波乱が訪れる
おはよーと挨拶が飛び交えば、えへへと笑い声がこだまする。休みの約半分を学校で合宿して過ごした私にとっては、こうして校舎が生徒で溢れる姿を見ると、日常が戻って来たんだなって、ちょっぴりほっこりする。
「鈴音ちゃんおはよー」
「おはよう竜胆ちゃん」
教室に入ると、隣の席にすでに竜胆ちゃんが座っていた。寮住まいの彼女は学校も近いし、朝早いことに関しては特に言うことは無いんだけど、問題はその机の上にノートとテキストと参考書が乱雑に積み上げられていることだ。
「竜胆ちゃん、もしかして宿題終わってない?」
「そーなの! 気持ちは終わったつもりだったんだけど! 鈴音ちゃんは終わった!?」
「うん、昨日なんとか」
「わ~、いいなぁ~! これ、提出ってそれぞれの教科の授業の時だよね!? とりあえず今日は英語さえやっつければ……」
ぶつぶつと呟きながら、竜胆ちゃんは英和辞典とにらめっこをはじめる。邪魔しちゃ悪いし、ここはそっとしておいてあげよう。ただ、話し相手がいなくなっちゃったな。何となく後ろに視線を向けてみたけ、前園さんはまだ登校していないようだった。
彼女はいつも遅刻ギリギリに学校に来る。朝、弱いのかな。いつも眠そうにしてるし、なんなら授業中もちょいちょい居眠りしてるもんな。中間テスト開けあたりに席替えがあるらしいけど、前園さんとはそんなに話したことがないまま、別々の席になってしまいそうだ。
ぼんやりそんなことを考えているとスマホが震えた。机の上から取り上げて画面を見ると、安孫子先輩からメッセージが届いていた。
――今日の部活はなるはやで集合!
えっ、なんだろ。悪い予感しかしない。また何かミッションでも与えられるんだろうか。日葵先輩の件も、解決にはほど遠いっていうのに。
「待ってたよ、南高剣道部の未来を担う若人たちよ!」
言われた通りなるはやで道場へ向かうと、既に安孫子先輩が中で待っていた。私のほかに、藤沢さんと戸田さんも一緒になってここまで来たけど、他の部員の姿はまだない。
「これはどういう集まりですか?」
「どうもこうも、こういう集まりに決まってるじゃあ~りませんか」
私の問いに、先輩は微妙にイラっとする言い回しで答えながら、目の前の大きな段ボール箱をずずいと私たちの前に差し出す。それでようやく合点がいった。
巨大なダンボールの中に、この間注文した、私たちの防具(と新人ちゃんふたりの道着)が詰め込まれていた。
「おお~」
新人ちゃんふたりに混じって、私も目を見開いて歓声をあげる。いくつになっても、新しいものを目の前にしたときの感動は変わらない。
「道着も防具もガチガチだから、少しずつ馴染ませておいてね。あと、道着洗濯するときは絶対に他の洗濯物と一緒にしないこと! 真っ白Tシャツが真っ青お化けになっちゃうぞ~!」
先輩はお化けの真似をして、おどろおどろしく言う。実際その通りなので気をつけないといけないことだ。新品の道着とか特に、一回選択したあとの洗濯機を、再度洗浄運転したって良いくらい。最初のうちはお風呂場の浴槽とかで手もみ足踏み洗いしてもいいかもね。それだけ染料が落ちやすい。
「あの、この黒い道着と白い道着って何か違いがあるんですか?」
戸田さんが、白と黒の道着を前にして首をかしげる。
「そこにあるのだと白の方が薄いから夏向け。黒は厚いから冬向けかな。探せば厚手の白や薄手の黒もあるから、練習用の道着は、後々増やしておくといいよ。洗濯のローテーションも組めるしね」
「えっと……洗濯ってどれくらいの頻度でするものなんでしょう」
「自己責任だよ!」
戸田さんの質問に、何とも言えない間が訪れる。安孫子先輩は、それ以上何も言わずに無言でニッコリ笑みを浮かべた。
自己責任……ふふふ、そうだね。町道場みたいに週二で通うとかなら毎回洗濯できるけど、部活みたいに毎日使うってなるとそうも言っていられない。特に厚手の道着は、乾燥機でも使わなければひと晩じゃまず乾かない。
だから中学のころは週イチのオフのたびとか、季節関係なく夏用と冬用をローテーションとか。ホントの意味で自己責任で着回してたものだ。乙女的には、ちょっと声を大にしては言えないけど。
もちろん洗濯できない日は、ちゃんと干しておくのは前提としてね。
「ふたりはとりあえず、道着の着方から覚えようか。防具をつけてみるのは、地区予選が終わってからかな。チームとしても多少時間があるし」
