チームとして、ひとりの剣士として
* * *
――先鋒戦。
赤、あこや南。中川。
白、左沢産業。庄司。
(あこや南とか、新人戦は予選リーグ落ちでしょ。いつも通りやれば、気にするような相手じゃない)
庄司の頭にあったそれは、決して慢心などではなく、力量差を鑑みた上での冷静な分析だった。地元の千葉でも個人でベストフォー。団体も、惜しくも優勝は逃したが、決勝で代表戦に持ち込むほどの激闘を繰り広げた彼女にとって、県の予選リーグは通過してしかるべき前哨戦でしかない。
それは、沢産に所属するすべての選手に言えることだった。彼女たちは勝つべくして、そしてそれぞれが勝つために集まった精鋭だ。
(そうじゃなければ、誰が好き好んで東北の山奥で、華のJK三年間を棒に振るもんですか)
トレンドを追って、映える写真や動画なんかをSNSにアップしたり、甘酸っぱい恋なんかしてみたり。そういう、少女漫画みたいな高校生活を送りたかったら、東京か、せめて地元の高校にでも出ていた。それらを捨てた代わりに手に入れたのが、汗と土にまみれて、楽しい事なんて何ひとつない剣道漬けの毎日。部員は強制的に寮生活で、プライベートのプの字もない。よしんば時間があったところで、遊びなんて学校が所有する山でキノコや山菜を採ったり、それを売ったりするくらいしかない。
進路だって、上位大学を目指すような環境じゃない。この夏、部活で成果をあげれば推薦の目もあるかもしれないが、ここまでくたくたになったんだから、大学くらい剣道から離れたいような気持ちもある。かといってこれまでまともに受験勉強なんてしてきてないので、きっと入れるのは私立のFラン校くらい。
(私にはもう、これしかないんだから。勝たなきゃ、人生全部ご破算なんだから)
言い過ぎのような気もするが、社会に出たことのない、視野の狭い高校生の視点では、いたし方のないことだった。誰に課されたわけでもない。自分で選んだ剣道漬けの高校生活だ。
後に引けない想いが、彼女たちに力を与える。
(こいつ、確かにしつこいな……)
試合が始まってからこっち、薔薇は庄司の執拗な連撃にさらされていた。彼女の目から見た庄司は、「意地でも主導権を渡さない」という欲望に満ち溢れた、傍若無人な選手だった。
(日下部ほどの速度はないっつっても、僅かに劣る程度だ。そのうえパワーもあるって言ったら、ほとんど上位互換じゃねぇか。くそっ)
心の中でついた悪態は、決して苛立ちによるものじゃない。頭の中で、必死に攻略法を組み立てる。相手が仕掛け技一辺倒なら、好機を待って応じ技で合わせるのはどうか。それとも顧問が言っていたように、自分は自分のタイミングで、力強く打ち合うべきか。
中川薔薇という選手の特性を考えれば、後者の方が得意分野ではある。しかし、相手の力量が思っていた以上だった。自分たちは挑戦者なのだと、決して油断していたわけではなかったのに。
(これが……上位層の戦い)
薔薇は、個人の実力で言えば県内でも比較的上位の層に居ると思われる。体格にも恵まれているし、長年剣を振って来ただけの技術や勝負勘もある。ただひとつ、生まれた世代が悪かった。まるで須和黒江という怪物の存在に呼応したかのように、彼女を中心とした前後数世代には、他の世代であれば〝数年に一度の規格外〟と評すべき剣士たちがゴロゴロとひしめいている。
チームメイトでも先輩の八乙女穂波や北澤日葵、後輩の日下部竜胆。他校なら高校から剣道一本に絞り、才能を開花させた宝珠山の清水撫子。同じく同世代であれば、鶴ヶ岡南の小田切愛苺しかり。
稽古に裏打ちされた確かな実力はある。しかし、自分は〝規格外〟ではない。諦めではなく純然たる事実として、薔薇は自らそのことを認めている。
(環境のせいにするつもりはねぇ。他人のせいにするつもりもねぇ。俺が敗けたら俺のせい。勝ったら俺のおかげ。そうやって、これまで戦ってきたじゃねぇか)
規格外でない自分が、彼女たちと戦うにはどうしたらいいか。それこそ意地を張って食らいつくしかない。飼い主の手を噛む犬。いいや、猫を噛む機会を伺う鼠。ただひとつ違うのは、窮地に立たされる前から、毎日必死に牙を研いでいたことだけだ。
「やめっ! 引き分け」
あっと言う間の四分間だった。気づけば、互いに息があがっていた。意地と意地が一時も緩むことなくぶつかれば、結果は自然とこうなる。
(くそっ……)
言葉に出さなくても、ほとんど同時に両者の胸に歯がゆさがこみ上げる。
「中川先輩」
コートから下がると、次鋒戦の準備をする竜胆が、拳を掲げて薔薇を出迎えた。薔薇は、自分の拳をそれに合わせると、立て続けに竜胆の胴も軽く小突く。
