第四話 蘭玲と宇辰の無謀な企み

 その晩、邸の広間で酒宴が開かれた。

 急であったので親戚全員とはいかなかったが、近所に住む知り合いは集まってくれている。皆、顔に喜びの色がある。

 宴もたけなわになってきた頃、親戚の壮年の男性が赤い顔で言う。


「もうすぐ秀女しゅうじょ選抜がありますし、蘭玲様ではなく朱里様を入宮させた方が良いのでは? 器量良しですし、七弦琴の腕も優れています。その上、皇帝陛下のお気に入りでしょう」


 秀女選抜とは後宮の妃を選ぶ儀式のことだ。皇帝や皇太后が妙齢の子女と接見して、気に入られれば、その娘は後宮に入ることになる。これまでは文家からは蘭玲が秀女選抜に向かうことになっていた。


「うむむ……そうだな。朱里は昔から主上に懇意にしていただいているが……」


 親戚の言葉に、父親が悩む様子を見せる。

 蘭玲が顔色を変えた。


「そんな……お父様! 私を後宮に入れてくださると約束したではありませんか! 反故になさるおつもりですか!?」


 立ち上がって声を荒げた蘭玲に、朱里は目を丸くした。

 父親はため息を落とす。


「元々陛下は朱里を望まれていたのだ。今までは朱里の目が見えない上に病弱だったから後宮に入れるのは躊躇われたが……こうして朱里の目が見えるようになったのだから、主上の申し出を無下にはできまい」


「お姉様は目が見えるようになったばかりですし、体が弱く臥せりがちです。後宮に行けるような体調ではありません!」


 なおも興奮した様子で言い募る蘭玲に、父親は顔をしかめる。


「それでも良いと陛下はおっしゃっているのだ。元々陛下の強い要望である。こうして目が見えるようになってしまったのを知られてしまったのだから、多少体が弱い程度では私にも止められない」


「そんな……っ」


 蘭玲は青い顔で、その場にへたり込む。

 斜め向かいにいた朱里には、蘭玲がボソボソとつぶやく声が聞こえた。


「そんなことなら……お義姉様に……盛らなければ……」


(ん? 今のはどういう意味でしょう)


 朱里は首を傾げた。

 その場の陰鬱な空気が立ち込めていたが、それまで黙っていた義兄が口を開く。


「父上、私も朱里を後宮に入れるのは心配です。後宮では不審死する妃もいます。後宮は女の怨念の渦巻く場所です。毒殺暗殺など日常茶飯事。そのような場所に朱里を向かわせるなど……朱里のような、のほほんとした娘は後宮の女狐どもに取って食われるだけでしょう」


 朱里はびっくりして義兄を見つめる。


(まさか憂炎と仲が良いお義兄様が反対されるとは思いませんでした)


「お兄様、私は大丈夫ですよ。そんなにご心配なさらなくても」


「お前は世間知らずだから後宮がどんな血生臭い場所なのか知らないんだ……! 私は侍医頭として後宮で働いているから分かる。あそこは邸よりも危険な場所だ。しかも一度入ったら易々と出てこられない」


 義兄の勢いに朱里は困ったような顔をする。


「蘭玲はまだ十六ですし、それなら私の方が嫁入りに適した年齢なのは事実です」


「お前は後宮に入りたいのか?」


(後宮に入りたいか……? つまり憂炎の妻の一人になりたいかという問いでしょうか)


 朱里はううむ、と唸ってしまう。


「……結婚は一家の長であるお父様がお決めになることですから私の意思で決められることではありません。それに……確かに知らない人ばかりの後宮は不安もありますが、陛下は既知の間柄ですし、お義兄様にもう会えなくなるわけではありません。侍医院に勤めるお義兄様なら後宮に出入りもできるではありませんか。それなら遠くに嫁ぐよりも私は安心です。他の家族には会える機会は少なくなりますが、娘の誰かが後宮に入れば文家も栄えます。家の役に立てるのですから」


「そ、それはそうだが……しかし……」


 朱里の言葉に、天祐の声の勢いが小さくなる。

 父親は「やれやれ」と呆れたように首の後ろを掻いた。


「天祐の過保護ぶりも相変わらずだな」


 義兄は父親を睨みつける。


「朱里は目が見えなくて病弱でしたから当然です。それに陛下から朱里の面倒をしっかり見るよう命じられていますし」


「まあ、気持ちは分からないではないが……そうだな。文家からは朱里を後宮に入れる。今、そう決めた」


「なっ……! 父上!」


 天祐が立ち上がって叫んだ。

 父親はゆるりと首を振る。


「もう決めたことだ。朱里は美貌と才を備えている。文家として自信を持って後宮に送れる。朱里、七日後の秀女選抜はお前が行きなさい。……まあ形だけのものになるだろうが」


