第十七話 白粉
水天宮に先触れを出して、朱里は天祐と向かった。
小鈴は退屈していたのか快く出迎えてくれた。美形な義兄を見て、かなり興奮した様子で朱里に耳打ちした。
「何なの、あの人!? あの若さで侍医頭って本当なの!? しかもめちゃくちゃ美形じゃない! もう私皇帝狙うのは止めて天祐様にしようかしら……」
変わり身の早さがすごい。
本気が混じった呟きに、朱里は「あら」と目を丸くする。
義兄はとにかく人気がある。朱里は何度も義兄目当ての女性達から贈り物を──実際のところは
「どうぞ、中へ」
小鈴に促されて朱里と天祐は居間に向かった。椅子が一脚追加で用意されていたので、朱里は下座に腰掛ける。
天祐が口を開いた。
「じつはこうしてご挨拶に参りましたのは、脱毛剤の件で気になることがございまして……お耳に入れていただきたいことがあったからなのです」
そして脱毛剤に多量の砒素が混ざっていることを告げると、小鈴はみるみるうちに青くなった。
「ち、違うわ! 私は朱里を害そうなんて思ってない! 私もそれに毒が混ざっているなんて知らなかったのよ……!」
そう弁解する小鈴に、朱里はゆったりと微笑んで首を振る。
「小鈴、誤解なさらないでください。私は小鈴の真心を疑ったりしていません。毒が入った化粧品なんて、巷でもよくあるのです」
朱里には被害はほぼないが、普通の人々にとっては違う。
(近いうちに憂炎に進言しましょう。できれば規制を検討してもらうべきですよね)
「これは内務府の不手際です。もっとしっかりと宮女が持ち込んだ物を調べるべきでしょうに」
そう天祐も嘆息した。どうやら、彼の目でも小鈴の無罪の判決が下ろされたようだった。
「私、何度も使ってしまっていたわ……」
血の気が失せた顔で小鈴は呟く。
天祐は慰めるように言う。
「すでに使ってしまったものはどうしようもありません。今後は使わないようにして、しばらく様子を見ましょう。おそらくすぐに重篤な症状が表れるわけではありません。それなら騒ぎになるはずですから」
小鈴は首肯し、重くため息を落とした。
「知らなかったとはいえ、朱里には申し訳ないことをしたわ」
「お気になさらないでください。私はまだ使っていませんでしたし」
それに使っていたとしても朱里には無害だ。だが、毒を無毒化できることは義兄に秘密にするよう言われているので黙っておく。
「……こうなってくると、他の化粧品も使うことが怖くなってくるわね。天祐、私の他の美容水や化粧用品も調べてくれるかしら?」
そう小鈴に頼まれて、天祐はうなずく。
「もちろんです」
そして小鈴は机の上に美容水や白粉や紅を並べる。それらは水天宮の宦官によって侍医院まで運ばれることになった。
そして後日、白粉には鉛粉と軽粉──つまり鉛と水銀が使われていることが分かった。
朱里はその報告のために二日後に水天宮へ向かう。
小鈴は前回と打って変わって化粧っ気のない顔だった。意気消沈している。
「何だか怖くなってしまって、お化粧ができなくなってしまったの。美容やお化粧が大好きだったのに、もうできないなんて……暇な後宮生活の慰めだったのに」
そう言って頬杖をついてため息を落とす小鈴の姿を見ると、気の毒になってきた。
(小鈴はお洒落好きですからね……今までの楽しんでいたものが使えなくなるのは、さぞ無念でしょう)
と、そこまで考えて朱里はひらめいた。
