後継者
続く二戦目、私は難なく――とは言えないけど、一本先取の時間切れでどうにか三回戦へと駒を進める。二本目を決めきれなかったのは、相手が思いのほか追いすがって来たからだ。きっと三年生だったんだろうと勝負の最中から思った。現役最後の大会の場合、最高学年の選手はなんとなくわかる。試合に対する向き合い方というか、必死さが、他の学年に比べてあからさまに違うからだ。不退転の覚悟とか、後のない背水の思いのようなものが、プレーひとつひとつからにじみ出る。
もしも予想が当たっているなら、私は彼女にとっての最後の希望を摘み取ったわけだ。大会とはそういうもの。
試合が終わったら、コート袖で待つ黒江の隣に鑓水先生の姿もあった。私は、面も外さないまま先生の傍に寄って、小さく頭を下げる。
「しっかり動けてるな。左前の脚運びにも慣れたか」
「はい、どうにか」
「もう一歩から半歩前で勝負しろ。相手の攻勢に委縮してんのか、上段の間合いの広さに甘えて遠間になってるぞ」
「は、はい……でも、間合いが近いと竹刀が根元で当たってる気がして、有効打にならなくて」
「それでいい。お前の長躯が根元まで迫って来るんだ、存分にびびらせろ。それで委縮したところを、決められる間合いで仕留めたら良い。慣れないフォームで、まだ細かい間合いの攻防なんてできんだろう。だったら、間合い以外の部分で勝負しろ」
「はい!」
鑓水先生の指導は、小手先の技術的な部分で行われることはあまりない。どちらかと言えば試合の流れの作り方とか、意識で変えられる部分とか、そういうのが大半だ。どうせ大会中に小手先の技術の向上なんてまず無理だから、ある意味で割り切っているのかもしれない。
「面を外したら、後ろに控えてる安孫子のところへ行け。次の対戦相手を撮ってある」
「次って――」
話題に釣られて、私はボードに貼られた、トーナメント表のブロック拡大図に目を向ける。勝ち進んだ三回戦のところから、赤いマーカーペンの色を逆にたどって行くと、ひとつの名前に行きついた。
――〝一つばき(あこや北)〟。
「あこや北の一(にのまえ)さんって」
私のつぶやきに、黒江が小さく頷き返す。今朝、黒江に対して果敢に啖呵を切っていた少女の姿が、鮮明に思い起こされた。
「おー、来たね。待ってたよ」
アリーナ横の通用口に出ると、先生の言った通り、安孫子先輩がスマホ片手に私たちのことを待っていた。
「すみません、先輩にこんなマネージャーみたいなこと」
「いいのいいの。実際、個人戦の間はマネージャーみたいなもんだし」
先輩は手招きして私たちを自分の両サイドに立たせると、スマホに表示されていた動画の再生ボタンを押した。おそらくは前の試合のものらしい、一さんの入場からの姿が鮮明に捉えられていた。
「これ、相手はどこです?」
「鶴ヶ岡南高校三年の永岡さん。春までは私と同じ副将を守ってた」
「鶴南って優勝候補!? それを倒して来てるんですか!?」
黒江と同じ中学の大将だったって言うから、実力があるのは覚悟していたけど、強豪校の三年生と渡り合えるほどだなんて。すっかり度肝を抜かれた私に、安孫子先輩は渋い顔で唸る。
「うーん、相性もあったのかな。永岡さんって尖った選手じゃなくて、平均的に全部の能力が高い系の選手だから。本来は鶴南よりも沢産向きっていうか。まあ、とりあえず見てみなよ」
言われなくったって、私の視線はずっと小さな画面に注がれていた。実際に会った一さんは、わりと平均的な体躯の選手だったと思う。だけど、対戦相手と比べるとどこか小柄に見えてしまうのは、二年分の身体作りの差だろうか。身長はそれほど違いがないように見えるのに、永岡さんの方がひと回りもふた回りも大きく見える。
試合開始からしばらくは、トーナメントの一回戦とは思えないほど静かな攻防が続いた。互いにじっくり構えて、間合いを図りあうような剣道。均衡が崩れたら、一気に飛び込んで決着を付けるような。ただし、飛び込んでも〝一気〟には決着がつく様子は無かった。と言うよりも、飛び込むのは永岡さんばっかりで、一さんは完全な防戦に回っていた。
「なんか……反則取られないかギリギリでハラハラしますね」
息が詰まって、思わずそんな軽口もこぼれる。実際、あまりにあからさまな防戦や時間稼ぎは反則を取られる……こともあるらしい。ただし、私はこれまで一度も、その理由で取られた反則を見たことが無い。剣道の試合で発生する反則の多くは、場外に出た場合と、竹刀を落としてしまった場合のふたつばかりだ。
ハラハラついでに画面に軽く触れると、シークバーが時間ギリギリいっぱいまで伸びてきているのが見えた。
制限時間いっぱい。決着は一瞬だった。
「――メンあり!」
主審の高らかな宣言と共に、審判たちの赤旗が一斉にあがっていた。もちろん、見逃しはしなかった。一さんが、見事な〝コテ抜きメン〟を決めたのだ。相手がコテを打って来たのに合わせて手元を振り上げ、相手の竹刀が空振りしたところでメンを決める、〝抜き技〟と呼ばれる一本だ。
「どう? すんなり決まったでしょ?」
そう私に問う安孫子先輩の口調は、どこか挑戦的な笑みを含んでいた。私はシークバーに触れて、ちょうど技が決まる前の、間合いの攻防のところから試合をリプレイする。
「すんなり……じゃありません。一さん、メンを打つって気配で相手のコテを誘って、実際は打たずに呼吸をずらして抜き返してる。単純に見えて、かなり高度な駆け引き。この一本のために、序盤からずっと相手のことを観察していたんでしょう。だから、その、これって――」
私は、半ば答え合わせをするように黒江のことを見た。黒江は相変わらずの仏頂面で、画面の中の一さんを見つめている。しかし口元だけは、かすかに言葉を紡いだ。
「――カウンター剣道」
その言葉は、私が黒江の剣道を表現するために、勝手に口にしている造語だ。むしろ黒江の剣道以外には使ったことがないし、黒江もまた、そのつもりで認識していることだろう。
答え合わせと言ったのは、半ば、彼女の口からその言葉を聞きたかったからだ。いいや、本心を言えば聞きたくなかった。全く別のものだと言って欲しくすらあった。
でも、私自身もどうしようもなく否定できなかったから。だから、カウンター剣道で全中を制覇した黒江本人の口から、目の前で繰り広げられた〝一さんの剣道〟の評価を下して欲しかった。
「久しぶりの大会で浮かれてたり緊張してやいないかって心配してたけど、案外冷静そうでお姉さん安心したよ」
安孫子先輩が、場を和ませるように笑う。だけど、和むような余裕は一切ない。
「黒江、中学の同期のことはあんまり覚えてないって言ったよね」
彼女が頷く。
「今の私みたいに、教えるってこともしてないわけ?」
再び頷く。
「私たちはただ、目標に向かって一緒に稽古をしていただけ」
「そっか」
嫉妬とか、安心したかったとか、そんな意味での質問じゃない。予想通りの答えが返って来たことで、むしろ頭を悩ませるくらいだ。それでも、たった一つの事実は揺るがない。
一さんの剣道はカウンター剣道。
おそらく――いや、十中八九、須和黒江というチームメイトの剣道から学び、研究し、習得した。つまり――
一つばきは、須和黒江のもう一人の後継者だ。
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