第七話 毒のお茶会

 朱里は目を治してくれた蘭玲のために何かできないかと思い、後宮に出発する前日に蘭玲をお茶に誘った。もしかしたら受け入れてくれないかと不安もあったが、蘭玲は嫌そうながらも応じてくれた。

 二人は邸の中庭にある四阿にいた。庭の花々が目に楽しい。


「本当は宇辰さんもお誘いしたかったのですが、ご用があるようで残念です」


 朱里がそう言うと、蘭玲は肩をすくめる。目の下にクマがあるのは、あまり眠れなかったのかもしれない。


(昨夜はお義兄様と何か深刻そうにお話なさっていましたね……でも、聞かれたと知れられたら不快でしょうし、話題にされなければ黙っていましょう)


 卓上には朱里のお手製の点心が並べられている。しかしお茶を前に差し出しても蘭玲は口をつける様子はない。


「もうへやに戻っても良いかしら」


 不愛想にそう言って席を立ちかけた蘭玲を、朱里は慌てて押し留める。


「そんな。せっかくなのだから一口でも点心を食べてください。明日私が後宮に行ってしまえば、しばらく会うことはできなくなるのですから」


 朱里の懇願に、渋々といった様子で蘭玲は再び腰かける。

 そして蘭玲が箸で点心をつまもうとした時──朱里はすかさず言った。


「これが何の毒か当ててみてください。きっと蘭玲は気に入るでしょう」


「どく……?」


 蘭玲は硬直する。

 朱里の笑顔は先程と変わらないほがらかなものだった。


「はい。前日おっしゃったではないですか。蘭玲と宇辰さんは私のように毒を無毒化できると。だから私の目を治してくださったお礼……とまでは言えませんが、日頃の感謝に毒をお返ししようと思ったんです」


 朱里は笑みを浮かべたまま、悪戯いたずらが成功した子供のように舌を出す。


「先日、文家が管理している山に入り、明明に手伝ってもらって毒キノコをたくさん手に入れたのです。あ、これ手がかりになっちゃいますね。もうほとんど答えを言ったようなものかも……でも毒キノコも種類がありますからね」


 まるでなぞなぞを出しているように、楽しげに朱里は首を傾げる。

 蘭玲の顔から血の気が引き、ぷるぷると震えだす。


「こんなもの食べられないわよ!!」


 そう怒鳴りながら蘭玲が点心を朱里に叩きつけた。とっさに袖で顔を防いだが、衣装は点心の汁で汚れてしまう。


「あっ、蘭玲……」


(何か失敗してしまったのでしょうか? もしや蘭玲は毒キノコは好みではなかったとか?)


 朱里がおろおろとしていると、騒ぎを聞きつけたらしい両親と義兄がやってきた。普段は仕事で留守にしているのだが、朱里が明日後宮に入るということで最後に家族の時間を持つために仕事を休んでくれていたのだ。


「これはいったい何の騒ぎだ?」


 そう厳しい表情で父は言う。そしてすぐに朱里の衣装が汚れていることと、無残に地面に落ちた点心、そして蒼白になっている蘭玲に気付いたらしい。


「蘭玲、何か言え」


 天祐に厳しい視線を向けられ、蘭玲は震えながらうつむく。


(ああ、お父様もお義兄様も来てしまいました……)


 朱里はどうしたものかと悩んでいると、蘭玲が突如叫んだ。


「この女が! お義姉様が私に毒キノコを食べさせようとしたのよ!」


 その言葉に両親と義兄はぎょっとした表情をする。


(あれ……? 毒が無効化できることや毒食趣味のことは秘密にするんじゃありませんでしたっけ? でも蘭玲が自分から話してしまったなら、もう構わないのでしょうか?)


