決別と感謝
「お互いに礼!」
「ありがとうございました」
あこや南と左沢産業、向かい合うように並んだそれぞれの選手陣が深く頭を下げる。試合を見守っていた各陣営の控えから温かい拍手が送られる。疲れか、それとも感極まってか、両者とも頭をあげるのに数秒の時間を要した。審判陣も、彼女たち全員がしっかり顔をあげきるまで静かに見守っていた。
「ありがとうございました!」
永遠にも思える時間を破ったのは、沢産の副将・田中の一声だった。声と言うよりは、ほとんど嗚咽だ。涙を噛み殺したような、だけど力強く、清々しい声色で戦いの終わりを告げた。
コートから帰って来た剣士たちを、鑓水が胸を張って出迎える。
「お前らよくやった。山、ひとつ越えたな」
「はい」
穂波が、いくらか明るい声色で答える。よく見れば、小さなおちょぼ口の口角も、ニッと笑みを浮かべるようにあがっていた。
「あの、それで蓮さんは」
「医者に行くと連絡は貰った。それ以上のことは続報を待て」
「そう、ですか」
「一緒に喜びたかったね」
しゅんとする穂波を、日葵が優しい声色で元気づける。その瞬間、労いの矛先は一気に彼女へと向いた。
「先輩、ラストの追い上げ凄かったッス!」
「鬼気迫るって感じでしたねぇ」
「え、え、いや、それはその……」
日葵は、大きな背中を小さく丸ませて、そのままフェードアウトする勢いでそろりそろりと後退する。見かねて、薔薇が沸き立つチームメイトの頭を、竹刀の柄で順に小突いた。
「おら、てめーら。くっちゃべる暇があんなら、他の試合場でも偵察して来い」
「ええー、それは後生ッスよ中川サン! 予選リーグ突破の余韻を、ウチらにも味わわせて欲しいッス!」
「てめーがしっかりしねーと、後輩に示しがつかねーだろうが、杏樹」
「そうは言っても、ウチはピッチピチの女子高生ッスし」
「それはどういう言い訳だ?」
とはいえ、祝勝ムードに浮かれる気持ちは、中川だって無下にするつもりはない。それでも、これは剣道の大会なのだ。立つ鳥あとを残さず。勝った側こそ、潔く平常心でいるべきなのだ。
多方、左沢の陣では、防具を抱えた選手たちがコートに一礼をして去っていくところだった。先ほどの田中を皮切りにしたように、選手、控え陣問わず、湿っぽい空気の中で、それでも礼だけは欠かさない。誰を憎むでもなく、悔やむはただ自分の力足らず。その後悔と決別する意味も込めた、試合場への感謝の礼だ。
観客席からも、改めて健闘を称える拍手がまばらに響いた。月刊誌の記者である東海林もそのひとりだ。
(全国常連の沢産が予選リーグで落ちた……危いところもある試合でしたが、あこや南、ここまで伸びましたか)
剣道専門誌の記者である以上、あこや南のことも全く調べていないわけではない。半分は、あの須和黒江が選んだ高校の実力に興味を持ってのことではあったが、数代前に全国へ名乗りをあげた黄金世代のことや、当代でも東北大会でそれなりの戦績を残していた八乙女穂波のことは黒江関係なしに追ってはいたところだ。
(特に三年生の躍進が目覚ましい。八乙女穂波は言わずもがなとしても、安孫子蓮と北澤日葵が太刀打ちできる選手だとは)
特に北澤日葵は――と、東海林は、つい先ほどの試合を思い返す。
(もともと光るところはある選手だった。最後の夏という環境で覚醒したか。それとも……)
何のかかわりもない自分が、その心の内を推測することはできない。だとすれば、本人の言葉で引き出すのが、記者としての彼女の役目であり仕事だ。
(優勝インタビューも現実のものになるかもしれませんね)
明日の楽しみに抑えきれない笑みを浮かべながら、東海林はスマホのチャットで編集部デスクに速報を送った。
――左沢産業は予選敗退。決勝リーグはあこや南。
「お、遅くなりましたっ! 試合は!?」
