1. ひとまず、状況確認

 さて、状況を整理してみる。現実逃避ともいう。

 俺、四季野青蓮はめでたく高校を卒業し、生まれてすぐから世話になっている家代わりの施設に帰ってきた、はずだった。

 施設の扉を開けた途端めまいがして、その場にへたり込んだ。

 そうしたらいきなり、どこかのお金持ちっぽい家の大広間かっこ推定かっことじる、にいて。

 おばさんに抱きしめられて、娘と呼ばれている。


 男だったはずの俺の身体は、どうやら女の子になっているらしい。とりあえず胸はある……ってことは多分、下はない。人前で確認する勇気はないけど、多分。

 これが漫画とか小説なら絶叫してるんだろうけど、その時俺の喉は何の役目も果たさなかった。つまり俺は、ぱくぱくと酸素不足の魚みたいなことになってたわけだ。てーか、こうやって状況を整理しないと自分自身パニクってて、まともに頭が働かない状態だったりするんだが。

 よし、おそらく落ち着いた。

 で、まずは目の前にいるおばさんをチェックしてみることにする。俺を娘と呼んだ、その人を。


「おお、セイレン……本当に良かった……」


 俺に抱きついたのは白髪が混じり始めた黒い髪をうなじでまとめてる、五十代くらいに見える上品な感じのおばさん。厚手の、でもさらさらした感触の布でできたドレス着てて、香水か何かのちょっときつい香りがする。感触や匂いが分かるのは抱きしめられてるからだよ、言わせんな。

 んで今気づいたけど、おばさんの後ろで六十そこそこの口ひげ蓄えたおっさんがぼさっと立っていた。あーいや、ぼさっとじゃないや、何かおろおろした顔をしてる。銀色の髪をきちんと整えていて、きりっとしたらかっこいいんだろうな、とは思う。

 状況考えると、おばさんの旦那さんなんだろうな。長い上着とその下にスカートっていうか……バスローブ? あんな感じのゆったりした服なんだけど、やっぱり布はいいやつっぽい。てか上着の襟に入ってる模様、刺繍か。

 そしてもう一人。

 おっさんの横でほっと胸を撫で下ろしてるのは、二人よりも年食った爺さん。さっき成功だ、っつったのはこの爺さんかな。しゃがれた感じの声だったし。

 しわくちゃの顔を囲むように真っ白な髪と髭が長く伸びてて、長いずるずるの黒っぽい……こっちはあんまり高くなさそうなごわごわした布の服着てて、絵本なんかで見るところの魔法使いって感じ。ごっつい木の杖持ってるけど、まさかなあ。


「セイレン?」


「え、あ、はい」


 おばさんに名前を呼ばれて、反射的に返事する。うわ、声高くなってる。マジ女になってんのか、俺。

 それはともかく……いや、結構問題は問題だけど……呼ばれてから、何でこの人は俺の名前知ってるんだろうと思った。制服の胸についてる名札には、苗字の四季野しか書いてないもんな。

 至近距離で見たその人の顔はすっげえ嬉しそうで、それでいて涙で濡れている。そんな顔間近で見せられても、俺はどう反応していいか分からない。優しい人っぽいのは分かるけどさあ。

 そしたら、魔法使いっぽい爺さんが足音をほとんど立てずに近寄ってきた。うん、ずるずるの裾がじゅうたんに擦れて音が出たから気がついたんだけど。

 で、その爺さんは俺を見て、成功だっつったやっぱり同じ声でにっこり笑ってこうのたもうた。


「セイレン様、ご安心めされよ。奥様は間違いなく、あなたのお母様ですじゃ」


「は?」


 おかあさま。

 そんなこといきなり言われてはいそうですか、なんて答えられるか。

 俺は捨て子で、施設で育ったんだ。おかあさんなんて存在、小さい頃は羨ましかったけど早々に諦めたんだぞ。

 授業参観に誰も来てくれないのが当たり前だって、でも院長先生がいるから平気だって。そんな風に意地を張るようになったのはまだ十歳にもならないくらいで。

 いきなり母親が現れてもその、何だ、困る。何が困るのか分からないけど、でも困る。

 何も言えないまま母親、らしいおばさんに目を向けると彼女は、うるうるになった瞳でじっと俺を見つめていた。いや、そんな顔されてもさあ。


「ごめんなさいね、セイレン。こんなに大きくなるまで見つけてあげられなくて。もしかしてもう、指輪はなくなっちゃってるかしら」


「……あ、はあ……え?」


 そのおばさんの口から出た言葉に、俺ははっとした。

 指輪。


「あ、もしかして……あったあった」


 慌ててジャケットの下、シャツの胸ポケットを探ろうとして気がついた。ジャケットの袖、長くなってる。

 まあどうでもいいことだし、手早く袖をたくし上げてポケットに手を突っ込み、いつもここに入れてる手作りのお守り袋を取り出した。その時に触れた何か柔らかい感触を、今は無視する。くっついてるもんはしょうがないし、後回しだ。