 困惑している朱里に、眉をよせて父親が尋ねる。


「朱里、蘭玲が言っていることは本当か?」


(こうなったら種明かしをするしかないですね)


「ええ。日頃のお礼に蘭玲に毒キノコを差し上げようと思って。まあ、毒といってもワライダケですので、興奮作用と幻覚症状を起こすものです。とにかく笑えて仕方がなくなるキノコですね」


 朱里の言葉に、天祐は当惑気味にうなずく。


「ワライダケというと幻覚症状が有名だが、死などの重篤な症状をもたらすものではないな」


 朱里は首肯する。


(毒が好きだと言っても、嘔吐や下痢などの症状はやはり苦しいですからね。影響があるなら楽しい方が良いですから)


 だから蘭玲のために用意したのだが──残念ながら妹はキノコは好きではなかったらしい。朱里はしゅんとなる。

 蘭玲は一瞬だけ言葉を詰まらせたが、激高して怒鳴り散らした。


「でも毒は毒よ! そんなものを妹に盛るなんてどうかしているわ!」


 その言葉に、天祐が『お前が言うな』とばかりに冷たい眼差しになったことに蘭玲は気付いていない。

 朱里は困ったように眉を下げる。


「すみません、蘭玲に喜んでもらえると思ったのです。だって私の目が良くなったのは蘭玲のおかげですし、蘭玲だって毒が好きだとおっしゃったではないですか」


 朱里の言葉に、周囲が騒然となった。


「ちょっと! 黙りなさいよ!!」


 朱里につかみかかってこようとした蘭玲の行く手を天祐が阻んだ。


「お義兄様! どいて! 嘘よ、嘘! お義姉様は嘘ばっかり言っているの! 生粋の嘘つきなのよ! 目が見えなかったから空想の世界に生きているんだわ!」


 そう罵倒する蘭玲を、父親が「落ち着け、蘭玲」と手で制する。父親は深く息を吐いてから朱里に顔を向ける。


「……どういうことか説明しろ」


 それで朱里は妹と宇辰に蟲毒を盛られたために目が治ったこと。そして本来毒のはずのそれを朱里に与えたのは、己も朱里も毒は無害だと知っていたからなのだ、と話す。

 父親は頭が痛いのかこめかみを揉んでいた。

 朱里はなおも言う。


「私達は神仙の血を引いているから、蟲毒に打ち勝ったのかもしれません。お父様も以前お酒の席で、ご先祖様のことをお話していらっしゃいましたよね?」


「……あれは……うん、酒が入っていたからな。私も父からその話を聞いたことはあるが、本当なのか分からなかった」


「でも、事実として私は無事だったのですから、きっとそうなのでしょう。宇辰さんも私にそうおっしゃっていましたし」


 夢の中のことだったが、その説明が抜けている。だが誰も指摘しなかった。

 父親は鋭い目で蘭玲をねめつける。


「だが、朱里が幸運にもそうであったとしても……蘭玲もそうだとは限らない。お前が蟲毒に打ち勝ったとも、毒好きだとも聞いたことなかったぞ。蘭玲、それは誠か?」


「ほ、本当です! だから私は宇辰にお願いして、お義姉様のために蟲毒を作ってもらったんですから。そのおかげでお義姉様も目が治り、健康な体を手に入れたでしょう!?」


 ほら見なさい、とでも言いたげに蘭玲はまくしたてる。

 父親はしばらく何かを黙考した後、「良いだろう」と首を縦に振る。


「蘭玲、お前の言葉を信じるために、証拠を見せてくれるか?」


「証拠?」


「ああ。本当にお前が毒に耐性があるのか知りたい。お前の言葉が真実なら、天祐の室にある毒を口にしても無事でいられるはずだ」


 父親の言葉に蘭玲は凍り付いた。


「あ、あの……それは……」


「天祐、毒をいくつか持ってきてくれ。毒性の強いものと弱いもの。色んな種類のものをな」


 父親は椅子にどかりと腰掛ける。義兄は許諾して己の室がある建物に向かった。蘭玲の顔色がどんどん悪くなっていく。


