二日目が始まる
「ただいまー」
大会一日目が終わって、総括のミーティングを行ってから家に帰ったころには、街はずいぶんと薄暗くなっていた。へとへとになった身体を圧して靴を脱いで、リビングのソファーに腰をかけるなり、崩れるように横になる。
「あ、こら鈴音。横になるのはシャワー浴びてからって決まってるでしょ」
「防具新しいから、まだそんなに臭くないもん。せめて五分だけ」
「ったく」
キッチンでご飯の支度をする母親の小言は聞き流して、静かに目を閉じる。疲れているけど眠くはない。目の前が暗くなると、心臓がドクンドクンと激しく波打っているのが聞こえて、同時にアリーナでの興奮が蘇って来た。
楽しかった。
久しぶりに自分の力と自分の考えで勝てた大会だった。〝勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし〟という言葉があるが、私はそうは思わない。勝ちも負けも不思議なところはなく、そういう結果だっただけだ――と言うと黒江の受け売りっぽく聞こえるけど。とにかく中学後半の燻っていたころの私と、今の私とは違う。
勝ちも負けも、〝全部私のせい〟にしてほしい。私が頑張ったから勝った。私の力が足りなかったから負けた。私は欲張りな人間らしいから、自分の力じゃどうにもならない運否天賦のせいで勝ったなんて思いたくはない。まあ、ギャンブル剣道はちょっと運否天賦っぽいけど。それは……うん、作戦の問題だ。
「大会どうだった? 今日、出る日だったんでしょう?」
眠くはないが少しまどろみかけた頭に、母親の声が響く。現実に引き戻された私は、うんと伸びをしながら横になった身体を起こした。
「勝ったよ。明日からベストエイト」
「え!?」
母親の、ものすごく素っ頓狂な声がリビングに響いた。
「今の〝え〟は何?」
「え、あ、いや……ごめんね。てっきり中学の時みたいに二回戦くらいで」
「ひどっ! 気持ちは分かるけど、親くらいは娘の勝利を信じてよ!」
そう言えば、今日はコンロにかかっている鍋の数がやたらと多い。対面型のカウンターにも手つかずの食材が沢山ころがっているし……材料的にはたぶんグラタン、明太子パスタ、塩辛じゃがバターに、あのチキンはハニーマスタードにするのかな。どれも私の好きなものばっかり。
もしかして、残念会やろうとしてた?
「ひどっ!」
真意を理解して、改めて抗議の念を示す。母親は申し訳なさそうな顔をしながら、私をなだめるように言った。
「し、祝勝会だから! 明日も頑張ろう、の! あっ、チキンはカツにする? 明日も勝つって!」
「ハニーマスタードにして!」
捨て台詞のように言って、私はお風呂に入るため、大股でリビングを出て行った。まったく冗談じゃないよ。だけど、あれだけ好きなものを食べられたら、明日も頑張れそうな気がする。
あっ……そうだ、あやめに電話をしようかな?
久しぶりにベストエイトに残ってるよって?
大会前で忙しすぎたのもあって、この頃ろくに連絡を取れてない。〝おはよう〟と〝おやすみ〟に載せて、ちょこちょこっと他愛のない雑談くらいは文字でお話するけれど。彼女が通っている札幌北辰学園は、道内の強豪校のひとつだ。もっとも北海道はあの広さなので学校の数も桁違いだし、強豪校と呼べる学校の数も山形から比べたら桁違いだけど。
そんな中で今年はインターハイ出場を狙える位置にいるのだと言う。さぞ、きつい練習に身を置いていることだろう。
改めて連絡をするのは、せめて予選が終わってからにしようかな。インハイで会おうって、挑戦状を乗せて。
大会二日目が始まる。
一日目と違って開会セレモニー的なものはないので、ウォームアップが終わったらすぐに試合の準備が進む。昨日に比べてアリーナの空気がピリついているように感じる。これが、団体戦が始まる前の会場の空気だ。
「お前ら、体調は万全か。女子はやむを得ず調子を崩すこともあるからな」
「大丈夫です」
部長が率先して答えると、つられるように他の選手たちも頷く。鑓水先生も、それを見届けて頷き返す。
「ならオーダーに変更はない。まずは一回戦、米沢上杉に勝つ」
「はい!」
気合が返事になって炸裂する。いや、そうやって自分で自分を奮い立たせないと、今日待ち受けているラスボスと戦う前に、怖気づいてしまいそうなのかもしれない。予選Cリーグはウチと初戦の米沢上杉。昨日戦った一さんがいるあこや北&霞城北の北々同盟チーム。そして県内王者――左沢産業。幸い、王者との戦いはリーグの最後だ。二戦分身体を温めてから臨めるが、それは相手も同じことだろう。
団体戦メンバーの輪の外で、熊谷先輩がため息をつく。今回レギュラー落ちとなった彼女は、大会日程を通してマネージャーや、試合の合間に汗を流したい選手の相手を務める補助業務に専念していた。
「予選で県内トップと当たるって、運が無いッスよねー」
「こういうとこでも穂波のくじ運の悪さがでちゃったかな……本人の前では言えないけど」
早坂先輩が苦笑して答える。選手の側じゃない人たちにとっては、そこまでプレッシャーは感じていないようだった。それは私も同じ。蚊帳の外だと高をくくっているわけではなく、今のレギュラーメンバーなら対等に渡り合えるような気がするっていう、信頼の証に近いと思う。
