喰らう者
「ちなみに、米沢上杉ってどんなチームなんです?」
遠くに見える巨大な山より、まずはそこへたどり着くまでの道のりが大切だ。五十鈴川先輩は、記憶を掘り起こすように明後日の方向を見上げる。
「トータルでの実力はCランク相当だろうけど油断はできないかな。山形市内に電車で通うのが大変だからって、米沢から出ない選択肢を選んだ人が通ってる高校だから」
「学力もピンキリだよね。上澄み層は、あこや東と大差ないくらい頭良かったりするし」
早坂先輩が、同意するように頷き返す。あこや東は、県内で一番偏差値の高い学校だ。頭がいいうえに共学だからと、あこや南の生徒は(勝手に)対抗意識を持っている人が多い。ウチもその下に着けるくらいには偏差値が良いはずなんだけど、女の嫉妬は正常な判断力と知能指数を著しく低下させるらしい。
「注意が必要なのは大将の根本さんかな。菜々子ちゃんが言った理由ずばりで米沢上杉を選んだ置賜地方のトップ選手」
試合の準備が進むコート脇で、ホワイトボードに貼られた各チームのオーダーが目に入った。あこや南は先鋒・中川、次鋒・日下部、中堅・八乙女、副将・安孫子、大将・北澤の事前通告通りのオーダー。
それに対する米沢上杉は、もちろん知らない名前ばかりが列記されていたけど、大将のところにたった今耳にした根本という名前が並んでいた。
大将だから、当たるのは日葵先輩か。先輩が本来の実力を出せるなら心配はない気もするけれど、出せるかどうか事態に遺恨は残っている。ゴールデンウィークの合宿からこっち、私は安孫子先輩から黒江の勧誘に次ぐ新たな指令として、北澤先輩の試合下手を治す任務を与えられていた。そのためにいろいろ奔走したり、時には真正面からぶつかってみたりしたけど、正直なところ手ごたえは無いに等しかった。
それでもたった一度だけ見せてくれた全力の〝阿修羅モード(私が勝手に呼んでるだけ)〟さえ引き出せれば、部長に劣らない実力の持ち主だと私は思っている。そして引き出す必要があるのは、まさに今この瞬間なんだけど……選手の控えとしてコート脇に敷かれた畳の上で防具の紐を整える、先輩の緊張で強張った横顔を見るに、あまり期待はできなさそうだった。
そうなると、先輩にたどり着くまでが展開のキモだ。欲を言えば副将までで三勝を決めて、チームの勝利を確実にして貰いたい。むしろウチのエースである八乙女部長を三戦目である中堅に据えているのも、そういった事情によるところだろう。
「てか早坂先輩、他の地方の選手なのに詳しいですね」
情報が多いのはありがたいことだけど。先輩は爽やかな笑顔を浮かべて、どんと自分の胸を叩く。
「知り合いが多いことが取り柄だからね。人づてでも、色んな情報は入って来るもんさ」
「へぇ、じゃあ次の北高の合同チームも?」
「もちろん。市内だし、米沢上杉よりも解像度が高いよ」
なんと頼もしい。繰り返すようになるが、剣道の大会はこの三日間ですべての試合日程を消化する。つまり、次の対戦相手が決まってから、実際に試合をするまで、対策を吟味するような時間はほとんど無い。そうなると、大会が始まる前までの情報収集がモノを言うことになるわけだが、それ専門のマネージャーでもいなければ、結局はお座なりになってしまうのが常だ。
なぜなら、結局は一対一で戦うスポーツだから。個別の対策を立てるよりも、どんな相手でも戦えるように自分自身を鍛えた方がいいという発想になりがちなわけである。鑓水先生の指導もそこに重きを置いたものだし。
だからこそ五十鈴川先輩や早坂先輩みたいな存在は頼もしい。コート上では一対一だからこそ、学校としてひとつのチームなのだと言うことを思い出させてくれる。
「黙想ぉぉぉぉぉ!」
不意に響いた声にアリーナの空気がピリッと真冬の外気のように引き締まる。声がした方を向くと、はす向かいのコート脇で横一列に座った宝珠山の選手たちが黙想に浸っていた。練習試合の時に目にしたのと同じ、目を閉じたまま微動だにせず、まるで人形か、それこそ石にでもなったかのような統一感。そして異常なほどに長い。他校の一年生やその保護者と思われる「初めての人たち」を中心に、緊張はやがて畏怖を含んだざわつきに変わっていった。
「ほんとに大会でもするんですね。怖いもの知らずっていうか……むしろ怖いです」
「あれが宝珠山なりの戦い方ッスからねぇ」
