宝珠山戦①:火打石
「黙想ぉ!」
アリーナに凛とした声が響いて、私は背中越しに圧に押されたようにつんのめった。恐る恐る振り返ると、コートの向こう側で、ひときわ目立つ白備えの集団が泰然自若に並び座していた。
「パフォーマンスだ。食われるなよ」
「は、はい」
落ち着いた口調で諫める先生に、すっかり飲まれかけていた私は、おおきくひとつ深呼吸をする。宝珠山の存在は、アリーナに於いてもひときわ目立つ。その中で、決して見掛け倒しにならず、堂々と胸を張ってここまで上り詰めてきた彼女たちは、決してお嬢様の道楽集団ではないのだということを物言わずに語っていた。
「結局、オーダーは練習試合の時と同じままでしたね」
部長の言葉に、私は宝珠山の面々を端から端まで舐めるように見渡す。先鋒から大将まで、いつか見たことのある顔ぶれが、記憶にあるまま座っている。
真っ先に目に留まるのは、やはり中堅の清水さんだ。列の中央に座す彼女の黙想姿は、如来像にも似た美しさと神秘性を漂わせている。美女は何をやらせても様になるから、やっぱりずるい。
ついで、ウチの日葵先輩に負けず劣らずのイケメン剣士である大将の南斎さん。宝珠山高校の部長でもあり、チームの要としての気合と自尊心に満ちた背中が、まっすぐに伸びている。
その間に挟まれるのが副将の児玉朝さん、か。第一印象はひょろりとした、これまた美人さんだ。ウェーブかかったボブカットの髪が、他の選手に比べて彼女を大人びてみせているせいもあるかもしれない。姿勢はビシッと決まっているのに、なんだろう、どこか頼りなさげに見えるのは気のせいかな。どことなく困り顔っぽく見える、垂れ下がった眉のせいだろうか。両サイドに並ぶ宝珠山のツートップに挟まれると、どうにも頼りなさげだ。
先の練習試合の時も、どうにも影が薄い人だった。そもそも清水さんと戦う準備やらなんやらで、自分の試合以外はまともに見ていなかったせいもあるけれど、よくも悪くも平均的な剣士と言う印象。昨日貰った資料でも、正直、気になるような点はなかった。強いて言えば、特筆事項であった「鍔迫り合いが多い」という妙なコメントだけ。書いたであろう早坂先輩に尋ねてみたけど、「見たまま、他の試合に比べたら多いなと感じたから書いといた」という返事を貰えただけで、具体的なことは何も分からなかった。
鍔迫り合い……鍔迫り合いかぁ。
正面切っての打ち合いをよしとする学生剣道界では、他の技に比べてあまり重視されていないのが鍔迫り合いだ。どうにも時間潰し策に見えてしまうせいもあるだろう。あまりに長く感じた場合は、別れて構え直すことを促す審判もいるし、意図的だと判断されると稀に反則となってしまう場合もあるらしい。お目にかかったことはないけれど。
頼りない印象も加味すると、そういうタイプの剣士……なのかな。時間を稼いで引き分けか、一本差勝負を狙うような。私も結果的に似たようなことをしているし、それを卑怯だとは言わないけど、やりにくそうだなって気持ちはある。
だけど時間をかけてくれるのなら、今の私にとっては好都合だ。
* * *
コート上に、あこや南と宝珠山、両校の選手が整列する。方や宝珠山高校にとっては、今後を占う決勝リーグの第一戦。一方であこや南高校にとっては、優勝決定戦への進出をかけた運命の二戦目だ。
「お互いに、礼!」
「よろしくお願いします!」
溌剌とした少女たちの掛け声に合わせて、会場に拍手が響き渡る。大会三日目であるアリーナの観客席は、閉会式のために訪れた他校の選手たちでほとんど満席だ。予選リーグで負けてしまった以上、わざわざ来る必要もない高校がほとんどだろうが、県の代表が決定する今日と言う日の一戦をその目に焼き付けることもまた、彼女たちの望むところだろう。
多くの地元剣士たちの夢を代わりに背負っているのが、今、コート上で戦う剣士たちだ。無様な試合は見せられないと、誰もが気持ちを新たにする。
(蓮……やっぱり、出場は無理か)
南斎千菊は、副将の座に収まった鈴音の肩越しに、コート脇で松葉杖を抱えてパイプイスに座る安孫子蓮の姿を捉えて息を吐いた。落胆のため息だった。そんな気持ち、表情にはおくびにも出さないが。
旧友のよしみで、進む高校は違っても、剣道を続けていたら大会で会えるよねなんて約束を交わした仲だ。ポジションの違いもあって、直接剣を交えることはなくても、今まさにその約束が果たされようとしていたところ。それなのに、蓮が怪我をして出場できなくなってしまったというのは、このうえなく残念だし、悲しいことだった。
(彼女は、試合中に怪我をするほどガッツを見せる選手だったかな……)
高校に入ってからの彼女のことは知らないが、少なくとも千菊が知る中学までの彼女は、みんなを引っ張っていくリーダーでありながら、いざ何かを成そうとすると、自分は一歩引いた位置で周りを俯瞰しているような、要領の良い子だった。それは決して嫌味なわけではなく、何かあった時にすぐにフォローができるように、いわゆる監督とか保護者っぽい立ち位置に収まっていると言った方が正しい。
実際、中学の学園祭の時には、クラスメイトのミスで模擬店の食材の一部を発注し忘れていたところ、代わりにできるだけ早く納品してくれる業者や、地元のスーパーを駆け巡って、どうにか当日までに間に合わせてくれた。蓮は、そういう子だ。
