第6話 兄

――八月三十日 夜


「ただいまー」


 ごちそうになった夕飯はお好み焼きだった。なるほど種の量を調整すればいいだけだからお誘いがあったわけだな、と俺は勝手な納得をした。


 玄関で靴を脱いで、リビングに向かう。野球中継かバラエティを見ている父さんと、台所で洗い物をしている母さんが居るはずだった。


「あれ、父さーん? 母さーん?」


 しかし、居ない。一体どうしたんだろうか。


「おう優紀、父さんと母さんなら外食だってよ」


 家の中をうろついて探し回っていると、兄貴が部屋から顔を出した。大学生でユーチューバーをしている兄貴は、完全に昼夜逆転の生活をしていて、実際に顔を合わせるのは三日ぶりくらいだった。


「あ、そうなんだ。兄貴は?」

「動画編集とネットで忙しいからな、父さんも母さんも気を使ってくれたんだろう」


 つまりおいて行かれたという訳だ。


 我が兄・達紀はゲーム動画配信で稼ごうとしているプロゲーマー志望のユーチューバーだ。ちなみに登録者は最近十人を越えたらしく、食卓で自慢げに話していた。


 だが俺は知っている。登録者のうち三人は俺、父さん、母さんで、残り七人のうち三人も、沢村家の両親と沢村であることを。つまり……彼の実質的な登録者は四人である。


「それより優紀、このチャンネル知ってるか?」

「知らないけど」

「見る前に答えるなよ!」


 そう言って兄貴が無理やり見せてきたのは、昨晩俺が必死に調べて出てきた陰謀論系のチャンネルだった。


「このチャンネルが言うには、20年前のナノマシン散布事件以降、超人的な能力を持つ人が増えていて、それはナノマシンの影響なんだそうだ。ということは、後天的にでもそのナノマシンを体内に摂取できれば、俺もゲームが強くなるって事だ!」


「……本気?」

「い、いや! 本気なわけないだろ! 俺なりのジョークだよ!」


 俺は自分の兄がとてもかわいそうな存在に見えて来てしまった。陰謀論を信じるような兄になってしまったことと、あの力をゲームで強くなるために使おうとしていることに、自然とため息が出てしまう。


「少なくとも、もっと身体動かして、健康的になったほうが強くなれると思うけど」


 マウスや指先の動き、同じ姿勢を長時間強いられることを考えると、ある程度の筋肉をつけて身体を動きやすくしたほうがいいと思う。今の兄貴は、完全に骨と皮である。


「いや、だがプロゲーマーはプレイ時間五〇〇〇時間くらいやってる人も少なくないから」

「……うん、そっか、頑張って」


 俺はそれ以上何も言えなかった。我が兄ながら、何とかならない物か。


「待て待て優紀、俺が父さんと母さんの行方を教えるためだけに出てきたと思うのか?」

「それと陰謀論チャンネルを紹介する為だろ」

「違ーう!! 分かってるだろう優紀! 『手伝い』をしろ!」


 俺は溜息をつく。


 彼が言う「手伝い」とは、ゲーム画面を一緒に見て注意するべきことを横でいろいろ言う事である。たしかこれも一種のチート行為だったような気がするのだが、弟は兄に逆らえないので、仕方なく従っている。


「分かったけど、ちょっと待っててよ、風呂済ませてくるから、あと明日も出かける予定あるから十時までね」

「おう、早くしろよ」


 溜息をついて、俺は兄の手伝いをするために風呂を済ませることにした。



「次の物陰、敵が飛び出してくるから構えて」

「裏取りされるからそろそろ動いたほうが良いね」

「スコープで狙われてるから物陰を中心に移動して」


 俺の手伝い方は、完全に性質が変わっていた。


 この間した時は、マップを詳しく見るとか、ライフの減り具合とか、通知読み上げとか、そう言うことが中心で、まさに手伝いというべきものだった。


 だが、今回は手伝いというよりも、指示とか支配に近いものがあった。


「よっしゃ! 一位だ!」


 隣で勝利を喜ぶ兄貴を見つつ、俺は時計を気にする。十時まであと三十分くらいある。一試合十五分として、あと二試合か、その間ずっと手伝い続けるのも面倒で、俺はうんざりしていた。


