拾う覚悟

「一さんの試合の映像って、これしかないんですか?」

 少しでも情報が欲しくって尋ねてみるが、我孫子先輩は首を横に振った。

「鈴音ちゃんは逆シードだから次が三回戦だけど、他の子はだいたい次が二回戦だからねぇ」

「そうですか……」

 逆シード自体はそれほど悲観するものじゃない。一試合分多く身体を慣らすことができるし、大会の空気も身に染みて緊張が解ける。そのぶん疲労もあるけど、延長戦に次ぐ延長戦に直面するのに比べたらいくらもマシだ。一方で、試合数が少なければ、その分だけ手の内を隠せる。ろくな情報がない進級したての一年生ならなおさらだ。

「元十中って話だし、黒江ちゃんが詳しいかと思って期待してたんだけど」

「すみません」

 我孫子先輩の期待に、黒江は悪気無く答える。実際、謝る必要なんてないことだ。単に黒江が、チームメイトに対して淡泊だったってだけの話で。

「じゃあ、この動画がせいいっぱいの情報だね」

 先輩はもう一度シークバーを動かして、動画を最初からリプレイする。カウンター一発で決めるというのを考えたら、それまでの静かな試合運びが、なんとも恐ろしく思えてくる。獲物を見定める狩人、はたまたスナイパー。虎視眈々と仕留める機会をうかがっている、気配無き殺し屋。

「ここ最近、毎日のように黒江の試合運びを見てたせいかな。同じカウンター剣道でも、黒江のより慎重に見える……かも」

 できる限りの突破口を見つけたくって、私は黒江との違いばかりを探していた。だけど、見れば見るだけ似ているっていうか、ほとんど同じように見えて……唯一の違和感がそれだった。

「確かに、相手を見定めるのに時間いっぱいつかってるからこそ、間際の決着……なのかも。相手が永岡さんだから、見極めるのに時間がかかっただけかもしれないけれど」

「それは、たぶん違います」

 半信半疑の先輩に、黒江はきっぱりと否定の言葉を口にする。

「彼女が勝つ試合は、基本的に一本先取の時間切れ。一対一で引き分けはあっても、二本取って勝ったことはまずありません」

「え……黒江、昔のチームメイトのこと覚えてないんじゃ」

「本人を覚えているかと、チームスコアを覚えているかは別の話」

 だまされた気分の私に、黒江はあっけらかんとして答えた。我孫子先輩がにまりと笑みを浮かべる。

「だとしたら極端に後半戦に強いタイプか、鈴音ちゃんの見立て通り〝見〟に時間をかける方なのかだね」

「たぶんだけど……後者だと思います」

 ほとんど感だけど、そうだという確信があった。黒江の剣道を傍で見るだけで習得した子だ。見定める力は高いに違いない。だとしたら、試合運びも時間をかけているわけではなく、丁寧に、勝利が確実なものになるまで、徹底的に分析してるからじゃ――

「あんまり、可能性の話ばっかりじゃダメだね」

 思考が巡り始めたところで、先輩の声に意識が戻される。

「対策は立てるべきだけど、先入観は持っちゃダメだよ」

「そ、そうですね」

「予測を立てちゃうと、その通りに動いてほしいなって思っちゃうし。動いてくれなかったとき慌てちゃうもの」

 それは確かに。推測は推測でしかないのだから、信じるべきは目の前の事実だ。

「さしあたっては、試合終盤まで彼女の〝見〟に付き合うかどうかですね」

「鈴音ちゃん、この防戦を打ち崩せる自信ある?」

「それは、正直に言えば、あんまり……」

 私が仕掛け技で攻勢に出れるのは、まだまだ習得途中の上段の時だけだ。もっと練度が高ければ、防御の上から打ち崩すのもまた上段の持ち味のひとつなんだろうけど……残念ながら、そこまでは至っていない。

「なら、彼女の〝動〟に合わせるしかない」

 黒江が確信めいた声色で口にした。

「鈴音にとって、一さんの隙が動いている時だけだと言うなら、そこを狙う以外に策がある?」

「ない……と思う。でもどうやって仕留めれば」

 一さんが動くということは、彼女の頭の中では私のことが丸裸になったも同然だろう。呼吸や、打つタイミング、速度、歩幅――などなど、カウンター剣道を確実たらしめる要素はいくらでもある。そのすべてを見切られるわけではないと思いたいけど、近しいほどには、私のことを研究されつくすだろう。

