宝珠山戦②:燃えすぎる闘志
笹原ちえみは、プライドの高い女だった。
それは、宝珠山高校に通う大抵の生徒に言えることだが、自身の家が名家であったり、両親が会社や行政で重要な役職についていることに、自負と誇りがあった。ちえみもまた議員一族の家に生まれ、祖父は先代の県知事、実父も県議会議員と、県政の一端を担っている。
生まれながらにエリートの自覚はあった。しかし、小学校六年生の時に受けた中学入試の時から、彼女の自尊心にケチが付き始めた。
最も大きなところはやはり、中学受験に失敗したことだ。同じくエリートたる一族の勧めもあり、彼女は首都圏にある中高一貫のペン=クオリア女学院に挑戦したものの無念の不合格。倍率はほぼ二倍と、東大入試に比べればマシではあったものの、彼女は受験者の半分に許された『選ばれし者』になることができなかった。
受験に失敗したからと言って、多少――いや、かなりふてくされはしたが、決して自暴自棄にはならず、滑り止めのつもりだった県内では唯一の私立中学へと入学を決めて三年間を気丈に過ごして来た。
そこで出会ったのが、ご存じ、清水撫子である。
撫子の方がひとつ下という年齢的なアドバンテージはあったものの、話題性、才覚、そして国会議員を父に持つ家柄に至るまで、撫子は存在しているだけでちえみの自尊心を無自覚に破壊し続けていた。もちろん、そんな状態にあることを撫子本人は知る由もないし、彼女も彼女で自尊心の塊であるがゆえに、いくら先輩であろうとも気にかけることすらしなかった。それがまた、余計にちえみの心を逆撫ですることになるのである。
高校受験の季節になり、ちえみは地元の名門校である宝珠山高校への入学を決めた。宝珠山そのものに不満があるわけではなかったが、中学受験の失敗がわずかながらにトラウマとなっていた彼女にとっては、首都圏の名門校へのリベンジの機会を蹴っての消極的な進学となった。
そして翌年、当然のように撫子も宝珠山への入学を決めた。ちえみにとっては目の上のタンコブ再来といったところだが、今の彼女には新たな自尊心が芽生えていた。剣道である。
父の勧めで小学校の高学年から続けてきた剣道が、高校にあがり、身体も出来上がったこともあり、ひとつの才能として花開いていた。もちろん県内のトップレベル選手と渡り合うには足りないが、同級生の中では随一の腕を持つ南斎千菊とも十分に渡り合えるほどの非凡な才であった。
ちえみは、撫子が持つ数多の才のひとつに剣道があることを知っている。そして、その実力が並程度であり、高校最後の大会では下級生にコテンパンにボコられたことも知っている。
これなら勝てる――彼女は、心の中でほくそ笑んだ。
しかし、現実は非情である。
撫子もまた、高校進学を機に剣道の才に開花するのは、言うまでもない。
ようやく勝てると思った分野であっという間に追い抜かれていったちえみは、それはもう、あからさまな態度に出てしまうくらいに、存分にふてくされた。一週間程度、寮の自室に閉じこもり、千菊が気を遣って様子を伺いに行く羽目になった。しかし、流石のちえみも、頑なに扉を開けようとはしなかった。本人も、今回ばかりは立ち直ることはできないだろうと腹をくくっていた。
ところが、予想外にも扉をこじ開けたのは、清水撫子だった。彼女は、ちえみの部屋の扉をノックすると、返事も待たずにこう告げた。
「防具がカビて酷い匂いなので、せめて部屋に引き取っていただけませんか」
直後、ものすごい勢いで扉が開かれ、ボロボロの髪で顔を真っ赤にしたちえみが引きつった笑みを浮かべて立っていた。
ちえみが二年、撫子が一年の夏休みの出来事で、雨に恵まれ、とても蒸し暑い八月だった。
それからちえみは、いつもの調子を取り戻したように道場へ顔を出すようになった。道場の片隅でブルーチーズのようになっていた白備えの防具は、専門の業者にクリーニングを依頼したのか、新品同様の美しさで戻って来た。
すっかり宝珠山高校剣道部のエースとなった撫子には、決して敵うことがなかったが、ライバルだと(一方的に)認めて切磋琢磨するようになった。
そして、今に至る――
(思えば中学時代からそうだった。どうして私の世代は、下の世代から叩き上げを食らわないといけないの……!?)
いたし方の無い理不尽に腹を立てるのは、今に始まったことではない。同門でも清水撫子に、そのお気に入りである児玉朝。
鶴ヶ岡南には小田切愛苺と雲居つきみ。
さらに今目の前――あこや南に秋保鈴音、須和黒江、そして忘れもしない日下部竜胆。
(練習試合とは言え一年生に負けた! 撫子のやつ下級生に負けてざまぁみろとか思ってる場合じゃなかった!)
