第十四話 毒まんじゅう
黄天宮での食事を終え、朱里はトボトボと侍医院へ向かって歩いていた。
(はぁ~~~、毒が食べたいです……)
毒のことを考えると、やっぱり口の中が物欲しくなってしまう。
憂炎の食事は文句なしに豪華で美味しいが、それに毒が混入していたらさらに美味に違いない、と欲深く考えてしまうのだ。
(実家からお義兄様に内緒でこっそり持ってきた毒キノコさん達も、もうすぐなくなりそうですし……侍医院の薬棚には薬も毒も豊富にありますが厳重に鍵で管理されていますし、当然理由もなく分けていただくことはできませんからね……)
朱里は毒が食べたくて仕方がない。あの蘭玲からもらった蟲毒の味を忘れたことなんて一日たりともないのだ。未だ至高の毒に巡り会えない我が身にため息が落ちる。
「でも蘭玲からは、もういただけませんし……」
自分は後宮に入っているし、蘭玲は親戚の家だ。会う機会もない。
いっそ自分で蟲毒を作ってみれば良いのかもしれないが作り方が分からなかった。前に一度義兄に相談したことがあったが、「道士なら知っているかもしれないが……」と言葉を濁されてしまった。
再び重いため息を落とし、朱里が石畳を歩いていた時のことだ。
近くの門から飛び出てきた宦官の衣装をまとった男性にぶつかりそうになる。
「わっ……」
朱里がのけぞると、相手は深々と腰を折った。
「す、すみません! 急いでいたもので……っ」
「え……? あれ? もしかして
相手の声に聞き覚えがあって、朱里はそう尋ねた。邸に滞在していた蘭玲と交流のあった道士の青年にそっくりだったのだ。
「ええっ!? な、何をおっしゃっているのです!? 私の名前は沈
宇辰の声は驚きのせいか裏返っている。
「そんなことはないと思いますが……
朱里は首を捻った。
確かに今日の宇辰は、声音を意図的に高くしているのか女性めいている。それに
「だから違いますって!!」
ひどく焦った様子で宇辰が言うので、朱里は「ふむ……」と首を傾げた後に納得したようにうなずいた。
「すみません。どうやら私の勘違いのようです。知り合いに似ているような気がしたので……失礼いたしました」
(きっと宇辰さんは事情があって身の上を隠しているのですね。それならば知らない振りをしておきましょう)
道士なのに宦官の格好をしているのも奇妙だ。おそらく何か言えない理由があるに違いない。それなら無理に正体を暴くのは失礼だろう、と朱里は思った。
「そ、そうですよ! 理解してくださって良かった!」
「ええ。私と宇……いえ、浩宇さんはまったく知り合いではありません。それでは失礼いたします」
そう言って朱里は身を翻して去ろうとしたのだが──。
「ちょっと待った! 先ほど驚かせてしまったので何かお詫びがしたいのですが……っ」
宇辰が慌てたようにそう言うので、朱里は目を丸くする。
「いえ、そんな。お気になさらず。ぶつかったわけでもありませんし……」
「いえいえ、それでは私の気が済みません。どうか、これを召し上がってください」
そう言って宇辰は懐から笹に包まれた塊を朱里に押し付けた。
「
「まあ! いただいて良いんですか?」
「どうぞどうぞ!」
宇辰はもう絶対に返しても受け取らないぞ、という雰囲気を醸し出している。
「……それでは遠慮なく。ありがとうございます」
普通ならば見知らぬ相手から食べ物をもらったら警戒するところだが、相手は知り合いだ。しかも宇辰は朱里の目を治すために蘭玲と協力して蟲毒を与えてくれた善人だ、と朱里は誤解している。
会釈して別れ、朱里はホクホク顔だ。
二度蘭玲から蟲毒が入ったお手製料理をごちそうになったが、どちらの蟲毒も宇辰が関わっているのだろうと朱里は確信していた。
自然と朱里の期待がふくらむ。
(宇辰さんがお饅頭をくださるなんて……もしかして、これにも蟲毒が入っていたりして? 私が毒好きなことに気づいて貴重な蟲毒をくださっているのかもしれません! なんて良い人なんでしょう……!)
