それぞれの背負うもの
モヤモヤした気持ちをあざ笑うように、時間と共に試合は進んでいく。そもそも同じコートで行われる次の試合は、目を皿にして見届けなければならない。予選リーグにおける最大の障害である、王者・左沢産業高校の試合だからだ。対戦相手は、一さんのいるあこや北高校と霞城北高校の合同チーム。人数の少ない学校同士は、仮に優勝したところで上位大会へ進むことはできないものの、こうして連盟を組んで団体戦に出場することが認められている。
そうして見せつけられたのは、圧倒的とも言える力の差だった。
先鋒から大将まで全て、沢産が二本先取でのパーフェクトゲーム。歯牙にもかけずというのは、こういうことを言うんだろうか。確かに合同チームの方は、一さんを除いてみんな、文字通り記念参加というくらいの実力に見えた。しかし、その一さんすらも、得意の終盤までの粘りを発揮しきる前に崩され、あえなく敗退。中堅という〝負けられない〟ポジションを担う彼女が、陣に戻って面を外した瞬間に見せた歯痒そうな表情が、負けても闘志抜群だった個人戦の時とは打って変わって、チームの核としての重みと責任を感じさせた。
「鈴音ちゃん、沢産の試合どう見る?」
隣に並んで見ていた安孫子先輩が問うので、私は頭の中にあった言葉をそのまま口にした。
「どの選手も隙が無いですね。どんな状況でも的確に対処できるよう、バランスよく鍛えてるっていうか。総合的な完成度が高いっていうか」
「育成系のゲームだったら〝オールA〟って感じ?」
「はい。でも〝S〟じゃない」
先輩が、「言うねぇ」と口笛交じりに笑みをたたえる。
「でも、鈴音ちゃんの言う通り。あそこはそういうチーム作りをしてる。すべての選手が万能型。それぞれに個性がないわけじゃないけど、得意を伸ばすよりも苦手を潰すことを第一に稽古を積むチーム」
「この競技の性質を考えたら理想中の理想ですね」
剣道における団体戦は、個人戦を五回やるのと同じだ。チームスポーツの競技と違って、互いの長所を活かしあったり、逆に短所を補い合ったり、青春部活漫画にありそうな試合中に手を取り合う友情展開は絶対にあり得ない。必然的に、ひとりで何でもできる人が選手としての理想形になる。
沢産は、その剣道としての理想を、高校生活という限られた時間の中でギリギリまで突き詰めて体現したようなチーム。言うだけなら簡単だが、これが並大抵のことではない。それこそ先輩が例えた育成系のゲームなら、そもそもの初期ステータスが高い〝天才型〟でなければ目指すことも許されない。
「鈴音ちゃん、さっき『でも』って言ったね。オールA相手だったら、付け入る隙はありそう?」
「……すみません、分かりません」
そもそも、見ただけで的確に相対評価できるほど、私自身が自分のチームの事をよく理解していない。ここ二ヶ月一緒に稽古を積んで来たわけだから、それぞれの選手の得意不得意は分かる。ただ、それが全国水準で言えばどれほどのレベルなのか。さらに言えば、元日本一の女というオーパーツの存在が、普段の物差しの尺度を著しく狂わせる。
「無理と言わない鈴音ちゃんは優しいね」
先輩がもう一度笑う。不敵な笑みだった先ほどとは違う、柔らかい微笑みだった。
「さて、次の試合も勝つぞ~!」
そう自分を鼓舞しながら、準備のためにコート端の陣へ向かう彼女の肩は、緊張か、震えているようにも見えた。
「秋保すずね!」
「わっ」
突然の大声にびっくりして振り向くと、いつの間にか一さんが私の背後にずずいと迫っていた。たった今、試合を終えたばかりの彼女は、このままあこや南との連戦に臨むはずだった。
「りんねです」
「秋保鈴音! あなたが居ないチームを今からコッペパンにしてあげるから、試合に出れないことを悔やみながら、手ぬぐいの端でも噛みしめてればいいわ!」
「私より強い人が五人いるから補欠なんですけど」
「なによそれ! 私が、南高のベストメンバーより弱いヤツにボコボコにされた惨めな女だって言いたいの?」
