雲居つきみ

 夕暮れの剣道場に、溌剌とした気合が響く。


 我らがあこや南高校剣道部は、山形県高等学校総合体育大会――通称インターハイ予選の一日目と二日目の全日程を戦い終えた。

 一日目の個人戦では、私、竜胆ちゃん、中川先輩、八乙女部長が出場。それぞれベスト十六までを戦い抜き、私と部長が二日目のベストエイトへと駒を進めた。

 二日目はまず団体戦予選リーグ。県内二強の一角である左沢産業高校と同じ組み合わせになるという不運があったものの、先輩方はみごとこれを下し全勝でリーグを突破。全国が目と鼻の先となる決勝リーグへ駒を進めることができたが、副将の安孫子先輩が全治一ヶ月の怪我でスタートオーダーから離脱するという、大きな痛手があった。その後の個人戦では、ベストフォーで私と八乙女部長の一騎打ちが行われる。延長二回に渡る激戦で、私なりに全力を尽くしたものの一歩及ばず。しかし勢いに乗った部長は、決勝戦でも見事な勝利を納め、優勝の肩書と共に一足先に全国大会への切符を手に入れた。


 正直、とても悔しいし、羨ましい。一年だからと卑屈になったことはなく、私は私なりに全国大会へ向けて走っていたつもりだった。だけど、この結果が今の自分の正当な評価なのだと納得もしている。秋の新人戦では、より高みを目指そうと心を入れ替えよう……かと思った矢先の出来事だった。

 怪我で出場できなくなってしまった安孫子先輩の代わりに、補欠の私が決勝リーグ以降の団体戦メンバーに選出されることになったのだ。

 剣道の大会で選手登録ができるのは、スタメン五人と補欠二人の計七名。うちひとりが欠けたなら、私か、早坂先輩のどちらかが出ることになるのは当然のことだが、一年目の夏をすっかり戦い終えて燃え尽きたつもりだった私の心中には、ほとんど不意打ちに等しい話だった。


 それでも、「任せた」と託されたんだ。安孫子先輩は、「全治一ヶ月ならインターハイに間に合う」と笑った。怪我をした一戦が、先輩の高校生活最後の試合にさせないためにも、恥ずかしくない試合をしよう。団体戦のインターハイ出場枠は、優勝校の一枠のみ。

 私たちの夏は、まだ終わっていない。


「面を外して集合!」

 鑓水先生の一声に、場内に散らばって今日の反省と個人練にあたっていた部員たちが一斉に竹刀を下ろす。それから足早に下座の壁際一列に並ぶと、腰を下ろしてそぞろに面を外した。

「外しながら聞いてくれ。まずは大会二日目、良く戦い抜いた。団体戦も、個人戦もだ。無事に三日目に繋げたこと。そして個人で全国行きを決めたこと。共に、お前たちが苦しみながらも遂げた成果だ。謙遜せず、胸を張って糧としろ」

「はい!」

 稽古で多少息が弾んでいても、統率のとれた返事が乱れることはない。やがて面を外しおえて、上座に座る鑓水先生の前に、安孫子先輩を除くレギュラー一同がずらりと並び、腰を下ろす。その後ろに、レギュラー以外の部員たち。大会に出場しない彼女たちは、一様に夏の制服姿だ。そのさらに後方に、足を痛めた安孫子先輩が、パイプ椅子を組み立てて腰を下ろしていた。

 全治一ヶ月。捻挫とは言え、普通に大けがだ。骨に異常が無かったのが、本当に「この程度で済んで良かった」と言えるところ。それでも、半ギプスに包帯巻きで膨らんだ足先は、顔を背けてしまいそうになるほど痛々しい。

 集合を確認すると、先生は抱えていたコピー用紙の束を部長に手渡し、配るよう指示する。手元に来てから軽く目を通すと、ホッチキスで止められたA4数枚の紙束に、決勝リーグに残ったあこや南以外の五校の選手データが記されていた。

「早坂がまとめてくれた。予選と違い、決勝リーグはポジションも含め、既に互いの手の内をさらけ出した後の戦いだ。全国へ行くためには、情報に頼り、対策を講じるのは重要なことだ」