 父親の言葉に、朱里は「はい」と重々しくうなずいた。

 刺すような視線を前から感じて見ると、蘭玲が悔しそうに朱里を睨みつけた。


(どうしたのでしょうか、蘭玲は……)


 蘭玲の隣からも視線を感じて、朱里は斜め向かいに顔を向けた。そこには黒い道士袍服どうしほうふくをまとった青年、呂宇辰リョ ウシンが座っている。眉根を寄せて、なぜか複雑そうな表情をしていた。

 数ヶ月前に父親が知り合いから紹介されて朱里の病魔払いのために連れてきた男だ。いつの間にか蘭玲と親しくしているようで、邸でも二人で会話している姿がよく目撃されていた。

 朱里と目が合うと、宇辰は恐れを抱いたように血の気の引いた顔をバッと背けた。


(そういえば……あの夢で出会った道士の方の声……宇辰さんに似ていたような?)


 夢の中で顔は見えなかったが、宇辰とは何度か挨拶はしたことがある。記憶の中の声と合致した。


(あの蟲毒……蘭玲が一人で用意したとは思えませんし……もしかして宇辰さんが用意してくれたのでしょうか?)


 今は宇辰の隣で蘭玲が親戚に絡まれていた。朱里が蘭玲の薬のおかげで治った、と言ってしまったものだから、質問責めに合っているようだ。


「朱里様に差し上げたという薬は何です? 蘭玲様、教えてくださいよ~」

「そ、それは言えませんわ!」

「そこを何とか!」


 その様子を眺めながら、朱里は不思議に思う。


(でも、どうして蘭玲も宇辰さんも蟲毒のことを皆さんにお話しないのでしょう? 公にすれば褒められるでしょうに……自分の手柄を口にしない謙虚な方々なのでしょうか)


 そこまで考えて、朱里は『あら?』と首を傾げる。


(そういえば、蠱毒を口にしても皆さんが私と同じ体質になるとは限りませんよね? お義兄様は私が神仙の血を引いているから助かったのかもしれない、とおっしゃっていましたし……でも蘭玲と宇辰さんは私にためらいなく毒を与えた……つまり私の体質を知っていたということでしょうか? もしかすると、蘭玲は私とは異母姉妹ですし、同じような経験をして毒に耐性を持ったのかもしれません。でなければ怖すぎて人に蟲毒を与えるなんてできないでしょうし。もしや宇辰さんもそういう特別な体質なのでしょうか……?)


 そして、その想像に朱里はニコニコする。


(蘭玲が私と同じ毒好きだったら、とっても嬉しいですね。一緒に毒食ができますし。今度聞いてみましょう)


 その時、隣にいた天祐が小声で言った。


「……蘭玲はあの道士と結託して、また何か悪さでもしようとしているのではないか?」


「お義兄様、まだ疑っているんですか? 蘭玲はそんなことしませんよ。宇辰さんもきっと……薬を用意してくださった方なのですから良い人に違いありません」


「お前は人を疑わなさすぎだ。……それに俺は道士は好かん。あいつらは怪しい術を使うからな」


 天祐はボソリと言った。

 家中に宇辰の手によって厄払いのふだが貼られている。

 朱里は道士が不思議な力を操るという話は半信半疑だったが、嫁入り前なのに蘭玲に男性との噂が広まってしまうのは妹のためにもよろしくないのでは、と心配していた。朱里の目が見えるようになったから、間もなくお役御免となった宇辰は邸を出ていくことになるだろうが……。


「考えすぎですよ。でも、いつも心配してくださり、ありがとうございます」


 朱里は果実水の入った杯を置いて微笑むと、天祐は居心地悪そうに明後日の方向を向いた。

 広間がお祝いの雰囲気に包まれる中、蘭玲が「……冗談じゃないわ。これで終わらせるものですか。宇辰、もっと強い毒を私にちょうだい」と隣にいた道士の青年に耳打ちする。

「も……もちろんです。次こそは必ず仕留めましょう」と道士は含み笑いをこぼした。

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