第十八話 ひび割れた友情
宇辰は起こった事態が信じられなかった。
(あの小娘に化粧品に鉛粉や軽粉を混ぜて、ゆっくりと中毒死に追いやってしまおうと思ったのに……なぜ鉛粉と軽粉が規制されてしまうんだ!)
内務府と侍医院が厳しく精査するようになってしまったので、後宮内に毒入りの化粧品は持ち込めなくなった。それどころか、街でも国の許可を得た専門業者以外は鉛や水銀を仕入れられなくなっている。これまでは簡単に手に入ったのに。
五年前の美玉の毒殺未遂の時と同じやり方だった。あの時は
「今日は天気が良いので百花園散歩はいかがですか?」
そう侍女が皇太后に尋ねる。宇辰は居間の傍らに立っていた。
宇辰がいるのは紫玉宮という青蝶の住まいだった。そこで宇辰は首領宦官として働いているのだ。全て
「ううん……どうしようかしら」
窓辺に頬杖をついて、青蝶は悩んでいるようだった。
宇辰から見ると、青蝶はとても内向的な性格だった。それでも五年以上前は友人である美玉とよく交流する姿も見られたが、美玉が己の宮にこもるようになってからは外に出歩くこともほとんどなくなった。今では人と会話することも億劫なのか、誰かが話に来ても話をすぐに切り上げてしまう。
「もしかしたら美玉様も庭園に出ていらっしゃるかも。最近は少しお元気になられたようで、天気の良い日は百花園を散策なさっているようですよ」
「美玉が?」
宮女の言葉に、青蝶は顔を上げた。
そして少し考えるようにしてから言う。
「……行ってみようかしら」
珍しく青蝶が出歩くことに同意したので、侍女達は顔を輝かせた。
「それでは支度します!」
そして皇太后らしい豪奢な傘を宦官達が掲げ持つ。身につけているのは黄の
「紅と白粉を付けますか? 小鈴様と朱里様という主上の妃が作ったという白粉がありますが」
侍女が容器に入った白粉を示す。青蝶は一瞬だけ迷った様子だったが首を振る。
「……化粧は良いわ」
そして強張った表情で宇辰をちらりと見つめる。宇辰は意味ありげな笑みを浮かべた。
青蝶が化粧を忌避するようになったのは、彼女が親友に何度も贈っていた白粉や美容水に宇辰が蟲毒や砒素を混ぜ込んだからだ。それを後で知った青蝶は宇辰をひどく責めたが、それが弟である勝峰の意志なのだと伝えると押し黙った。昔から彼女は残酷な弟に怯えている。勝峰はさらに皇帝の後継者候補を増やすことを嫌がり、寵妃である美玉の腹の子を流産させ、美玉を殺そうとしたのだ。
青蝶は気弱ゆえに家族の咎を責められるのを恐れて罪の告白もできなかった。発覚すれば彼女も処刑されてしまうからだろう。
──だが予想外だったのは、美玉が服毒による自殺未遂をほのめかしたことだ。そして憂炎が即位すれば皇太后になれたのに、皇太后の座は固辞して
(本当は俺をそばに仕えさせるのも嫌なのだろうに……)
言葉や視線の端々から宇辰を忌避しているのが伝わる。だが、情け容赦がなく野心家な弟の命令を無視することもできないのだ。
百花園は初夏の花々が咲き誇っていた。池には咲き始めた蓮の花が彩っており、鯉の跳ねる音が涼やかだ。橋の上から侍女達とそれを眺めていた青蝶は、遠くに知り合いの姿を見つけて凍り付く。
美玉だった。四十前だろうに、とてもそうは見えない細身の麗人だ。ずっと碧玉宮に引きこもっているせいか肌は白く、まるで天女のような美しさである。どこか憂炎の面影もあった。それに何故か朱里と小鈴も一緒だ。
青蝶はそちらを凝視して、美玉に声をかけようとしたのか口を開きかけて──すぐに閉じて足早にその場から離れようとする。
それに気付いた美玉が「あっ……」と声を漏らすが、青蝶は聞こえていない振りをしたようだった。
主の背を追いかけながら、宇辰は内心、青蝶を馬鹿にしていた。
(もう五年も会話していないのだから、くだらない友情ごっこなど捨て置けば良いものを……青蝶は勝峰様と違って気が弱すぎて、うんざりする)
美玉からしたら、親友だと思っていた青蝶に裏切られた形だ。
青蝶は美玉に声をかけたい意思はあるが、負い目を感じて実行に移せずにいるのだ。心底馬鹿らしい、と宇辰は思う。
(我らの目的は、青蝶の息子である秀英様を次の皇帝にすることだ。そのために邪魔な者を始末することに迷いはない)
それが宇辰達の【黒牡丹】の繁栄にも繋がるのだ。
(いずれ俺は【黒牡丹】の統領になる……! そして愛する蘭玲様を娶るのだ!)
その未来を想像して、宇辰は愉悦を覚える。
(そのためにも、あの憎き朱里を亡き者にしなければならないが……毒で始末しようとしてもまったく効果がない)
どうするべきか、と悩み、宇辰はひとつの方法を捻りだした。
(こうなったら実力行使しかない。夜中に紅天宮に忍び込み、朱里を暗殺してやろう)
◇◆◇
朱里は小鈴と一緒に美玉の元を訪ね、一緒に百花園を散策することになった。その途中で桟橋の上に皇太后である青蝶の姿を見つける。
「あっ……」
美玉は驚き口を開きかけたが、青蝶は早々に去ってしまった。
(あら? あの後ろ姿と歩き方は宇辰さんでしょうか)
そういえば、宇辰が皇太后の宮の首領宦官として働いているから気をつけろ、と義兄から言われたことがあった。気をつけろと言われても朱里は何に気をつければ良いのか、さっぱり分からなかったが。
(お義兄様は宇辰さんの善意を疑いすぎですね)
「青蝶様、行ってしまわれましたね」
小鈴が不思議そうに首を傾げている。彼女から見ても皇太后の態度は違和感があったのだろう。
美玉は困ったように微笑む。
「お話したいのだけど、なかなか機会を与えてくださらなくてね……」
その寂しそうな横顔に、朱里は目を丸くする。
「青蝶様に何かお話をしたいのですか?」
「……ええ。少し……確認したいことがあって。彼女の本音を知りたかったの。でも怖くて、私も勇気がでないから……」
ぽつりと呟く美玉の儚げな様子に、朱里は何かしてやりたいという思いに駆られる。
「それなら、私がどうにかお二人が話し合える時間を設けられるようにしますよ」
「……本当に?」
「ええ。青蝶様にお話してみます……でも、できなかったら、すみません」
頭を下げる朱里に、美玉はゆっくりと首を振る。
「そうね……じゃあ、お願いできるかしら? でも無理強いはしないで。青蝶の意思を尊重してちょうだい」
「もちろんです」
朱里は首肯して己の胸を叩いた。
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