「成分が心配ならば、自分で作ってしまうのはどうでしょうか」
「自分で……作る?」
思ってもみないことだったのか、小鈴はきょとんとしている。
「ええ。たとえば
当惑している小鈴に向かって、朱里はなおも続ける。
「黄烏瓜は薬園で育てていますし、主上とお義兄様に許可をもらえば分けていただくこともできるでしょう。足りない材料は取り寄せることもできますから、お手伝いしますよ」
「それ、すごく良い考えだわ!」
興奮した小鈴が朱里の手を握る。
「そうだわ! 真珠や虹色貝殻を粉状にして混ぜたらキラキラして綺麗かもしれないわね!」
目を輝かせて言う小鈴に、朱里は微笑む。
「それは良い考えですね。きっと陽光の下で煌めいて見えるでしょう」
そう朱里は同意したのだが、小鈴は突然動きを止める。
「体に良くないと分かっているけれど、あの美容水は返してもらえないかしら」
小鈴の言葉に朱里は悩む。
「う〜ん、どうでしょう……小鈴が持っていた化粧品の中で一番毒性が強かったのが美容水だったのです。危険なので返していただくのは難しいかもしれません」
「そっか……」
残念そうな小鈴に、朱里は気遣う。
「大事なものだったのですか?」
「ええ。美玉様にいただいたの」
「美玉様?」
突然出てきた皇帝の生母の名前に、朱里は目を丸くする。
小鈴は困ったような表情をした。
「私の憧れの方なの。美玉様のようになりたくて、私は美容を頑張っていたのよ」
「お二人は交流があったのですね」
朱里の言葉に、小鈴はうなずく。
「ええ。私は幼い頃に母親に連れられて、伯母の青蝶様に何度か会いにきていたの。その時に伯母様の親友だと言われて美玉様を紹介されてね、それから仲良くしていただけて、お化粧のやり方も教わったのよ」
懐かしむように小鈴は目を細める。その表情に、美玉に毒を盛られたのではないかと疑う様子は微塵もなかった。
「きっと美玉様も体に悪い美容水だと知らなかったんだわ。同じものを愛用なさっていると聞いたし……もったいなくてほとんど使えてなかったけれど、それが幸いしたわね……」
小鈴は複雑そうな表情だ。憧れの人にもらった物だから使えなかったのだろう。
「美玉様は病で臥せっていらっしゃって、なかなか碧玉宮から出てこられないみたい……青蝶様と一緒にいらっしゃる姿も見かけなくなったわ……もし私が白粉を作って差し上げたら、美玉様は喜んでくださるかしら」
どこか不満をにじませた小鈴に、朱里は自信を持ってうなずく。
「きっと喜んでくださいますよ」
その言葉に背を押されたように小鈴は微笑む。
「美玉様は気丈な人で自殺するような人とは思えなかったわ。私は次に会う約束もしていたのよ。約束を反故にするような方ではないし、憂炎という東宮様もいたのに、どうして自殺未遂なんて真似をなさったのかしら……」
朱里はふと、会ったことがない美玉の姿を脳裏に思い浮かべる。砒素が大量に入ったお茶を飲んで倒れていたという。そばの化粧台には小鈴にも分け与えたという愛用の美容水。砒素入りの……。
(まさか美玉様は美容水や化粧品に入った毒で流産して、その後に倒れてしまったのでしょうか……?)
だとしたら砒素入りのお茶は後で用意されたものだろう。
しかし何のために美容水に毒が入っていたことを隠すのか分からない。
(いえ、本人が自殺しようとしたと証言しているのですから、自殺未遂のように見せかけた、というのは考えすぎでしょうか?)
