まず一勝

 検量が済んで、すぐに開会式が始まる。ビシッと道着を着こなした姿勢正しい剣士たちが、学校ごとに縦一列に並んでアリーナを埋め尽くすさまは壮観だ。一年生だからと後方に並んだ私からは、ざっくりとではあるが辺りの様子が伺える。

 優勝候補ってどの列かな。垂ネームを見れば一発だけど、それ以外は学校ごとにユニフォームらしきユニフォームがないから、一見では分かりづらい。あってせいぜい、あこや南と同じように揃いの胴に身を包む程度。そんな中で、宝珠山の白備えは嫌でも目に付く。着ている方のプレッシャーも相当だと思うけど、ほとんど修行とも言える生活を送っている彼女たちの立ち姿は、堂々としたものだった。

「優勝旗返還。男子の部、日新大学山形高等学校」

「はい!」

「女子の部、左沢産業高等学校」

「はいっ」

 アナウンスと共に、前年度優勝校が臙脂色の優勝旗を大会に返還する。あの旗が誰のものでもなくなるのは、この三日間だけだ。

 そしてあれが沢産の選手か。すっきりカットされたショートヘアは、いかにもアスリートって感じだ。いいや、その実、高校生である前にアスリートとして今日までを生きて来たんだろう。これまでも目にしてきた、常勝の学校、その選手が持つ独特の雰囲気。青春のすべてを捧げて来た不退転の覚悟の表れだ。

 だからと言って引けを取るつもりはない。私たちも、私たちなりの覚悟を持って、今日まで稽古を積んで来たのだから。

 開会式が終わって選手一同解散となる。各コートでは、すぐに個人戦の会場準備が始まり、試合経過を記録するホワイトボードや、計時係が着席する会議テーブルなんかが慌ただしく準備されていく。

「あ、いたいた、竜胆~!」

「えっ……あっ! 愛苺(あも)ちゃん!」

 防具を取りに行こうとしていたところに、後ろから声をかけられる。名前を呼ばれた竜胆ちゃんは、驚いたように振り返ってから、ぱっと顔をほころばせた。

「愛苺ちゃん、久しぶり~! 去年のお盆の時以来かな?」

「そーだね! 年末年始は家族で旅行行ってたからさ、会える機会無かったんだよね」

 愛苺と呼ばれた他校の剣士は、竜胆ちゃんの肩に腕を回して、かるくヘッドロックするようにじゃれる。親しい仲っぽいけど、地元の友達かな。

「あっ、鈴音ちゃん、紹介するね。同じ飛島出身の愛苺ちゃん。歳はあたしらの一個上かな」

 まさかの先輩だった。竜胆ちゃんがあまりにナチュラルに話すものだから、てっきり同い年かと思うところだった。

「秋保鈴音です。あこや南高校一年」

「高校での竜胆の友達だね。小田切愛苺だよ、よろしく」

 小田切さんは、竜胆ちゃんと肩を組んだまま、空いたほうの手で握手をしてくれた。名前の響きとは裏腹に、なんだかサバサバした雰囲気の人だった。

「竜胆、着替えてるってことは選手? やるじゃん! 今年のあこや南って、割とレギュラー激戦じゃなかった?」

「うん。そうだったけど、見ての通り、無事に勝ち取ったよ」

「そっかぁ。うーん、やっぱり手放すべきじゃなかったか……てか、なんでウチの高校受けなかったのさ! 私、めっちゃ誘ったじゃん!」

 ウチの高校――その言葉に釣られて、私は彼女の垂ネームを確認する。小田切という名前表記の上に〝鶴ヶ岡南〟と学校名が刻まれていた。そっか、彼女が優勝候補の一角、鶴ヶ岡南高校の選手か。