しばらくして、鈴音がみんなのところに合流する。彼女はチームメイトから勝利の知らせを聞くと、飛び上がって喜んだ後に、安堵のため息を溢した。
「あっ、そうだ! 安孫子先輩に知らせなきゃ――」
「鈴音ちゃん慌ただしいね」
「いや、だって心配してると思うから」
苦笑する竜胆に、鈴音はそんなに忙しなかったのかと、少し恥ずかしそうに答える。
「先輩、実際どんな感じなの?」
「それは、うぅん……」
自分が見聞きしたままのことを言ってしまえば、「あまりいい状態ではない」のが答えとなるだろう。しかし、救護室では応急手当をしただけの状態だ。無事の回復を願って、滅多なことは口にしないことにした。
憶測でものを言えば、それが現実になってしまいそうな気がしたからだ。
「今日はもう試合がないわけだし、お医者さんに任せるしかないよ」
「何言ってんだ、まだ試合は終わってないだろ」
否定の言葉に振り向くと、薔薇が怪訝な顔で鈴音の事を見上げていた。
「えっ、でも決勝リーグは明日からじゃ」
「ばーか。てめーの個人戦がこれからだろ」
ああそう言うことかと、鈴音は腑に落ちた様子で頷く。
「個人戦は午後からだが、早めに飯食ってウォームアップにあたっておけ。進行は須和に任せて良いな?」
「はい」
鑓水の指示で黒江が頷く。すると、隣で竜胆が元気よく手を挙げた。
「はい! はい! あたしもウォームアップ手伝う!」
「は? いや、ウォームアップだから、そんなに人はいらんだろ」
「てか、明日決勝リーグがあるわけだから、少しでも身体動かしたいと言うか」
竜胆が照れくさそうに笑うと、他のレギュラー陣も顔を見合わせてから釣られるように手を挙げる。鑓水が大きなため息をつく。
「あくまでウォームアップの範疇を越えるんじゃねぇぞ。個人戦ベストエイトは、他の決勝リーグ出場校からも残ってるだろう。手分けしての観戦に遅れんな」
「はい!」
一同の、ハキハキと揃った声が響いた。少なくとも、予選リーグで気持ちが切れた者はひとりもいないようだった。
しかして――インターハイ県予選二日目・午前中の日程がすべて終わる。女子の予選リーグ全六ブロックの結果もまた出揃った。明日の三日目は、各ブロックの六つの通過校を三校ずつに分けて決勝リーグが行われる。その各リーグの一位通過同士で、インターハイ出場をかけた決勝戦が行われるしくみだ。
Cブロックに位置するあこや南が決勝リーグで戦うのは、AブロックとBブロックの覇者たち。
Aブロック代表、日新大学山形高等学校。
そしてBブロック代表――
「勝負あり!」
審判陣の旗が一斉に白にあがり、会場にどよめきが起こった。Bブロック最終戦の決着は、五対〇のパーフェクトゲームでの幕切れとなった。
コートが拍手に包まれる中で、グレーのスーツに身を包んだおかっぱ頭の顧問が満足げに笑みを浮かべる。
「ふふ、良い仕上がりですね。練習試合が発破になりましたか……感謝しなければなりませんねぇ」
口元は笑っていても、その言葉に本当に感謝が込められているかを推し量ることはできない。一つだけ言えるのは、たった今試合を決めたのが、この先に立ちはだかるべき巨大な山であるということだ。
とっくに試合を終えた中堅――清水が、汗ひとつ滲ませない艶やかな髪をなびかせて、つまらなさそうに眉をひそめる。
(ここまでは単なる通過点。これからが本番ですね)
彼女が見据えるのは、決勝リーグで再び相まみえるあこや南高校剣道部のみ。ただひたすらに、練習試合での雪辱を晴らすために。
(秋保鈴音との再戦はお預けでしょうが……だからこそ、八乙女穂波に負けるわけにもいきません。須和黒江不在の今、私が県下の頂点に立つ)
冷酷な表情の下で、闘志の炎だけは天高く立ち上っていた。
Bブロック代表、宝珠山高等学校。
決着は、三日目へと持ち越された。
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