7. おはよう、早朝風景
「青蓮」
呼ばれて振り返ると、院長先生がそこにいた。何だか嬉しくなって駆け寄ると、「卒業おめでとうな」と頭をなでてくれる。ああそうだ、俺高校卒業したんだっけ。
それから院長先生は俺をじっと見つめて、こんなことを言った。
「これから大変だろうと思うけどな、頑張るんだぞ」
「あ、うん」
これまでも大変だったけどな。でもこれからは、俺が院長先生に今まで育ててもらったお礼をする番だから。
だってのに、院長先生はがっしりした、でもだいぶしわの増えた手を俺の両肩に置いて、言ったんだ。
「何があっても負けるなよ。お前には味方がいる、大丈夫だ」
両手でどんと突き飛ばされて、俺はどこかに落ちていく。
一瞬がくんと衝撃があって、その後ふっと意識が引き上げられる。
目を開けると、ふわふわの羽毛枕と羽布団が俺を出迎えてくれた。俺、真っ白なその中で埋もれるように眠っていたらしい。
「……あれ、ここどこだ」
むくりと上体を起こすと、何やら違和感があった。主に胸、あと着てるのがパジャマじゃなくて……えーと、ネグリジェっていうやつかこれ。何で俺、こんなの着てるんだ。
ぼんやりとした頭のまま胸の違和感を鷲掴みにして、次の瞬間。
「……えええええええええええええええっ!?」
「セイレン様っ!?」
「いかがなさいましたかセイレン様!」
メイドさんが二人駆け込んできた時にやっと、俺は状況を思い出していた。
俺は別の世界に呼ばれてと言うか帰って、ついでに女になったもとい戻ったんだっけ。
「……えーと、ごめん。アリカさんもミノウさんも、お騒がせしました」
「いいえ。まさか夢とは思いませんでしたもので」
「申し訳ありません。セイレン様、お顔をお上げください」
苦笑するアリカさんと相変わらず表情の薄いミノウさんを前に、ベッドの上で正座して頭を下げる。いや、ホントは床でやるべきなんだろうけど降りないでって言われたからさ。
「それにしても、どのような夢をご覧に……いえ、差し出がましいことを申しました」
「あーうん、大丈夫。前にいたところでお世話になった人が出てきただけだから」
ミノウさんの問いに、俺はそれだけを答えた。いや、別に嘘ついたわけじゃないしな。
施設に拾ってもらったその瞬間から、こっちに来る直前まで一番お世話になった人。
昨日まで、俺の父親代わりだった院長先生。
「ああ、それは……」
「ちょっとね、唐突に別れることになっちゃったから。お礼言いたかったなって思って」
「なるほど」
これも本音だから、深刻な顔になったアリカさんも頷いてくれたミノウさんも分かってくれたと思う。
俺やここの人はある程度事情分かったからともかく、向こうは今頃俺が消えたって騒ぎになってたりするんじゃないかなあ。
……ほんと院長先生、ごめん。
「そういうことでしたら、致し方ありませんね。そのうち慣れていただけるとは思うのですが」
「だよねえ。ほんと、ごめん」
ミノウさんの口から出た小さい溜息は、聞いてないことにする。俺だってつきたいよ。
この胸、慣れるのかね。
一息ついたところで、アリカさんがすいと壁の方に移動した。あ、意識してなかったけどそこ、窓か。
壁なんじゃないかって感じで床まであるカーテンを引くと、その向こうにガラス窓と……雨戸? みたいな戸があって、隙間から光が差し込んできてた。部屋の中暗いの、それでか。
「セイレン様。気分転換に、こちらへどうぞ。今日は良いお天気ですよ」
「おー、ほんとだ」
雨戸とガラスが開け放たれた窓の外には、青い空が見える。引かれるように歩み寄ってみると、どうやらこの部屋は二階だったらしい。俺が出てきた部屋も風呂もトイレも同じ階にあったから階段使わなかったし、さすがに気付かなかったなあ。
「……うっわあ……」
んで、見える光景に思わず声が出た。
遠くに山が見えて、その手前に森が広がってる。森の中にいくつか隙間というかぽっかりと空いてる部分があって、そこには木でできてるのかな、屋根が寄り集まっている。ああ、人が住んでる集落か。
……こうやって見ると田舎の街って感じで、育ってきたのとは別の世界だとかちょっと思えない。マジでどこぞの田舎に越してきたんじゃないだろうかとか、そっちのほうが納得できるというか。
胸がなけりゃほんとにそう思い込んでるな、絶対。
「外、こんなんなんだなあ」
「あら、初めてですか?」
「昨日はずーっと屋敷の中しか見てないからな」
アリカさんの疑問にはそう答えるしかない。結局外見る余裕なんてなかったし。
だからそう答えたら、アリカさんは「では今日はお庭を案内しますね」と言ってくれた。さてどこらへんまでが『庭』なんだろうなあ、この家。
「……ん?」
なんか、視線を感じる。窓の下……多分庭からだと気がついて、俺は自分の視線を下に向けた。
「……?」
そこに、少年がいた。
俺より少し下、多分十四~五くらい。黒髪はさっぱりと切り揃えられていて、その下からえらいきつい感じの目が俺を睨んでる。身長はここから見ると分かりにくいけど、多分今の俺と似たり寄ったりじゃないかなあ。
白いシャツに濃いベージュのパンツ、手に持ってるのは木刀って言っていいのかね。日本刀じゃなくって洋風の剣みたいなやつだから。
構えからして、素振りでもしてたのかな。その手のままこちらを、というか俺をじっと見てるそいつに、俺は声をかけた。
「おはよう。何やってんだ?」
「……」
そいつは無言のまま、ぷいとすねたように顔を背けるとそのまま走り去っていった。
はて、俺は何かしたんだろうか?
