追う者、追いかける者
部内リーグの件については、鑓水先生が部室にやってきてすぐのミーティングで全部員に通達されることになった。先生はご丁寧に、大きな方眼紙にリーグ表を準備して、神棚の傍の目立つところに張り付ける。
「難しく考える必要はねぇ。今の実力を見せてくれりゃいいだけだ」
「ええと、つまり、勝数の多い順にレギュラー入りになるってことですか?」
かみ砕きながら訊ねる安孫子先輩に、先生は首を横に振る。
「ポジションごとの適正を計るためのリーグだ。もちろん、同じポジションでの争いってことになったら白星の数は考慮するがな」
そう言うことなら、先鋒と次鋒がきっと激戦区になるだろう。中堅は実力的にも部長でほぼ確定だろうし。それらに比べれば、ウチの部のメンバーを顧みると、副将と大将は比較的競争率が低いポジションになる気がする。
実力どうこうよりも、適性のある人間が少ないと言う意味で。
「……あれ?」
リーグ表を眺めていて、ふと気がつく。私だけじゃなく、周りのみんなも同じように、表の一角に刻まれた名前を凝視していた。
――須和黒江。
「須和、約束だ、出て貰うぞ」
「はい」
初めから知らされていたのか、黒江は取り乱すことなく静かに頷く。
「お前だけは条件が別だ。〝一敗でもしたら〟レギュラーに入ってもらう」
ああ、そっか。前に先生が言っていた「機会」ってこのことだったんだ。合点がいくと同時に、胸の内が焦燥感にかられる。
「ただし、そんときゃ補欠だ。相当腕が鈍ってるってことだろうからな。そんなヤツをスタメンに起用はしない」
「分かっています」
黒江はあくまで事務的に、まるで興味が無さそうなトーンで答える。その実、今の彼女にとっては、本当にどうでも良いことなんだろう。目標を失っている状態では、剣道をすることも、試合に出ることも、黒江の心を揺さぶることはない。
しかし、もしも、仮にその〝一敗〟が、黒星が、あの表の黒江の名前の横に刻まれた時、彼女は己を討ち果たした相手のことを、心の底から求めるようになるのだろうか?
これはひいき目に見た話だけど、黒江に黒星を刻むことができる人間は、ウチの部にはおそらくふたりだけ。
八乙女部長か、本気を出した時の日葵先輩。
部長に関しては、合宿中に黒江という全国レベルの剣士を相手にスパーリングを重ねたおかげで、元々強かったのが、さらに著しく伸びている。それは現在進行形であって、もう合宿の前とはほとんど別人のレベルに到達しているだろう。そして、〝縮地カッコカリ〟が黒江に通じる領域まで達した。極論、アレが二回発動すれば黒江は敗北する。
そして日葵先輩の本気は……正直なところ、黒江とどのレベルの試合を繰り広げるのか、私の中では未知数だ。そもそも、黒江が上段の選手相手にどれだけ戦い慣れているのか。そして、日葵先輩の上段が全国レベルの練度であるかどうか。残念なことに、私程度の剣士じゃ試金石にもならない。こればかりは、当たってみないと分からない。日葵先輩が、黒江相手に本気を出せるかどうかってことも含めて。
とにもかくにも、黒江もリーグに参加するという事実を前に、部員たちの気が一層引き締まったような気がした。そもそも見学期間の非公式試合を行った時から、我先にと黒江に挑んでいったようなメンバーだ。実力がどうこうはこの際抜きにして、ひとりひとりが、黒江を倒してやるって意気込んでいるのがひしひしと伝わって来た。
「試合は一日一マッチずつだ。予選会の直前まで二週間かけてじっくり回す。早々に結果を出して、レギュラー落ちしたからって腑抜けられても困るからな」
「んな部員はいませんよ」
売り言葉に買い言葉で、中川先輩が唸る用に答える。先生は不敵な笑みを浮かべて「分かってる」と、念を押すように頷く。
「それでも無意識のレベルで不調として現れることもある。筋肉の動かし方ひとつに至るまで、支配してるのは脳みそだからな」
先生は、人差し指で自分の頭をとんとんと小突く。
「全員が「自分はレギュラーだ」と思って稽古に励め。そして、レギュラーを維持するためにリーグで勝て。それを成し得たメンバーで、予選を獲りにいくぞ」
「はい!」
怒号にも似た部員たちの返事が、道場の床や壁、天井をビリビリと揺らす。みんなが試されている。それは私も同じだ。このメンバーの中でレギュラーを任せることができる器かどうか、試されている。先生からも、他の部員からも。嫌がおうでも気合が入る。
勝ちたい。
勝つ。
私だって試合に出たい。
もう一度、全国の空気をコートの上で感じたい。
「リーグの対戦順はどうするんですか?」
竜胆ちゃんが、ビシリと手を上げて訊ねた。確かに、それは大事な質問だ。欲を言えば、強い人ほど後の日程で戦いたい。最近、少しずつだけど成長の実感が出て来た。向上心だってある。この二週間の間に、もっと力をつけられるはずだ。
「ぶっちゃけ何でもいい……が、それじゃあ決められんだろ。ジャンケンで決めろ」
「なるほど、運も実力のうちってことですね!」
体調だって調整している最中だから、できるだけ大会に近い日取りの方がベストに近い状態になる。だから、できるだけ後の方に――
「それじゃあ、秋保さんは私とですね」
私とふたり、仲良く〝負け残った〟八乙女部長が、ニコニコと笑顔で私を見上げた。私、なんでチョキ出した。パー出してたら……パー出してたら……!