朱里は我慢できずにその場で笹を開き、口に放り込もうとしたところで──ひょいっと隣から伸びてきた手に奪われてしまう。
「あっ、お義兄様」
そこに立っていたのは眉を寄せている天祐だった。
「朱里、遅いから迎えに来たぞ。貰い物を何でも口に入れるんじゃない。皇城では用心しろと言っただろう。もしかしたら変な物が入っているかもしれない。痛んでいるかもしれないし」
「変な物なんて入っていませんよ! 先ほどの方は知り合いですし」
「知り合い~? お前、いつの間に宦官と仲良くなったんだ?」
天祐は形容しがたい変な表情をしている。
朱里は何とか饅頭を奪い返したかったが、義兄の方が背もずっと高いため手を頭上に延ばされてはどうしようもない。
「お義兄様!」
「まあ待て。俺が確認する」
そう言うと天祐は近くの門をくぐって人けのない中庭に入ると、朱里の髪に差していた銀の
そしてそれを饅頭に突き刺し、しばらくして簪を抜くと黒く染まっていた。
「毒だ」
天祐が顔色を変える。
手に持っていた饅頭を千切り、鼻を近付けた。
「これは……臭いがないから調べてみないと何の毒か分からないが、
「食べてみても良いですか?」
「駄目だ。やむを得ず毒見係になることは許したが、本当はできるだけ毒食して欲しくないんだ。たとえ体に害がなかったとしても、お前が苦しむところは見たくないからな」
そう言われて、朱里はぐっと言葉に詰まった。
(お義兄様は心配してくださっているのですね……)
砒素ということは無味無臭だろう。つまり朱里としても味が好みなわけではなく、ただ毒を無毒化するまで体が苦しいだけだ。
朱里が毒食を好んでいるのは一部の毒の味や苦み、痺れが癖になるからであって、決して苦痛を喜んでいるわけではない。徐々に解毒時間も早くなっているが、痛みがないならないに越したことないのだ。
「ご心配かけてすみません、お義兄様。助けていただいて、ありがとうございます」
朱里が素直にそう謝罪すると、天祐は嘆息した。
「分かれば良い。……それにしても先ほどの宦官、朱里に毒を盛るとは許せないな。主上に伝えて
語気荒く言った天祐に朱里は慌てた。
「お義兄様、待ってください! 宇……いえ、浩宇さんは私が毒を好んでいることに気付いて饅頭をくださっただけです。きっと私が苦いものが好きとは知らなかったので
「どうして、あの宦官はお前が毒好きだと知っているんだ?」
「それは宇……いえ、なぜでしょうかね?」
うっかり正直に話しそうになってしまい、慌ててとぼけた。
(宇辰さんは事情があって正体を隠されているようでしたし、きっと言わない方が良いですよね)
そう思って口をつぐんだのだが、義兄に睨まれてしまう。
「何を隠しているんだ? 言いなさい」
「ひぇっ」
頬をムニュッと引っ張られ、朱里はすくみ上がった。そして義兄が残りの笹饅頭を懐に入れて、その代わりに取り出したのは猫じゃらしだった。
「えっ!? ちょっ……ひゃぁ! や、やめてください! あははっ」
首周りをコチョコチョとされて朱里は堪らず身をねじった。早々に観念する。
「言います! 言いますよ! もう! ずるいじゃないですか、猫じゃらしを使うなんて……ッ! もう大人になんだから止めてくださいよ!」
昔から隠し事をしようとすると猫じゃらしを使われてしまうのだ。何歳まで持ち歩いているんだ、と内心憤慨する。子供扱いがいつまでも終わらないのだ。
「お前が早く話さないからだ」
そう言って天祐は懐に仕舞った。
朱里は不服な気分ではあったが、言うと口にしてしまった以上は話すしかなかった。また猫じゃらしを持ち出されては溜まらない。
「先程の宦官さんは
「宇辰? それは前に家にいた
天祐は怪訝そうに眉をひそめた。
朱里はうなずく。
「見た目も声も変えていましたが、間違いないと思います」
天祐は「
「あいつに関してはこちらで調べておこう。……何か企みがあるのかもしれない。前の蠱毒の件もあるしな」
後半は小声だったが、朱里は聞き逃さなかった。
「お義兄様、まだおっしゃっているのですか? 宇辰さんは良い方ですよ! 私の目を見えるようにしてくださって、しかも好物の毒饅頭までくださったのですから。悪く言っては申し訳ないです……!」
と、そこまで言ってから、もしや宇辰は朱里と同じ毒食好きなのではないかと思い至る。そうでなければ、たまたま毒入り饅頭を持ち歩くようなことはしないはずだ。
(まさか毒食仲間!? そんな! 言ってくだされば良かったのに……! 一緒にお茶会とかしたいです!)
朱里は次に会った時に宇辰に詳しく聞いてみようと決める。
「……俺は少し用があるから、先に侍医院に戻っていてくれ」
天祐は硬い表情でそう言うと、踵を返した。朱里は「はい」と言って侍医院に向かって一人で歩いて行く。
(せっかく時間があるので、過去に後宮であった毒殺未遂事件について調べてみましょう)
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