3. なんとか、自室待機

「こちらがセイレン様のお部屋でございます」


「えーと。これ全部?」


「はい。ここと、奥の寝室の二部屋になります。手狭でしたでしょうか」


「いや、逆。めっちゃ広い」


 俺が素直に感想を述べると、ここまで案内してくれた黒髪おさげのメイドさんはそうですよね、というふうに苦笑した。俺の感覚はこっちでの普通に近いんだなあ、と何かほっとする。

 彼女に連れて来られたのは、いわゆるファンタジーで言うようなお貴族様の私室、とはちょっと違った。いや、確かにそうなんだけど。

 シンプルなタンスやらテーブルとソファのセットやらが並べられた、ここだけでマンション一室分くらいの広さのある部屋。灯りは真上に落ちてきたら怪我しそうだなあ、ってくらいの小さめのシャンデリア。

 比較対象、さっきの応接間。あれは下敷きになったら大怪我確実、多分あの世行きレベルだった。

 その隣に、それよりはちょっとだけ狭いけど天蓋付きベッドがどんと据えられた寝室。覗いてみると隅っこに書斎机みたいなのがあって、本らしいのがいくつか並んでる。

 俺一人のために、二部屋だって。施設じゃ数人で六畳間に三段ベッド、勉強するのは大きなテーブルでみんな頭を寄せあって、だったのにな。

 おまけに、揃えられた家具がこれまたどう見てもすごくお高いものだ。シンプルなくせに家具もじゅうたんもカーテンも、パッと見て高そうなやつだと分かるのはすごいな。なんて言うか、重みとか深みがあってさ。

 でも、全体的に新しいんだよな。家具の縁とか、あとカーテンとかテーブルクロスとか見れば分かるもん。使い込まれてないって感じ。


「この家具、いつ揃えたんだ?」


「一ヶ月ほど前になりましょうか。成長されたセイレン様をお迎えするために、新しく買い揃えたものでございます」


 メイドさんの答えを聞いて、俺は一瞬言葉を失った。

 俺が帰ってきた時のために、あの親はこの部屋を準備した。

 帰ってくる娘の好みが分からないから、できるだけシンプルなものを揃えて。

 男として育った俺には、これでも少女趣味が入ってるかなあって思えるんだけど、でも。


「……俺が帰ってくるって分かったから、この部屋揃えたんだ」


「はい。ご案内いたします」


 なんて言うか、胸が詰まった俺の物言いにメイドさんは、ふんわりと微笑んでくれた。


 でまあ、いろいろ説明。基本的にモノの名前とか使い方は、俺が今まで暮らしてきたあっちとほとんど変わりないみたいで一安心。シャンデリアが電気じゃなくて魔術仕様だってのは、さすがだと思ったけど。

 それはともかく、まず問題がひとつ。


「こちらの洋服ダンスに、お召し物が揃えてございます。夜着と下着はこちらに」


「はあ、ありがと……下着っ」


 タンスの引き出しを示されて、はっと気づいたその問題。

 俺、身体女になってるんだよなあ。それにそもそも『娘』だし。

 つまり、今後俺が身につけるのはみーんな女物。服も靴もパジャマも下着も。

 うん、最後がある意味一番の問題だ。身体は女でも、中身はつい数時間前までの身体と同じ男なんだぞ。気分的には女装なりコスプレだ。


「いかがなさいました?」


「……そうかー、女物かー……うわあ」


 ごめん、メイドさん。事情聞いてるかどうかは知らんけど、ちょっとだけ頭抱えさせてくれ。

 メンタルが男のままで女の下着って、結構来るものがあるんだよなあ。

 そりゃさ、歩いてる時に微妙に胸が揺れて変な感じしたけどさ。この歳になってブラジャーの意味、やっと分かったよ。あんなのしょっちゅう揺れてたら、特に大きいひとは痛いだろ、付け根とか。


「それでは、しばらくゆっくりなさってください。後ほどユズルハ様が来られますので、入室の許可をお願いします」


「あ、はあ。おつかれさん」


 室内をひと通り説明してくれた後、黒髪三つ編みおとなしめに見えるメイドさんはペコリと頭を下げて去っていった。ばたん、という扉の音は低くずしっとしてて、この家がとんでもなくしっかりした作りなんだなあと感心させられる。

 ひとりになって、改めて部屋をぐるりと見渡す。ソファとテーブルがなくて、施設のガキンチョどもが走ってて、なんていう光景を思い浮かべる。

 なんだかんだ言っても、施設は楽しかったんだよなあ。院長先生がいて、兄貴分や姉貴分がいて、年下のガキどもも走り回ってて。毎日賑やかで、楽しかったんだ。

 それが、ほんの数時間でこんなに変わっちまうなんてな。俺は女で、そもそもあの世界の人間じゃなくて、いいとこのお嬢さんだった。

 それで、ひとりぶんが二部屋だってさ。


「……広いなあ」


 えらい贅沢だぞ、ほんと。

 全体的に女っぽい部屋なのがあれだけど、こっちでは俺は女だということなんでこれは当然か。

 試しにタンスの中覗いてみたら、ドレスが山ほど掛かってた。首が詰まってるやつから、かなり胸元の広いものまでいろいろと。サイズが合うかどうかは、試着してみないと分からん。つーか、合わなかったらどうすんだこれ。寸法直すんならいいけど、新しいの買うぞーとかなったらさすがに止めよう。