「そこまで言ってない」
よく突っ走るなぁ、この人。黒江も良く三年間相手できたね……って、たぶん相手にしてなかったんだろうな。言われっぱなしもアレなので、私はとっておきの情報を付け加えてあげることにした。
「私のこと気にする前に、一さんの相手、ウチのエースだから」
「気にしてない! じゃあね!」
雑な捨て台詞を吐いて、彼女もコート向こうの自陣へ帰って行った。あれ言うために、わざわざ試合前の貴重な時間を使ってこっちまで来たのか。
いや……試合前だから、なのかな。対戦相手に啖呵を切ることが、彼女なりの気合の入れ方というか、ひとつのルーティンなのかもしれない。される側からしたらはた迷惑ではあるけれど。
やがて始まった試合は、相手チームの力量を考えれば案の定というべきだけれど、ウチの勢いある先鋒次鋒があっと言う間に二本先取で試合の流れを決め、中堅である八乙女部長へと危なげなく繋げた。
調子が良いのか、相性がいいのか、部長も開始早々に〝縮地カッコカリ〟で先取点をあげると、勝負の二本目へとなだれ込んだ。ここで一本をあげるか、時間切れで南高の勝利が確定する。対戦相手の一さんにとっては、崖っぷち背水の陣だ。
私と戦った時に比べて、一さんの体力の消耗が早いような気がした。二本目が始まってしばらく、得意のカウンター剣道を捨てて攻めの剣道へとシフトした彼女は、みるみる肩で息をするようになっていった。
彼女が向かっているのは、私も未だ越えられない、小さくも巨大な壁だ。あの手この手を出し尽くしている様子を見れば、一さんが今どれだけ頭をフル回転させて、どうにか勝利をもぎ取ろうとしている様子が手に取るようにわかった。
勝ちを諦めていない。若干一年生の、しかも上位大会に進めない合同チームの試合の行く末を、めいいっぱい背負っているかのように。
「メンあり! 勝負あり!」
ほどなくして、部長の二度目の〝縮地カッコカリ〟が決まった。結果を見れば、実力の差が出ただけの順当な試合展開だった。その後の副将戦もしっかり二本先取。大将戦は、時間いっぱいの引き分けになるかと思ったが、ギリギリのところで日葵先輩がメンを決め、本大会初の白星をあげた。
「南高、勢いあんな」
「でも、流石に沢産には敵わんべ」
見知らぬ観客の心ない評価を聞き流しつつ、私はなんとなく一さんの襲来に身構えていた。二度あることは三度ある。補欠とは言え、私は勝った側のチームの人間だし、戦ってないぶん恨み言くらいは受け止める心の広さは持ち合わせているつもりだけれど……予想に反して、彼女は私の元を訪れることはなかった。
何となく探してみるけれど、コートの周りにそれらしい姿はない。彼女たちの次の試合まで少し時間があるし給水にでも行ったのかな。気にはなるけれど、わざわざ探しに出る程の関係でもない私は、すぐに意識をコートへと引き戻した。
それから――次の試合、左沢産業高校VS米沢上杉高校の試合は、五対〇で左沢産業高校の勝利。同時に予選Cリーグの大勢がほぼ決まった。
あこや南 二勝〇敗
左沢産業 二勝〇敗
米沢上杉 〇勝二敗
あこや北&霞城北 〇勝二敗
誰が疑うこともなく、決勝リーグへの出場権はあこや南と左沢産業との間で争われることとなる。逆に言えば、この試合に負ければ決まってしまう。私たちの目標も、先輩たちの頑張りも、全国大会とは夢のまた夢であるということが。
「おい、蓮はどこに行った」
鑓水先生の言葉にはっとして、私は辺りを見渡す。そう言えば、今の沢産の試合の途中から姿が見えなかったような気がする。
「また、例のじゃないスか?」
「あいつ、こんな時に……こんな時だからなんだろうが」
先生が頭を抱えてため息をつくと、そのままチームの顔を見渡して、私と目が合ったところで視線を止めた。
「鈴音、ちょっと行って急かしてこい」
「い、行くってどこへ?」
「どうせ化粧室だろ」
化粧室……ってトイレってこと?
