第八話 後宮前夜
後宮へ出立する前夜、朱里はまとめた荷物の最終確認をしていた。そばには明明がいて、手伝ってくれている。
「まさか明明も付いてきてくださるとは思いませんでした」
朱里はそう微笑む。
侍女は三人まで連れて行くことができたが、一度入れば出ることは難しい後宮に誰かを連れて行くのも気が引けて明明にも声はかけられなかったのだ。だが明明は「絶対に付いて行きます」と言って引かなかった。
朱里の言葉に、明明はムッとしている。
「朱里様だけを恐ろしい場所に行かせるわけにはいきません! 朱里様は私がお守りしなくては……!」
「ありがとう、明明。本当は一緒に来てくれて、とても心強いです」
にっこり微笑むと、明明はなぜか「ぐぅ」と呻いた。照れ隠しなのか赤い顔をして早口で言う。
「べ、別に良いんです……! 私には後宮に入っても寂しがる家族もおりませんし」
明明は朱里の二歳年上で、今年で二十歳になる。十歳の頃に人買いに売られて逃げ出し、盗みを働くために文家に忍び込んだところを朱里に見つかって侍女にされた。
「……朱里様にまだご恩もお返しできていませんから」
そう言う明明に「まぁ」と朱里は顔をほころばせる。
「そんなの気にしなくて良いんですよ。これまで仕えてくれただけで十分です」
「そうはいきません」
朱里は困り顔で言う。
「ただ後宮に入ってしまうと形としては陛下にお仕えすることになるので、結婚も難しくなります。明明が年頃ですし私に付き合って後宮に入る必要はないんですよ。今からでも止めても……」
「朱里様、私を連れて行ってくださると約束してくださったじゃないですか。反故になさるのですか?」
朱里は珍しく言葉に詰まった。数日前に根負けして明明が付いてくることを了承してしまっていたからだ。
「うっ……分かりました。ですが後宮に入っても私がどうにか明明に良縁をご用意しますね。憂炎に相談してみます」
「必要ありません! 私は朱里様にずっとお仕えするのですから! この話題は二度と口にしないでくださいませ」
「……はい」
真っ赤になった明明に怒られてしまい、朱里はしゅんとする。
明明は焦ったように早口で言う。
「朱里様のお気持ちはとても嬉しいですよ! ですが今は必要ないというだけです。……その、もし結婚したくなったら、私からどなたかのご紹介をお願いしますから」
「! はいっ!」
にっこりと微笑む朱里に、明明は照れたようにそっぽを向く。
「それにしても、これを本当に持って行くのですか?」
明明の言葉に、朱里はきょとんとして化粧道具を見た。一見すると普通の白粉や入れる合わせ貝や、化粧刷毛なのだが。
しかしよく調べれば、刷毛の棒には底に穴があけられており毒粉が入っている。白粉や紅の入れる合わせ貝に毒と本物を二重にして入れた。
「すぐに毒が手に入らないかもしれないので、乾燥させた粉末毒キノコなどを仕込んでおきました。お義兄様には怒られてしまいますから内緒ですよ」
朱里はそう悪戯めいた表情で言って口元に人差し指を立てる。
宮に入る際に身体検査をされるので毒薬は簡単に持ち込めないが、さすがに化粧入れの貝を中身まで探ったり刷毛を分解して調べることまではしないだろうと踏んでいた。
「……それは良いのですが、本当に朱里様は毒が効かないのですか?」
明明は困惑気味に言う。
朱里の体質のことを知っているのは、今は憂炎と義兄と明明だけだ。
毒を無毒化できることは他の者達には内緒にしておくように、と憂炎と義兄から言われている。
(もしかしたら私が奇異な目で見られるかもしれないし、毒を無毒化できると分かれば悪い奴に攫われて利用されてしまうかもしれないから用心するように……と、おっしゃっていましたね)
もし早く解毒できても、ある程度は時間をおいて毒で苦しんで休んでいる振りをするよう言われている。
朱里は隠さなくても良いように思えたが、あの二人が言うのだからそうした方が良いのだろうと納得していた。明明にも口止めしてある。
「そうみたいです。不思議ですねぇ」
朱里ののんびりした受け答えに、明明は呆れ顔で笑う。
「本当に、いつも常識外のことをなさるんですから……それにしても朱里様が後宮に入られることになるまで健康になられるとは思いませんでしたよ」
朱里はうなずく。
「そうですね。後宮に入ることができて良かったです」
「……やはり、朱里様も憂炎様のことを想っていらっしゃるのですか?」
「憂炎を? ううん、それはどうでしょうか」
朱里は困り顔で首を傾げる。
「違うのですか? お二人はとても仲がよろしいではありませんか」
「まあ、そうですね。憂炎は長い間友人だったので、突然妃になることになっても気持ちがすぐには切り替えられないのです」
「……ご友人だと思っていらっしゃるのは朱里様だけな気がしますが……なるほど。まあ、なんと気の毒な……でも憂炎様には男色家の噂もありますから、もしかしたら夜伽は求められないかもしれませんね」
「え? 憂炎は男色家なのですか?」
朱里はきょとんとして問う。
「ご存じなかったんですか!? 朱里様は本当に世俗の話に疎いんですから! 有名な話ですよ~! 側近の宦官を寝所でも毎晩離さないとか」
「まあ。お熱いのですねぇ」
のんびり言う主に、明明は頭を抱えた。
「だから後宮に行ってもあまり朱里様は幸せになれないと思うのです……今からでも邸に戻って旦那様を説得なさいますか?」
「いえ、それは私にとっても好都合です。ますます後宮に行きたくなりました」
「どっどういうことですか!?」
朱里はふふっと悪戯めいた笑みをこぼす。
「その……妃になるのが嫌という訳ではないのですが、友人関係だった手前、恥ずかしいのです。お渡りがあったら腹痛で
男色家で恋人がいる憂炎なら、妃の役割を求められることはないだろう。安心して毒食に専念できるというものだ。
憂炎が知ったら気の毒になりそうな思考をしながら、朱里は鼻歌を歌っていた。根も葉もない噂だと気付かずに。
(楽しい後宮生活になると良いですね)
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