大失態

 そして、大会三日目の朝が来た。一晩ぐっすり眠って英気を養った私は、体育館の入り口につけてくれた両親の車から、慌てふためいて飛び出した。

「お母さんたち、駐車場に止めたら観客席にいるから!」

「わわわわかった!」

 事の次第をストレートに薄情すると、寝坊した。本当ならバスに乗って来るはずだったのに思いっきり寝過ごした私は、応援に来るなと釘を刺した両親に手のひら返しで頭を下げて、直接ここまで送って貰ったわけである。

 集合時間である八時は大幅に過ぎてしまったが、開会となる九時には余裕で間に合う。どうにか一命は取り留めたかな。先生に怒られるのは覚悟しても、試合に間に合わないよりはマシだと自分に言い聞かせた。

 とはいえ、一分一秒が惜しいのでエントランスを駆け足で選手控室へ向かう。今日の決勝リーグに残ったのは、女子は三校×二ブロックの計六校。他に男子のチームもいるけれど、必然的に道着を着ている人はまばらだった。一方で、会場に集まっている人自体はほとんど一日目と同じくらいぎっしりで、そのほとんどが試合を想定していない制服やジャージ姿だ。多くが黒か白の道着に身を包んでいた昨日までに比べれば、色とりどりで華やかな風景だった。

 ……と、呑気に人間観察をしている時間はない。

 人の波をかき分けて、改めて控室へ急ぐ――が、途中で誰かにぶつかってしまった。慌てたせいでの完全な前方不注意。どしん腹部に響いた衝撃でつんのめった私は、千鳥足のついでに何か柔らかいものを踏んづける。

「わっ、ご、ごめんなさい!」

 どうにか踏みとどまって振り返ると、視界の先でふわりとした髪が揺れた。その人が持つ特徴的な雰囲気に、昨日見ていた動画が情景に重なる。

「雲居さん……?」

 そうだ、雲居つきみ。昨日、穴が開くほど動画を見たからハッキリと分かる。背の丈は部長より少し大きいくらいで、とても小柄な印象。だけど顔もちっちゃいので、それほど幼い感じは受けない。ぼんやりとした表情にはどこか絶望の色が滲み、わなわなと震えながら、なぜか私の足元を見つめていた。

 釣られて視線を下げる。そこには、私に踏んづけられてカスタードをぶちまけた、シュークリームだったであろう残骸があった。

 さっと、血の気が引く。

「ごごごごごめん! 前見てなくって! ほんとに、えっと……」

 私は慌ててパタパタと自分の身体をまさぐる。まさぐったところでポケットのない道着には、何か入っているわけが無いのだが、テンパっていたので仕方がない。そのうち、補給用に買っておいたソイスティックがあったことを思い出す。

「今、これしか持ってなくて、ごめん!」

 鞄の中から引っ張り出したそれを、半ば押し付けるように手渡して、私は控室へ急いだ。ほんとにいろいろ申し訳ないけど、こっちも時間がギリギリなんだ。あとで時間を見つけて改めて謝罪させてもらうとして……そういえば、なんか似たようなことが最近あったな。流石にシュークリーム踏んづけるようなことはなかったけど。てか、カスタードのせいで靴底がすごくニチャニチャする。これも後で洗っておかないと。

 いろいろ踏んだり蹴ったりで、大事な日なのにテンションは急降下だ。


 それからチームに合流した私は、鑓水先生から大目玉を食らったものの、ひとまず開会に合わせるために急いで防具の準備を済ませた。あこや南のコバルトブルーの揃い胴。まさか、三日目も身につけることができるとは思っていなかったので、少しだけ嬉しい。

「そう言えば、今日は観戦校多いですね。同じ決勝でも、昨日の個人戦はそんなんでもなかったのに」

「閉会式があるからね。よほどのことが無ければ、たいていの学校が集まってるはずだよ」

「なるほど」

 エントランスで感じたささやかな疑問に、五十鈴川先輩が答えてくれた。二年生ながらレギュラー落ちしてしまった彼女は、大会期間中はずっと制服姿でマネージャー業に勤しんでいる。主に他校の偵察にかかりきりで、あこや南の試合中も居たり居なかったりと存在がまばらだった。

「決勝リーグは、初戦が日大山形。二戦目が宝珠山だ。どちらも実力校であることは推して知るべしだが、決して手も足も出ない相手ではない。お前たちは優勝候補を打倒して、ここまで上がって来たんだ。実力に自信を持って試合に臨め」

「はい!」

 鑓水先生の発破に、部員一同、声を揃えて応える。気合が入っていた。彼女の言う通り、左沢産業を乗り越えたことは、チームの勢いという意味でも良い起爆剤になっているようだ。

 一方で、少し気が入りすぎのようにも思えた。このチームとしては、初めての決勝リーグ進出に対する緊張。そして、怪我をして戦線離脱してしまった安孫子先輩への宣誓とも配慮とも取れる、そわそわした空気。

