挑戦ではなく
* * *
食後の軽い休憩を経て、私たちあこや南高校剣道部の面々は、自らの防具を手に体育館の小アリーナに集まっていた。学校の体育館ほどのこぢんまりとしたこちらのアリーナは、大会期間中に選手たちのウォームアップ会場として広く開放されている。私たちの他にも、既に数校の部がスペースを確保して打ち込みに励んでいた。
「これからもう少し増えると思いますので、場所はコンパクトに使いましょう」
「でも、これからウォームアップしたい学校なんて、もう数が限られてるんじゃないですか?」
部長がきゅっと広げた手を狭めるジェスチャーをすると、竜胆ちゃんが明後日の方向を見上げながら首をかしげる。
「個人戦はベストエイトから。私と部長みたいに、複数選手が残ってる学校もあるって考えたら、確かにアリーナが埋まるほどは集まらなさそうだね」
ベストエイトの顔ぶれをハッキリと覚えているわけではなかったけど、少なくともあこや南のふたりを除いてあと六人。高校数で言えば五~六校程度だ。わざわざ観戦や偵察をしていく意図がなければ、大半の高校が午前中のうちに帰路についてしまっているだろうし、手狭になるってことはおそらく無いだろう。
「かといって、無理に幅を利かせる必要もありませんよ」
「それはたしかに」
笑顔で答える部長に、竜胆ちゃんはさくっと手のひら返しで答えた。もともと不満を言ってるわけじゃなくって、素朴な疑問程度だったんだろう。考えたことをそのまま口にしまってしまうのは、たぶん今に始まったことじゃない。
それから、病院へ行った安孫子先輩を除くレギュラー陣六人に加えて、黒江がストップウォッチ片手に進行を管理する。ウォームアップメニューはいつもと変わらず、切り返しなどの基本の打ち込みと掛かり稽古。終わったら乱れた息を整うのを待つ間に、直近の試合について確認する。
「穂波の相手は、沢産の次鋒だった押野さんだね。さっきの試合を見たまんまだから、これ以上追加の情報は特にないんだけども」
早坂先輩のコミュニティニュースが再び炸裂するが、会敵済みの相手あったので特筆すべき点はないようだ。部長自身もそれは織り込み済みで、意気込むように深く頷く。
「元県一位だよね。さっきの試合でも彼女ひとりだけ、まともに勝利していたし、気を付けるよ」
「うう、手も足もでず面目ないです……」
その負け戦を期した竜胆ちゃんが、しゅんとして頭を垂れた。部長は落ち着いて首を横に振る。
「いえ、相手が確かな実力者だっただけです。むしろ、実際に戦って気づいたことがあれば、何でも教えてください」
「それはもちろんです!」
「じゃあ、日下部さんが私のコーチについてくれますか? スパーの相手は……背格好が近いのは、中川さんですかね」
「うっす。自分が相手します」
「じゃあ、私の相手は日葵先輩ですかね?」
「いや……早坂先輩、鈴音の相手をお願いできますか?」
「え、私?」
黒江の提案に、早坂先輩はびっくりして自分自身を指さす。
「北澤先輩は、鈴音の上段を外から見て、何かあれば指摘をお願いします」
「う、うん。分かった」
別の指名を受けた日葵先輩も、多少戸惑いながらもぎこちなく頷いてくれる。さっきお昼を食べながら聞いたけど、さっきの試合で日葵先輩は〝阿修羅モード〟を使ったらしい。私と中川先輩があれだけ頑張ってダメだったのに、いったいどんなきっかけで……と、いろいろ気になるところはあるが、私も今は自分の試合のことでいっぱいいっぱいだ。
「早坂先輩。私の相手については何か情報無いんですか?」
「お、それ聞く? あるっちゃあるんだけど……」
「なんか、歯切れが悪いですね?」
「正直参考になるのかどうか、ちょっと分かんなくてさ。まあ、伝えない意味はないから、とりあえずお耳拝借」
そう前置いて、早坂先輩は「こほん」とひと呼吸おくように咳ばらいをする。
「鈴音ちゃんの次の相手は遊佐水産高等学校、三年、船越鳴希」
「遊佐水産って団体戦出てないですよね?」
昨日のうちに決まっていた対戦表だ。私だって、ぼーっとして今日を迎えたわけじゃない。午前中の団体戦で軽く偵察でもできれば――と考えてはいたものの、各ブロックのリーグ表の中にその名前を見つけることができなかったのだ。
「遊佐水は今年、部員がふたりしかいなくって団体戦は出てないよ」
「あこや北みたいなものですね。でも、あそこみたいに他校と合同でも出なかったんですね?」
「遊佐水は、名前通りに水産業を学ぶ高校だからね。泊りがけの実習も多いみたいで、打ち合わせもできなかったんじゃないかな」
実習……なるほど、そういうのもあるのか。あこや南は普通科しかないから、実技だとか実習だとか、授業中にそんな言葉が飛び交うことはほとんどない。せいぜい化学とか家庭科の授業くらいだ。
「そんで、船越鳴希ね。中学高校共に最高戦績は県ベストフォー。全国の経験はないけど、地方の個人戦では上位に食い込むことが多い実力者だよ。鶴ヶ岡南にスカウトされてたみたいだけど、それを蹴って遊佐水産に入学したみたい」
