おまけ~待ち受ける者たち~

 個人戦の決着がついて、アリーナの客席から観客たちがそぞろに帰っていく。その中に、ひときわ目立つ白備えの道着に身を包んだ一団が居た。

「優勝は八乙女穂波か。先を越されたな、撫子」

 宝珠山高校、部長の南斎千菊が爽やかな笑みを浮かべた。撫子は、すまし顔で鼻を鳴らす。

「彼女の方が年上なのですから、後も先もありません」

「はは、そうだな。それにしても、私もお前も辛酸を舐めさせられた外山が負けたとなると複雑な気分だ」

 決勝戦で穂波と戦った左沢産業の外山は、ベスト十六で千菊を、そして準決勝で撫子を破っている。団体戦では予選敗退となった沢産だが、県内トップに名を轟かせる強豪校の部長として、全国の切符を手に入れる意地を見せる形となった。

「今日の八乙女穂波の仕上がりは完璧です。仮に私が決勝に上がっていても、おそらくは負けていたでしょう」

「おや、珍しく弱気だね。準決勝敗退は堪えたかな」

「相変わらずひと言多いです。それに、今のは〝今日ならば〟という話」

 撫子は、つい先ほどチームメイトから動画で見せてもらった、対岸ブロック準決勝を思い出す。八乙女穂波と秋保鈴音、撫子にとっては因縁深いふたりによる熾烈な戦いだった。

(準決勝の方が苦戦しているようにも見えた。実力ならば秋保鈴音より外山紬麦の方が間違いなく上……となれば、苦戦したのは実力以外のところか。もしくは、秋保鈴音との戦いによって〝気づき〟があったのか)

 撫子の目から見て決勝の穂波は、準決勝に比べて動きが良かったように思えた。決して準決勝の動きが悪かったという意味ではなく、さらに一皮むけた印象だ。

(秋保鈴音、余計なことを……とは言いませんよ。むしろ、よくやってくれました。今日、彼女の成長を目にすることができたなら、明日は負けない)

 そもそも練習試合では撫子の方が勝っていた。それから県予選に向けて力をつけてきたとしても、撫子も同じように宝珠山の山の上で厳しい稽古を積んでいる。個人戦の結果を受けてなお、劣っているとも、後れを取ったとも思わない。

「個人としての順位がハッキリしたところで、部としての総合力ならば宝珠山が勝っています。私たちはそういうチーム作りをしてきたのではないですか」

「その通りだ。常日頃、寝食を共にしている我々が結束力で負けるはずがない。ただ……」

「何か?」

 千菊とて、チームのことに関しての憂いはひとつもない。むしろ気にかかるのは、あこや南の方だ。

(蓮、大丈夫だろうか)

 蓮が倒れたことは、千菊も人づてで耳にしていた。心配はあったが、大会中でもあるし、他校の事情に干渉することは憚られる。


 ――私は、このチームで全国へ行きたい。


 大会の前に、蓮のメッセで送られて来た言葉だ。文面だけで相手の表情も声色も分からなかったが、千菊には楽しそうに微笑む蓮の姿が、ありありと思い描けた。

(明日の決勝リーグに支障が無ければいいが。せっかくの真っ向勝負だ。遺恨を残す結果にはしたくない)

 千菊と蓮は、家が近所の幼馴染だ。幼稚園から中学まで一緒で、高校受験を機に初めて別々の道を歩むことになった。別の高校へ進むのを知った時、一抹の寂しさはあったが、人間関係に振り回されずに自分の道を選ぶ蓮のことを、千菊はカッコいいと思った。だからこそ自身も、胸を張って宝珠山で生きていこうと思えた。

(仲が良かったとはいえ、昔はいつも蓮の後ろについていくだけだったからな。ようやく対等に向き合えると思ったが)

「部長」

 急かすような声に、千菊ははっとする。怪訝な顔で見つめる撫子に、千菊は何事も無かったかのように笑みを浮かべた。

「いや……試合も終わったし寮へ戻ろう。明日の対策を立てなければ」

「はい。ほら朝、ぼーっとしてないで行きますよ」

「ええっ!? ぼ、ぼーっとしてませんよ……!?」

 先んじて席を立った撫子に急かされて、隣に座っていたチームメイトが慌てて立ち上がる。例に漏れず白備えに身を包んだ彼女が「いやいや」と首を振るのに合わせて、ウェーブがかったボブカットがふわりとなびく。

「レギュラーなんですから、しゃんとなさいな」

「そんな……人数が少ない中での、年功序列みたいなものですし」

「人数が少なくても、ウチがそういう考えでオーダーを組む学校でないことは分かっているでしょう。それに年功序列だというなら、笹原先輩を差し置いて副将に選ばれるわけがありません」

「なんで怒りながら褒めるんですか……どんな感情で聞けばいいんですか」

「怒ってません。良いから、行きますよ、朝」

「はいぃ!」

 朝と呼ばれた少女は、終始おどおどしながら撫子の後に続いてアリーナを後にする。その様子を、顧問が満足げな笑みを浮かべて見つめていた。

(放っておいても勝手に伸びる南斎と清水を除けば、この一年で最も伸びたのはあの子。だからこそ副将を任せている。清水という規格外が同世代に居たのが、良い刺激になったようですね)

 千菊と撫子、そして星川朝。この三人がいたからこそ、今年は全国を狙えるメンバーであると自負して、例年以上に稽古に力を入れてきた。

 お嬢様学校で生徒数が限られることも相まって、宝珠山は世代によって実力差が激しい。生徒のほとんどは宝珠山高校に入学すること自体が目的で、特定の部を目的に入山するわけではないからだ。

