第十三話 科挙への思い
朱里は憂炎の毒見役となってから、多忙な日々を過ごしていた。
毎食豪華な宮廷料理に舌鼓を打ち、宴にも呼ばれて皇帝の料理を先に食べるという天国のような生活を送っていた。
今日も黄天宮の室で憂炎を前にして、朱里は喜色満面で箸を進めていた。
「さすがに国一番の料理人ですね。お味も最高です」
朱里は自分の皿に取り分けた食事に香辛料を大量にかけて、憂炎の顔色を青くさせる。
憂炎はそれを誤魔化すように、お茶を口にした。もちろん朱里が先に味見したお茶だ。
(なんだかこの生活にも慣れてきた気がしますね)
毒見役を始めて七日ほど経っている。日に三度の食事と、それとは別にお茶や菓子を食べることになれば、それにも同伴する。いつ憂炎が食事するか分からないので、呼ばれたらすぐに向かう生活をしていた。
(それにしても……毒が入れられるのを待っているのですが、あれからまったく動きがありませんね……)
七日前に毒殺未遂事件があったばかりというのもあるだろうが、そもそも事件というものはそう頻繁には起こらないのだろう。
朱里はふと気になって憂炎に尋ねた。
「そういえば、先日の毒が混入されていた事件の
憂炎は肩をすくめる。
「調理した人間を
慎刑司とは皇城で働く使用人を罰する場所だ。場合によっては拷問がされることもあるので、その料理人はよほど背後にいる人物を恐れていたのかもしれない……と朱里は物思いに耽る。
憂炎は遠い目をしながら言う。
「どれだけの偉人が毒殺によって儚く亡くなったことか。俺の先祖だって不審死した者が何人もいる。兄弟もたくさん死んだ。それら全てが毒殺だとは言わないが、怪しい死因もたくさんある。君主の大半は毒殺で亡くなるといっても過言ではないだろう。──だが、俺は幸運だ。殺される前にお前に会えたのだから」
褒められて朱里は面映ゆくなる。
「過剰なご評価ですよ」
「いや、そうは思わない」
憂炎は暗い空気を変えるためか、明るい口調で別の話題を振った。
「それで、お前、天祐の助手の仕事はどうなっているんだ?」
朱里は微苦笑する。食事を終えたので、大皿料理を憂炎に取り分けて渡した。
「義兄からは主上に仕えることを最優先せよ、と申し付けられております。それ以外の時間は侍医院で兄に師事して毒や薬について勉強しています」
なので、妃として後宮の紅天宮にいることがほとんどない。ほぼ寝に帰っているだけだ。明明は退屈しているらしく、ぶうぶうと不満を漏らしていたが。
(そういえば、侍医院の問題もあるんですよね……)
これまで皇帝の毒見役は侍医院の毒に詳しい者が行ってきた。朱里は科挙にも合格していない見習いだ。
侍医院のほとんどの者は朱里に好意的で、特に前任の毒見役だった青年からは大変に感謝されているものの、やはりどうしても朱里は部外者扱いされているのを感じる。
(やはり私が妃で……科挙に合格していないからですよね)
朱里が妃で、侍医頭の義妹で、資格もないのに皇帝陛下に任じられているという特別待遇を受けているから。
だからいつまでも本当の意味で仲間として溶け込めていないのだ。
朱里は箸を置いて、憂炎に向き直る。
「憂炎、お願いがあるのですが……」
「叶えよう。何だ?」
即断されて、朱里の方が戸惑う。
「良いんですか? そんなことを言って。私が月を取ってこいと言うかもしれないのに」
朱里がそう言うと憂炎は鷹揚に笑う。
「お前が望むなら月でも何でも目の前に差し出してみせるさ。それで欲しいものは何だ?」
そう言われて、朱里はわずかに顔を赤らめて口ごもる。
(何だかすごい殺し文句を言われた気がするのですが……)
朱里は頭を振って気を取り直して言った。
「科挙を……受けてみたいのです。どうか女性にも受験資格を与えてもらえませんか?」
憂炎は目を丸くする。
「科挙を? なぜ、そんな……」
そして朱里は今の立場を語る。
「侍医院で……仲間外れをされているわけではありませんが、今はまだお客様扱いなので。やはり皆さんと同じ立場に立ちたい。そのために科挙に受かりたいのです。皇帝陛下の毒見役として胸を張って生きたいので」
憂炎は何かを察したのか、眉根を寄せて言う。
「……俺が命令したことだ。誰にも文句なんて言わせない」
「いえ、私がやりたいんです。自分のためでもありますが、特別扱いをしすぎるのは憂炎の評判を落としてしまいますから」
朱里の言葉に、憂炎はハッとした表情になった後に眩しそうに目を細める。
「……そうか。そこまで考えて……」
突然黙り込んだ憂炎に、朱里は首を傾げた。
「やはり俺の妃は掛け替えのない人物だな。何か贈り物をやりたい。何が欲しい?」
「そんな……恐れ多いです。花嫁衣裳も豪華な物をいただいているのに」
憂炎から贈られた衣装や宝石は朱里が使いきれないほどにある。
朱里は遠慮したが、憂炎は「何でも言え」と引く様子がない。
(それならば毒が欲しいですが……)
朱里は悩んだ。幼い頃から毒殺に怯えてきた憂炎に、毒を所望するのは気が引ける。
(毒嫌いの人に毒をねだることはやっぱりできませんね)
そう思い、しばらく頭を悩ませてから朱里は言った。
「でしたら、後宮で起きた毒殺が疑われる事件の記録を読ませていただけたら嬉しいです」
(もしかしたら、どこかにまだ毒物が残っているかもしれませんよね)
朱里の言葉に、憂炎は笑った。
「宝石でも
螺子黛とは高級な眉墨のことだ。
「……まったく、お前らしい。良いだろう。内務府と侍医院に記録が残されているはずだからな。存分に調べると良い。俺からも命じておこう」
そう言う憂炎の声音は存外に温かかった。
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