つーかあれ、誰。
横にいるアリカさんに目を向けると、彼女は何か感心したように頬に手を当てていた。
「サリュウ様、今朝はお早いんですね」
「サリュウ?」
アリカさんが知ってるってことはこの家の子かー、と思ってたらミノウさんが、いつの間にか俺の背後にいた。
「……アリカ。説明していなかったのか? セイレン様が不思議そうにしていらっしゃるが」
「え?」
ミノウさんの言葉で慌てて俺を見るアリカさん。うん、俺説明されてないし。
「私は何も。旦那様か奥様かユズルハさんがしてるものとばかり……」
「……ったく」
ミノウさんは呆れたように肩をすくめた。というか、あんたが説明するという選択肢なかったのか。
……いや、何か説明苦手そうだけど。アリカさんやオリザさんと違って。
でも、あの子のことを言葉で続けてくれたのはミノウさんだった。
「あの方はシーヤ・サリュウ様、セイレン様の弟君です。今年十四歳になられました」
「……弟」
思わず、ぽかんとした。
いやだって、うっかりここんちの子供は俺一人だと思ってたからさ。だから必死に探してたんだって、そんなふうに。思い込みはいかんなあ。
というか、あのくらいの子がいるって時点で、自分のきょうだいだと思わないほうがもしかしておかしかったかもしれない。施設には兄弟分は結構いたけど、結局他人っちゃ他人だったから、同じ屋根の下で他人が生活してても当然、みたいな考え方になってたのかも。
それはともかく、そうか。
「俺、弟いるんだ」
「正確に申し上げれば義理の弟君、ということになりますが」
更に続いたミノウさんの言葉。え、義理?
「……あ、養子?」
「はい。シーヤ家を継いでいただくために、遠縁の家からおいでになりました」
横から顔を出してきたアリカさんの説明にああ、と納得する。
そうだ、この家は領主さまなんだっけ。
跡継ぎがいないとこう、いろいろ大変なんだろう。資産とか村人さんたちとか、相続とか何とかこういろいろめんどくさいことが。
ほんとならひとり娘の俺が跡継ぎだったんだろうけど、何しろ生まれて一ヶ月でいなくなっちゃってるからなあ。
……娘、で何か違和感なくなりつつある自分に呆れてるのはあっちに置いておこう。
あ、でもあれ?
「……跡継ぎいるのに、俺のこと探してたんだ」
「それとこれとは別問題だと思いますが」
不思議そうに首を傾げるのはミノウさん。別問題、と言われればまあ、なあ。
跡継ぎ問題はともかく行方不明の娘を必死こいて探す親、っていうのは俺も分かる。でもさ。
「んー、でもそのサリュウ? にとってはあんまり別でもなくね? 俺が子どもとしてちゃんといるのにさ、いなくなった娘……生きてるか死んでるかも分かんないってのに必死に探してる親のこと見たらさ」
あーくそ、俺何言いたいんだろう。でもさ、ニュアンスで分かってくれないかな。
こう、縁があって親子になったんだからさ。あの両親、ちゃんと大事にしてやったのかね、って思う。跡継ぎとしてじゃなくて、息子としてさ。
俺はなんだかんだいっても院長先生に息子として育ててもらったようなもんだし、俺の中では院長先生は父親だからな。たとえ実は別の世界から来てて、本当は息子じゃなくて娘でしたってもな。
でも事実上親子みたいな関係だったとしても、外からはそう見られるもんじゃない。俺はあくまで、施設で育った孤児だ。そういう目で見られるのは慣れてたし、そういう子が感じる思いも何となくだけど分かるから。
「俺、これまでいたとこでは親無し子として育ってたからさ。何かそいつ、サリュウか、寂しいんじゃないかって思うんだよ」
「寂しい、ですか」
「自分の存在価値認められてないんじゃないかってなあ。子供って、言葉は分からなくてもそういうの敏感だから」
「はあ……」
……あー、自分の言葉遣い、下手くそだなあ。ちゃんと分かるように説明できないのが、ちょっと悔しい。
さて、その弟にとって俺はやっと見つかった姉、になるわけか。中身はどっちかというと兄だけど。
邪魔に思われんじゃねえかなあ、とは思う。でも、せっかくできた弟なんだからせめて、普通には接したい。
今まできょうだいいたことなかったから普通って多分分かってないけどな、俺。
何かこれからいろいろありそうだな。楽しみだけど正直、怖いかもしれない。
その後、服をネグリジェからドレスに着替える。ブラジャーはまた手伝ってもらうはめになりました、というか背中で紐結ぶの大変だろ、これ。
昨日着た水色のやつとよく似た形の、淡い黄色のワンピース。ところどころにレースがあしらってあって、可愛い。着てるの俺だけど。
で、一息ついたところでミノウさんに尋ねられた。
「ところでセイレン様。朝食はどうなさいますか」
「朝食? 食べるよ」
と答えてから気がついた。
昨夜は晩飯、自分一人でこの部屋で食べたんだった。多分、そのことをミノウさんは言っている。
今朝も一人で食べるか、それともってことだ。
一晩休んで落ち着いたのか、胸鷲掴みにして現実を今更思い知ったせいか、俺の答えは決まっていた。
「……あ、うん。今日からは時間が合うなら一緒に食べる。それでいいかな」
「はい。旦那様も奥様も、きっとお喜びになります」
答えを待って緊張していたミノウさんの顔が、ほっとしたように笑ってくれた。
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