嵐の前の嵐
大会の初日は、良く澄んだ青空が広がる朝から始まった。今年の会場となった総合体育館のアリーナには、続々と県内中の剣道部が集まって来る。学校ごとに色とりどりの制服やジャージ。人数も大小さまざま。また男も女も同じ日、同じ会場でまとめて試合が行われるので、まさしく山形中の高校剣士がここに集まっている。
そうは言っても、私には知り合いのひとりもいないのだけど。
ええと、あこや南のみんなはどこかな。いつもはコンプレックスの高身長も、雑踏の中では頭ひとつ飛び抜けられる。それは、探される側も同じこと。
「あ、いたいた」
アリーナの野外広場で、ひときわ目立つ長躯がひとり。周囲の男子高校生と比べてもなお、日葵先輩の姿は目立つ。それは身長ばかりではなく、端正な顔立ちと、モデルのようにすらりと伸びた手足のせいもあるだろう。立っているだけで絵になるとはこのことだ。道行く他校の女子たちが、艶っぽいため息交じりに傍を通り抜けていくのが見えた。
見たところ、先輩たちはみんな集まっているみたいだ。私も合流しないと――そう思ったところで、背中にたゆんと、人がぶつかる気配があった。
「あっ、ごめんなさい!」
慌てて振り返ると、ひとりの女生徒が立っていた。およそ平均的な身長に、ややウェーブがかったセミロングの髪。そのまま視線を下げると、豊かな胸がついつい目についてしまった。思えば、さっきの〝たゆん〟もきっと。
少女は、どこを見ているのか分からないぼーっとした視線を上に向け、やがて私と目と目を合わせて「あっ」っと抑揚のない声をあげた。なんだろう、妙な違和感。たった今、私のことに気づいたような。目が見えていない……というわけではなさそうだけど。
「……ウドちゃん」
「えっ?」
「じゃなかった。ウドの大木」
何が何だかわからずあっけにとられる私を置いて、彼女はアリーナの方へと向かって行った。肩には皮の竹刀袋。手には、同じく皮のキャリーバッグ。中身は防具で間違いないだろう。どこの学校の剣士だろうか。真っ白の、文字通り〝水兵さん〟って感じのセーラー服が、全身紺色のウチとは対照的だった。
「何をしているの」
「あっ、黒江」
気づいたら、黒江が傍に立って私を見上げていた。着替えやすいジャージ姿の私たち選手陣と違い、制服のセーラー姿だ。
「何か、変な子と会って……ウドの大木って言われた」
「宣戦布告でもされたの?」
「そう言うんじゃないと思うけど」
ぼーっと加減はウチの部長にも似ているけど、もっと心ここにあらずって言う感じ。道具を準備している以上は選手のようだし、いずれまた目にすることもあるだろう。その時は、名前と高校名くらいは覚えておこうかな。
無事に集合を終えた私たちは、更衣室で着替えを済ませて二〇分程度のウォームアップを行う。今日は個人戦しかやらないけれど、団体戦メンバーも身体をほぐす意味を兼ねてウォームアップには加わった。
程よく汗をかいてきたら、一旦面を外して、軽いミーティングが行われる。
「今日は、開会式の後に個人戦だ。ウチの選手は定員の四名。全員ブロックが違うから、準決勝まで潰しあうってことはまあない」
「じゃあ、ベストフォーをウチで独占しちゃいましょう!」
「おう、日下部。その無鉄砲なところは、意外に買ってるぞ」
鑓水先生は、竜胆ちゃんの日下部節を軽く流して、手元の開催要項らしきパンフレットに目を落とす。
「明日のことも話しておく。むしろ、明日のための今日と言っても良い」
「予選リーグの組み合わせが出たんですか?」
いつになく真剣な安孫子先輩の問いに、先生はやや苦い表情で頷く。
「我々はCリーグ。出場校は四校。うちを除いたほかは、あこや北と霞城北の合同チーム、米沢上杉、そして……左沢産業だ」
「げっ!」
誰からともなく悲鳴がこぼれた。左沢(あてらざわ)産業――通称〝沢産〟。例年、インターハイ山形代表の座を手に入れている正真正銘の強豪校だ。何も予選リーグで当たらなくっても……そう思ったのは私だけではないだろう。
「確かに運はない。だが、団体戦のインターハイ出場枠は一校だ。いずれにせよ戦わなければならない相手なら、早いに越したことはない」
その通りだとしても、嫌でも緊張が走る。負けたら終わりの大会で、序盤に強豪校と戦うプレッシャーは、あらゆる競技において等しく辛いものだろう。
「個人戦の間、沢産の選手の試合は全部見て、スマホでいいから録画しておけ。定点の全景でいい。手元を撮るなら、別の人間がもう一台で撮影しろ」
「はい」
「個人戦に出るヤツらは、その点は一切忘れて目の前の試合に集中しろ。明日の心配は、周りのヤツに任せておけばいい。お前たちの戦場は、今日この場所だ」
「はい」
「以上。それぞれ検量を済ませて、開会式まで身体を冷やさないようにしておけ。私は審判会に行ってくる」
そう言い残して、先生はアリーナを後にしていった。残された私たちの空気はまだまだ重かったが、発破をかけるように安孫子先輩の手拍子がなる。
「はい、それじゃあ検量の準備! 一年生は、選手の竹刀を集めて計量所に持ってって!」
「はいっ」
他の対人格闘(?)競技と違い、剣道に階級はない。公式戦を含むすべてが無差別級。大会によっては、男女すら関係ないことすらある。その代わり、ただ一点、使用する竹刀だけは厳しい検査が行われる。
長さ、一一七センチメートル以下。
重さ、女子は四二〇グラム以上。
