アイソレーション

「えっと……それで、雲居さん相手だと、なんでアンチカウンター剣道が必要なの? 彼女もカウンター剣道の使い手?」

「そういうわけじゃない。むしろ、彼女は仕掛け技の方が得意な方。あと、いい加減にアンチカウンター剣道って言い方は、ややこしいから辞めた方がいいよ」

 そんなこと言われたって、今までそう呼んでたんだから仕方ないじゃん。確かに、アンチカウンターって呼ぶからカウンター剣道相手にしか効かないように聞こえるけどさ。

「じゃあ、何て呼んだらいいの。黒江が言う本質ってやつだと」

「アイソレーション」

「あい……なんだって?」

 聞いたことのない単語……あ、いや、待って、なんか別のとこで聞いたことはあるような気がする。確か、バスケとかサッカーとか、その辺のコート競技。意味は……流石に覚えてないや。あとで調べてみよ。

「今、後で調べようとか思ったでしょ」

「う……いや、まあ、現代っ子ですから」

「だから、大会中には言いたくなかった。中途半端な知識で動きを鈍らせて欲しくないから」

 ハッキリ言うじゃん。でも、きっとその通り。半端な知識で半端なことをするのはよくないと分かっていても、ついつい引っ張られてしまいそう。それも、強い剣士が相手ともなれば。

「じゃあ、調べないからさ。その、あい――なんちゃらってのは、何なのか教えて」

 時間も限られてるし、本題に入ろう。黒江だって、そのつもりで私を残したわけだろうし。

「アイソレーションは、言葉の意味で言えば〝分離〟や〝独立〟と呼ばれるもの。バスケやサッカーで、意図的に相手選手を孤立させるテクニックが一般的な使われ方」

「ああ、それだ。うろ覚えで聞いたことがあったの」

 喉につっかえていた小骨が取れたみたいにスッキリ。

「でも、剣道じゃ関係ないじゃん。最初から一対一だし」

「そう。だから戦術としてのアイソレーションじゃない。鈴音が意識するべきは、技術としてのアイソレーション」

「ごめん、よくわかんない……察しの悪い私に、もっと具体的な言葉を頂戴」

 黒江は、すまし顔で頷く。

「ダンスなんかでよく使われる。身体の各部位を、それぞれ独立して動かす技術」

「ナマステーみたいなやつ?」

 言いながら、首だけグリグリと左右に動かしてみせる。インドだけじゃなくって、K-POP系のダンスでもよく見るよね。上半身だけとか、下半身だけとかで踊るやつ。

「鈴音がアンチカウンター剣道とか、フェイントとか呼んでる技術は、アイソレーションの一種。打つと見せかけて、実は踏み込んでいない。逆に踏み込んでいないように見せかけて打つ。踏み込む歩幅をも誤認させる。そういうの全部」

「それが本質ってこと? フェイントなんてみんなやってるじゃん」

「アイソレーションでフェイントする高校剣士は、そう居ない。剣道は基本的に、一本芯が通ったような体捌きが基本だから」

 そう言われてみればそう、か。

「部長がいい例。地道に基礎稽古を積んだ剣士ほど無駄がそぎ落とされて、動きが精錬されていく。すなわち「型」と呼ばれる一連の動きから逸脱しないということ。それは技を受ける側にとっても同じ。ここで相手が打ってきたら、こういう軌跡を描く――頭の中で思い描く最高率の残像、ゴーストのようなものを無意識に思い描いている」

「それなら、私も覚えがあるかも」

 黒江からカウンター剣道を教わってから、特に意識するようになった。〝後の先〟をとるために、相手がどう打ってくるかをあらかじめ想定して、そこにカウンターを合わせる。時折、イメージのゴーストを超えるスピードで打ってくる人がいるけど、それは単純に自分の想定が甘かったために起こることだ。

「アイソレーションは、相手が勝手にイメージしているゴーストから、自分の動きを意図的にずらす技術。だからこそ、カウンター剣道に対してアンチテーゼとして機能していたし、時に部長の縮地すらも騙す」

「なるほど」

 つまり、私のやってきたことは、間違ってなかったってこと……だよね。そのことを知れただけでも、というか他ならぬ黒江の口から聞けたことが、思ったより嬉しい。

「そんなに有用なら、みんな当たり前に使うべきじゃないの」

「鈴音、剣道の型って何のためにあると思う」

 何のためって、そりゃ。

「それが一番、理にかなって効率的な動きだから」

「そこから逸脱するアイソレーションは〝無駄〟な動き。未熟な選手がそんなことしたら馬鹿みたいに隙をさらすだけ。高段位者なら扱う人もいるけれどね」

 ああ、なんだろう、すごーく納得いってしまった。そっか、私が黒江を意識するようになってから試合で勝てなくなったのは、黒江にしか勝てない剣道だったからじゃなくって、単純に未熟な私がアイソレーションなんて無駄をさらしていたからだったわけか。

