十八話

 吉勝と昌義との三人で鈴子は二条の邸に帰ってきた。


 父の右大臣やお付き女房の周防はひどく心配しており鈴子にお説教をする。二人からこっぴどく叱られたのでしょんぼりとしてしまう。

「亡き母君が聞いたら怒るぞ。とにかく、吉勝殿と昌義から話を聞く。姫は部屋に戻りなさい」

「そうですとも。姫様、殿の言う通りです。お部屋に戻って休みましょう」

 周防の言葉に鈴子は仕方なく従った。昌義と吉勝を置いて部屋に戻ったのだった。




 部屋に戻り、鈴子は水干を脱いで寝間着姿になる。が、明かりの近くに来た時に周防は鈴子の髪が背中の真ん中辺りまで短く切られているのに気づいた。ひどく驚いてしまう。

「姫様。その御髪(みぐし)はいかがなさいました?!」

「え。いかがなさいましたかと言われても。馬に乗るには邪魔になったから部屋で切ってみたの。もともと、吉勝様にふられたら出家するつもりだったから」

「姫様。出家などと世迷い言を。父君様は何もおっしゃいませんでしたけど。もし、朝方になったら大騒ぎになりますよ。どうしたらよいのやら」

 周防はそう言いながらうろたえてしまった。鈴子は仕方ないと思いつつも口を開く。

「だったら周防。髪がざんばらだから切り揃えてちょうだい。そうね、しばらくは髢(かもじ)の世話になるとは思うけど」

 淡々と言うと周防はふうとため息をついた。「わかりました。姫様の御髪が腰まで伸びるほどになったら髢は必要ないとは思います。それまでは吉勝様と結婚できませんね」

「そうなるわね。周防、文で髪を切った事は吉勝様にだけはお知らせするから。また、届けてちょうだい」

「かしこまりました」

 周防はそう言って髪を切り揃える仕度を始めたのだった。



 しばらくして周防の手により鈴子は綺麗に切り揃えた髪を鏡で確かめた。周防は存外に器用で鈴子の髪を手早く揃えてくれた。髢を付けずにそのまま寝所へ入る。

(ふう。勢いで髪を切ってしまったけど。馬鹿だったわ)

 鈴子はそう思いながらため息をついた。吉勝にこんな姿は見せられない。周防の言う通り、結婚は先延ばしになってしまった。


 あれから半月が経ち、鈴子は何とか髢でごまかしていた。父と兄にだけは事情を説明する。が、二人からは叱責をもらう。髪を切るとは何事か!と父の右大臣はかなりご立腹だった。兄は気づいていたからか父ほど酷くなかったが。

 それでも、外出禁止を言い渡された。長くて半年、短くても三月と父と兄は告げる。仕方なく言われた通りにした。

「姫様。今日は吉勝様がおいでになりましたよ。いかがなさいますか?」

 周防がそう言ってきた。鈴子は扇を閉じるとふうとため息をつく。

「わかったわ。お通しして」

「では。お連れしますね」

 周防が退出すると鈴子はさてどうしたものやらと考えた。うまく誤魔化せはしないだろう。何といっても吉勝は勘が鋭い。自分の髪にいち早く気づくだろうか。不安が頭をもたげる。

 さて、衣擦れの音がして周防を先導に吉勝が入ってきた。鈴子は御簾越しで対面する。扇で顔を隠して吉勝に声をかけた。

「よくいらしてくださいました。今日は気分が良くないので御簾越しでご容赦くださいませ」

 そう言うと吉勝は心配そうに声をかけてきた。

「え。気分がよろしくないとはいかがなさいましたか。姫にしては珍しいですね」

「いえ。半月ほど前から微熱が出るようになりまして。薬師に診てもらったら夏咳(なつしわぶき)ではと言っていましたけど」

 控えめに言ったら吉勝は周防の用意した御座に座りながら眉をしかめた。

「夏咳ですか。それは治りにくいと聞きます。薬師だけだと心許ないですね。わたしで良ければ、診ますが」

「い、いえ。大した事はないのです。むしろ、他の方に移しては大変ですから。横になっていれば何とかなります」

 鈴子が告げると吉勝は不思議そうにする。

「何故、慌てるのです。姫、今日は様子がおかしいですよ」

「…吉勝様。本当に大丈夫ですから。ご心配をおかけしてごめんなさい。もう、気分が悪くなりましたので。失礼します」

 鈴子は頭を下げると背中を向けて奥へにじり寄ろうとした。が、吉勝は何を思ったのか立ち上がりこちらまで大股で近寄ってくる。御簾を巻き上げて鈴子の袖を掴んだ。

「吉勝様!」

 鈴子が声をあげて顔を扇で隠すと吉勝は腕をも掴む。ぐいと引き寄せられて腕の中に閉じ込められた。強く抱き締められて鈴子は震える。

「何故、このようによそよそしくする。姫、一体何があった。わたしとあなたの仲でしょう」

 低い声で言われて鈴子は視界が歪むのを感じた。はらはらと頬に涙が流れる。

「…吉勝様。お許しください。せめて、半年はお待ちくださいませ」

「半年?すまぬが待てそうにない」

 吉勝は首を横に振ると鈴子の髪に触れた。背中の真ん中辺りに手を伸ばすと紐でまとめられた箇所をほどく。はらりと背中から下の髪が床に落ちる。

「…なるほど。こういう事だったか。頭中将が嫌がっていたのがやっとわかった」

 吉勝はそう言うと鈴子の流れる涙を無言で袖を使い、拭ってやる。されるがままになっている彼女は髢が外れてしまった事に気がついていない。吉勝は切り揃えられたとはいえ、短くなった髪を見て歯を食い縛る。ぎりと音がした。

(鈴子はもしや、わたしと結婚するのは嫌になったのだろうか。だから出家するために髪を切った?)

 そんな疑念がふつふつと湧いてくる。吉勝は鈴子を呪った男を殴り飛ばしたい気持ちになった。それでも泣き続ける鈴子を宥めたのだった。

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