「なあ兄貴、もう五、六回は一位取ってるだろ、もう俺寝たいんだけど」

「んー、ああ、いいぞ、今日は調子がいいからお前がいなくても大丈夫だ。じゃあな!」


 兄貴は上機嫌で俺を部屋から追い出した。追放系の悪役みたいな台詞に思わず失笑してしまうが、ゲームの手伝いから解放されたので良しとしよう。


「兄貴、お休み」


 恐らく帰ってこないであろう挨拶をして、俺は自分の部屋に戻る。いつの間にか父さんと母さんは帰ってきているようで、階下ではテレビの音と、父さんの愚痴が聞こえてきていた。どうやら贔屓の球団が負けているらしい。


 ベッドにそのまま倒れこんで眠りそうになるが、一応明日の目覚ましだけは掛けておく。あれだけ言って遅刻しました。ではカッコがつかない。


 アラームを有効にしたスマホを、ベッド脇の充電スタンドに立てて、俺は目を閉じる。沢村のおかげで、昨日みたいに緊張とストレスで眠れないということは、なさそうだった。


 目を閉じると、さっきまで手伝っていたからか、FPSゲームの映像が見える。俺があの時やっていた「手伝い」は、画面の情報を読み取ることではなく、幻覚の中で起きていることを報告するだけだった。


 物陰で、出会い頭に近接戦が始まる幻覚が見えればそれを伝え、籠城しているところに背後から攻撃をされる幻覚が見えれば移動を指示して、突然キルされる幻覚が見えれば狙撃を警戒するように言う。


 あらゆることを前もって伝えることで、それの対応がすぐに出来るようになる。俺がやっていることは将来起こりうる不幸をあらかじめ取り除くという、他に存在しないであろうチートだった。


 恐らく相手からしてみれば、今日の兄貴はすごく上手いプレイヤーに見えただろう。そしてゲームの運営も、隣でアドバイスするというアナログなチートを検知できないことだろう。


「……ふぅ」


 簡単に人を殺せるような力で、ゲームのチートをするなんて、馬鹿馬鹿しくてあまりにも滑稽だった。笑いがこみ上げてくるが、これは自嘲的な笑いだった。


――お願い。

――アイ本人の希望だ。私達が口を挟むことじゃない


 アイの言葉が思い出される。そしてレオの言葉も。


 彼女が俺を選んであの世界に引きずり込んだのは、きっとこの能力を買っての事だろう。そう考えると、アイに対して少しもやついた感情を抱いてしまった。


 こんな状況になったのは、彼女が俺の力を欲したからだ。そう思ってしまう心と、もし俺がやらなくて、あの幻覚が現実になれば、彼女は死んでいた。という事実がぶつかり合って、混ざり合い、どうしたらいいのか分からなくなる。アイを助けられたのは嬉しいが、結果として俺は人を一人殺してしまった。怖くてネットニュースは調べていない。喫茶店で聞いたテレビのニュースでは話を聞かなかったので、もしかするとレオ達かスコピオの陣営が隠蔽工作をしたのかもしれない。