「はい!」
安孫子先輩は、新人ちゃんふたりを連れて更衣室へと向かって行った。残された私は、防具を包んでいたビニールゴミを片付けながら、自分の新しい防具、そして道場の傍らに並んだ古い防具とを見比べる。
中学に入ったころに買って貰って、今はつんつるてんになってしまった、今までの防具。一度だけ全国に連れて行ってあげられたけど、それ以降は敗北の景色しか見せてあげられなかった防具。涙はこぼれないけれど、じんわりと熱い感傷が喉の奥にこみ上げる。
ごめんね。
ありがとう。
別に古いのを捨てるわけじゃないので、今生の別れってわけではない。それでも、私は今日からこの新しい防具と一緒に上を目指すんだ。
「あ……防具、届いたんですね」
「ひゃっ!?」
いきなり背中越しに声がして、私は思いっきり飛び上がる。振り返ると、八乙女部長がニコニコと笑顔を浮かべてそこに立っていた。
「ぶ、部長……いつの間に」
「今ですよ?」
「そ、そうですか」
まったくもって心臓に悪い。ちっちゃくておかっぱぎみのショートカットというのもあって、本当に座敷童か何かと勘違いしてしまいそうになるほどだ。
部長は、三組の新しい防具を見ながら嬉しそうに目を細めた。
「自分のじゃなくても、新品の防具はワクワクしますね」
「あ、わかります。と言っても今回は私の防具もあるんですけど」
「ちょっと見ても良いですか?」
断る理由はないので、私は自分の防具セットを部長に差し出す。部長は手に取ってぐるぐる回すように眺めた後に、胴を自分の身体にあてがった。
「流石にぶかぶかです」
そ、それは笑い返したらいいのかな?
でも笑ったら、部長がちっちゃいことを馬鹿にしてるっぽくなる?
迷った末に、「ははっ」と某黒いネズミみたいな変な笑いがこぼれる。部長は満足したのか、丁寧な扱いで胴を戻してくれて、それから自分の防具の方を振り返った。
「私の防具、小学校の高学年からずっと同じの使ってるんですよ」
「も、物持ち良いですね」
「その前は、近所のお姉さんから貰ったおさがりでした。でも使ってるうちに直しようがない穴が開いちゃって、それで始めて新品を買ってもらって」
「あっ、私もそうでした。最初は、昔道場に通ってた子のおさがりとかって」
先生が知り合いから調達してきてくれたものだったから、私はその前の持ち主が誰かは知らないんだけど。それでも最初は、同じくおさがりの防具だった。何度も修理して、穴を塞いだ痕やツギハギが至る所にあった。
「防具って、安い買い物じゃないので。どうせなら大事に、長く使ってあげたいっては常日頃思ってるんですが。でも結局、身体の大きさが変わらないので、買い替える口実もありませんでした」
「私……前の防具、三年しか使ってあげられなくて。ちょっと感傷に浸ってるところでした」
「そうですか」
続いて部長が何か言いかけたけど、私はそれを遮るように言葉を続ける。
「でも、今度こそ、この子はちゃんと全国へ連れて行くんだって、そう思ってます」
それは、混じりけの無い素直な気持ちだ。部長は開きかけていた口を閉じて、小さく頷く。
「行きましょう、一緒に、全国へ」
「はい」
「あ……そうだ」
部長が思い出したようにポンと手を叩く。
「秋保さんには先に話しておきますね。他人事ではないと思うので」
「え……な、何の話ですか?」
唐突で意味深な言葉に、思わず息を飲む。対する部長は、相変わらずのほわほわした感じの顔と口調で、とんでもない言葉を口にした。
「鑓水先生と話し合って、今年のレギュラーの決め方を決めました」
……ん?
レギュラーじゃなくて、レギュラーの決め方を決めた?
「えっ……と、ご、ごめんなさい。どういうことですか?」
「今年の一年生の経験者組は、みなさん即戦力なので。先輩後輩関係なく、公平にレギュラーを選出しましょうという話になりまして」
そして部長は、拳をぎゅっと握りしめて力説する。
「総当たりのリーグ戦を行います。その試合の内容を評価して、今年のレギュラーを決定します」
「なっ――」
合宿が終わって、連休があけて、のほほんと日常が訪れる……なんていうわけがなかった。私が南高剣道部に入部してだいたい一ヶ月。最大の波乱が、今、訪れようとしていた。
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