 しどろもどろな私に、安孫子先輩が他人事みたいにキャラキャラ笑う。

「全く別の剣道を演じて情報錯乱させる?」

「そんな器用なこと……あっ」

 言いかけて、ふと思い至る。てか、完全なフラッシュアイディアなんだけど……うーん、それってどうなんだろう。意味あるのかな……てか、有効なのかな。

「何か思いついた?」

 意味深な引きをしてしまったのもあり、先輩と黒江の視線が私の方に集中する。正直どうかと思うんだけど――

「なんというか……毒を食らわば皿まで作戦?」

 ふたりの反応は、当然のごとく首をかしげるものだった。


 時間いっぱいを使って試合時間ギリギリにコートへ戻った私は、慌てて面をつけて準備をする。傍には鑓水先生の姿があった。

「一の試合は見て来たか」

「はい」

「幸か不幸かあの手の剣道を相手にするのは、我々にも一日の長がある。それに未成熟とは言え、お前はふたつの型を体得している。文字通り、武器を使い分ければ、打ち崩せる機会が来るはずだ。おあつらえ向きに、相手も〝耐える剣道〟だしな」

「え、ええ……そう、ですね」

 先生の言葉に、私は冷や汗たらたらで言い淀んでしまった。そうだよね。普段から武器を沢山持てって指導する先生なら、一さんの活路はそう見出すだろう。でも、先生の言う通り、こっちは全部の武器の使い方がまだまだ未熟なんだ。勝つためには、時に奇をてらう必要がある。

 歯切れの悪い私に、先生はいくらか訝しげな顔で視線を向ける。ちくちくと、針の筵にかけられた気分だ。

「まあいい。考えがあるならやってみろ。負けたら負けたで、秋以降の糧にすればいい」

 それは、若干一年生の選手にかける言葉だとしたら、実に的確で理にかなったものだっただろう。だからこそ……ではないけど、少なくともそのおかげで、私も腹をくくることができた。

「いいえ、先生。私は全国に行くために戦ってるんです」

 狭い面の中からの視界では、今の先生がどんな顔をしているのか全く見えない。ただ力強く、温かな手のひらが、私の背中をバシリと叩いた。

「勝ってこい」

「はいっ」




* * *




 コートの淵に立って、鈴音は相手と対峙する。「一」とだけ書かれた垂れは、どこか特異の雰囲気がある。昨年までは黒江と共にチームメイトとして戦い、全国を経験した剣士。鈴音にとっては、それだけでも脅威だった。しかしそれは、対戦相手のつばきにとっても同じこと。

(秋保鈴音……あきうりんね……どっかで聞いた名前のような)

 つばきにとって鈴音は、高校一年の県大会に突然現れた謎の剣士だ。去年まで、あんな選手は県内に居なかった。あの目を引く体躯に、同じく一年生にして個人戦の駒を進める実力だ。絶対に記憶に留めているはず。

(だとしたら越境組? 他県の実力者だって言うならまだ……でも、だったらなぜ〝あこや南〟?)

 疑問が尽きない中で、彼女の視線はコート対岸の雑踏に紛れる黒江の姿に注がれる。

(まさか、あなたが呼んだんじゃないでしょうね。元チームメイトだった私を差し置いて、どこの馬の骨とも知らない……まあ、私の学力じゃ南高は受験できなかったけど)

 つばきは、いらだつ気分を抑え込むように、大きく深呼吸をする。集中だ。自分の剣道は、とにもかくにも相手を研究するところから始まる。一回戦の相手は県内の実力者ではあったものの、去年までの大会の映像やスコアデータがあった。だから、後は〝生の動き〟に対応できるようにさえなれば、勝ちを拾うことができた。

 対して目の前の剣士には、一切の事前情報が無い。せいぜい、これまで二試合分をコートの外から眺めていただけのことだ。

(絵に書いたような上段の使い手で、身体が大きい分リーチもパワーもある。身体能力で押してくる、持たざる側にとってはいけすかない剣士。上段相手の経験は乏しいけれど、相手も覚えたてで粗削りのようだったし、狙いどころは見つかるはず――)

 頭の中で試合を組み立てながら、両者開始線で竹刀を構える。鎮まりかえった試合場に、主審の「はじめ」の掛け声が響いた。

「やぁぁぁぁぁぁ!!!」

「さぁぁぁぁぁぁ!!!」

 両者とも、出会いがしらの気合が炸裂する。いつもと変わらない立ち上がり――に思えた。鈴音を知るチームメイトたちは、すぐにその異変に気付いた。そして何より、少ない情報から鈴音との戦いを組み立てていたつばきは、それ以上の戸惑いで虚を突かれていた。

(……えっ、中段?)

 試合開始早々、鈴音のフォームがそれまでの左諸手の上段ではなく、基本に忠実な中段――正眼の構えだったのだ。

 顧問の鑓水も、黒江も、気を張った様子で鈴音のことを見つめる。〝この戦い方〟を選んだ鈴音自身も、先ほどから嫌な汗が止まらなかった。

(相手がカウンター剣道だって言うなら……私にはこれしかない)

 黒江を倒すために積んだ、中学三年間の研鑽。それが黒江以外の相手に効果があるかは未知数だったが、勝つために、鈴音は今一度、捨てたはずの自分の剣を拾う覚悟を決めたのだった。

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