あの日の練習試合の結果は、大なり小なり、宝珠山高校剣道部にとって刺激となったのは間違いがない。
(だから、本大会ではリベンジができると思っていたのに……相手がヤンキーとは。私もつくづく運が無い)
試合開始から、既に一分ほどが経過していた。決勝リーグの戦いだ、ちえみだって、あこや南高校剣道部のデータは十二分に目を通している。
中川薔薇。素行不良そうな見た目そのままに、練習試合の時から力任せの剣道が得意な粗が目立つ選手。大会に向けて、多少は冷静さを手に入れたようだが、一撃一撃の破壊力にものを言わせるところは大きく変わらず。
(しかしローズって……薔薇でローズって……しかも、あの顔で)
面金の向こうから睨みつけてくる相手の表情を目の当たりにして、ちえみは思わず笑いがこみ上げてしまう。油断も油断。一瞬意識が逸れたところに、容赦なく薔薇のメンが叩き込まれる。
「メンあり!」
(あぁぁぁぁぁ!? しまった!?)
時すでに遅し。残るのは幾ばくかの後悔と、自ら張り倒してやりたくなるくらいの自責の念である。
「笹原先輩は……宝珠山の山に籠って、いったい何を学んでいるのでしょうか」
贔屓目で見ても煩悩まみれの上級生の失態を前に、撫子が呆れた顔でため息をつく。
「悪い子じゃないんだ。ただ、素直すぎるだけで」
そう答えた千菊は、胸を張って腕を組むと、全く動じていない様子でコート上の仲間を見つめる。
「素直だからこそ、切り替えも早い」
開始線に戻って構え直したちえみの背中は、それまでと打って変わって、研ぎ澄まされた刃のような冷静な闘志を宿していた。
(失態は失態。あとで顧問のお小言でも、何でも受け入れる。だけど目の前の彼女もまた二年。この私が、負けることだけは許されない)
(……姿勢が変わった?)
立ち姿から漂う気配の変貌に、薔薇は警戒するように歩幅を浅めに取る。正直、つい今しがたまでは「馬鹿にしてんのか」と憤りすら感じるほどに能天気な相手だと思っていた。しかし、状況は一変する。もともと強気に攻める薔薇の剣道に対して、相手もまた、負けじと竹刀を差し込んでくるようになった。
勝負にノッて来たというよりは、気持ちでは負けないと誇示しているかのようだった。
(チッ……こういうのが一番厄介だ)
薔薇の剣道は、強引に攻めることで自分のペースを押し付け、流れを掌握するものだ。強引であるがゆえに粗も目立ち、そこを突かれることは多々あるが、それよりもこういった、同じく強引に流れを引き戻そうとしてくる相手の方が、戦略的には面倒な相手だ。
つまるところは根競べ。もちろん根性で負けるつもりはさらさらないが、問題は、意地に意地を重ねて熱くなってしまうことだ。
「コテあり!」
打ち合いが続く中で、ちえみのコテが、薔薇の浮いた手元に突き刺さった。同じ意固地になる中でも、ちえみのここ一番の一撃は、狙いすましたかのように冷静だった。いや、事実として狙いすましていたのだろう。打ち合えば薔薇は冷静さを欠くと見越したうえで――
「しっかり構え直せ! 打ち合いで手元が浮いたままになってるぞ!」
鑓水の怒号が飛ぶものの、コート上で集中する選手に外野の声が届くことは稀だ。例に漏れず、薔薇の頭の中は、意地の張り合いで負けられない熱い気持ちと、「一本取り返された」という焦燥感とでごちゃ混ぜだった。
「勝負!」
三本目が始まった瞬間、示し合わせたかのように互いのメンが飛び交う。薔薇の頭にあったのは、相手より一歩出し抜いてやるという強気の姿勢。奪われかけた流れを、強引に手繰り寄せようとする負けん気の心。
一方で、ちえみの頭の中にあったのは、高校生活最後の大会へむけた決死の覚悟――などではなく、もしもここでまた下級生に負けるようなことがあれば、撫子にどんな顔をされるのだろうかという、ただそれだけだった。もっとも、気にかけてすらいない撫子は、どんな顔もしないわけだが、防具のカビを指摘されたあの夏の出来事は、中学受験の失敗を塗り替えるほどのトラウマとして、彼女の心を蝕んでいた。
(あの時の撫子の、まさしく菌類か何かを見るような蔑んだ目! あれだけは二度と……!)
それはちえみのトラウマが描く、誇張された記憶なのだが、それでも薔薇の負けん気を上回る勝利への渇望を生み出したのもまた、確かだった。
「メンあり! 勝負あり!」
審判陣の旗が一斉に赤に上がり、試合に決着がつく。撫子は、自身の試合に向けて面付けを始めながら、さも当然の結果であるかのように頷いた。
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