カッコよかったです
――大将戦。
赤、あこや南。北澤。
白、左沢産業。外山。
大将戦の立ち上がりは、このうえなく静かなものだった。試合開始直後から互いに上段に構え合い、そのままビタリと動かなくなってしまったからだ。その実、半歩分――いいや、指一本分くらいの前進と後退を繰り返す、じれったい間合いの攻防が続いていた。
(北澤の上段……公式戦で目にするのは、初めてだ)
外山の記憶が正しければ、かつて地域の練成会で目にしたことがあるような気がする。なかなかの腕前を持っていると感心したものだったが、それ以来ぱったりと見なくなったのに加えて、今では他校から「捨て大将」と揶揄されるようになってしまったことには、いくらか首をかしげたものだった。
(構えや打ち込みは相変わらず綺麗で、体格相応の力強さもある。ただ、致命的に勝負勘が無さそうだった……いわゆる本番に弱いタイプ)
そういうタイプの剣士がいることは、外山も理解しているし、これまで何度となく目にもしてきた。彼、彼女らは一様に、試合で勝つための剣道をしていない。武道として、〝道〟を学ぶための剣道を。有体な言葉で言えば、生涯学習としての剣道を楽しんでいる場合が多い。
(もしくは、惰性でここまで続けて来てしまったか)
それもまた、往々にしてあるべきことだ。ある意味で狭い世界と言うべきか。または競技としての特殊性から、他のスポーツに目を向ける視野が狭いのか。一度――特に幼くして剣の道に足を踏み入れた人は、なんだかんだで大人になっても記憶の片隅に残り続けるものである。仮に卒業や就職の機会で離れたとしても、ふとした拍子に自分自身が再び剣を持つこともあれば、将来生まれた子供に習い事として勧めることもある。
他の生き方を知らない――と言ってしまえば大げさだが、ある種の呪いじみた魔力があるのは確かだろう。
しかして、外山の見立ては九割方当たっていた。日葵は、幼い頃にかつて剣道をやっていた祖父の勧めで剣の道に足を踏み入れ、それから他の競技への目移りなんて一切なく、惰性でここまで続けて来てしまったタイプの人間だった。剣道が嫌いなわけではない。かといって、格別好きなわけでもない。恵まれた体躯もあるわけで、小中学校の頃はめきめき実力もつけたし、その辺の同世代の剣士相手であれば文字通りに無双ができた。
つまり、彼女は勝利の味を知る側の人間だった。北澤日葵は、決して勝負勘がないわけではない。
しかし、それ以上に多感で繊細な思春期の彼女の心は、自分が勝つことよりも他人と仲良くする術の方を重要視した。あの人の剣道、なんか怖い。一緒に稽古したくない。自分を否定される苦しみを思えば、培った技を捨てる方がよほど簡単に目先の問題を解決してくれるのだ。重度の人見知りも、そのころから発症した。元々の性格で言えば、日葵は人の前に出ることの方が好きだったハズなのである。
(蓮が無茶をしたのは、私のせいだ……私が大将として頼りないから、無理にでもリードを作ってくれようとして)
そうやって自分を責めてしまう日葵の推測も、半分は当たっている。三年も一緒に過ごして来たのだから、蓮だって北澤日葵がどういう人間かは十分に理解しているつもりだ。ただ一点、見当違いなところがあるとしたら、〝大将として頼りないから〟ではないということ。ただ単に、リードした状態でバトンタッチした方が、日葵も重責なくのびのびと戦えるのではないだろうか。それ以前に、この一進一退の場面で、自分自身がチームの勝利に貢献したい。副将戦での蓮の無茶は、そういう前向きな意思での無茶だ。
だが、そうポジティブに考えられるほど、日葵の心臓に毛は生えていない。倒れた彼女への心配と大将としての責務。その板挟みで、身体はすっかり強張ってしまっていた。
「――コテあり!」
ぎくしゃくした身体では、間合いの駆け引きも、直接的な防御すらもお座なりになってしまう。外山の大げさな踏み込みによるフェイントに釣られて、上段の手元を思わず下げてしまったところに、綺麗な左コテを差し込まれてしまった。
審判たちの白旗が一斉にあがり、沢産の陣が湧きたち、あこや南の陣が落胆のため息を溢す。