 なんか……浮かれてた気分が一気に凹んだ。

「だったら……未熟な私が無駄なことをしても、恥を晒すだけではないですかね」

 凹みすぎて敬語になってしまった。そんな私を見て、黒江はフッと鼻を鳴らす。

「今日の試合で分かった。鈴音はちゃんと無駄を極めてる」

「褒められてる気がしない……てか、今、鼻で笑ったでしょ」

「ごめん、いつもこうなんだけど」

 なんて鼻につく女だ。とはいえ、黒江の笑い顔なんて、あとは試合中のシリアルキラーみたいな笑みしか思い浮かばないんだけど。

「褒めてるんだよ。事実として、鈴音相手には、私もうまく試合を展開できない」

「それでも勝てないんだけどね」

「そこは地力の差があるから」

 なんなの?

 一個誉めたら一個けなさなきゃいけないルールの?

 私、どっちかと言えば誉めて伸びるタイプだと思うんだけど。

「意識してアイソレーションできるようになれば、もっとキレが出るはず。そうしたら雲居つきみも相手にできる」

「そこまで言う雲居さんって、どんな剣士なの」

「彼女は……」

 珍しく黒江が言葉を濁らせた。どう伝えるべきか、適当な言葉が見当たらない。そんな様子だった。

「彼女は、掴みどころが無い人」

「雲だけに?」

「強いて言うなら、彼女には間合いがない」

 軽口が華麗にスルーされたのは置いておくとして、ふわふわした黒江の評価に、私は首をかしげるほかない。

「ないってことはないでしょ」

「それはもちろん。ただ――いや、今は時間がないから、後で説明する」

「あ……そうだね。話だけで十分も使っちゃった」

 慌てて壁の時計に振り向くと、与えられた時間の1/3をとっくに使い切ってしまった。

「あと二〇分で、身につけられるかな」

「無理だと思う」

「だからさぁ」

 もうちょっとやる気の出る言い方して!

 いや、私も流石に無理だと思ってるけど!

「意識してなかっただけで鈴音の身体に染みついている。だから、足りない〝意識〟を短時間で無理矢理引っ張り出す」

 そういって黒江は、セーラー服姿のままで竹刀をまっすぐ、私の喉元めがけて構える。

「構えて」

「防具もつけないで何するの」

「この状態で試合をする」

「は? 何言って――」

 聞き返そうとした瞬間、背筋を悪寒が伝う。これは殺気。黒江がひと息で懐まで迫り、私は慌てて握っていた竹刀で身構えた。

「本気で打ち込むから。鈴音も本気にならないと、痣だらけになるよ」

 寸前のところで受け止めた黒江の竹刀は、放っておけば無防備な私の脳天を、容赦なく打ち据えていたことだろう。技のキレと威力が、それを如実に物語っている。悪寒に続いて、冷や汗が喉元を伝う。

「私、明日、試合あるんだけど」

「大丈夫。意識してアイソレーションできれば、怪我が増える前に終わるから」

「怪我するのは前提なんだ」

「それに、私に勝つために覚えたことなら、私が相手になった方が引き出し易いはずでしょう?」

「それはそう、かも」

 いちから手取り足取りやっている時間が無いのも確かだ。黒江を信じる。そう決めたのは、私じゃないか。

「そっちこそ、制服ボロボロになっても知らないからね」

「いいよ。それで鈴音が強くなるなら」

 なんか今の、ちょっとえっちいな……ああ、いやいや、集中集中。気を抜いたらそれこそ、アオタンの一個や二個じゃ済まないだろうし。流石に、明日の試合に差支えがあるほど痛めつけたりはしないと思いたいけど……黒江のことだしなぁ。

 ぶっちゃけ、目の前の目がマジだ。アレは、試合をするときの彼女の目だ。

 黒江が間合いを切った間に、大きくひとつ息をつく。どんな形であろうとも、黒江と真正面から剣を交える機会を一分一秒たりとも無駄にしたくない。リーグ戦の時は相変わらずコテンパンにされたけど、あの後も私は成長しているんだ。それを試す機会が降って湧いたことに、今は感謝しよう。

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