「うう……よろしくお願いします」
やってしまったものは仕方ない。今ある全力で、部長を越えてみせる――
「――コテンパンだったねぇ」
部活が終わった帰り道。学校の向かいのコンビニで、私たちはホットスナックのハッシュポテトをかじっていた。
「手も足も出なかった……黒江、よく三日間も戦い続けたね」
「楽しかったよ」
そんなこと言えるのは黒江くらいだよ。ついさっきのことだからこそ、より鮮明に脳裏に焼き付いてる。正面で構えていたはずの部長が、あっという間に目の前から消えて、自分のはるか後方で華麗に残心を決めている姿が。
〝縮地カッコカリ〟のキレ、めちゃくちゃ増してなかった?
はじめて彼女と地稽古した時もボコボコにされたけど、あの時とはなんというか、技の練度が違う。部長もまた、黒江との稽古で成長したんだろう。隙の少ない黒江相手に、〝縮地カッコカリ〟を決められるほどに。
「ダメでもともとではあったけど……でも、やっぱりヘコむよぉ」
ポテトを齧って、大きなため息をつく。負けは負けとして受け入れる。でも、今日はリーグ戦の初日だ。レギュラー獲得に向けて勢いをつけようって時に、幸先が悪すぎる。
「竜胆ちゃんも黒江も、先輩相手に白星スタートだもんね。すごいよ」
竜胆ちゃんは、五十鈴川先輩相手に一本先取の時間切れ勝ち。
黒江も、熊谷先輩相手にきっちり二本勝ち。
ちなみに、井場さんは早坂先輩相手に一対一の引き分け。白星ではないものの、一年生組でハッキリ黒星がついたのは私ひとり。やっぱりヘコむ。
「あーあ、せっかくだし一戦目は黒江とやりたかったなぁ」
パックの豆乳をストローで啜りながら、竜胆ちゃんがぽつりと溢した。私は、ぎょっとして振り返る。
「え、いきなり? 私は、なんなら一番最後がいいんだけど」
「ええー! 絶対最初の方がいいよ! なんなら部長ともすぐやりたい! 明日やりたい!」
彼女は目を輝かせて言う。私と考え方が正反対すぎる……戦闘民族かな。
「竜胆ちゃんって、調子悪い日とかないの?」
「えー? あるよ。月に一回くらい」
「いや、そういうんじゃなくて」
「うーん……考えたこと無いなぁ。いつも全力出してるだけだし」
「なんか、今日はいつもより動けないなぁとか、そういうのあるでしょ」
「その時は、もっと全力を出す! 足りなかったら絞り出す!」
「えぇ……」
思わず引いちゃったよ。
「さ、流石に根性論が過ぎるんじゃないかな」
「でも、剣道は気合で戦うスポーツだよ。気合入れた方が勝つんだよ」
それは、なんか意味が違うような。確かに〝気合〟は必要だけどさ。でも、根性論の気合とは違うっていうかさ。
「あたしは、黒江や鈴音ちゃんよりスタートが遅いから、毎日全力じゃないとダメなんだよ。そうしないと、追いつけないから」
そう言って、竜胆ちゃんは力強く豆乳を啜る。中身がなくなったのか、べコリと手の中でパックが潰れる。
追いつく――黒江ならまだ分かる。だけど、自分が追いかけられるっていう表現に、違和感っていうか、妙なむず痒さを覚える。
「竜胆ちゃんは、すっかり追いついてると思うけど」
少なくとも、中学の三年間っていう同じ時間を停滞していた私に比べたら、確実に。
「じゃあ、追い越すように全力出さなきゃ。鈴音ちゃんとの勝負も楽しみにしてる」
竜胆ちゃんが楽しそうに笑う。プレッシャーなんて何ひとつないみたいに。ぞくりと背筋が震えた。
怖い?
何が?
分からない。でも、確かに怖い。それが〝追いかけられる怖さ〟だと理解するためには、私にはまだ度胸も、経験も、そしてプライドも足りていなかった。
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