「実際のところ、ウチって県内でどのくらいの位置にいるんですかね?」
一年初心者組のひとり、時代劇大好き藤沢さんが、いつものノートを片手に首をかしげる。すると五十鈴川先輩が、少しだけ感が込むような間を置いてから答えてくれた。
「仮に県内の高校をABCのランクに分けるなら、Aランクが左沢産業と鶴ヶ岡南。優勝の大本命。その下のBランクにあこや中央、日大山形、桜桃学園、そして私たちあこや南。この辺りは、巡り合わせが良ければ優勝が狙えそうな高校」
「なるほど」
藤沢さんは、頷きながらノートによくある食物連鎖ピラミッド的なのを書き始める。五十鈴川先輩は、メモがしっかり取られるのをニコニコと待ちながら、話を続けた。
「去年までは、ほかに遊佐水産もBランクの実力だったけど、今年は部員不足で団体戦には出てないみたいだね」
遊佐水産――昨日、最後に観た試合のことが記憶に起こされる。そっか、あの人、団体戦には出ないんだ。あわよくば研究ができるかなと思っていたけど、そう簡単にはいかないらしい。
「他はみんなCランク。とはいえ、剣道部は学校ごとに世代による実力の上下が激しいからね。どれだけ有望な選手を集めても試合に出られるのは五人までだし。逆に五人しか部員がいなくても、その全員が全国レベルならインターハイで上位を狙える。もちろん過去に結果を残した強い高校や、日大みたいな私立のマンモス校には強い選手が集まりやすいから、安定した運営もしやすいけど」
「五十鈴川先輩、めっちゃ詳しいですね。勉強になります」
「あはは。前に言ったっけ。私の一年の時の課題が、過去の試合の録画を可能な限り見ろっていうのだったから」
そう言えばそんな話聞いたような。横耳で聞きながら、私は心の中で頷く。
「じゃあ、そんな中でAランクの二校はやっぱり特別なんですね」
藤沢さんの見解に、先輩は、やや重い頷きで答えた。
「左沢産業は、過去に何度も全国優勝を果たしているから、国内でも有数の、本当の強豪校。公立だけどスカウト活動も盛んで、他県のトップ選手たちが集まってる。稽古の効率化と質向上のために部員数も絞ってるから、全国優勝のためのチーム作りをしている印象だね」
「こんな山形にもそんな高校あるんですね。ああ、これは単純な驚きです。はい」
「一方で鶴ヶ岡南は、沿岸の庄内地方を中心に県内の有力選手が集まってる印象かな。県内一位は沢産に取られるけど、二位以下の育て甲斐のある選手を取ってる感じ」
「地元密着なのは、好印象がありますね。私、甲子園とかも好きなんですが、ほとんど地元メンバーだけで構成されたような高校とか、他県でも応援したくなります」
藤沢さんは、ノートを小脇に挟んで、思い出を振り返るようにうっとりと頷いた。私は甲子園はあんまり見ないけど、気持ちは分かるかな。そういう私自身も、よそ様から見たら越境組って扱いになっちゃうのが不本意なところだけど。
「……なんか、話だけ聞いてると、私たち沢産に勝てなくありません? 要するに、国内最強の剣士たちが集まった剣道アベンジャーズなんですよね?」
「ああー、あはは」
真面目なトーンで眉をひそめる藤沢さんに、五十鈴川先輩は困ったような笑みで言葉を濁した。
「勝てる保証になるかは分からないんだけど……ここ数年、県外のトップ選手を掴めてないみたいなんだよね。ちょうど今の三年から一年の代の話だよ。その前の代までは、そんなこと無かったんだけど」
「うん? どういうことです?」
「うーん、理由はよく分からないんだけど……一年は言わずもがな、県内勢かつ全中三連覇の須和さんを獲得できてないわけだし、県内二位の雲居さんは鶴ヶ岡南を選んだ。他の代でも県内外に限らず、全中で活躍したトップ選手たちは、軒並み沢産のスカウトを蹴って、地元や他県の有力校に入学したみたいだよ。まるで……うん、山形県に来るのを避けるみたいに」
「それはまた、集団ストライキ――は意味が違いますけど。なんだか作為的なものを感じますね」
「流石に口裏を合わせてってことはないと思う。もっと別の、思わずそうしてしまうような要因はあるんだろうけど……私は、そこまでは分からなかったな。あんまり滅多なことを言うべきでもないし」
「沢産に悪評とかあったりします?」
「そんなのないよ。稽古はもちろん日本一厳しいかもしれないけど、みんな互いに信頼し合ってて、顧問の先生のことも慕っていて、良い雰囲気の部だったよ」
「うーん、謎が深まりますねぇ。全国でも上位の高校のスカウトを、三代渡って一斉に蹴るだなんて。死刑囚が一斉に脱獄するよりも不可解なシンクロニシティ」
藤沢さんの興味は、すっかり沢産のゴシップ(?)に夢中になってしまったようで、話はそこで終わりになった。なんか宙ぶらりんになってしまったので、横から割って入るようだけど、最後にひとつだけ先輩に尋ねる。
「もしも沢産の戦力が下がっているのだとしたら、ウチに勝ち目はありますか?」
五十鈴川先輩は、僅かに息を飲んでから、確かな決意と共に吐き出した。
「意地の勝負には持ち込めると思う」
それがあこや南高校剣道部にとっての、僅かな希望だった。
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