「いや、あたしも気持ち的にはそのつもりだったんだけどね。運命のいたずらというか、なんというか、海よりも深い事情で今はあこや南に」

「まさか、南違いしたとか言わないよね」

「うっ……」

 竜胆ちゃんが、梅干を食べた時みたいな顔をして押し黙った。入学式早々のあの騒ぎを知っている私は、なんとなく事情を察するけど、ここは黙っておくことにする。

「そんじゃあ、コートで合う時は敵同士だね。竜胆、どうせ先鋒でしょ。私もそうだから、楽しみにしてる」

「うんにゃ、あたしは次鋒」

「えっ、そうなの?」

「あこや南の先鋒は俺だ」

 ドスの利いた声と共に、いつの間にか傍に中川先輩の姿があった。先輩が小田切さんに思いっきりガンを飛ばすと、彼女の方も不敵な笑みで見つめ返す。

「半年の間に出世したじゃん。確かに薔薇は切り込み隊長の方が似合ってるよ」

「うるせぇよ。だが任された以上は、必ず雪辱を果たす」

「いいね、私、そういう熱いの大好物。そんじゃ竜胆、次に会う時はコートでね」

 小田切さんはそう言い残して、自分のチームに戻って行った。

「これから試合だって時になにやってんだ。行くぞ」

「あ、はい」

 不機嫌そうな中川先輩に連れられて、私たちもチームの元へ帰る。

「先輩、愛苺ちゃんとなんかあったんですか?」

 鋼の心臓を持つ竜胆ちゃんが、気になったけど雰囲気的に口にできなかった問いを、中川先輩へ投げかけた。先輩は、あからさまに眉間の皺を深くする。

「小田切とは、中学のころから何度か戦ってるんだけどよ……いっつも負けてんだよ」

「ああー、愛苺ちゃん強いですからね。今も強豪で選手層が厚い鶴南で、二年生レギュラー張ってますし」

「小田切が強いとかどうでもいいんだよ。このままじゃ俺のカッコがつかねぇ」

「それで雪辱なんですね」

 竜胆ちゃんの言葉に私自身も頷く。そういうの、あるよね。私も似たような気持だったからよく分かる。一方通行の苦い片思いだ。


 身支度を整えて、私は自分のブロックのコートに足を運んでいた。マネジメント役として黒江がついてくれていて、初戦は試合時間になったら先生も来てくれるらしい。

「鈴音、緊張してる?」

「うん……まあ。久しぶりの公式戦だしね」

 そして高校生としてのデビュー戦だ。私は、気を紛らわせるように、壁に張り出されたトーナメント表を見上げる。いち、に、さん、し……優勝するには、全部で七勝する必要がある。個人戦は二位まで全国の切符が与えられるので、その意味では六勝でもいい。しかし、そのために乗り越えなければならない大きな壁があった。

「順当に勝ち上がれたら、準決勝で部長かぁ」

 私と八乙女部長は、最初のブロックこそ違えど、共にトーナメント表の〝こちら〟側。全国行きが決まる決勝の舞台に上がるためには、彼女を乗り越えなければならない。

「まあ、その前に準決勝まで勝ち上がれるかも分からないんだけどね」

「弱気だね」

「だってまだ一年生だよ。同じブロックに沢産と鶴南の選手もいるし。しかも三年生」

「たった二年早く生まれただけの、同じ高校生だよ」

「高校生の二年は、普通は大きいの」

 そういうところの感性は、どうしたって合わないな。時にはいい刺激になるけど、ナイーブな今日の私には逆効果だ。

「まず一勝」

「え?」

 突然の言葉に、私はびっくりして黒江を振り返る。

「まず一勝。そうすれば、普通の人なら緊張が解けるんじゃないの」

 彼女は相変わらずの無表情で、だけど大真面目にそんなことを言う。普通、なんて黒江に一番似合わない言葉が飛び出してきて、私は思わず吹き出してしまった。

「ふっ、ははっ。そうだね。まず一勝してくる」

 この二ヶ月の頑張りは、私だけのものじゃない。黒江にとっての二ヶ月でもあるんだ。私が早々に負けるということは、力を貸してくれた彼女を裏切るということ。それだけはできない。できる限り食らいついて、あの日私に言ってくれた言葉――黒江の見立てが間違っていなかったことを、証明するんだ。

 胸の奥が熱かった。緊張のそれとは違う。これは闘志だ。戦え。私はそのために、ここに立っている。

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