睨み合う八人

* * *




「やめっ! 勝負あり!」

 二本目の開始と同時に、制限時間いっぱいのブザーが鳴った。一さんお得意のタイムコントロールの範疇なのだろうか。それでも、今回は逆手に取れて私の有利となった。

「鈴音」

 コートを後にすると、鑓水先生がえげつない形相で私のことを睨んでいた。怒られることに心当たりは大ありだけど……でもやれって言ったのは先生だし……まあ、内容は伝えていなかったけど。

 恐る恐る傍へ歩み寄ると、バシンと力強い平手打ちが、面の真上から振り下ろされた。

「あいたっ!?」

「稽古でやってないことをやるんじゃねぇよ」

「はい、すいません……」

 至極ごもっともだ。これは高校の部活としての試合なわけだから、勝ったから何でもオッケーと言うわけにはいかないだろう。ある意味教育の一環である以上は、勝ち方というものにもある程度の矜持がある。

 むしろ、私としてもアンチカウンター剣道は、一度は封印――というと聞こえはいいけど、要するに使い物にならなかったのでお蔵入りした型だ。まさか高校になってからも、腰に引っ提げて戦うことになるとは思ってもみなかった。

「……とは言え、武器がひとつ増えたな」

 鑓水先生はもう一度、今度は試合前に背中を押してくれたような強さで、私の面を叩いた。私は、言葉の意図を飲み込めず、目をぱちくりさせて彼女を見返す。

「え……でも、あの型は、黒江みたいなカウンター剣道相手にしか効かなくて」

「私には勝てなかったけど」

「正論の暴力やめて」

 話がややこしくなりそうな黒江の合いの手は躱して、今一度、先生のことを見つめる。

「だが、カウンター剣道には効くんだろ? その型〝だけ〟じゃあ大会は勝ち上がれないが、道半ばの、貴重な一勝を勝ち取るための武器にはなる」

「あぁ……」

 これまた、至極もっともな意見。だけど、その単純なロジックに、中学時代の私は思い至ることができなかった。若さのせいと言うには愚かな、狭い視野による過ち。

 たびたびのジャンケンで例えるなら、私はアンチカウンター剣道――チョキだけで勝とうとしていた。だから、中学剣士の大半が得意とする、素直な仕掛け主体の剣道――グーにめっぽう弱かった。一方で、黒江たちのカウンター剣道は、力圧しの剣道に強いパー。これに練度も加わるから、単純な相性だけの問題ではないけれど、チョキしか出せない手でジャンケン大会で優勝するのは不可能だ。

 だけど今の私は違う。


 グー――覚えたての上段。

 チョキ――中学三年間で培ったアンチカウンター剣道。

 パー――黒江に教わったカウンター剣道。


 ようやくジャンケンらしいジャンケンができるようになった。勝負のスタートラインに立った。

「私の三年間……無駄じゃなかったんだ」

「はぁ? スポーツにおいて無駄な稽古なんてあるか。そりゃ体育化学が発展した今、効率化の面で時間の無駄を指摘されることはあるだろうが、稽古である以上、どんなに効率が悪くても、確実に力はついている。前時代的な根性論の世界で稽古を積んで来た選手でも、今の選手なんかより各段も強いヤツはいくらでもいたもんだ。お前の体躯だってそうだ。でっかくなれって、とにかく沢山食いまくったんじゃないのか」

「それは、確かに……栄養バランスとかは、母も考えてくれてたと思いますけど。私は『とにかく育て』って、食べることだけ頑張ってました。私、中一のころはちっちゃかったので」

「だったら、手に入れたものを無駄と言うな。これまでの稽古を否定するな。人間、最後は手持ちのカードで戦うしかないんだ」

 なんだか、スッキリした気分だった。願ってもなお届かず、鬱屈としていた中学三年の秋以降の生活が、遠い遠い過去の出来事のように感じられた。

「あ……あきほ!」

 突然のぐずったような叫び声に、私はびっくりして振り返る。そこには、目元をまっかにして鼻を盛大にすする一さんの姿があった。

「あきほ……えっと、下の名前は……」

「あの、鈴音です。あと〝あきほ〟じゃなくて〝あきう〟です」

「秋保鈴音!!」

 ようやく正確な名前を言えた彼女は、ズビシと私の鼻先に人差し指を突き立てる。

「だ、団体戦……! 団体戦で借りを返すわ! あこや北とあこや南は同じブロック! 顔を洗って待ってなさい!!」

「え……あの、私、団体戦は補欠ですけど」

 私の言葉に、彼女は目と口を大きく見開いて、それから悔しそうに奥歯をぐっと噛みしめた。

「きいいぃぃぃ! じゃあ新人戦! 新人戦でケチョンケチョンのコッペパンにしてやる!」

「コテンパンじゃなくて?」

「コッペパンみたいにぺらぺらに踏みつぶしてやるって言ってんの!」

 その説明すらイマイチよく分からなかったが、とりあえず目の敵にされたことだけは理解できた。すると、黒江が間に入るように歩み出る。

「一さん」

「な、なによ」

 間合いを詰めた黒江に怖気づいたように、一さんはじりじりと後ずさる。黒江はそんな様子お構いなしに、彼女の左手首をぐっと掴み上げた。

「次は手首を鍛えたらいい」

「つ、次って……?」

「体力はつけているところでしょう?」

「……っ」

 一さんは、面食らったように息をのんでから、ぷるぷると身体を震わせた。顔は怒りに震えているようだったけど、私の目からは、どこか喜んでいるようにも見えた。やがて黒江の手を勢いよく振り払って、くるりと背を向ける。

