第二十一話 朱里の暴走

 それからは大騒ぎだった。

 太医院の医者を朱里が連れてきた時には、宇辰は縛り上げられていた。

 紅天宮内は燭台で明るく照らされており、不機嫌そうな女性衛士と青ざめた明明が跪いた宇辰を囲んでいる。

 朱里の姿を認めた女性衛士が礼をする。


「朱里様。安静にさせよ、とのご命令でしたが、この男が逃げようとしたので身動きが取れないようにしておきました」


 男勝りの女性衛士はフンと鼻を鳴らして言う。


「不意を突かれなければ私がこんなひ弱な宦官に負けることなんて、あり得ません」


「そうですか」


 朱里は苦笑した。

 一度は紅天宮に宇辰の侵入を許してしまったが落ち度はあれど、こうして捕えることができたから上司に知られても不問とされるだろう。朱里は少し安堵した。これだけ騒ぎが大きくなれば朱里一人ではかばい切れないかもしれないから。

 宇辰はギラギラした目で朱里を睨みつけている。猿轡をされているので喋れないようだ。


「大丈夫ですか? 口枷を取りましょう。まずは先生に怪我を診てもらいましょうね」


 朱里がそう言って宇辰の猿轡を外そうとした時──。


「朱里、大丈夫か!?」


 そう血相を変えて紅天宮に飛び込んできたのは憂炎だった。


「憂炎!?」


 朱里は太医院に向かう途中にあった侍医院と紫天宮の衛士に伝言を残しただけである。それなのに憂炎が真っ先にやってくるとは予想外だった。

 突然の皇帝の来訪に、室内にいた人々は騒然となる。


「朱里、無事か? 怪我は!?」


 そう言って憂炎は朱里の体をあちこちを確認してから、朱里を抱きしめた。


「大丈夫ですよ。私は怪我一つしていません。宇辰……浩宇さんが転んで気絶してしまったので、医者を呼んだのです」


 その時、天祐が慌てた様子で紅天宮に入ってくる。


「朱里、大丈夫か!? 侍医院の衛士からお前からの伝言を聞いていたら、一緒にいた主上がものすごい勢いで走り出してしまって……」


 義兄は息を荒げていた。走ってきてくれたのだろう。


「お義兄様……」


 朱里は心配をかけてしまったことを申し訳なく思う。


「無事で良かったが……いったい何事だ?」


 憂炎は訝しげな表情だ。

 朱里は何と説明するか迷う。


(恩人の宇辰さんの罪を何とか軽くしてあげたいのですが、どう言えば良いのか……)


「えっと……浩宇さんは私に伝えたいことがあって、いらっしゃったようです」


 歯切れの悪い朱里の言葉の後に、説明を重ねるように明明が言う。


「こちらの刃物が落ちておりました。朱里様の物ではありません。おそらく、その宦官に持ち込まれたものかと」


 明明が布に包まれた刃物を掲げると、憂炎と天祐の顔色が変わった。


「朱里を乱暴し、命を狙おうとしたのか。畜生のやることだな。その男を牢屋へ連れて行け!」


 憂炎の罵声に、朱里は慌てた。


「憂炎、お待ちください! 宇……浩宇さんはそんな方ではありません! 私の恩人なのです……!」


 憂炎は冷たい瞳で朱里を見据える。


「かばい立てするなら、お前にこの男との不義密通があったものと見なす」


「そんな……」


 宇辰との姦淫を疑われたら、皇帝の妃でありながら夫を裏切った罪で朱里は処刑されてしまうだろう。


(それは困ります! また至高の毒にめぐり合うためには、まだ死ねません。でも宇辰さんのことをどうしたら良いか……)


 事の成り行きに朱里は呆然としてしまう。

 憂炎は苛立ったように髪を掻き上げて嘆息した。その表情には自己嫌悪の色がある。


「……悪い。お前がその男をかばうから嫉妬してしまった。本当にお前の不貞を疑っているわけではない」


「そうですか。良かった……」


 朱里は安堵して胸を撫でおろす。

 しかしギラリと眼光鋭く、憂炎は言った。


「だが、その宦官は詳しく尋問する。朱里の宮に押し入ったことは許せることではない。おそらく一人の犯行ではないだろう。背後に誰かがいるだろうからな」


 頭に血が昇っている憂炎を押し留めることができなかった。これ以上朱里が宇辰をかばえば、取り返しのつかないことになりそうだった。

 憂炎と天祐が紅天宮から去るのを見送った後、朱里は膝から崩れ落ちた。

 宇辰も衛士に連れて行かれたので、室に残っているのは朱里と明明だけだ。

 朱里は落ち込む。


「宇辰さんを救えませんでした……」


 明明は眉を寄せた。


「宇辰? それって文家の邸にいた道士ですよね? 見た目は全然違いますが……あれ? 確かに言われてみたら少し似ているような……」


 ブツブツと明明はつぶやいている。

 朱里は先程から動揺のあまり宇辰の名前を口にしてしまっているのだが本人は気付いていない。ただ朱里の胸の内は後悔と悲しみに染まっていた。


(お義兄様の宇辰さんへの疑いを晴らして差し上げようと思ったのに、まさか逮捕されてしまうとは……)


 どんどん事態は悪くなっている。どうやったら宇辰の無実を証明すれば良いか分からない。

 朱里はその時、天啓のようにひらめいた。


(ハッ! そうです! 宇辰さんは勝峰様が私に毒をくださっていたのに、私の察しが悪いから知らせにきてくださった忠義の方です! それならば、勝峰様に宇辰さんの来訪の意図を皆さんに伝えてもらえれば誤解が解けるのでは……)


 うまくいくかは分からないが、やらないよりは行動した方が良いだろう。

 朱里は明日、勝峰に何とか言葉を交わす機会を設けようと心に刻むのだった。

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