 しばらく色々な事を考えたが、結局答えは出ない。だから俺は、そのもやついた気持ちのまま眠ってしまう事にした。



――八月三十一日 朝



「ああああっ!!!! ふざけんなあああっ!!!! もういい!!! 寝る!!!!!!!!!!!!!」


 翌朝、スマホのアラームより早く、兄のブチギレ発狂シャウトで俺は目を覚ました。時計を見ると朝八時前、なんとも健康的な時間である。


 ベッドから降りて着替えると、俺は一階に降りる。下には四人分の食事が用意してあった。


「おはよー」

「おはよう優紀、お兄ちゃんを呼んできてくれない?」

「えー……やだなあ、あいつ機嫌悪いもん」


 席に着こうとしたけれど、母さんに言われて仕方なく二階に戻る。


「兄貴―朝飯出来たけど」

「飯かぁ……めんどくさいから適当に言っといてくれ」

「もう用意しちゃってるから、後でまたカピカピのご飯喰いたくないでしょ」

「あー分かった分かった。行きゃいいんだろ。めんどくせえ……」


 何かぶつぶつと言いながら、兄貴は部屋から出てきた。寝ていないのか、昨日より目の隈が深かった。


「早く降りて来てよ、兄貴」

「待て優紀」


 刺激しないようにそう言って一階に降りようとすると、兄貴に呼び止められた。


「今日はまだ夏休みだろ。一日俺の手伝いやれよ」

「えぇー……沢村と遊びに行く約束したから無理」


 もしその予定が無くても、無理矢理予定を作るつもりだったが、まあとにかく先約があることを兄貴に伝えて俺は再び一階に降りた。


「降りてくるってさー」


 母親を納得させるようにそう言うと、俺は席に着いて両手を合わせる。父さんはもう食事を済ませているようで、空の茶碗を端に避けてニュースを見ていた。


「昨日、沢村さんのところで夕飯御馳走になったんですって?」


 納豆を混ぜていると、母さんがそんな事を聞いてきた。


「うん、今日も沢村と遊んで花火大会見てくる。あいつの宿題終わらせたし」


 だから昼飯と夕飯はいらない。そう言うつもりで今日の予定を伝える。納豆をご飯に落として、味噌汁にちょっと口を付けた後にご飯をかき込んでさっさと食事を済ませることにする。


「おはよー……」


 しばらくすると兄貴が二階から降りてきて、席に着いた。父さんと母さんは、兄貴がユーチューバーをやっていることは知っているので、夜更かしをしていることは知っているのだが、注意してもやめない為、半ばあきらめられている。


『さて。では次のニュースです。昨日未明に倒壊した深河町の古い雑居ビルですが』

「ぶっ!?」


 想像していない場所から不意打ちのように情報が飛んできて、俺は危うく兄貴に納豆の毒霧を浴びせるところだった。


『がれきの撤去作業も終わり、巻き込まれた人はいませんでした』

「あら優紀、大丈夫?」

「だ、大丈夫」

『ですが、きょう未明、再び老朽化した建物の倒壊が――』


 何とかご飯を飲み込み、俺は母さんに手を振る。


 しかし、巻き込まれた人がいない。ということは、あのことも「無かったこと」になっている訳で、俺はその事に少しだけ不気味さと安堵を感じていた。


「しかし、最近は物騒だよなぁ」


 テレビを見ていた父さんがおもむろに口を開く。


「ハワイの爆発テロに老朽化で倒壊したビルだろう。日本でも政治家狙った暗殺未遂とか起きてるし、世の中はどうなるんだろうな」


 ハワイの爆発テロ――沢村が巻き込まれそうになった奴だったか、昨日のネットニュースでは、なんか犯罪組織の声明文が出ていたけど、真偽はよく分からない。


「ま、まあ、なんとかなるでしょ」

「そうだといいがなぁ……」

「あら、お父さん。そろそろ出発しないと遅刻しますよ」


 しみじみと腕を組む父さんに、母さんはそう言って時計を指差す。時刻を見ると、確かにいつもなら父さんが出かけている時間だ。


「おっと、危ない危ない。じゃあ、行ってくるよお母さん……達紀はちゃんと朝起きる生活にしなさい。父さんは心配だぞ」

「あーはいはい……」


 ご飯をさっさと済ませて部屋に戻ろうとしている兄貴に、父さんは少しだけ小言を言って、仕事に出発していった。

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