だからこそ、後先考えずにがむしゃらに頑張る姿というのが、どうにも千菊の中のイメージと合致しなくて。事実として、今も受け入れ難い。そこまで蓮にさせる何かが、このあこや南高校にはあったのか。それとも、彼女なりに最後の夏にかける想いや覚悟があるのか。はたまたその両方か。
ただひとつだけ言えるのは、千菊は宝珠山高校の南斎千菊であり、蓮はあこや南高校の安孫子蓮だということだ。
(君が全国を託したチームメイトを、私と私のチームメイトが倒す。いいね)
心の中で尋ねても、返事が返って来るわけがない。だけど、自信たっぷりに笑みを湛えた蓮の表情に「打倒、宝珠山高校」の意思意思を確かに感じ取って、千菊も満足を得た。
整列を終えて、選手たちは各チームの陣に戻る。それぞれ先鋒だけが、コートの両サイドでにらみ合うように立って、試合開始の時を待つ。
「中川、落ち着いていけ!」
「先輩、頑張って!」
顧問や後輩たちの声援を背中に受けて、中川薔薇は、一度だけ屈伸をする。深く膝を折って、ぐっぐっと下半身に力を込めるような、重みのある屈伸だった。床に近くなった目線の高さから、薔薇は向かいの対戦相手をギロリと睨む。
練習試合の時には次鋒を守っていた彼女は、宝珠山の先鋒である笹原と戦うのは初めてだ。あの時は竜胆が先鋒を務め、その抜群の機動性と手数で相手を圧倒した。
(それほど動きの良い選手じゃねぇ。気持ちで負けなきゃ、勝てる)
薔薇が先鋒を任されるのは、ここ数年の剣道生活の中でも珍しいことだった。最後にその役目を担ったのは、小学校の中学年ころ。そこから先は、彼女の確かな実力と、成長期で早めに身体がガッシリしたこともあり、中堅や大将を任されることが多くなった。中学に入ってからは、小学校の時よりも年功序列的な意識が強く、メンバーに選ばれても先鋒中堅大将の花形に選ばれることはなく、一年のころは次鋒や副将に落ち着いていた。代替わりしてからは、小学校の時と同じく中堅や大将に。やはり先鋒ではなかった。
薔薇本人は、スタメンとして試合ができるのならポジションにそれほどこだわりはない。ただ、あこや南高校剣道部という場において、中堅と大将を担うべき存在は自分ではないということだけは、一切の忖度なしに納得していた。
八乙女穂波と北澤日葵。このふたりは、高校剣道の常識から逸脱している。日葵に至っては、自分に良くしてくれた憧れの先輩という贔屓目も多少あるかもしれないが、それでも本来持つ実力は穂波に比肩すると、薔薇は自信を持って答えるだろう。そして穂波は言わずもがな、県個人戦で優勝の栄誉を手に入れた、自他共に県下最強の剣士。
そのふたりを差し置いて自分が中堅と大将に収まることなんてあり得ることではなく、一方で、安心して任せることもできる。
そして副将。これも今の代においては、安孫子蓮の定位置と言って過言ではない。薔薇が絶対の信頼を置く日葵だったが、やはり性格に難がある。そして、試合でなかなか成果を挙げられないことも周知の事実だ。彼女に大将という花形を任せる以上は、試合の流れを掴んで、手綱を握る存在が必要となる。
このチームで、蓮以上に適した存在はいないだろう。
となると、先鋒か次鋒が薔薇の立ち位置となるわけだが、昨年までは同期の熊谷杏樹。そして今年も、春までは一年の日下部竜胆がその役目を担っていた。先鋒はたいてい、チームに勢いをつけるエネルギッシュな剣道をする人物があてがわれることが多いので、あこや南高校もその例に習った形だった。
しかし鑓水顧問は、一件固まっていたかに思えた先鋒と次鋒のオーダーを入れ替えた。意図は聞かされていないが、薔薇は勝手に、これは「勝て」という先生からのメッセージであると解釈した。勢いをつけるだけなら、元気のいい選手を配置すれば役割は果たせる。しかし、その適任を差し置いて薔薇が先鋒を任された以上、求められているのは「結果を出すこと」以外に考えられなかったからだ。
無言のプレッシャーに、薔薇は自ら兜の緒を締めて本大会に臨んでいる。勝つことこそが、自分が「あこや南高校剣道部」の一員として貢献できることだと。
薔薇は、足元にため込んだ力を開放するように、ゆっくりと立ち上がった。じんわりと熱が身体をかけめぐって、やがて頭の天辺でチリチリと火花みたいに弾ける感覚。子供のころ、何か大事なことがある日は、家を出る前に祖母が背中で火打石を鳴らしてくれた。その祖母も数年前に亡くなって、いまではやってくれる人はいないけど、背中越しに聞こえる「カチカチ」と一緒に、身体の内で弾ける熱の感覚は今でも変わらなかった。
主審に促されて、両選手がコートの中に足を踏み入れる。薔薇の中で高ぶっていた熱が一気に冷める。それでいい。胸の奥底で、燻る火種さえ残していれば、むしろ闘志はひけらかさない方が良い。
本当に本気(マジ)な勝負のときこそ、冷静な自分と向き合って、剣を構えるのだ。
――先鋒戦。
赤、宝珠山。笹原。
白、あこや南。中川。
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