俺はまたスマホを落とした。幸いなことに二回とも画面が割れることはなく、カバーに少し傷がつくだけで済んだ。耐落下衝撃用のカバーにしておいて本当に良かった。俺はまた安堵の息を漏らした。

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