4. どうにか、用件把握
「申し訳ありませんでした、セイレン様。先にご案内しておくべきでしたね」
「いや、こっちもまるで考えてなかったから。ほんと慌てさせてすいません」
トイレの入口で待っててくれたユズルハさんに、俺は本気で済まない気持ちになった。
いやだってさ、ここのトイレの使い方、さすがに今女な俺が男のユズルハさんに聞くわけにはいかないだろ。だから使い方はメイドさんに聞こうと思ったんだけど、ユズルハさんも俺を心配してついてきてくれたから。
で、「使い方教えますー」とかって出てくれたオリザさんが、にぱっと笑いながらこっちを見る。あんまり見るんじゃない、ったく。
「でもセイレン様。使い方、聞くまでもなかったですよねえ」
「向こうで使ってたのと、あんまり変わりなかったからな。正直助かった」
そうだった。
構造その他は知らないけど、結局のところ使い方としては俺の知ってる洋式トイレとほとんど変わらなかったんだ。ペーパーがロールタイプじゃなくて、ごわごわで四角のやつが隅っこに積んであったくらいでさ。
あと便座とか陶器でできてるみたいで座ると冷たかったけど、贅沢は言わない。ちゃんと綺麗に掃除してくれてるみたいだし。
「けど、分かってたけどショックだったなー……」
「何がですかあ?」
「……あーいや、何でもない」
オリザさんに顔を覗かれて、慌てて頭を振る。
トイレに行って確認したことは、場所や使い方だけじゃない。あんまり見たくなかったけど、見なきゃしょうがなかったから。
下着の中。うん、見たよ。
あったもんがなくて、ぺったんこ。
俺、マジで女になっちまったんだなあって何かこう、がっくりきたかな。
「セイレン様、大丈夫ですか?」
「あ、うん、大丈夫。ちょっと現実を見てただけだから」
こういうとき、オリザさんの明るい口調は助かる。いや、現実逃避に近いけどさ。でも俺、何か一人じゃないんだーって思えるから。
向こうにいた時は、院長先生がその役だった。こうやって考えると俺、先生に依存してたのかなあ。
あーほんと、せめて一言お別れくらいは言いたかったなあ。
さて、気を取り直そう。トイレ前の廊下で凹んでても始まらないし。
それでふと、ユズルハさんの顔を見上げる。メイドさんたちと顔合わせのために来たんなら、もう用事は済んでる。それなのに、まだここにいる。
他になにか用事あるのかな。聞いてみよう。
「そういや、ユズルハさん。俺の部屋に来たの、メイドさんたちとの顔合わせで?」
「それもございますが、わたくしはもう一つ用件がございまして」
やっぱり。いろいろ大変なんだな、家令っていう仕事は。
部屋からここまで、ちょっと距離あるんだよな。ご不浄だから離してる、ってことらしいけど、さすがに用事聞くのに部屋まで戻るのも何だしなあ。
「用件って何ですか? 何ならここで聞きますけど」
「ありがとうございます。お夕食のことなのですが」
「……あー、そんな時間」
そういえば俺、卒業式の後のパーティ出られなかったんだっけ。到着直前でこっち来たから。
あれは昼飯だったけど、そこからドタバタしてたしなあ。そのくらい時間経っててもおかしくないか。
向こうとこっち、時間のズレあんまりないのかな。それともただの偶然か。ちなみに腹は……ああうん、トイレ我慢してて気が付かなかったけどそれなりに減ってた。応接間でいただいたお茶とサブレのおかげで、少しは保ってるみたいだけどな。
「本来であれば旦那様がたと揃って食堂で取っていただくのですが、セイレン様はつい先程お戻りになられたばかりで心の準備などお有りであろう、と奥様がお気にかけておいででして」
そんな風に言ってくるユズルハさんは、ちょっと困ったような顔をしていた。
つーかあの両親、俺にめっちゃ気を使ってるんじゃないのかもしかして。
初対面、じゃなくって再会した時のあの喜びようだったらさ。ほんとならさあ今夜は再会を祝してご馳走よ、とか言ってもおかしくないんだけど。これ、もしかして貧乏人の思考回路かな。
「セイレン様がご希望でしたら、本日はお部屋でお取りいただけるよう取り計らいますが。いかがいたしますか?」
でも、父さんも母さんも俺に気を使ってくれてる。十八年生きた世界から引き戻して、それでいきなり一緒に晩飯なんて大変なんじゃないかって。
……今日は、その気遣いに甘えても、いいだろうか。
「……ええと、今日は部屋で食べていいかな。まだ頭の中、切り替えうまく行ってないかも」