昨年目にしているであろう熊谷先輩たちは、いつものことと言った様子でただただ苦笑する。だけどその笑みの向こうには、やはりどこか圧倒されたような感情が滲んでいるようにも感じられた。
あれもまた、ひとつのチームワークなのだろう。宝珠山なりの、チームメイトの心をひとつにし、試合う相手にプレッシャーを与えるための。
長い長い黙想が終わるころ、各コートにスーツ姿の審判団が足を踏み入れ始める。稽古の時と違い、こういう試合で審判を務めるのは、剣道連盟に加入している段位持ちの成人剣士たちだ。中にはもちろん、各校で顧問やコーチを務める指導者も含まれる。普段は道着姿ばかり目にしている先生が、パリッとしたスーツ姿で現れて、新しい一面を見たような気持になる――なんて少女漫画みたいなトゥンク展開もたまにあるけれど、幸か不幸かウチの高校の顧問は普段からスーツ姿がトレードマークなので、ギャップによるイメージアップ戦略は通用しなかった。というより、鑓水先生の道着姿を今日までついぞ見ることは無かった。だからと言って指導が手抜きとか、そう言うことは一切無いのだけれど……逆に道着姿の方が見てみたくなるね。
コートに入った三人の審判たちは、顔を突き合わせて軽く打ち合わせをすると、上座に並んで、すっと背筋を伸ばす。呼応するように、これから試合に望む両校の選手たちがコート上に向かい合って並ぶ。テレビで見る甲子園の試合前挨拶と同じような構図だ。
「お互いに、礼!」
「お願いします!」
主審の掛け声で、選手たちは一斉に挨拶を交わす。ついで会場中を埋め尽くす観客たちの拍手。私ももちろん、力いっぱい拍手をする。誰もかれも下手な声援は送らない。それでも拍手だけでアリーナの天井を震わせるほどの熱気が、会場を包み込んでいた。いよいよ団体戦が始まる。
コート上から選手たちがひくと、すぐに先鋒の試合となる。畳の上に戻った次鋒以下のメンバーを見送って、中川先輩がひとり、身体をほぐすように肩や脚をぶらぶら揺らす。
「中川。ぶちかましてこい」
「押忍!」
先生からの発破にいつも以上の気合で答えて、先輩はコートに足を踏み入れた。竹刀を構えて、ちょうどひと息つくほどの間。選手同士の呼吸が整ったのを見計らったように、主審が声を張った。
「はじめっ!」
「やぁぁぁぁぁぁ!!」
試合が始まる。対戦相手、米沢上杉の先鋒の気合が炸裂する。その一声で無駄な緊張を解いたように、じりじりと中川先輩との間合いを詰めていく。一方の先輩は、初発の気合すらあげず、静かに間合いのせめぎ合いに応じていた。パチンパチンと、互いにジャブを打ち合うように切っ先同士が触れ合う。
突然ガツンと、中川先輩が力強く相手の竹刀を払った。もちろんブラフで、相手は一瞬だけ竹刀を引いて身構えるが、すぐに中段の構えに戻る。コート上の緊張が、一瞬だけ緩む。その瞬間だった。
「きやぁぁぁぁぁぁあああああ!!!!」
中川先輩の気合が炸裂した。気を緩めた相手の心に、野獣の雄叫びにも似た先輩の怒気が容赦なく突きささった。面金の向こうで、相手の選手の表情が引きつったのを感じた。こじ開けた心の隙間を逃さないように、今度は気合でなく、先輩の容赦ない一刀が振るわれる。
「メンあり!」
審判たちの旗が、一斉に先輩のもとへ上がる。文句のつけようがない、見事なひと太刀だった。威風堂々と開始線に戻る先輩の背中に頼もしさを感じる一方で、迎える相手選手の身体は、先ほどにくらべてひと回り程小さくなったように見える。
いや事実、小さくなっていたんだろう。今の一撃で完全に委縮してしまっていた。そうなれば、後は先輩のペースだ。二本目は、心の駆け引きのようなじっくりとした間合いの攻防はなく、勢い任せにガツガツと打ち込む先輩。気後れした相手はすっかり後手後手に回り、やがて不用意に浮いたコテに二度目の太刀が刻み込まれた。
「コテあり! 勝負あり!」
味方の陣から拍手が飛ぶ。気合で勝り、勢いで勝り、なにより剣の腕で勝る。気剣体共に相手を上回った、強者の剣道だった。
畳に戻った先輩は、するりと面を外すと、何事も無かったかのように、ひとつ吐息だけ吐き捨てる。別にカッコつけてるわけでも、意識したわけでもないだろうけど、切れ長の目から殺意丸出しの闘争心が潰えていないのを目の当たりにすると、後続の相手選手たちも肝がヒエヒエだろう。ある意味で、必要以上に先鋒としての役割を果たしている。これが、今年のあこや南の剣道だ。
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