「また明日!」

 そのまま、軽やかな足取りで去って行ってしまった。鑓水先生が、いぶかし気な表情でそれを見送る。

「今のはなんだったんだ?」

「まあ……宣戦布告みたいなものでしょう」

 少なくとも明日の団体戦に私は出場しないだろうけど、もう一度彼女の剣道を目にする機会が、少しだけ待ち遠しくなった。


 そして――その日、個人戦ベストエイトの顔ぶれが出そろった。

「くっそ~、負けたぁ~!」

 悔しそうに腕をぶんぶんと振る竜胆ちゃんを、五十鈴川先輩と井場さんが困り顔でなだめている。彼女はちょうど三回戦、ベストエイト進出をかけた戦いで敗北を期した。相手は、宝珠山の清水さんだった。存分に悔しがる竜胆ちゃんと裏腹に、清水さんは当然の結果だとでも言うかのように、素知らぬ顔で汗に濡れた黒髪をたなびかせていた。

「下段すら使わせられなかった~!」

「あれは、使う相手を選んでるみたいだったしね」

「私じゃ相手にならないってことですか!?」

「そうじゃなくて相性とかね」

 詰め寄る竜胆ちゃんを、五十鈴川先輩が諭すようになだめる。清水さんは、練習試合で私や部長と戦った時も、最初は中段で闘ってから、あとから下段に移行した。それは相手の力量を図っているというよりは、下段が有効な相手かどうかを測っているようにも感じられた。私に相手にも使った手前、単純な強い弱いで選んでいるわけではないようだけど……彼女には彼女なりの、ジャンケンのルールがあるのかもしれない。

 他のブロックでも、次々にベストエイトが出そろっていく。個人戦の面白いところは、必ずしも団体戦の強豪校チームが上位に残るわけではないところだ。むしろ、団体戦では勝ちあがれなかったり、そもそもチームすら組めないような学校の方が、個人技の高い選手を擁していたりする。そんな中でもしっかりと名を連ねる左沢産業高校の選手と、鶴ヶ岡南高校の選手。その中には、竜胆ちゃんの先輩である小田切さんの姿もあった。

「準々決勝は小田切と清水か。二年のホープ同士とは見ものだな」

「相性だけなら清水の方に分がありそうだが、どうなるかな」

 観客の下馬評を横耳に、私の視線と意識は目の前のコートに注がれていた。

「メンあり! 勝負あり!」

 わっと会場が拍手に包まれて、選手たちは互いに剣を収める。試合場の外に出た小さな剣士は面を脱いで、汗ひとつかいていないつやつやの顔で、ホッと微かに微笑んだ。

「ここまで全試合ストレート勝ち……八乙女穂波も三年生だもんな。今年は勝負を仕掛けに来たな」

 それも当然、誰かの下馬評だし、勝負をかけていることなら私たちも重々承知している。三年生の重みを持っているのは、先輩たちだって同じことだ。そして私は――

「やめっ! 勝負あり!」

 部長の隣のブロックで、無事に逆シードの四回戦を突破して、ベストエイトへと駒を進めることができた。一さんとの戦いを経て、私はようやく先生の言う「武器を使い分ける」意味を理解した。そうなれば、あとは試合の組み立て次第だ。我孫子先輩は相変わらず偵察と撮影で協力してくれていたし、並の剣士相手であれば、事前の対策と試合場の判断で勝ちを拾うことができた。

「おめでとう」

「ありがとう」

 黒江と短い賛辞を応酬を経て、私はすぐに目の前のコートで行われる試合に注力する。当然だ。この試合で勝ったほうが、ベストフォー進出をかけた明日の対戦相手になるのだから。

「はじめっ!」

 勝ち残っていた選手は片や、左沢産業高校の所属だった。山形県内の選手に疎い私は、彼女がどれほどの剣士か知りはしないが、県内トップクラスの高校でレギュラーという承認を得ているのだから、推して知るべきだと思った。試合は危なげなく沢産の選手有利に進むかと思われた。しかし、彼女が先取点を上げた瞬間、対戦相手が豹変した。

「うるぁぁぁぁぁあああああ!!!」

 ほとんど恫喝とも取れそうな気合で、それまでとはうってかわって、激しく荒々しい連撃が沢産の選手を襲う。どこか中川先輩に似ているなと思ったが、その点では先輩はまだ人間だ。目の前のあれは、どっちかと言えば獣――それも獰猛な手負いの肉食獣のよう。しかし太刀筋はシャープで、決して粗雑ではない。獣は獣でも狩猟者。それも、陸上の四足生物ではなく、どちらかと言えば――

「勝負あり!」

 気づけば彼女は二本を取り返して、逆転で勝利を収めていた。

「おっしゃぁぁぁぁぁ!!!」

 コートからあがって面を外した彼女は、八重歯をニッと見せて不敵な笑みを浮かべる。闘争心を隠さないその姿は、やっぱり中川先輩とはジャンルが違う。私は、いくらか畏怖の念をもって傍らのトーナメント票に目を向けた。勝ち上がりを示す赤い線をたどって、やがてひとつの名前へと至る。


 ――遊佐水産高校 船越鳴希。


 彼女が、ベストフォーをかけて戦う私の対戦相手だ。

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