第六話 二度目の蠱毒

 夜が更けて、扉が叩かれて、妹が笑顔で入ってきた。


「お義姉様のために、とても美味しいものを持ってきたわ!」


 と言うと、湯気の立つ肉まんを差し出した。


「蘭玲~! ありがとうございます! 待っていました!」


 朱里は大喜びで迎え、蘭玲に感謝した。

 義妹が持ってきたのは湯気の立つ肉まんだった。


「特別な材料をたっぷりと入れて、前回よりも美味しくしたのよ。二つとない貴重なものなんだから、皆には内緒であげるわ」


「まぁ! そんな貴重なものを私に……?」


 朱里は目の前のごちそうに目が釘付けになる。


(ようやく夢にまで見たごちそうが目の前に……!)


「それでは、いただきます!」


 朱里は食欲をそそられ、肉まんを手に取り、一口食べた。それは絶品で、感動の涙が出そうになった。しかし次第に舌がしびれてきて、口の中に苦味が広がる。


「ああ……! これは極上のお味……!」


 天にも昇るような気持ちとはこのことかと、朱里の目にうっすらと感動の涙が浮かぶ。

 徐々に舌の感覚がなくなり、頭をぼうっとしてくる。その体に起こる麻痺の感覚と口内の何とも言えない苦みに舌鼓を打つ。


(これは間違いなく毒ですね)


 美味な毒を味わいながら、朱里は湯気の立つ肉まんを半分に割って蘭玲に差し出す。


「蘭玲、半分どうぞ」


 本当は自分で全部食べたい気持ちもあったが、頂きものだし、姉としての見栄も張りたかった。

 蘭玲は青い顔で素早く首を振る。


「わ、私は良いわよ! お腹いっぱいだから、お義姉様が食べて!」


「そうですか……? でも、せっかくの美味しい毒ですし。蘭玲だって好物ではないのですか?」


 朱里の言葉に「は?」と蘭玲が凍り付く。


「だって私に蟲毒を与えてくださったのは、私の目が良くなると知っていたからでしょう? 蘭玲と宇辰さんは私にためらいなく蟲毒を与えた……それはつまり安全だと知っていたからですよね?」


 朱里の無邪気な問いかけに、蘭玲は引きつった笑みを浮かべる。


「ま、まぁね」


「ええ。最初は前のようにうっかり不注意で毒を混ぜてしまったのかと思いましたが……特別なものを入れたと蘭玲が言っていたので、わざとだろうと思ったのです。でも蘭玲は、私と同じように毒を食べても無事だった経験があるのではないかと思いました。もしそうでなければ、危険な蟲毒を人に与えないでしょう?」


 先祖の影響で朱里が毒を食べても大丈夫なのではないかという義兄の仮説を思い出して、蘭玲が同じ体質かもしれないと朱里は考えたのだ。

 蘭玲はぎこちなく同意する。


「そ、そうよ。私はお義姉様と同じものを食べたことがあるの。だから安心して、それを食べてね。皆には内緒にしておいて」


「分かりました」


 朱里は笑顔で食べ続けた。


(それにしても、蘭玲が私と同じで毒に耐性があるのは嬉しいですね)


 毒好きというのは人目をはばかる趣味のため、朱里に与えたことは秘密にしろと言っているのだろう。朱里はそう確信した。

 朱里は皆と毒食の楽しみを人と共有できないことを残念に思っていたが、蘭玲が毒好きなら一緒に毒のお茶会もできるだろう。姉妹仲も前より改善できるかもしれない。


「あら……?」


 しかし、突然朱里は膝が震えて倒れてしまった。

 蘭玲が朱里の肩を支えて寝台まで運ぶ。


「ほら、お義姉様。寝床まで連れて行ってあげるから。いつでも死──いえ、眠れるよう横になって」


「蘭玲……」


 蘭玲の肩を借りて朱里は寝台に横になる。

 朱里の額に汗がにじんできた。耳鳴りがして視界がにじむ。朱里はそっと蘭玲の手を握った。


「今日もそばにいてくれて嬉しいです。……覚えていますか、蘭玲。昔はよく一緒に寝ていましたよね。蘭玲は悪い夢を見て眠れなくなると私の寝台に潜り込んでいました」


 そう朱里が言うと、蘭玲が顔を歪める。


「……そんなの忘れたわ」


 そうぽつりと呟くと蘭玲は水を浸した布を絞って朱里の額に載せる。


「蘭玲?」


「……もう余計なこと言わないで。眠って」


 朱里はそっと目蓋を閉じる。腹痛のせいで気が遠くなってきたのだ。唇も麻痺して、うまくしゃべれない。

 間もなく朱里は意識を失った。

 だがしばらくしてから、朱里はすっきりとした気分で目が覚める。


「あら……まだ外は真っ暗ですね」


 腹痛もいつの間にか収まっていた。


(先日ほどの痛みはありませんでしたね。慣れてしまったのでしょうか?)


 元々朱里は病弱のため苦痛には慣れっこではあったが。


(なんだが、夢で宇辰さんとやり取りをしたような気がするのですけれど……)


 また蛇のようなものを体から払ったら、宇辰に怒られてしまった。そして襲われそうになり体が発光して終わるという同じオチだ。

 首を傾げつつ、再び布団に包まって朱里は二度寝する。

 そして明け方、目覚めた朱里は自分の体に起きた異変に気付いた。

 これまでと比べ物にならないほど体が軽い。まるで羽でも生えたようだ。着替えをして、思わず庭で舞いの練習をしてしまう。

 いつもならすぐに目眩や熱を出していたのに、農民のような強靭な肉体を手に入れた朱里はいつまでも踊っていられた。


「朱里様!?」


 青い顔で明明が飛んできたが、気持ちの良い汗をかいた朱里は晴れ晴れとした笑顔で侍女を迎える。


「明明、おはようございます」


「駄目ですよ、朱里様は体が弱いのに! こんな日差しの強い場所で踊るなど……」


「私、全然平気ですよ。本当に健康体になってしまったみたいです」


 そのやり取りを見ていた蘭玲は朱里を睨みつけた後、走って行ってしまった。それに気付いた朱里は「ああ……」と嘆く。


「蘭玲にお礼を言いたかったのに……残念です」


 ほうとため息を落とすと、朱里は恍惚の表情で頬を押さえる。


(また蟲毒をいただけないでしょうか……。でも貴重なものでしょうから、またいただけるとは限りませんよね……やはり自分で手に入れるしかありません)


 しかしこれから後宮に入る朱里には期待もあった。


(お義兄様が後宮では毒殺暗殺など日常茶飯事だとおっしゃっていました。それはつまり、何もしなくても誰かが毒をくださるということ……!)


 そんな理想郷があるのだと知り、朱里は感動に打ち震えた。

 義兄の室なら薬棚に毒はあるが、あまり近付かないように言われているし、勝手に食べたら怒られてしまうだろう。お願いしてももらえるとは限らない。そもそも常備してある毒の種類も限りがあって量も多くないのだ。

 朱里はもっと珍しい毒をお腹いっぱい食べたい。その点、後宮なら朱里の望みも叶いそうだ。


(そこなら私の求める至高の毒があるかもしれません……!)


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