2. ともかく、事情説明

 とりあえず動ける程度に服を整えて、おばさん……じゃないや、えーと暫定母さんと一緒に広間の外に出る。おっさんじゃなくって暫定父さん、と魔法使いらしい爺さんが扉を開けてくれた。なお暫定というのは、呼び方は後で考えることにしたからだ。

 扉の外には四十代くらいかな、すらっと背の高い黒髪をきちっと固めたおっさんが控えていた。俺から見ると普通のスラックスみたいなズボンに、上は膝くらいまでのジャケットだかカーディガンだか着てる。黒い服に似合った、わりと整った顔してるな。

 まじまじ見てると父さんが、その人を紹介してくれた。


「セイレン。家令のユズルハだ。我が家の使用人頭を務めている」


「ユズルハでございます。セイレン様、よくぞご無事にお帰り下さいました」


「……はあ、ああ、どうも」


 深々と頭を下げたユズルハさんに、慌ててこっちも軽くお辞儀。家令っていうのが何だか分からんけど、執事みたいなもんなのかね。

 てか、使用人頭って。つまりここんち、使用人が複数いるわけかよ。うわー金持ちー、ドラマかアニメかそこら辺じゃないと出てこなかったわ、そんなもん。

 「ご案内いたします、こちらへ」と歩き出したユズルハさんの先導で、廊下を進む。ここらへんはあんまり厚くないじゅうたんで、足の裏が少し楽だ。いやだって、あんまりふかふかだと慣れてなきゃ歩きにくいって。

 天井が高くて、太い柱がきちんと並んでて、壁は安っぽい壁紙なんかじゃなくてこれ、大理石とかか。継ぎ目が見えないから1枚ずつ、でっかい石を切り出して壁にしてるのかね。やっぱり金持ちだ。

 ……さっきは忘れてたけど、歩いて気がついた。制服はともかく、靴もサイズが合わなくなってて微妙に歩きづらい。こっちにスニーカーとか……なんかなさそうだな。ハイヒールとか履いたら靴擦れするぞ、参ったなあ。


 そんなことを考えているうちに、目的地に到着したようだ。指挟んだら潰れそうなくらい厚い木の扉を開けて通されたのは多分、応接室らしい部屋。

 施設の食堂くらい広いのに、廊下よりはふかふかのじゅうたんが敷き詰められていてその中央ちょっと奥寄りにどっしりとしたソファと木のテーブル。蹴っても動かなそうな重量感がすげえ。

 で、その横にお茶セットが載ったワゴンと、黒髪おさげロングドレスのメイドさんが控えてた。これも一人じゃないだろ、きっと他にもいるんだ。

 壁には大きな肖像画が飾られていて、あと棚に壺とか陶器の人形とか並んでいる。奥にあるの、暖炉かな。あー確かに、こういう世界だとエアコンなさそうだし。


 何をどう見ても、俺には縁のなかったシロモノだ。

 そして多分、ガキの頃の俺が夢に見たもの。

 生まれる世界を間違えた俺、じゃなくて育つ世界を間違えた俺の、本当の家。


 って、いやいやいやいや。落ちつけ四季野青蓮。

 自分でも、どこから突っ込んでいいか分からないよこの状況。


「どうぞ、こちらにお座りくださいませ」


「え、はあ、ども」


 立ったまま考えててもあれなので、ユズルハさんに促されるままにソファに座る。おう、やっぱりふかっとして座りやすいぜ。

 母さんと父さんはテーブルを挟んで、俺の向かいに腰を下ろした。ほんの少し遅れて、爺さんは俺と両親と直角に向いている一人用の椅子に座る。ユズルハさんは足音をほとんど立てずに動いて、父さんの斜め後ろに配置。何か配置って言葉が一番しっくり来た。

 メイドさんが、てきぱきとお茶の準備をしてくれる。食器も白地に金や柔らかな色使いで模様が描いてあって、これ一つでとんでもない値段だったりするんだろうか。お茶も……俺の知ってる紅茶と似て非なる、いい香りだな。

 一緒に出してくれたのはクッキー……じゃないや、サブレかね。どう違うのかよく分からないけど、何となくそっちの言い方のほうが合う気がする。


「さて」


 お茶がひと通り行き渡ったところで、爺さんがくるりと一同を見渡した。思わず姿勢を正したのは俺だけで、推定両親はゆったりと爺さんに視線を向ける。この余裕ある態度、やっぱ何か違うなあ。


「まずはセイレン様、貴方様が巻き込まれた状況の説明からさせてもらいますじゃ」


「……よろしくお願いします」


 爺さんの台詞に、俺は軽く頭を下げた。とにもかくにも、俺がいったいどういう事態に巻き込まれたのかは知りたいもんな。てか爺さん、俺にとってはこの状況が『巻き込まれた』ってのが分かってるっぽいな。