「集中しろ北澤! お前は誰と戦ってる!?」
鑓水の檄が飛ぶ。目の前でチームメイトが倒れたのだ、優しい日葵がそのことを心配しないわけがないのは、彼女だって手に取るように分かる。しかし、だからこそ、ここは蓮の頑張りに答えるように気丈に戦わなければならない場面だ。それを若干十七歳の双肩に任せるのは、酷なことだろうか。それとも心を鍛えられなかった自分の指導不足か。嘆いても始まらない。コート上に送り出してしまった以上、顧問の立場でできることは何もない。ここにいること。蓮に託された唯一の責務を信じて果たすことだけが自分にできることなのだ。
そしてその言葉は、コート上の日葵にもしっかりと届いていた。それくらい、日葵は目の前の試合に集中できていなかった。しっかりしないといけないと、自分を追い込めば追い込むたび、余計に心配ばかりが募る。逆境に追い込まれて力を発揮できるのは物語の主人公だけだ。
日葵はかつて、もしもこの世界が誰かの創作であったなら、と考えたことがある。その場合、自分は絶対に主人公ではないだろうという確信があった。山も無ければ谷もない。単なる人見知りの少女が、何も成せずにのうのうと生きているだけ。そんな物語を見せられて誰が楽しめるものか。
主人公って言うのは、穂波みたいな人間の事を言うのだとも思った。目標があって、そのための努力を惜しまず、成長し、まさに手が届こうとしている。だから主人公になれなくっても、せめて主人公の背中を支える友人でありたい。たとえ最終回で、雑なワンカットで数年後の姿を描かれるだけだとしても、物語に登場することができるのなら――
そのころ体育館の医務室では、簡易ベッドに横になった蓮が救護師の診察を受けていた。傍らには、そわそわと落ち着きのない鈴音の姿もある。
「ひとまず冷やすことで最低限の処置としますが、大事を取るならすぐにでも整形外科に看て貰うべきでしょう」
目下の心配は、やはり足の具合だった。先ほどまではほんのり赤みがかっただけの蓮の足首は、医務室についたころにはおたふく風邪みたいにぱんぱんに膨れ上がっていた。
「分かりました。タクシーを呼んで貰えますか? 掛りつけがあるので」
蓮のお願いを受けて、救護師はすぐにスマホを取り出して電話をかけ始める。
「先輩、私も病院に」
「なに言ってんの。鈴音ちゃんは、これから個人戦があるでしょ。ここまで抱えてくれて助かったよ」
「でも……」
「でもじゃない。ついてきて貰ったところで、待合室で待ってる以外にしてもらうことなんて無いんだから」
そう言われてしまうと、鈴音もそれ以上駄々をこねるわけにはいかなかった。実際、試合を控えているのはその通りだし、居たところでどうしようもないのも言われた通りだ。
「十分ほどで来るようです。行先は運転手さんに直接言ってください。タクシー代はありますか?」
「大丈夫です……と言いたいところだけど、ごめん、鈴音ちゃん。控室から私の鞄だけ持って来てくれる? 代わりに、これ持ってってくれると」
矢継ぎ早に口にしながら、蓮は診察のために外して傍らに置いた防具に目を向ける。
「分かりました。あの、他にできることありますか?」
病院についていくことができないなら、せめてこの場で何かを。そう思って問いかけた彼女に、蓮は満面の笑みで答えた。
「ウチが沢産に勝つこと、しっかり祈っといて」
これまでのことで、その言葉が強がりではなく、嘘偽りない本心なんだと鈴音は理解する。この人はどこまでもあこや南高校剣道部の一員であり、副部長なのだと。だから自身も覚悟を決めて、蓮の防具を腕いっぱいに抱え上げた。
「ひとつだけ言わせてください」
「うん?」
「カッコよかったです」
「ふっ、そりゃどうも」
十分でタクシーが来るなら、のんびりする時間はない。鈴音は急いで鞄を持ってくるべく、体育館のエントランスを駆けだした。アリーナの方から、わっとひときわ大きな声援があがったのが横耳に響いていた。
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