「……いやそうじゃなくて。これ着んのか、俺」


 声に出して自分にツッコミを入れる。こうでもしないと、覚悟決められないんだよなあ。

 どうせなら、こっちに引き戻す際にメンタルも女にしといてくれよ魔法使いの爺さん……あ、しまった。名前聞くの忘れてた。

 気を取り直して、下の引き出しに手をかける。そこには多分、女性用下着とかその他いろいろ入ってるんだろう。パンツとか、ブラジャーとか……俺、これからそれと付き合っていかなきゃならないのか。うわー、気が重い。

 ダメだ、開けられない。数時間中に嫌でも見ることになるとは思うんだけどとりあえず、その時まで引き出しは置いておこう。戦わなきゃ、現実と。

 現実、といえば。


「……これ、俺かあ」


 タンスの横に全身ががっつり映る鏡があったから、自分の姿を確認してみる。あんまり癖のない黒髪は、男だったときはものすごく短くしてたんだが今は肩にかかるくらいまで伸びてた。

 それで全体的に細く、ちっこく、丸くなってる。大きすぎて脱いじゃった制服のジャケット、あれ三年着てたから少し小さくなってたはずだったのになあ。

 顔は……元から女顔だって言われてたし、さほど変わらない。ただ細くなって、目が大きくなってる気はする。自分だっていうことを忘れて見れば、まあ可愛い部類だと思う。


 これが今の俺、シーヤ・セイレン。

 元の俺、四季野青蓮は……戻ってこないんだろうなあ。爺さん、何かの魔術で俺が男にされてた、って言ってたもんな。

 もう一度その魔術をかけられたりしない限り、死ぬまでこのままかあ。


「どーすっかなあ……」


 正直に言うと、今日まで暮らしてた世界に未練がないわけじゃない。

 最低、院長先生にお世話になったお礼はしたかった。それに、あの賑やかで狭い施設が俺の家だったんだ。

 だけど、心のどっかで俺は理解してる。この家が俺の本当の家で、この世界が俺の世界で、


 この姿が、俺なんだって。


「……ん」


 そんなことを考えてたら、何か身体が震えた。いや、寒いんでも武者震いでもなくて。


「……やべ、トイレ行きたい」


 世界が違ってもこんなとこは一緒かよ。

 さっきの話し中に結構お茶飲んだし、こっち来る前にもココア飲んでたもんなあ。

 しまった、さっきのメイドさんに聞いておけばよかった。さすがに部屋にはついてないみたいだから、別にちゃんとあるんだろう。けど、部屋から出たら迷う自信がある。トイレに辿り着く前に遭難する自信が。

 参ったなあ、と思ってたらこつこつ、と扉を叩く音がした。ちなみに手でノックしたんじゃなくて、扉の表についてる取っ手みたいなので叩いたんだと思う。この部屋に入ってくる時、何かモンスターみたいのがくわえてた取っ手見てるから。


「セイレン様」


「ん? あ、は、はい」


 この声はユズルハさんか。そういえばさっきのメイドさんが、後で来るって言ってたっけな。何の用事だろう。

 それよりトイレ、我慢できるかな。とりあえずソファに座って、えーと入室許可だっけ。仕えてる家のお嬢さんの部屋に入るんだから、やっぱ必要なんだろうな。


「ユズルハさん? 入っていいですよ」


「失礼致します」


 声をかけたらほんの少し間があって、ユズルハさんがメイドさん三人連れて入ってきた。うち一人はお茶淹れてくれて、ここまで連れてきてくれた黒髪おさげさん。他二人は初めて見る顔、やっぱりたくさんいるんだ。

 そうして、出てきたユズルハさんの台詞に俺は目を丸くした。


「セイレン様専属のメイドをご紹介に上がりました。今後はこの三名が主として、セイレン様のお世話をさせていただくことになりますのでお目通りを」


「専属? マジっすか?」


「シーヤ家令嬢とあらば、至極当然のことでございます」


 そうなのか。

 お世話役が専属で三人もつくって、当然なのか。少なくともこの家では。

 つまり当然、それ以外にもメイドさんはいるわけだ。娘に三人も専属でつけられるんなら、十人以上いてもおかしくないってか。

 だめだ、もう想像の域超えてるわ。ここんち、どれくらい金持ちなんだろう。


 目をパチパチしてる俺に、まずは黒髪おさげさんが笑ってくれた。彼女がここに来て初めて見たメイドさんだから、俺についてくれるって聞いてちょっとほっとした。


「アリカです。今後よろしくおねがいしますね」


 次にほぼ無表情のまま頭を下げたのは、アリカさんの隣に並んだ背の高いふわふわした短髪のメイドさん。あ、胸でかい。自分にも胸ついてから見ると、重くて大変なんだろうなあと思う。


「ミノウと申します。お見知り置きを」


 最後にぴょこん、って感じで頭を下げたのは他の二人よりは小柄な、多分癖っ毛な髪をうなじでひとつにまとめてるメイドさん。表情を見ると、典型的なやんちゃなタイプだな。


「オリザです。よろしくお願いしまーす」


「アリカさんに、ミノウさんに、オリザさん。よ、よろしく」


 ともかく、これから世話になるんだ。ちゃんと挨拶しないとな、と思って頭下げた。途端、思い出すのはただ今俺、トイレ我慢中だったってこと。う、やばい、これは急ぎだ。


「あ、なあ、ちょっと頼んでいい? 緊急なんだけど」


「緊急でございますか!?」


 慌ててみんなに話を切り出すと、ユズルハさんがさっと顔色を変えた。あーうん、俺いろいろあったもんね。でも今だと、ユズルハさんよりはメイドさんたちに頼りたいよ。さすがにあの、状況が状況だからね。


「トイレの場所と使い方、教えてくんない? さっきから我慢してて」


『は?』


 ええいお前ら、ユズルハさん込みで目を丸くするな。

 緊急事態だろう、緊急!

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