「承知いたしました。旦那様にはそのようにお伝えしておきます」
俺の中で出した結論を言葉にすると、ユズルハさんは特に表情を変えることなく頷いてくれた。
横で俺を不思議そうに見ているオリザさん、ちょっとは空気読んでくれ。俺にもいろいろ考えることあるんだよ。トイレ騒動の後でそんなこと言ってもあれだけどな。
「お願いします。あと、一緒に食べられなくてごめんなさいって伝えてくれますか」
「はい」
一応、そう付け足してみる。
だってふたりとも、十八年探してた娘と一緒に食事、したかっただろうからさ。
「では、お夕食の準備などはおつきの三名が手がけますので。わたくしはこれで失礼いたします」
「お疲れ様でした。いろいろありがとうございます」
「いえ、これがわたくしの仕事でございますので」
用事が終わったこともあってかちょっとだけ笑ってくれた後、ユズルハさんは深く頭を下げて去っていった。使用人のトップなんだから、元々は父さんについてるんだろうなあ。
明日は、一緒にご飯食べられるかな。施設で食べてたみたいにわいわいと、賑やかに食べるわけにはいかないんだろうけど、でも。
「セイレン様ーあ」
「おわっ!?」
考え込みかけた俺の目の前に、いきなり女の子の顔がドアップで入り込んだ。何か空気読まないんだよなあ、オリザさんは。
「お、おどかすなよなー、何だよ」
「へへ、ごめんなさい。お部屋戻りましょ、セイレン様」
ぺろっと舌出してるあたり、こっちが本気で怒ってないことは分かってるんだろうな。そのくらいは理解できないと、メイドさんなんてやってられないだろうし。
……あれ、実は空気読めてるのかもしかして。
ま、俺の思考はさておいてオリザさんはにこにこ笑いながら言葉を続けた。
「ご飯はアリカとミノウが準備してくれると思うんですけどー、その前に湯浴みとお着替えしてもらいますから。準備しないとですよ?」
「湯浴み。あ、風呂?」
「はい」
なるほど、さっさとメイドさん紹介された理由はそこか。
考えてみりゃ俺、まだ着替えてないからぶかぶかの制服のままなんだよな。さすがにいつまでも、この格好でいるわけにもいかないか。少なくとも靴は履き替えたいし。何回か転びそうになったんだよ、実は。
部屋で一人で取ることにしたとはいえ、そんな格好で食事はないわなあ。服着替えるならその前に風呂、っていうのもごく当たり前だろうし。
「お食事の前に、セイレン様のお身体を清めさせていただきますねー」
「………………は?」
「? どうしたんですかあ?」
えーと、ちょっと待てオリザさん。
『清めさせていただきます』って何だそれ。
「あのー。もしかしてオリザさん、風呂までついて来るわけ?」
「当然ですよー。お身体を洗わせていただくのも、メイドの役目ですから」
「げ」
本気で当たり前、な答え方をしてくれたオリザさんに、俺はかるーくめまいがした。
ここんちって、身体自分で洗わないのかよ。メイドさんに洗ってもらうのが当たり前なのか。
というか俺、ついさっき女になったばっかで自分の裸も確認してないっていうか。いや下は確認したけど。
メイドさんにすっぽんぽん見られる方が先なのか!?
施設の風呂で他の連中と一緒に入ったことはあるけど、でもそれは『洗ってもらう』んじゃなくてせいぜい『洗いっこする』なわけで。
「いやえっと、ここんちだとそれが当たり前なわけ?」
「はい。セイレン様のおられたところでは違うのですか?」
「基本、自分の身体は自分で洗うもん。人と一緒に入るときもそれは同じだし、たまに洗ってもらう時はお返しに相手の背中流したりする」
「はあ……セイレン様、庶民の暮らしなさってたんですねえ」
「そりゃ庶民も庶民。親のいない孤児として生活してたもんよ」
きっぱり言ってのけると、オリザさんは一瞬びっくりしたように俺を見た。それから「……ごめんなさい」と小さく一言。あーうん、あとで皆揃った時に事情ちゃんと話した方がよさそうだな、こりゃ。
俺の事情知っておいてもらった方が、何かいろいろ面倒がない気がする。今後。
「とーもーかーくー。シーヤ家のお嬢様は湯浴みでメイドに身体洗ってもらうのが当たり前なので、慣れてくださいっ」
俺の方も、こっちの事情ちゃんと知って慣れないと駄目だけどさ。
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