第2話 帰るための召喚術式に落書きしちゃったんだ……

 この世界に最弱の勇者として召喚されて、魔族に襲われてから二日が立っていた。あの日、神殿からルネットちゃんに手を引かれて逃げたオレは、アルテラ村に滞在している。


 ここはルネットちゃんの家だ。木製の内装で、室内にはベッドにタンスが置いてあった。


「どうして、こんなことになったんだろうな」


 オレは窓を覗き込んだ。


 適度に伸びた黒髪と黒い瞳。元の世界で着ていたベージュのハーフパンツと白いTシャツは、少し汚れてしまっている。


 小学生の頃から何人かの女子に告白されたことがあり、顔は少しだけいいのかもしれない。


 でも、オレの中身を知って幻滅する女子がほとんどだ。勉強も運動も平均以下で、見た目との落差で落胆がっかりされるらしい。


 そんなオレが勇者だっていうんだから驚きだ。魔族の作戦で選ばれた『最弱の勇者』らしいけど。


「おっと?」


 物思いに沈んでいたオレは、いつの間にか窓の外にいる生き物に気付いた。


 ピンク色の丸い身体から翼が生えていて、ゆっくりと動かして浮遊している。丸い目とクチバシがあり、全体的に丸っこい鳥のような外見だ。

 そのピンク色の鳥は、オレが気付くと慌てて飛び去っていく。


 オレが溜息を吐いていると、ドアがノックされた。


「勇者様。入ってもいい?」


 部屋に入ってきたのはルネットちゃんだった。その手には本が握られている。


「こっちには少し慣れた?」

「あ、いや、まあ」

「そんな簡単に慣れるわけないよね。ごめん」

「別にいいよ。シラノさんは?」

「お父さんは、みんなと一緒に神殿の様子を見に行ってる」


 オレは頷いた。後から知ったけど、シラノさんとルネットちゃんは親子らしい。


「気を紛らわせるために本でも読んであげようかと思って。この世界のことを知ってもらうにはいいかもしれないし」


 本の題名タイトルは『妖精ちゃんと学ぶ、よく分かる神話』。対象年齢五歳、と表紙に書かれているのが気になるけどな。


 あれ、そう言えば?


「いまさらだけど、どうしてこっちの世界の言葉が分かるんだろう。ルネットちゃんたちと会話できるし、文字だって普通に読めるだろ?」

「ああ。それはね、あらかじめ言語の知識を備えているように召喚術式で設定しているかららしいよ」

「へえ、便利なもんだなあ」


 ルネットちゃんはベッドの縁に座り、すぐ横を手で叩いた。オレは照れつつルネットちゃんの隣に腰かける。


「じゃ、読むね」


 ルネットちゃんが読んでくれているこの世界の神話っていうのは、こうらしい。


 古来にはこの世界の創造主が存在した。役目を終えた創造主は世界を平和に存続させるために二柱にちゅうの存在を残して消え去った。それが神界を統べる神と魔界の王である魔王。


 神と魔王はこの世界を存続させてきたけど、永遠に続くその役目に飽きた魔王が離反して世界を滅ぼそうとし始めた。


 神と魔王は直接この人間界には干渉できない。魔王はこの世界を滅ぼすため、自分の肉体を七体の高位魔族に宿らせてこの世界に送り込んできた。


 それに対して神は、自身の力を宿らせた存在を別世界から召喚させ、魔族と戦わせることにした。それが勇者ということだ。


 何人もの勇者と魔族が戦って、ようやく七体の高位魔族を封じ込めた。それでも相変わらず魔族の部下たちは暴れているから、神の力が溜まると定期的に勇者が召喚される。


 高位魔族が封印されてから何百年も経っており、封印の力が弱まっていた。魔族の動きが活性化していて、どうにか魔族を抑え込まなければならない大事な時期に召喚された勇者こそ、このオレ。


 パンッとルネットちゃんが絵本を閉じる。


「どう? 分かりました?」

「うん。とりあえずはね。でも、オレみたいなのが勇者になって迷惑かけちゃったなあ」

「気にしないで! わたしたちだって魔族と戦う手段があるから」


 ルネットちゃんは力強く頷く。


「魔族がこの世界に攻めてきているせいで、魔界の力が人間界こっちに流れ込んできているの。その魔力を利用して、魔族と同じように一部の人間も魔法を使うことができるんだよ」

「もしかして、ルネットちゃんも魔法を使えるの⁉」

「お恥ずかしながら、少々」

「へえ、頼りになるなあ」

「勇者様が元の世界に帰るまで、わたしが魔法で守るから。心配しないでね」


 オレは少し安心する反面、女の子に守ってもらうというのが少し情けなくもあった。


 そのとき家の扉が開く音が聞こえ、シラノさんの声が響く。


「ルネット、帰ったぞ! フウキ様は?」

「うん、部屋にいるよ!」


 オレとルネットちゃんがドアからリビングに入ると、玄関口にシラノさんが立っている。今日は白いローブではなく、麻のズボンとシャツを着ていた。


「フウキ様、お話があります。どうぞ、おかけください」


 シラノさんに促されてオレはリビングの中央に置かれたテーブルの席に着いた。


 リビングは広い一間で中央にテーブル、食器を収納する木製の戸棚や調理器具が壁際にかけられている。部屋の一角には調理用のかまどや、水を溜めた大きな陶器が置かれていた。


 シラノさんがオレの向かい座り、ルネットちゃんがその横に座る。


「先ほど神殿の様子を見てきましたが、結界が破られて魔族の姿がどこにもありませんでした」

「そんな!」

「近くの城へ事情を伝えましたが、まだ応援の兵士が来るまで二日ほどかかるでしょう。この村も安全ではありません」


 シラノさんの言葉を聞いて背筋が寒くなった。


「勇者様、心配しないで。わたしがいるから」


 ルネットちゃんが気遣ってくれるが、オレは声を出すことも、笑みを返すことすらできなかった。


「ご安心を。誤ってフウキ様を召喚してしまったのは、魔族が紛れ込んでいることに気付かなかった私たちに責任がありますから。フウキ様を元の世界に戻して差し上げます」


 シラノさんは立ち上がって自室に入って行った。戻ってきたとき、その手には分厚い本が握られている。


「これは神の奇跡を記述した本です。このなかに勇者を召喚させる術式が書いてありました。同じように勇者を帰還させる術式も書いてあるでしょう」

「何だ、そんなのがあるなら早く教えてくれればいいのに」

「そうですが、召喚術式は大きいため神官総がかりでも形成するのに丸一日はかかります。これから神官を集めますが、とりあえず召喚術式を探してみましょう」


 シラノさんはテーブルの上で本を開き、目次を眺める。すぐにシラノさんは目的の項目を見つけたようだ。


「あった。『勇者を帰還させる術式』だ。……このページです」


 そのページには、術式と呼ぶには歪み過ぎた絵が描いてある。あっちこっちに線が引いてあり、グニャグニャになった動物のような絵もあった。


「これ、すっげえ複雑な術式ですね……」

「いや、これは恐らく落書きで塗り潰されているのです」


 そのショックでオレはテーブルに額を打ちつける。


「わ、わたしが子どものときに落書きしちゃったんだ……!」


 痛む額もそのままに見上げると、ルネットちゃんが両頬を押さえて顔面を蒼白にしていた。

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