「え、なんでですか?」
「人づての情報だけど海洋調査船に乗りたかったって話だよ。ひと口に水産業って言っても、漁業だけじゃなくって研究職のルートもあるからね」
「調査船……」
「学校で持ってるって話。遠洋調査もできる立派なヤツみたいだねぇ」
スケールと規模が想像の外過ぎて、いまいちイメージができない。そもそも調査船ってどんな感じなんだろう。昔、南極探検の映画を観たことあるけど、流石にあれに出てきたフェリーみたいに巨大なヤツではないと思うけど……専門分野を持つ高校の施設は、なかなかに侮りがたい。
「……って、それよりも試合の情報の方を!」
「こめんごめん、脱線しちゃったね! ただ、問題が、その、何て伝えたらいいものか」
先輩が再び言いよどむ。
「そんなに迷うって……あまりいい噂が無いとかですか? ラフプレーとか……?」
肉体を使って直接戦う競技なわけだから、そういうプレーが発生してしまうことは仕方がない。さっきの団体戦での安孫子先輩だってそうだった。ただ中には、剣道かとしてはあまり褒められたことではないと思うけど、意図的にラフプレーを好む選手も居ないわけではない。特に、中高の精神的に未熟な剣士たちの中には。
だが、早坂先輩は私の言葉にハッキリと否定する。
「違う違う、そう言うんじゃなくって……ええと、とりあえずありのままを伝えるとね、船越鳴希は試合時間の後半にめちゃくちゃ強くなるタイプってことかな。こう、徐々に助走をつけていくみたいに」
「はあ……」
なんだ、それでも決して珍しい話ではない。試合開始時は、緊張やプレッシャーで動きが鈍い選手が、試合後半に向かうにつれて心も体もほぐれていくなんてのは良くある話だ。
「特に顕著なのが、相手に先取点を取られたあと。というか、船越鳴希はこれまでの公式戦で、一度たりとも自分の手で先取点をあげたことがないんだよ」
それって、一本目は必ず相手に取られるってこと?
ふと、脳裏に昨日の光景が蘇る。そう言えば、彼女が試合の途中から豹変したように強くなった。それって相手に一本を取られてからのことだ。
「逆境に強いってことですかね……?」
「そこが何とも……でも、先に相手に一本与えるのは、流石に意図的っぽい感じがするよね」
意図って言われても、どんな意図があるっていうんだ。バスケやバレーみたいに何点も取り合う競技ならまだしも、剣道の一本は重い。それをみすみす手放す人の真理なんて、考えたところで分かりっこない。
「黒江はどう思う……?」
助けを求めるように尋ねるが、黒江は静かに首を横に振る。
「日葵先輩は……?」
「私もぜんぜん……」
まあ分かり切っていたことだけど。確かに、そう言うことなら早坂先輩が良いあぐねたのも理解できる。聞いたところで、余計に混乱するばかりだ。
「相手にどんな意図があろうと、扱う剣道が変わるわけじゃない。試合後半の強みを想定して当たるしかない」
黒江の冷静な言葉にハッとした。言われてみれば、その通りだ。この場合、相手が試合後半で豹変するのを事前に知っているということ自体が大きなアドバンテージになる。知らずに当たっていたら、今と全く同じ混乱を、コートの上で繰り広げてしまうところだった。
「船越鳴希の試合は、昨日見ている。鈴音も一緒に見たでしょ?」
「うん。後半の感じは、中川先輩に似てる……かも。ただ、ガツガツ攻めてくるってよりは、追い詰められて狩られるって感じで」
「では早坂先輩。その感じでお願いします」
「おっけー、任せて……って、そんな簡単にできるかっ!?」
「雰囲気だけで良いです。そもそも、試合前のわずかな時間で完璧な対策ができるとは思っていませんし。これは、実際に動いてみることで心構えを作るだけの作業です」
「それはそうだろうけど、私には荷が重くない……?」
「船越鳴希に関しては、情報通の先輩が他の誰よりも解像度が高いはずです。お願いします」
黒江は静かに、しかしNOとは言わせない空気を纏わせて、まっすぐに早坂先輩を見つめる。ああ、アレはダメだ。アレをされて、嫌だと言える人間は、この世にいないんじゃないかな。
「わかった、やれるだけやってみるよ」
案の定、早坂先輩も頷かされてしまった。相手、二個上の先輩なのに。おそるべし黒江リズム。
「鈴音は、カウンター剣道と上段の両方で当たって。状況状況で、どちらを使うべきかイメージできるように」
「了解、師匠」
もちろん、私もNOは言わない。いいや、言うつもりも、必要もない。私は黒江の言葉を信じて剣を振うだけだ。彼女との約束――全国まであと三勝のところまで迫っているんだから。
不思議とプレッシャーは感じられなかった。黒江の存在に安心しているのか、それとも予選リーグで見事な試合を見せてくれたチームメイトたちに背中を押されているのか。
挑戦ではなく勝ちに行くんだ。
素直な気持ちでそう思えていることが、何よりの証拠だった。
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