「悪ぃ。楽にしてやれなかった」
「そもそも楽な試合なんて、ひとつもないですよ。行ってきます!」
竜胆は、気合を入れるように両腕に力こぶを浮かべて笑った。一年生だからこその気負いなさ。いいや、これもまた日下部竜胆の〝規格外〟の一端なのかもしれない。
――次鋒戦。
赤、あこや南。日下部。
白、左沢産業。押野。
次鋒戦の立ち上がりは、先鋒戦とは攻守真逆の攻勢が展開された。沢産の選手に圧倒され続けた薔薇に代わり、今度は竜胆の方が得意の連撃戦で相手選手を圧倒する。パワーは庄司に劣ると言っても、手数の回転数は竜胆の方が勝る。まさに「息を吐かせぬ連撃」を前に、押野の方は一本一本を落ち着いて捌く。
(日下部竜胆……これで、剣道始めて三年目? 馬鹿言わないでよね)
特殊な体捌きが必要とされる剣道に置いて、継続年数は数値化されたひとつのレギュレーションである。逆に言えば、積み重ねが確実に実力に繋がっていく競技。
だが、たまにいる。同じ稽古量で、二倍も三倍もの実力を身につける、乾いたスポンジのような吸収力を持つ剣士が。竜胆が、まさしくそのタイプだ。もっとも彼女の場合は、生活や遊びのすべてがトレーニングのようだった離島暮らしという環境によるところが大きい。
(そんな事より、須和黒江だよ。なんで試合に出て無いの。怪我? それとも単に不調……いや、まさかね)
中学三年の夏。県総体個人戦決勝での屈辱を、押野は今日まで一日たりとも忘れたことは無い。それこそ県下世代の〝規格外〟として、中二から頭角を表し、トップの座を欲しいままにしていた彼女だ。それを、突然現れた若干一年生の彼女に、手も足も出ず奪われた。もちろん準優勝として全国大会に出場はできたものの、県総体でのショックが拭えないまま散々な結果だった。
(恨んでるわけじゃない。私の実力が足りなかっただけのこと。だから今日、この日に合わせて三年間の研鑽を積んで来たのに……リベンジの機会すら与えないってどういうこと?)
ふつふつと湧き上がる怒りは、しかして冷静に心の刃を研ぎ澄ます。負けるわけにはいかない。女王の代わりにチーム入りした、成長途中のルーキーなんかには。
「コテあり!」
「ああっ!」
あこや南の応援陣から落胆の声がこぼれ、方や沢産の応援陣から無言の拍手喝采が響く。しっかりと動きを見極めた押野が、竜胆のメンに合わせて、お手本のような〝出コテ〟を決めた。
「まだ時間はある! 切り替えてけ!」
鑓水の檄が飛ぶが、たいていの場合、選手にはコートの外からの声は雑音程度にしか聞こえていない。切るか切られるかの戦いをしているのだ。目の前の対戦相手と、主審のジャッジに意識を裂くのが、コート上での精一杯。
(普段の私の役割なら、このまま時間切れでチームの勝数だけ稼いで良い。だけど今だけは――)
仕切り直しての二本目。押野が動いた。それまでの、竜胆の出方を伺うような守りの剣道ではなく、食って掛るような激しい打ち合いへ。もともと、押野の剣道に決まった型はない。入学当初、顧問に上段に薦められたこともあったが、彼女は自らの意思で中段を使い続けることを選んだ。中段の方が、どんな相手、どんな状況であっても適した策を見出し、実行することができる。
最も理に叶った弱点の無い構え。その思考も含めて、彼女は最も左沢産業の理念に近しい選手と言えるだろう。
「メンあり!」
ほどなくして、二度目の白旗が挙がった。状況は、両者ともにメンを打ち込んだ〝相メン〟。しかし、竜胆より二年早く生まれた分の身体作りの成果か、技の威力は押野の方が優れていると判断された。
(須和黒江が居ないのなら、私が県下最強の座を取り返す。ここは、私が生まれ育った故郷なんだから)
挑戦者ではなく元王者として。それが今、彼女がこの場所に立つ理由となった。
「ナイスファイトです」
コートから下がった竜胆を、今度は穂波が拳を掲げて出迎える。竜胆は、薔薇がそうしたように拳を合わせて応えると、そのまま歯痒そうに奥歯をかみしめ、頭を下げた。
「すみません。リード、取られちゃいました」
「大丈夫。チームで取り返しましょう」
穂波は、表情筋の乏しい〝こけし〟みたいな顔で、それでも精一杯にこーっと笑みを浮かべる。
「任せてください」
チーム内、いや、下手したら会場内で一番小さな剣士。しかしながら、その背にチームの勝利と、県下最強の座を目指す熱い想いを秘めて。八乙女穂波が今、コートへと向かう。
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