 当の本人は、レギュラーの輪から一歩離れて後方彼氏面で笑っている。松葉杖と相変わらずのギブスが痛々しいけど、それ以外はいたって健康なご様子だ。もちろん皮肉だ。どう見ても試合に出れる状態ではないが、彼女は今日も道着姿に垂と胴までつけた臨戦スタイルで会場に立っている。

「この胴を置いてくわけにはいかないからね」

 ミーティングの後に、もっと動きやすい服装で良かったんじゃないかと尋ねると、彼女はそう言って笑った。

「私のぶんも頼むよ、ウチの裏エース」

「裏のエースってんなら、日葵先輩のほうですよ」

「そうだね。沢産戦の時は、頑張ったって聞いてる」

「私たち見逃しましたからね」

「第二の指令もクリアってとこかな」

 そう言えば、そんな話だったっけ。安孫子先輩には、入部前からいろいろと面倒ごと――もとい指令を与えられ続けている。

 ひとつめの指令が、黒江を剣道部へ入れること。これはクリア。選手じゃなくてマネージャーだったけど。

 そしてふたつめの指令が、日葵先輩を試合で実力の発揮できる選手にすること。結果は正直微妙だ。合宿のころから頑張ってみてはいるけれど、いまいち手ごたえが無い。沢産戦の動画は見せて貰ったけれど、スマホの小さい画面ごしのせいか、「こんなもんだったっけ?」とひとり首をかしげたものだ。目の前で本気の日葵先輩と向き合った時は、もっと圧倒されるような気配があったと思う。

「もしそうなら心強いんですが」

 話のついでに視線を向けてみると、日葵先輩は、少なくとも県内では一番高い背中いを一番小さく丸めて、憂鬱そうにため息をついていた。目の下には、ここからでも分かるくらいハッキリと濃い〝クマ〟ができている。ありゃきっと、寝れなかったんだね……既に先行きが心配だ。

「おい」

 唸るような呼びかけに意識ごと振り返る。中川先輩が腕を組みながら、私をじっと睨んでいた。

「気ぃ抜いてんじゃねぇぞ」

「そんなつもりはないですけど……」

「遅刻してきただろ」

「それは本当にすみません」

「部長は先に全国を決めたが、まだほかにも、そこへ連れていかなきゃいけない人たちがいる。お前はそれを背負ってるんだ。忘れんな」

「中川ちゃん、後輩にプレッシャーかけないの」

「ヘラヘラされるよりも、誰かが言わなきゃならんことです」

「まあまあ、先生にもちゃんと怒られてるしね」

 安孫子先輩になだめられている間も、中川先輩は、ぎょろッとした三白眼でこちらを睨み続ける。もちろんヘラヘラしているつもりもないが、先輩の凄みにたじろぎつつ、改めて自戒した。

「中川先輩、私は今日、全国へ行くためにここに来ました」

「当たり前のことを言うな」

「はい、すみません」

「……よし」

 先輩は軽く頷いて、そのまま試合の準備に取り掛かった。ことの顛末を見届けてか、竜胆ちゃんがペタペタと歩み寄って来る。

「中川先輩って古の頑固親父みたいだよね」

「うん、まあ」

 どっちかと言えば番長とかそっちの類かなと思うけど、説明するのもややこしいので同意しておく。きっと本気で怒ってるし、本気で心配もしている。入部した時はただのヤンキーだと思ってた彼女だったが、合宿で一緒に日葵先輩のことを考えるようになってから、そんな人となりが理解できるようになってきた。

「それよりも鈴音ちゃん、念願の同じチーム! いえーい!」

「ちょ、竜胆ちゃん。安孫子先輩の前で」

「わっ、ごめんなさい! 深い意図は無いんです!」

「いいよいいよ、怪我したのは自分のせいだから」

 安孫子先輩に気を遣われて、竜胆ちゃんと引っこめかけたハイタッチを改めて交す。

「なるたけいい形で後ろに回すからね」

 先頭から二番目の次鋒を任される彼女にとって、後ろとは中堅以降の私たちのことを差す。ちなみに先鋒は予選リーグと変わらず中川先輩なので、このふたりが団体戦の流れを作る『切り込み隊』となるわけだ。

「そこは『勝ってくるから』の方がいいな」

「わかった! 勝ってくる!」

 竜胆ちゃんは笑顔で腕に力こぶを作って、中川先輩同様に試合の準備にかかった。団体戦の場合、基本的に次鋒までは防具フル装備の状態で挨拶を行うので、試合直前は案外慌ただしい。それでも二人とも声を掛けに来てくれたのは、大なり小なり、突然チームに抜擢された私のことを気遣ってのことだろう。

「うん、ウチら良いチームだよねぇ」

 隣で安孫子先輩がほっこりしていた。これじゃあ後方彼氏面と言うよりは、弟子の成長を喜ぶ老師か何かみたいだ。

「じゃあ、先輩。私も準備しますので」

「うん、行ってこい」

「ちゃんと先輩の事、全国に連れていきますから」

 改めて、自分に言い聞かせるように口にする。怪我をした先輩の夏を、応援席で終わらせはしない。これから戦うのは団体戦なのだから。私が全国へ行くのではなく、みんなで全国へ行くんだ。

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