「これ、ですか?」


「……! あなた、これは!」


「おお、間違いない。セイレンの誕生祝いの指輪だ!」


 袋の中から小さな小さな指輪を出して見せると、おっさんとおばさんの顔がぱあっと晴れた。

 あ、マジだ。

 ほんとに俺、この二人の子供なのか。


 いやいやいやいや。

 誰の子供とかどうとか言うよりも、根本的な問題が解決してないぞ。一瞬だけ後回しにしちまったけどな。

 そもそも何で俺、胸があるんだ。

 何で俺、この人に娘って呼ばれたんだ。


「おお、申し訳ない。当主様、奥様、最初に一つ申し上げねばならぬことがありますじゃ」


 不意に、爺さんが何かを思い出したようにぽんと手を叩いた。その台詞におっさんもおばさんも振り返り、爺さんをガン見する。というか、俺もだけど。


「セイレン様はこちらに迎え入れるまで、男性の身体をお持ちでしたじゃ。世界を渡るときに、性転換の魔術をかけられたものと思われますのう。幸い、戻ってくる折に術は解けておりますが」


「え?」


「何?」


 魔術をかけられた。

 術は解けた。


 えーと、そうなん? 爺さん。

 というか、もしかしてガチ魔法使いか、この人。

 そもそも術、なんていう台詞が当然のように出てくるんだから、ここはそういう世界なのかよ。うわあ地球ですらないんだ、やべえ。


 それと。

 今の言い方からすると俺、もともと女なの?

 いや、女顔はちとコンプレックスになってたけどさ。あと甘いのが好みとか。


 元が女だって言うなら納得………………できるか、馬鹿野郎。


 正直暴れたいところだけど、目の前のおばさん殴ってもどうしようもないのでやめておく。ちっちゃい頃からいろいろ我慢してきたからな、変なところで我慢強いのだ。


「……男、だったのですか? セイレン」


「はあ、あの、ここに来るまでは、はい」


「通りで……娘の服でないとは思っていたが」


 一方目の前。爺さんの話とさっきからの台詞で推定するに俺の両親らしい二人は、違う意味で困惑しているようだ。

 まあ、そりゃそうだよなあ。どうやら状況的に娘を探してて、その娘が俺だってことらしいけど。

 ついさっきまでその娘が『息子』だったんだよーん、なんて言われても困るだろう。


 改めて、自分の姿を確認してみる。鏡がないから、顔とかは分からないけれど。

 着ているのはしゃがみ込む前と同じ、高校の制服。もちろん男物。胸には名札と、その下に紙製の薔薇の花がついてる。もらった卒業証書は……周囲には落ちてないなあ。途中で落としてきたのかな。

 んで、どうやら俺の胸は割と大きめらしく、今さら気づいたけど着てるシャツがちょっときつい。その代わりにジャケットの肩はがくんと落ちてるわ、手のひらはずり落ちた袖にだいぶ隠れてるわで見るからにぶかぶかだ。くっそ、袖が長くなったんじゃなくて俺が小さくなったのか。

 さらにズボン。長さもあれだけど腰がゆるゆるで、このまま立ち上がったら多分すとんと落ちる。とりあえず、ベルトでうまいこと締められるかな。

 あと、少し髪が伸びてる気がする。卒業式の時とかにはなかった、首筋に触れる感触があるから。手で探ってみると、うん。肩にかかるくらいかな、やっぱり長くなってる。


 今、外から見たら俺はきっと、男子学生の制服を着た女の子に見えるんだろう。というか、身体がそうなっちまってるようだし。もともと女顔でうっかりするとコスプレに見えることもあったから、あんまり変わりないかな。


「セイレン」


 おばさんの後ろでしばらく黙っていたおっさん……おそらくは父親であるらしいその人が、俺の名前を呼んできた。「はい」と普通に返事をしてしまったのは、小さい頃から俺を可愛がってくれた院長先生とどこか雰囲気が似ていたからかもしれない。

 育ててくれた父親代わりの人と似た感じのこの人が、本当の父親。

 俺を何の躊躇もなく抱きしめてくれた人が、本当の母親。

 それが本当かどうか、まだ分からないけれど。


「ひとまず、一緒に来なさい。話したいことがある。自分自身に何があったかは、お前も知りたいだろう」


 ……まずは情報集めないと、俺これからどうしたらいいか分からん。

 だから、素直に頷いた。

 まあ、落ち着いたおっさんの言葉がどこか懐かしい優しい感じだったから、ってのもあるけどさ。

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