第十一話 毒見役になる

 ぽちゃんと水音がして目が覚めた。

 寝台に横たわったまま顔を向けると、そばで憂炎が椅子に掛けており、水盆に浸した布を絞っているところだった。


「憂炎……」


 声をかけると、憂炎は驚いたように硬直して布を落とした。天祐も心配そうに朱里の顔を覗き込んでいる。


「朱里、目が覚めたのか!? 大丈夫か? 体を調べるぞ」


 天祐はそう言って朱里の四肢を指で押したり、手燭を近付けて瞳孔の大きさを確認した。そして深く息を吐く。


「……信じられない。あんな状態から二刻ほどで回復するなんて……奇跡だ」


 一日は九十六刻で割れる。二刻は時計の長針が半周するほどの時間だ。


「ふぁ~~~、よく寝ました」


 朱里は身を起こして背伸びをした。いつもより寝汗はかいていたが、朱里からしたらただの仮眠のような感覚だ。むしろ寝たおかげで、すっきりしている。


「二刻ほどしか経っていないなんて……なんだか徐々に毒の耐性が強くなっているような気もしますね」


 これまでに摂取したものより弱毒だったためか、それとも単に慣れなのか、短時間で回復してしまったようだ。

 その様子を信じられないというような顔で天祐は見ていたが──。

 しばらくして納得したようにうなずく。


「……やはりお前には神仙の加護があるのかもしれないな。父上からは先祖の確かな話は聞けなかったが……もっと詳しく家系のことを調べてみよう」


「朱里、無事で良かった……!」


 憂炎は絞り出すように悲痛な表情で言う。


「憂炎?」


 彼は長く息を吐いて、片手で顔を覆った。


「心臓が止まるかと思ったぞ。お前が死んでしまうかと思って……もう二度とあんな真似はしないでくれ」


 よく見ると憂炎の指は震えていた。瞳も潤んでいる。そんなに頼りなげな彼の姿を見たのは初めてで、朱里は息が止まりそうになった。


「……憂炎、それにお義兄様。ご心配をおかけして、すみません」


 毒食に夢中になりすぎて二人の気持ちまで考えられていなかった。

 しゅんとなった朱里の頭を天祐はポンと軽く撫でる。


「お前が無事なら良いさ。……それにしても、あんなに毒の知識を披露するなんて驚いたぞ。いつの間に勉強したんだ?」


「お義兄様が教えてくれたんじゃないですか」


 昔から科挙のために天祐は寝る間を惜しんで勉強していたので、薬や毒の知識がポンポンと口から出ていた。それをずっと朱里はそばで聞いていたのだ。目が見えない朱里は兄の話を聞くのが楽しみだった。それに暇さえあれば家にある専門書を明明に読んでもらった。

 毒食に目覚めてからは天祐の室にある毒をこっそり口にして味を確かめていたので、ますます毒に詳しくなっている。

 朱里は微笑んで言う。


「いつの間にか私もお義兄様のように毒の知識を身についていたみたいです」


「……そうか。それにしても物覚えがすごいな。お前なら科挙でも受かりそうだ」


 天祐は感心したように息を吐いた。


「科挙は女性は受けられませんけどね」


 朱里はそう肩をすくめる。

 その時、ふと思った。


(もしかして、毒見役になればもっと毒を口にできるのでは?)


 後宮にいるだけでも毒を盛られるかもしれないが、できればもっと確実な方法を選びたい。


「憂炎、お願いがあるのですが……」


「……なんだ?」


 少し警戒しているような憂炎が問いかけてくる。


(どうやったら、この二人を説得できるでしょうか……)


 朱里は思考をめぐらせた。過保護なこの二人は、朱里がいくら毒が効かなかったとしても心配してやらせようとしないだろう。


「どうか、私を皇帝陛下の毒見役に任じてください」


「毒見役だと……?」


 憂炎が呆然と呟いた。

 しかし朱里はこれしかないと思っている。


(毒見役なら至高の毒を食べることができるかもしれません……! しかも国で一番の料理人達が作ったごちそうの上に振りかけられた特上の毒……最高です!)


