日大山形戦①:私のペース

 ――これより、山形県高等学校総合体育大会剣道競技、男女団体戦決勝リーグを執り行います。


「お互いに、礼ッ!」

「お願いします!」

 体育館のアリーナに万雷の拍手が響き渡る。整列したチーム一同が揃って頭を上げると、見渡す限りの客席を埋め尽くす高校剣士たちの姿が目に入って来た。人々の期待と熱で、空気がビリビリと震えたような気さえする。

 決勝リーグ初戦の相手は、日新大学山形高等学校。国内有数のマンモス大学を基盤として全国に支校があり、県内においても千人を超える学生を有するマンモス校だ。

 生徒数が多いことは分かりやすい力となる。それだけどの部も部員数が潤沢であり、切磋琢磨を経て優秀な選手が育ち、世代ごとのベストメンバーを選出できる。現に男子チームは、昨年度大会で優勝しインターハイへ出場しているし、女子も先輩情報では世代を問わず『Bランク(優勝候補を倒す実力がある)』に属している。

 整列で両チーム並んで向かい合った時の印象としては、垢ぬけた女子高生集団って感じだった。安孫子先輩ほどコテコテではないけど、明るい髪に整った肌。流石に化粧はしていないと思う。剣道に力を入れつつも、青春も諦めてませんよって感じの溌剌としたイメージだ。自由というよりは、エネルギッシュという言葉が似あう。

 私の相手となる副将は、ややぽっちゃりとした柔らかい印象の剣士。背は私より低いが、筋肉量で負けてそうな気がする。おそらく三年生だろう。

「行ってこい、中川」

「先輩頑張って!」

「うす」

 先生とチームメイトに送り出されて、中川先輩がコート上に躍り出た。気合は充実しているようだけど、決勝リーグの初戦という大舞台においては、比較的落ち着いているように見える。この人、緊張するってこと無いのかな。チームに勢いをつける先鋒を任せるには、最適の選手なのかもしれない。

「はじめっ!」

 間を置かずに、試合が始まった。中川先輩は、いつも通りの中段。相手選手も中段。互いに警戒するようにジリジリと間合いににじり寄る。歩みこそ数センチずつとは言え、ふたりとも前に進むことしかしない。慎重な立ち上がりのようにも見えて、その実、退くことを知らない闘志が竹刀の先でぶつかり合っている。

 動いたのはほとんど同時だった。示し合わせたかのように。または磁石のNとSが引き合うかのように、竹刀が互いのメンに吸い寄せられる。相打ち無効となるのは織り込み済みなのか、両者とも残心は取らずに追撃姿勢に入る。一転しての激しい攻防。打ち込んでは返す刃を防ぎ、防いではまた打ち込む。

 ギリギリの均衡を崩すのは、苦しい状況で相手よりも一本でも多く竹刀を振ることができるかどうか。

「メンあり!」

 先輩の力ずくの一撃が、相手の脳天に突き刺さった。唐竹割りという言葉がこれほどまで似あう一撃を放つ選手は、そうそういない。そもそも綺麗に竹刀さえ当たれば、ポイントになる競技だ。相手への肉体的なダメージの有無は、勝敗に一切関係が無い。

 だけどあれ、痛いんだよなぁ……私も普段練習で何度も食らってるからよく分かる。正直、それだけの力はエネルギーと体力の無駄だし、何度も言うけどポイントを取るうえでは全くもって意味が無い。

 だけど試合の流れという意味では、獣のような先輩の気合と、骨身に染みる重い一撃は、相手の戦意を削ぐのに十二分な力を発揮する。試合そのものを食う――船越さんにも似た野生の剣道だ。

 一本で先輩の気迫に飲み込まれた相手は、二本目から目に見えて逃げ腰になった。前に出るよりも、一定の安全な間合いを維持するような立ち回り。それじゃあダメだ。中川先輩の勢いを制するには、上回る勢いで真正面からぶつかるか、勢いを逆手に取って丸め込むかを選ばなければ。