「セイレン様。貴方様のご本名は、シーヤ・セイレンとおっしゃいます。こちらのお二方は貴方様のご両親様。シーヤ家の現当主であられるモンド様、そしてその奥方様のメイア様ですじゃ」


「当主って言い方するとこ見ると、やっぱえらい家なんですね」


「ええ。シーヤの家はこの地域一帯の領主を務めておりますでな」


 シーヤ・セイレン。

 それが俺の名前らしい。あ、苗字が先なんだな。

 そして、今目の前にいる二人が本当に、実の両親らしい。

 正直、実感なんてろくにないし、まだ面と向かって親と呼べるかどうかは分からない。

 父さん、母さんって口に出して呼べるんだろうか。俺。


 大体、領主ってあれか。広い土地持っててそこらの村人働かせるみたいな。

 俺って、そんな家の子供だったんか。

 それこそ実感わかないぞ。というか、向こうの勘違いによる取り違え、とか言われた方がまだましだ。

 ベビーリングっていう物証がなかったら、マジそう考えてるぞ。


「こちらのご両親にとっては少々遅く生まれたひとり娘でございました故、誕生されたセイレン様をそれはそれは可愛がっておりましたのじゃ」


「……」


 そんなふうに言われて、思わず両親に視線を向ける。父さんの表情は固まってたけど、母さんがちょっとだけニコッと笑ってくれたのは何か嬉しい。

 ああ、嬉しいって思えるんだ。

 俺、親に愛されてたのか。

 院長先生にはそれなりに好かれていたし俺も親代わりに懐いてたけど、でもそれはやっぱり親の愛情とはちょっと違うんじゃないかってずっと思っていて。


「ですが、セイレン様がお生まれになって一月ひとつきほどになりましたある夜。ご両親も乳母もほんの僅か目を離した一瞬のすきにセイレン様はお部屋から、いえ、このお屋敷から忽然と消えてしまわれたのです。お名前を刺繍された寝着と、ご両親から贈られた指輪を付けただけのお姿で」


「……は」


 おいおい、なんつー急展開だよとツッコむのは心の中だけにしておく。確かに俺、赤ん坊の頃に施設の側で拾われたんだもんな。状況は合うんだよ。

 そして、ふと気がついた。

 名前を刺繍された服。

 俺が青蓮と付けられた、その理由。

 この世界でセイレンとつけられたその名前、刺繍されたその文字が、向こうの世界でも読めるものだったら。

 ……なんてことを考えてたら、爺さんとメイドさんを除く三人に一斉に頭を下げられた。


「ごめんなさいセイレン、私がもっとちゃんとそばに居てあげられたら……っ」


「いや、警備の指示を怠った私のせいだ。済まなかった……」


「目を離した我ら使用人にも罪はあります。今となっては如何に詫びても許されるものではありませんが、セイレン様には大変申し訳ないことをいたしました」


「……ああ、いや……」


 いやあの、母さんと父さんとユズルハさん。そんないっぺんに謝られても困るんだってば。大体俺が物心つくとかそれ以前の話だもん、まるで覚えてないし。

 それに結局のところ俺はちゃんと十八歳まで大きくなって、こうやって親の前にいるわけだし。


 とはいっても、状況が状況なんだよなあ。

 良い家のひとり娘がいきなり失踪、っていうか生まれて一ヶ月じゃほぼ確実に拉致られたわけか。それも乳母とかって、結構人がいたはずのところから。

 そりゃ、親も凹むだろうさ。というか誰だ、そんな面倒なことしやがったのは。


「……それでもしかして、今の今まで探しまくってたってことですか」


「大雑把に申し上げると、そういうことになります。ご理解いただけたようでなによりですじゃ」


 途中略、で結論をぶっちゃけてみると、爺さんは目を細めて頷いてくれた。ま、細かいこと聞いたところで両親とその周囲の苦労話になるだけだろうしな。

 とはいえ。


「……十八年、探してたんすか。俺のこと」

「当然だろう? 可愛い我が子が行方しれずになったのだからな」


 恐る恐る口にした俺の問いに、父親である人の答えははっきりと帰ってきた。俺を見る目は厳しくて、でもどこか懐かしい感じで。

 ……なんか、すとんと胸に落ちるものがあった。

 理屈でもなんでもなくて、この人が俺の父親だっていう理由のない確信が。

 向こうに置いてきちまった、院長先生と同じような感じだもんな。


 俺、どうやら家に帰ってきた、らしい。

 訳の分からない実感がちょっとだけ、胸の中に湧いた。

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