私は訝しみつつも、頷いてアリーナを後にする。使いっぱしりみたいなのはシャクだけど、先輩が試合に遅れるのは困るし。それに、ずっとコートの試合に集中していたから、私もちょっとトイレしていきたい。道着を着てると行くのが大変だから、ついついギリギリまで溜めてしまうのは、剣道部員の性だ。
トイレ、トイレ……あ、あった。我慢していたのもあったし、何ともなしに飛び込んだ私だったが、慌てて引き返すことになってしまった。よくある女子トイレのマークの扉をくぐった瞬間に、誰かがすすり泣くような声が聞こえたからだ。
え、お化け。でも、まだ真昼間だしな。その時、トイレ=化粧室=安孫子先輩という図式が頭にあった私は、まさか先輩……とも思ったが、その考えもすぐに改める。やがて聞こえてきた声に聞き覚えがあったからだ。
一さんだった。
「ごめんなさい……散々偉そうなこと言ったのに、私、勝てなくて」
「仕方ないよ。沢産も南高も、私たちじゃ歯が立たないくらい、強いチームだったんだから」
もう一人は誰か分からない。でも口ぶりからして、一さんの団体戦のメンバーだろう。
「それに、偉そうってこともないよ。全国を経験してるつばきちゃんの考え方は理にかなってたし、そもそもつばきちゃんが霞城北と繋いでくれたから、最後にこうして団体戦にも出られたし」
「でも、個人戦も負けて、団体戦も予選敗退が決まっちゃって……先輩、今日で引退……」
「なに言ってんの。ウチは進学校じゃないし。試合に出れなくても、部活にはまた顔出すから。ふたりしかいない剣道部だもん。ひとりじゃ稽古にならないのは、私が身をもって知ってるから」
「でも私……もっと……すこしでも長く、先輩と試合……剣道したかった!」
「それは――」
一さんの叫びに、先輩と呼ばれた剣士がぐっと言葉を詰まらせる。それでも年上の威厳を保つべく、思い切って開いた口からは、耐えきれなかった嗚咽がこぼれていた。
「私も……もっと試合したかった! 今年はつばきちゃんが入ってくれて、何か、今までの剣道部と変わったような気がしたんだ。大変だったけど、楽しかった。変わった自分を、もっと試合で確かめたかった!」
「だから、勝てなきゃ……私!」
「だったら作って! 私じゃない、つばきちゃんならできる。沢産にも南高にも勝てる、最強のあこや北高校剣道部を。そしたら私、応援来るから! 北高剣道部OBだぜって、胸を張ってブイブイ言わせるから!」
「なんですかそれ、勝手な……」
「さ、ほら、最後の一試合があるよ。ここで勝って、〝最強あこや北高校〟の最初の一歩にするんだから」
「……はいっ!」
私は立ち去ることもできずに、トイレの外の壁沿いにゆっくりとしゃがみこんだ。すぐに隠れたから、中の様子は声でしか分からない。だけど、私には確かに二人が笑っている様子が感じ取れた。
試合に勝つって、こう言うことだ。またひとつ私たちは、他の高校剣士の夢を踏み越えた。
「あれ、鈴音ちゃん何やってるの?」
思わぬ感傷に浸っていたところで、ようやく探していた声が頭上から降り注ぐ。安孫子先輩が、キョトンとした顔でうずくまる私のことを見下ろしていた。私は、びっくりしたのと凹んでたのを隠すのとで、慌てて立ち上がる。
「先輩どこのトイレ行ってたんですか!?」
「え? トイレ? なんで?」
「だって、先生がたぶん化粧室だろうって」
「化粧……ああー!」
詰め寄る私をよそに、先輩はひとり納得した様子でポンと手を叩く。小脇に、ペンケースと呼ぶにはちょっと大き目の、可愛らしいポーチを抱えていた。
「化粧室は化粧室でも、用事があるのはこっち」
そう言って彼女は、トイレの隣にあった別の部屋を指さす。
「は? パウダールーム……?」
全くもって脈絡のない成り行きに、私の頭はとっくについていけなくなっていた。
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