「コテあり!」

 ほどなくして先輩の二本目が決まる。相手の勢いを飲み込んでの、危なげない決着だった。威風堂々として、これでいてまだ二年生なんだから、全くもって頼もしい。宝珠山の清水さんや、まだ見ぬ鶴ヶ岡南の小田切さん、他の二年生エースふたりに比べると話題性には劣るけど、歴とした実力者だと物語っている。

 勢いに続く竜胆ちゃんは、いつもの超攻撃的剣道で果敢に攻め立てた。私が言うのもなんだけど、彼女は本当に物怖じしない。学年も、経験量も関係なしに、常に自分の全力を相手にぶつけ続けるスタイルを変えずに居られることは、ある意味羨ましい。

 もしくは……経験が浅い分、まだ壁や挫折を感じたことも無いのかなとも思う。もちろん八乙女部長を含め、自分より強い人たちとは何度も出会っているだろうけど、壁と言うよりは山のようなものと捉えているのではないだろうか。私自身も、黒江と出会うまではそうだった。自分の実力がまだまだであるということを前提に、どんな強敵でも稽古を積めばいつかは越えられるっていう、前向きな希望に満ちたマインドは、剣道を始めたての剣士が持つ特権だ。

 人はそれを、伸び盛りと言う。

「やめっ! 引き分け!」

 次鋒戦は、互いに一歩も引かずに両者得点無しの引き分けとなった。伸び盛りで決勝リーグの剣士と十分に渡り合うことができる竜胆ちゃんは、このままどれだけ成長していくのだろう。最初のライバルとして認め合った身としては、来年、そして再来年が末恐ろしい。

 そして中堅戦――

「勝負あり!」

 疾風迅雷の決着だった。名実共に県内一の実力者となった部長に敵う相手は、そういない。そもそも個人戦優勝の肩書は、それだけで相手を警戒させ、委縮もさせるだろう。左沢産業に挑んだ私たちが、そうだったように。

 ここまでの戦績は、二勝一分けだ。リードこそしているものの、チームの勝利を確実にするためには、あと一度、引き分け以上の結果が必要だ。つまりは大事な副将戦ってこと。

「よろしくお願いします」

 コートから戻って来た部長が、お腹の辺りで拳を掲げて私を出迎えてくれた。私は、そこに自分の拳を重ねて頷き返す。これ、ちょっと羨ましかったんだ。中学の時は、部員が少なくて団体戦は組めなかったし。

「行ってきます」

 コバルトブルーの胴に包まれたお腹の辺りが、じんわりと温かくなる。


 コート上で向き合った相手の副将は、最初の印象よりも小柄に見えた。防具を身につけた分、きゅっとコンパクトにまとまって見えるのは良くあることだ。でも、整列の時のイメージを私は忘れていない。ぽっちゃりとした重量感のある身体。決して揶揄する意図はなく、それでも恐れを知らずにあえて断言しよう。

 剣道において、ぽっちゃりした剣士は往々にして強い。

「はじめっ!」

 試合開始の合図と同時に、相手が懐まで突っ込んできた。ほとんどお相撲の立ち合いだ。気を抜いていたわけではないので、打ち込まれたメンは易々と防ぐことができたけれど、直後の体当たりで大きくよろけてしまう。まるで、振り子の丸太が突っ込んでくる修行みたいだ。したことないけど。

 態勢が崩れたところに、相手は流れるように攻め立ててくる。きっと定番の流れなんだろう。初撃の体当たりで主導権を握り、相手が立て直しを図る前に封じ込める。なるほど強者の剣道だ。春までの私だったら、簡単に飲み込まれていたかもしれない。

 しかし、私も私で個人戦ベストフォーの矜持がある。竜胆ちゃんみたいな前向きな希望ではなく、積み上げた結果が後押ししてくれた心の平常心だ。追撃を冷静に捌ききると、何事も無かったかのような顔で、堂々と上段に構えてみせる。

 面金の向こうで、相手が息を飲むのを感じた。まったく崩れない私の姿を見て、一筋縄ではいかないことを理解したんだろう。少しでも、嫌な気持ちを持ってくれたらそれでいい。ここからは私のペースだ。

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