 先ほどの麻婆豆腐の味を思い出して朱里の口からよだれが垂れそうになる。慌てて表情を引き締めた。

 天祐も唖然とした表情で朱里を眺めている。


「朱里、お前がそんなことをする必要はない!」


 憂炎も大きくうなずく。


「毒見など、妃のお前がすることではない。毒見役に任せておけば良いのだ」


「ですが、先ほどのように毒に詳しい者でも見逃してしまうことはあります。その点、私は毒に耐性があり、目が見えなかった代わりに嗅覚と味覚、聴覚が普通の人より優れています。しかも幼い頃から毒や薬について書物や義兄から学んできました。自分で言うのもなんですが、私以上の適任はいないのではないでしょうか」


 朱里の言葉に反論できなかったのか、憂炎は「うっ」と言葉を詰まらせる。

 朱里は畳み掛けるように言う。


「それに憂炎にもう毒で悩んで欲しくないのです。毒の悩みは全て私が引き受けましょう。もう一人で苦しまないでください」


 もちろん毒を食べたいから毒見役になりたいというのが一番の理由だが、友人であり夫でもある憂炎を助けたいという気持ちも本当だ。

 朱里の言葉に、憂炎は何かに感じ入ったかのようにうつむく。涙を堪えているかのように唇を引き結んでいた。


「……なるほどな。俺は二度お前に命を救われた。お前のような素晴らしい妃を持てて幸せだ」


(あら? なんだか過剰に評価されてるような……?)


 朱里は困惑する。

 しばらく押し黙っていた憂炎は言う。


「──妃として皇帝の俺を護り支えるというお前の誇り高さに敬意を表し、文朱里を俺の専属の毒見役に任ずる。今後は天祐に師事して毒見のやり方などを学ぶと良い」


 憂炎の言葉に朱里は顔を輝かせる。


「ありがとうございます!」


 パァァと顔を明るくした朱里に、憂炎は苦笑する。


「今後は俺の食事すべてに付き添ってもらうからな。時間は配下から逐一連絡をさせよう」


「はい! それと、私が何の毒かお義兄様の代わりに当てたので、犯人以外の方々に過剰な罰は与えないようお願いします」


 朱里がそう頼むと、憂炎は「そうだったな」と苦笑した。

 毒見役の青年がなんの毒かを当てられたら罪を軽くするという話だった。それを肩代わりしようとした天祐の行動をさらに朱里が代行したのだから、理屈としては間違ってはいない。


「良いだろう。お前に免じてそうしよう。今回だけだぞ」


 そう言って憂炎は去って行った。

 見送りの礼をしていた朱里は身を起こすと、天祐に背を支えられる。


「朱里……お前が毒見役なんて……どうしてそんな真似を……!?」


 顔を歪めている天祐に、朱里は満面の笑みを浮かべる。


「お義兄様、お役目をいただけて私とても嬉しいんですよ。私に毒は効きません。だから、ご心配なさらないで」


「だ、だが……」


「実は毒食にはまってしまったんです」


 そう悪戯めいた顔で朱里が言うと、天祐は目を剥いた。

 そして朱里は蘭玲に蟲毒を盛られてからその味に惚れ込んでしまったこと、そして天祐の室にある毒をこっそり口にして毒食の美味しさに目覚めてしまったことを謝罪混じりに語った。

 天祐は呆然としていたが、最後には呆れた顔をして手で頭を覆う。


「ああ、なるほど……そういうことか……だから後宮に来るのもあんなに喜んでいたんだな?」


「そうなのです。えへへ」


「えへへじゃないだろう」


 朱里は苦笑して頬を掻く。


「毒食趣味を話したのは、お義兄様と明明だけですよ」


「……それは周囲に言わない方が良い。人格を疑われるからな。それに主上が落ち込みそうだ」


「おや、そうですか? 憂炎を助けたい気持ちも本当ですのに」


 きょとんと朱里は目を丸くする。そしてうなずいた。


「まぁ、確かに『毒って美味しいんですよ。ご一緒にいかが?』と無闇に言うのは危険かもしれませんね……毒殺しようしていると疑われてしまうかもしれませんし。憂炎は毒について繊細ですから黙っておきましょう」


 朱里は顎に手を当てて考える。


(とはいえ、どこかに私と同じ毒食仲間がいると良いのですが。好きな物を食べながら趣味を語ることは楽しいですからね)


 義兄はしばらく頭を抱えていたが、やがて大きくため息を落とす。


「お前には心底驚かされたが……まぁ良い。これから俺の持つ知識を全てお前に授けよう。文家の娘として、しっかりと主上を支えるんだ」


 天祐の思慮深い眼差しに、朱里は笑みを浮かべた。


「はい! よろしくお願いいたします。お義兄様!」


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