「すごい……ありがとうございます、楓香さん」

 尊敬のため息交じりの部長に、早坂先輩は小恥ずかしそうに鼻の下をさする。

「もっとも、他校にとっても同じことが言える。個人戦も含めれば、我々は今大会でかなりの試合数をこなしているからな。詳細なデータが取られていると思った方が良い」

 部員たちの浮かれる気持ちを締めるように、鑓水先生は声のトーンを落として告げた。

「それを踏まえた上での決勝リーグのオーダーだが……基本的に変更はなしだ。鈴音、お前は安孫子と入れ替わりで副将に入れ」

「は、はい」

 突然の名指しに、慌てて背筋を正した。順当な采配ではあるけど、せっかく不可抗力でオーダーを組み直せるチャンスなのに、それで良いのかなという気持ちもあった。まあ、剣道の団体戦においてオーダー順を変えることは禁止されていないが、褒められたことではないという暗黙の了解がある。また他の競技と違い、一度補欠と入れ替わったスタメン選手は、その大会中は二度とオーダーに組み込むことができない。そういう背景もあり、一度組まれたオーダー順は最後まで変えないというのが、一般的な考え方だ。

 しかし、今回は怪我による退場という不可抗力がある。補欠選手の参入により、ポジションの適正の優先順が変わるのであれば、オーダーを組み替えることにも妥当性が生まれる。

「組み換えも検討したが、適性を考えれば今のままがベストだと判断した。不満があれば考慮する。遠慮なく言え」

 私の疑問に先回りするように、先生が釘を刺す。私を含めて、特に異論を唱える人はいなかった。実際「ベストだ」と言われれば、納得のできるオーダーだから。

 私自身、これまで副将は守ったことが無いので、その点での不安はある。しかし、先鋒と次鋒は中川先輩と竜胆ちゃんに適正で劣る。エースポジションの中堅と大将も、言わずもがなの部長と日葵先輩で決まりだろう。となれば、私が副将に収まるのは妥当も妥当。

 ひとつだけ問題があるとすれば、安孫子先輩みたいに勝ち数を念頭にいれた器用な試合運びはできっこないってことなんだけど……だったら、分かりやすく勝ちを目指しに行った方が、このチームには貢献できそうな気がした。


 そうと決まればさっそく、貰った資料の各校の副将のデータに目を通す。宝珠山の副将は、練習試合もあったのでなんとなく覚えがある。これと言った特徴があった記憶はないけど、あそこは中堅から大将にかけて実力のある選手を配置するオーダーだ。その副将を任されているとなれば、部内でも指折りの剣士ということだろう。

 名前は、児玉朝(こだまあさ)。二年。清水さんの同期か……なんとなくだけど、一筋縄ではいかなさそう。


 それから、他の学校にも目を通しているうちに、ひときわ目を引く記載があった。


 一年。


 決勝リーグの選手名簿に、一年で名を連ねている選手がいる。いや、ウチだって結果的にふたりも一年生が出場することになってしまったけど、彼女が属している高校名を目にしたことで、私の関心が一気に引き寄せられる。


 鶴ヶ岡南高校。副将。雲居つきみ。一年。


 県内二強で一年生レギュラー……鶴ヶ岡南高校と言えば確か、県内の優秀な選手を集めて組織された部のはずだ。県外勢を余すところなく投入している左沢産業とは対照的な存在。上級生も有数の実力者が揃っているはずなのに、その中で一年生レギュラーとは。

 思えば『雲居つきみ』って名前、どっかで聞いたことがある気がする。同い年だし、どこで聞いたんだったかな。考えてもぱっとは思い出せなかったので、あとで黒江に聞いてみよう。

「決勝リーグは2ブロック制だ。それぞれのブロックの勝利校同士で、全国出場をかけた優勝決定戦を行うことになる。まずは同じブロックの日新大山形と宝珠山に勝つ。ここまで上がって来た高校は、全て優勝に値する実力があると思え。一戦一戦が、我々にとっての決勝戦だ。いいな?」

「はい!」

 先生の喝を一身に受けて、私たちの最後の調整は終わった。少しだけ、お腹の辺りがむずむずする。もしくは、ざわざわする?