朱里はムムムと首をひねって考えることをやめた。分からないことは悩んでも仕方ないし、そういうのは義兄の得意分野だ。朱里の特技は毒を食べることである。
「頑張って自家製白粉を作りましょう! そして美玉様や青蝶様にも差し上げましょう!」
気合を入れる小鈴に、朱里は「お〜〜〜!」と、気の抜けたのんびりとした掛け声を上げるのだった。
朱里は黄天宮で憂炎の食事の毒見を終えた。
「毒はどれにも入っていませんでした」
そう言って、
最近は毒への警戒が少し薄れてきたのか、憂炎は銀皿だけではなく金皿や玉皿も使うようになってきた。
(毒見役冥利に尽きますね)
未だに銀箸は欠かさないが、かなりの進歩だ。
(憂炎が少しでも安心して食事できるようになってきたのなら良いことです)
卓の上には火鍋、玉米パン、羊肉のあぶり焼きなど豪勢な昼食が並んでいる。先にたらふく食べて満腹になっていた朱里は、火鍋から玉皿に憂炎の食べやすい量をよそっている最中に声をかけられる。
「最近は後宮がにぎやかだな。水天宮の小鈴と一緒に白粉を作っていると聞いたぞ。しかも、かなりの出来で後宮の女達が皆欲しがっているとか」
「あら」
朱里は目を丸くする。小鈴と作った白粉の話は憂炎にまで届いていたのだ。
憂炎は少し躊躇いがちに言う。
「……母に、白粉をくれたそうだな。あんなに嬉しそうな母を見たのは久しぶりだ。療養していたから化粧など長いことしていなかったが、白粉で血色が良くなって気持ちが上向いたのか、新しい衣装も仕立てることにしたようだ……礼を言う」
「いえ、私は大したことしていませんよ」
化粧品に色んなものを混ぜて試験を重ねてきたのは小鈴だ。
朱里は日常業務もあるので、一番作業に関わっていたのは小鈴と言っても良いだろう。もちろん朱里も時間が許す限り協力していたが。
完成した試作品は他の妃や宮女達に任意で試してもらい、これならば、と二人で三月かけて制作した自信作だ。
小鈴とは今では親しい朋友と呼べるほどの仲になっている。
「いや、小鈴に先日会ったが、小鈴はお前がいなければ白粉なんて作れなかったと褒めていたぞ。知識と実行力を備えている、すごい才能の持ち主だと。侍医としても妃としてもこれ以上ない人物だと話していた」
陰で小鈴から褒められていたことを知り、朱里は面映ゆくなる。照れのあまり頬が熱くなり、誤魔化すように頬を手で押さえた。
憂炎は優しい笑みを浮かべる。
「それに、お前に鉛粉と軽粉の規制を強化するよう進言されたからな。後宮内での化粧品は侍医に調べさせ、危険なものは宦官達に捨てさせた。……小鈴が持っていた美容水と同じものが皇太后の住まいである
「まあ! 青蝶様もお使いだったのですね」
小鈴が持っていた美容水は美玉からもらったものだと言っていた。
(美玉様と青蝶様はご親友だと小鈴もおっしゃっていましたから、同じものをお使いになっていたのでしょうか)
憂炎は餡かけを口に運びながら言う。
「小鈴は街でも鉛粉と軽粉の化粧品への使用は強く規制して欲しいと奏上してきた。その上で、手製の白粉を庶民向けに城下で売り出したいと」
それは小鈴とも話し合い、朱里も賛同したことだ。
「はい。我々が作った白粉の使用感は鉛粉や軽粉にも劣りません。白粉を売って得た収入は材料費や人件費を除いて、主上に献上します」
小鈴も朱里も実家は裕福でお金には困っていない。それなら利益は国の資金にしてもらう方が良いだろうと考えたのだ。
「それはありがたい話だが……良いのか?」
笑みを浮かべて尋ねる憂炎に、朱里は力強くうなずく。
「はい。そもそも黒字になるかも分かりませんし。利益が出た時だけの話です。それに私達は後宮妃ですから、私達が得たものは陛下のものでしょう」
官吏の中には身分の高い妃が商売をすることに難色を示す者もいる。働かないことが女の社会的地位を表しているためだ。だから彼らを黙らせるためにも、もし収入があった際は国に奉ずるのが一番だ、と朱里も小鈴も結論づけた。
「本当にお前は妃の鑑だな」
憂炎は感嘆したように息を吐く。
朱里と小鈴が作った白粉は国内に瞬く間に広がっていった。それは朱里も驚くほどの速さで、生産が追いつかないほどだった。
そうして朱里と小鈴の白粉は国内の一大産業として発展していくこととなる。
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