「あ……お父様? 何もそこまでしなくても……私は娘なんですよ? 証拠など見せなくても信じてくださっても良いではありませんか!」


「そっそうですよ、あなた! やりすぎです!」


 それまで黙っていた母親が蘭玲をかばう。だが父親は頑として首を縦に振らなかった。

 間もなく天祐がいくつかの瓶や袋を盆に載せて戻ってきた。


「……どれからやりますか?」


「そうだな。おすすめはあるか?」


「それでは、砒素ひそなどはいかがでしょう。強力な毒なので、すぐに効果があります」


 天祐はそう言って、茶色の瓶を見せつけるように手に持つ。それは半分ほどの粉が入っていた。


「砒素は吐き気や嘔吐、下痢のような症状を起こすが……毒を無毒化できるお前ならば関係ないだろう」


 義兄はそう丁寧に言い含めるようにしながら、卓上の茶器に大量の粉を入れる。あまりの量に茶器の底に澱が出来てしまうほどだった。


(そのままだと美味しくありませんね)


 朱里は気を遣って、茶器の中に匙を入れてよく溶かし混ぜていく。そして蘭玲を勇気づけるように言う。


「確かに毒の副作用は苦しいですが、すぐに収まりますし癖になってきますから大丈夫ですよ、蘭玲。遠慮なさらず。毒は好物でしょう?」


 そう朱里が茶器を蘭玲の前に押し出すと、妹はガクガクと震え始めた。あまりの恐怖でか、鼻水を垂らしている。


「蘭玲、どうしたのですか?」


 朱里は妹の異変に気付き心配した。だが朱里の他に誰も蘭玲を心配する様子がない。母親だけが青ざめている。

 天祐は凍えるような声音で言う。


「蘭玲、お前は毒に耐性があるのだろう? だから朱里も蟲毒を飲んでも無事でいられる、と。薬だと知っていたから飲ませたのだろう? それを証明してみせろ。ただその茶を飲めば良いだけだ。それで何も起こらなかったら疑ってしまったことを詫びよう」


 辺りが静まり返る。

 異様な空気に朱里は内心首を傾げていたのだが──。

 とうとう蘭玲がうつむいたまま叫んだ。


「ちがっ、違うの! 飲めない! 私には飲めない!! だって毒だもの! 飲んだら死ぬわよ……!」


「つまり、毒を飲んでも無事でいられるということは嘘か? 朱里に殺意があって蟲毒を飲ませたのだな?」


 父親の冷徹な言葉に、蘭玲は尻込みしたのか視線を泳がせる。


「そ……それ、は……」


 無毒化できることは嘘だと言えても、さすがに姉への殺意は肯定できないらしい。

 朱里は慌てた。


「お、お父様! 私は蘭玲のおかげで健康になれたのです」


「……しかし、蘭玲がお前に悪意を持って毒をもったことは事実だ」


「いえ、蘭玲はそれが私には薬にもなると知っていたのですよ。そうでしょう、蘭玲?」


 そう言って朱里は妹をかばった。大粒の涙が蘭玲の瞳からいくつもこぼれ落ちる。


「お、おねぇさま……私を助けてくれるの……?」


 父親は長いため息を落とし、片手で目元を覆った。


「お前が妹を助けようとするのは美徳だが……事が事だけに、さすがに何もなかったことにはできない」


 父親の言葉に辺りが静まり返る。そして落胆のこもった瞳で蘭玲を見る。


「私がお前の傍若無人ぶりを知らないと思ったか? これまで朱里にやってきた行いも、使用人達への傲慢な態度も耳に入っている。時には姉妹喧嘩することもあるだろうと口出ししてこなかったが……毒を盛るのはやりすぎだ。たまたま朱里の運が良かったから死ななかっただけだ。それはわかっているな? 腹違いとはいえ血の繋がった姉妹なんだぞ。しばらく自分の室で頭を冷やしなさい。お前の処遇については追って知らせる」


 その言葉に、蘭玲はうな垂れた。

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