 緊張とも似た、だけど不快ではないこの感覚。思えば、部長とやる前もこんな感じだったかも。強い人たちと同じ舞台で戦い、そして倒すんだっていう。

 これはつまり、武者震いだ。

 ミーティングが解散となって、私はさっそく雲居さんのことを聞くために黒江に声をかける。しかし黒江は、手のひらを差し向けて「ちょっと待って」と前置くと、私を尻目に鑓水先生の方へと向かった。

「先生。この後少しだけ、鈴音と残っても良いですか」

 先生は、渋るように眉間に皺を寄せる。やがて口を開きかけたところで、黒江が遮るように言葉を紡いだ。

「明日のために必要なことです」

 そのまままっすぐに、恐れを知らない瞳で先生を見つめる。見ているこっちの方がどぎまぎする。先生は、皺を刻んだまましばらく彼女とにらめっこしていたが、やがて折れたように小さなため息をついた。

「三〇分だ。それ以上は明日に差し支えるから許可できねぇ」

「ありがとうございます」

 言質をとった黒江は先生に頭を下げると、踵を返して私のもとへ戻って来た。

「鈴音、竹刀だけ持って来て」

「良いけど、何するの?」

「部長との試合の前に、鈴音に教えなかったことを教える」


 ――何て言ったっけ……アンチカウンター剣道。


 ――え……ああ、黒江にしか効かないヤツ。


 ――あれは言葉通り、カウンター剣道以外には効果ないはずだけど。


 ――それは違う。


 ――本質が違う。


 ベストエイトで船越さんと戦ったあとに、黒江が私の剣道に対して口にした言葉。本質が違う――そう言っておきながら、部長との戦いの前には、妨げになるから教えないと言って突っぱねられた。

「どういう風の吹き回し? 頑なに教えてくれなかったのに」

 意地悪っ気を込めて、ちょっぴり責めるように言ってみる。ぶっちゃけ、与えられた三〇分そこらでどうこうできる話なら、あの時でも教えられたはずだ。そしたら部長との戦い方も、変わっていたかもしれないのに。

 すると黒江は、珍しく目を伏せて申し訳なさそうに声をひそめた。

「……状況が変わった」

 なにそれ、どういうこと。あの時にはなくって、今の私にはあるもの?

 大会中よりは集中できる時間。部長と戦った経験。公式戦での敗北。あとは今日で終わりだと思ってた試合に明日も出るようになったとか、挙げようと思えばいくらでもあげられるけど。

 しかし、黒江の口から告げられたのはそのどれでもなく、一方で私自身が欲していた言葉でもあった。

「雲居つきみ」

 一音一音を確かめるように、黒江はゆっくりとその名を口にする。どきりとする私に、彼女は同じようにゆっくりと、アメジストのような深い輝きを持つ瞳を向けた。

「彼女と戦う可能性があるのなら、鈴音には必要なことにだから」

 決して脅されているわけではないのに、心臓に冷たい刃を当てられたみたいに、心がひやりとした。研ぎ澄まされた刃は真剣のようで、このまま進んでも弾いても、スッパリと命を断ち切られるような、生死の縁を彷徨う緊張感。

「それ、私も聞こうと思ってた」

 ごくりと生唾を飲み込んでから、ようやく言葉を返す。

「彼女は何者?」

 私の関心。

 黒江の警戒。

 そのふたつが同じ少女を相手に重なったとき、そこに必然性があるのだと、私はこの時に理解した。ロマンチックな言葉を使うなら〝運命〟だ。須和黒江と共に過ごしている限り、決して抗うことができない運命。

「雲居つきみ……昨年の中学校県総体、個人戦準優勝」

 黒江は、雲居さんの戦績だけを事務的に語った。たったそれだけで、私は事の重大さを受け止めた。わざわざ念を押すように、聞き返す必要もなかった。


 雲居つきみは、黒江に並ぶもう一人の県代表選手。


 そして黒江が剣道から離れた今、彼女は名実ともに県内最強の一年生だ。

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