太さ、女子は先端二五ミリメートル以上。ちくとう(刀身)が二〇ミリメートル以上。
そのほか、著しく安全性を損なうと判断されたものを除く。
重い分にはいくらでも自由だか、長くて軽いものは違反。ノックダウンではなく、本数で勝敗が決まる競技だからこそのルールだ。
検量は大会当日に行われ、予備を含めてひとり二本を、検量係が健康診断みたいに次々と取り行っていく。無事に通れば合格シールを貼って貰うことができ、試合で使えるというわけだ。大会のたびに必ず行われるので、物持ちが良い剣士の竹刀はシールだらけであり、それがまた場数と経験値を物語っているようだった。
私と竜胆ちゃん、レギュラーメンバーは自分の竹刀を持って。ほかの一年生たちは先輩がたの竹刀を抱えて検量へ並ぶ。私は、この瞬間がなによりも、「ああ、今から大会が始まるんだ」という気分が高ぶる。嵐の前の静けさ。または武者震い。
「――ようやく見つけた!」
不意に、検量室に響き渡るほどの大声が聞こえた。部屋の中が一斉に静かになって、全員の視線が声のした方に向かう。そこに居たのは、道着に身を包んだひとりの女剣士だった。白道着に黒袴を身につけたいで立ちに、これから剣道をしようっていうのに、面の中に収めづらい両サイドで縛ったツインテールがいくらかの場違い感を演出する。同じく検量に来たらしく、その手には竹刀を四本抱えていたが、待機列なんて無視してずかずかとすごい勢いでこっちに迫って来た。垂に書かれた名前は〝あこや北 一〟。
いち?
はじめ?
「一(にのまえ)さん」
私が思ったどちらでもなく、黒江はその名前を口にする。呼ばれた彼女は、ふふんと偉そうに鼻を鳴らして不敵な笑みを浮かべた。
「居ないはずがないって思ってたわ。卒業の時に『剣道は辞める』って言い出した時はびっくりしたけど、あなたほど強い人が簡単に辞められるわけないもんね」
「……えっと、黒江、この方は」
全く状況が飲み込めていないけど、たぶん知り合いなんだろう。助けを求めるように黒江のことを見る。
「一さん。私の中学時代の同期」
「私のこと知らないの!? 昨年の全中団体戦メンバーの大将なのに!」
「はあ……」
去年まで山形に居なかったんで、と答えそうになったけど、余計に話がややこしくなりそうなのでやめておく。しかしそっか、黒江の元チームメイト……同じ県内だもんね。あこや南に居ないのなら、そりゃ他の高校で出会うこともあるか。
「あこや北って確か、予選リーグで」
「そうよ、だからこうして、宣戦布告しに出向いてあげたってわけ!」
一さんは、ズビシと人差し指を突き立てて、黒江に向ける。
「いきなり相対すことができるなんて僥倖よ。あなたはどうせ中堅でしょう? 私がチームごとケチョンケチョンにしてやるわ!」
「私は試合に出ないけど」
「えっ!?」
黒江の返答に、彼女は目をまるくして固まってしまった。かと思えば、小さく咳ばらいをしながら腕組みをする。「動じてませんよ」とでも言いたげな様子だった。
「ま、まあ? そういうことも? あるでしょう? でも大丈夫。知っての通り、今年のあこや北は、部員数難により他校との合同チームよ。大会規定上、優勝したってインターハイには行けない記念参加。だけど個人戦は違うわ。こっちこそが私の本命! 必ずあなたを倒して、私が全国への切符を掴んでやるんだから!」
「だから、試合に出ないけど」
「ええぇぇぇぇぇぇぇ!?」
さっきよりも大きなリアクションだった。変に周りから注目を受けてしまって、なんだか恥ずかしい。
「お、おま……おまおま……試合に出ないってどういうこと!?」
「私は選手じゃないから」
「選手じゃない!?」
「今は、マネージャー」
「マネージャー!?」
オウムみたいに言葉を反芻したかと思えば、一さんはふらりと足元からよろける。私は慌てて、支えるように彼女のことを抱き留めた。お礼のひとつもなく、彼女は私の腕の中で、慌ててパンフレットのページをめくる。
「ほ、ほんとだ、名前がない……うそ……なんで……」
「彼女が代わりに出るから」
黒江が、真っすぐに私のことを見る。視線に釣られて一さんもようやく私のことを見上げると、わなわなと肩を震わせた。
「黒江の……代わり……?」
「いや、そう言うわけじゃないんだけど……」
厳密には代わりじゃなくって、ちゃんと勝ち取ったレギュラーだ。でも黒江がマネージャーじゃなければレギュラーに入っていたのは確実で、そう言う意味では代わりと言えないことは無いけれど。
一さんは、ようやく自分の力で立ち上がると、こめかみをほぐすように親指をぐりぐりと押し付ける。それから何も言わず、持っていた竹刀を検量係に差し出した。
「検量お願いしますっ!」
「後ろに並んでください」
「ふんっ!」
当然すぎる対応を受けて、彼女は肩をいきらせながら最後尾へと向かって行った。いったい何だったんだろう。
「須和黒江?」
「マジじゃん。あこや南なんだ。沢産でも鶴南でもなく」
「でも今、マネージャーとか言ってたけど」
一さんが視線を集めたせいで、今度は黒江まで注目を集めることになってしまった。県内で、その名を知らない人はいないだろう。好奇の視線の中で、黒江は何食わぬ顔で検量係に他人の竹刀を手渡した。
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