第五話 毒食に目覚める
朱里は物足りない日々を過ごしていた。秀女選抜はびっくりするほどあっさり終わってしまい、
後宮に入る日までしばらくやることがなかったので、義兄から字を習って猛勉強し本を読む喜びを知った。しかし、それでも埋まらない胸の穴があった。
(ああ……あの蟲毒の味が忘れられません……!)
朱里は机に突っ伏して、卓に置いてあった炒った空豆を指でいじる。邸の料理人に作ってもらったそれは、朱里のお気に入りの激辛苦味たっぷりのおやつだ。朱里は【味覚の破壊神】と陰で呼ばれるほど人が嫌う味の料理が好きだった。
「ああ……」
朱里は呻いた。
いつもなら、そのおやつで満足できていた。だが今となっては物足りない。もっと刺激が欲しい。蟲毒の味を知ってしまった朱里は、もう戻れない境地にいた。まるで一目で恋に落ちた少女のように、朱里は一口であの味に陥落してしまったのだ。
蘭玲が作ってくれた肉野菜炒め。口内で後引く苦みと辛み。何より吐き気をもよおす蟲毒のえぐみが何度も思い起こされる。
(もう一度食べたいです……蘭玲がまた作ってくれないでしょうか。それか、お願いして蟲毒を分けていただけたら……)
確かに熱や腹痛は辛かったが、視力が良くなったのだから体に悪いものではないはずだ、と朱里は思い込んでいた。
あれから蘭玲に再三お願いして『またあのお薬をいただけませんか?』『ええい、うるさいわね!』と言うやり取りをしていた。しかし何度懇願しても、蘭玲は朱里に毒はくれない。
とにかく蟲毒の作り方について調べてみようと思い立ち、義兄の
母屋にある義兄の室の周囲はしんと静まっている。
「お義兄様? 入りますよ」
そう声をかけて扉を開けたが、中に人けはなかった。
「今日はお仕事でしょうか……」
非番の日には邸にいるのだが、今日はあいにく仕事で皇城に行っているようだ。
本棚にはたくさんの専門書が詰め込まれている。冊子のようなものもあれば古い巻物のようなものもある。異国の文字で書かれたものもあった。
「素晴らしい蔵書の量ですねえ」
何度も入ったことがある
「こうして見ると、すごい蔵書の量ですね……」
義兄の勤勉さに感心しつつも、朱里は蟲毒の本を探して手に取った本をパラパラとめくってみる。
朱里は辞書を片手に、医学書を読み解いていく。
(蠱毒はどこにあるんでしょう)
天祐は薬や毒に
「蟲毒に関する記載がありません……」
朱里は本を閉じて嘆息した。近くには医学書が積まれている。
そしてじっと向かいにある薬棚を見つめると、そこのラベルに薬と毒が混ざっていることに気付いた。
「毒と薬は表裏一体……お義兄様の口癖ですね」
朱里はくすりと笑った。
(過ぎた薬は毒になり、わずかな毒は薬にもなる……)
『有名なものだと
記憶の中の義兄の言葉を思い出し、ふと興味が湧いた。
朱里は薬棚に近付くと、茶色の瓶に入った瓶をそっとひとつ取り出す。
それは『
朱里はすぐに書物を開いて調べてみる。かなり毒性が強く、嘔吐、目眩、下痢などを引き起こして一時間以内に死に至ると書かれている。記憶にあった通りだ。
「蟲毒はありませんが……他の毒はどんな味がするのでしょうか……」
それは死に至る好奇心だ。だんだん我慢ができなくなり、少しだけ味見してみたくなる。
「お義兄様、ごめんなさい……っ! ちょっとだけですから……!」
朱里は人差し指を瓶に突っ込み、そっと己の舌に粉末をつける。その瞬間、とんでもない苦味が口内に広がった。
(ああ……! 至福……ッ)
鼻孔を抜ける草葉独特の爽快感とパサつき、苦味。常人なら『不味い』と即座に吐き出してしまいそうな味だったが、朱里は感動に打ち震えた。
本当はもっとむさぼり食べたかったが、天祐に無断でそんなことをするわけにもいかない。
朱里は強靭な意思の強さで、心では血の涙を流しながら瓶に蓋をして戸棚に戻した。
ふらつきと高揚感をおぼえながら、艶めかしいため息をこぼす。
「毒食……最高です……」
そのうっとりとした表情は天女のように美しかったが、朱里の本性を知る者がいたら全速力で引いているに違いない。
毒食に目覚めてしまった朱里は、己が毒を無毒化する能力を得てしまっていることにまだ気付いていなかった。
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