 適度な運動のためにほどほどに部活をしたいという世代も何度もあった。顧問として、それはそれで、そういう指導に力を尽くす。スポーツを通して礼節を教育するのもまた、武道が持つ重要な側面だ。

 一方で、全国大会を目標とする世代もあった。もちろんそれに適した指導をするが、選手層が薄いこともあり、実力と結果が伴うことは稀だ。しかし本気で打ち込んでいた分、多くの悔し涙も目にしてきた。

 そんな中で、今年は選手の実力と、全国へのモチベーション共に充実した、玉の世代であった。実力がある一部の部員だけでなく、部全体としてそういう気位がある。誰かに強いられるわけではなく、それぞれがそれぞれの願いで、全国の切符を掴み獲りたいと思っている。

 生徒がどんなモチベーションであろうと、いち教師として世代ごとに贔屓目を持つことは無いが、いち指導者として期待をかけるのは当然のこと。そのために使えるツテは全て使った。地元の名家の娘が集まる歴史と伝統の中で充実したOG会は、ほとんど県政下の学閥として機能している。出身者に顔の広い議員や警察組織や剣道連盟の関係者もいれば、有力なコーチの斡旋をお願いするのも容易なことだ。その指導料に糸目をつける必要もない。なぜなら、お嬢様学校だから。

(最も、全国へ行くことがゴールではありませんが……その先の世界で鎬を削ることをこの子達に強いるのは、酷なことでしょうかねぇ)

 全国――多くの高校剣士は、その二文字をスローガンのように掲げるが、かの舞台にあがることと、そこで戦い抜くことは意味合いが違う。しかし、その違いは全国を経験した者にしか分からない。だからこそ彼女は、撫子を重用している。なぎなたと言う別の世界とは言え、全国を知っている彼女の存在は、部にとって良い影響になると目論んで。

 それが花開いたのなら、顧問としてこれ以上冥利に尽きることはないと――


「ふぅん、沢産倒したのもマグレじゃないってことかぁ」

 同じように、観客席の傍らで個人戦の行く末を見守っていた小田切愛苺は、ニヤケ面で顎をさする。左沢産業が予選落ちして、あこや南が上がって来たと聞いた時、彼女の心中は期待と落胆で半々であった。

 県内のトップ二校として、鶴ヶ岡南の仮想敵は常に左沢産業高校だった。全国優勝経験のある沢産に勝つための稽古を積むことは、そのまま全国の強豪と渡り合うための力をつけることになる。

 しかし、沢産が予選で落ちたとなれば、これまでのあらゆる想定がパーだ。もちろん、沢産に勝てる見込みがあるということは、他の県内すべての高校に勝てるつもりでいたわけだが。いざ宿敵に勝る高校が現れたとなると、戸惑いもひとしおだ。

 だが、こうして穂波の躍進を目の前で見届けて、不安が杞憂であることを知った。同時に、明日の決勝が楽しみにもなった。

「竜胆の目は節穴じゃなかったか……まっ、ウチと当たるのは優勝決定戦まで上がってこれたらだけどねぇ」

「何、もう決勝リーグで勝った気になってんの。すぐ油断するんだから、清水にも負けたんだ」

「はーい、すいません。でも私は、来年にモチベを合わせてるので」

「それを先輩に面と向かって言うなよ」

 先輩にドヤされて、愛苺はぺろりと舌を出して苦笑する。それから、前の席に座る小柄なチームメイトに、もたれるように抱きついた。

「ねー、つきみちゃんは宝珠山とあこや南、どっちと決勝戦やるのがいーい? あ、日大山形でも良いけど」

「……?」

 ツキミと呼ばれた少女は、肩越しに振り返ると、無言で首をかしげる。選択肢のどれも選べないというよりは、興味自体が無さそうだった。

 それを表すように、咥えていたポッキーをサクサクと咀嚼していく。

「あっ、いいな。一本ちょーだい」

 愛苺がお菓子を失敬しようとすると、ツキミは手に持った箱を慌てて遠ざけて、険しい顔で首を横に振る。ハーフアップで留めたふわふわのポニーテールが揺れて、毛先が愛苺の鼻先をかすめた。

「お菓子みたいな匂いさせおってからに……だったら代わりに胸もませろ!」

 愛苺は、猛獣みたいに両手を掲げて、襲い掛かるふりをする。ツキミはぎょっとして顔を青ざめさせて、お菓子と、たわわに実った自分の胸とを見比べて――やがて、後ろ手に箱を隠しながらずいっと胸を差し出した。

 愛苺は口元をひくつかせながら、しおしおと委縮したように項垂れる。

「ご、ごめん……そんなに欲しいわけじゃないから。てか、そこまでして差し出されたおっぱい、ちょっと重い……もっと気軽にもませて。あと腐れなく定番の流れにできる感じで」

「下級生いじめるのもやめっ」

「あいたっ、ごめんなさい!」

 先輩からの鉄拳が脳天に落ちて、愛苺は涙交じりに反省する。そんな彼女の姿を、ツキミは不思議そうに見上げていた。

(相変わらず何考えてるか分かんないけど、この子もこの子で面白い子だわ。流石、須和黒江の世代で揉まれ続けて来ただけあるね……あ、だからおっぱい大きいのか。なるほど)

 全くもって関係はないが、愛苺は勝手に納得して勝手に笑っていた。殴られて笑う先輩を前に、ツキミは心底呆れた顔でため息をつき、ポッキーを齧った。

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